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📺古代びっくりトップ10 #4エジプト-#5船舶-#6ローマの発明

2017-12-07 23:13:13 | 🔟 番付色々🆚
古代びっくりトップ10シリーズの#4〜6 のまとめ スカパー:ヒストリーCh

#4⚫︎古代エジプトの謎
3000年の王朝、BC4世紀にアレキサンダー大王侵攻まで世界一の文明が発達していた。古代エジプト文明理解にいかに貢献したかが基準。

⚫︎10 ギザの大スフィンクス
BC2500 カフラー王の治世、一枚岩彫刻では最大級 全長73m 高さ20m 1920頃まで首以下は地中に。
表面には3500年前の彩色跡、トトメス王による修復跡、又、
1950年には雨による浸食が確認されたが9000年以上前と推定されエジプト文明がさらに遡るか、より古い文明か。
ルクソール神殿には1300体以上のスフィンクスがある。

⚫︎9 アレクサンドリアのファロス大灯台
BC3世紀のアレクサンドリアは古代最大の都市、ナイル河口に天然港を持ち港に浮かぶ島ファロスには約1kmの土手道が築かれそこに灯台が造られた、高さ120m以上で自由の女神像より高く1500年以上建っていた、
巨大な土台は花崗岩を鉛で溶接、古代最大級の石材が使用(6mのコンテナほどの大石材)、
夜間に55km以上先から、日中でも同じ距離から灯りが見えたという、現代の強力な電球でも光達距離は30km程、原理は今以て不明、複数の鏡使用⁇、
更に灯台としてだけでなく、光線を放ち敵船を燃やすことが出来たそうで、それでアレキサンドリア大図書館(55万冊超)を守る為でもあったと、最後は大地震で倒壊。

⚫︎8 トリノのエロティック・パピルス
AD19世紀、王家の谷付近の王墓建設作業員の居住地跡で不思議な土器が見つかり中にエジプト学を根幹から揺るがすパピルスが、
そこには生々しい性描写であふれた、まさに最古の成人雑誌、
総計2m超の3000年前のパピルスに12の淫らな場面、年上の男が若い女とあらゆる体位で結ばれる様が結構ショッキングに描かれていた、
エジプト美術には性表現は多く、それらは神殿などで見られ神々の性行為をかなり象徴的に描かれているが、このパピルスはポルノに近い宗教目的でなく性欲を満たす為に描かれたようで。
学者達曰く、彼らは崇高であると同時に我々と同じ欲望を持つ人だったと!
今はイタリアのトリノの博物館の所蔵品、鑑賞は成人のみ。

⚫︎7 アスワン採石場の作りかけのオベリスク
太陽神ラーと太陽への崇拝の証の塔状石碑、多数発見されてるがアスワンの採石場のモノが最大でそれは今も岩盤に横たわる、
大きさは完成すればナイアガラの滝程の高さ42m以上、重さ1200tで自由の女神像の6倍近い、1枚の花崗岩で出来ている。
金属製工具のない時代のBC15世紀、岩で製作中、岩盤から削り取る時点で石柱が割れ完成断念、そのままに。
当時の技術を今に伝えるもの。

⚫︎6 ギザのクフ王の船
1954に砂漠に埋まった船を発見、ピラミッドの側に4500年以上前の木製の船、BC2500頃 岩盤を削った溝に埋められた、
全長43m幅6m 完全な形で残る最古の木製船、船は解体されており木材が溝に並べられていた、
復元する事で当時の技術があきらかに、組立方法がユニークで固定具は使わずに木材の継ぎ目を組合わせ縄で縛る、草で作られた縄は総計1km以上、エジプトと言えば葦舟の概念覆る。
釘を使わない船でも最古、流線型船体は海でも浮かべられるが、葬送船だったのか海に行ってない様子で、亡くなったファラオを天界に運ぶ船か、
信仰と技術の高さが伺え、通説より古くから海を制していたと思われる、他にも見つかり合計で7隻あると考えられ、全てファラオのためのもの。ギザの博物館展示

⚫︎5 アブ・シンベル神殿
19世紀、砂に埋もれた岩山に驚異の建造物を発掘、岩肌に彫られた建物は10階建ビル程高いBC13世紀頃の神殿、古代エジプト最高で世界最高の建造物、ナイル川に面した神殿は南方の敵を驚かせファラオの威光を誇示した、
古代エジプト最高峰の記念碑、最高の王ラムセス2世に捧げられた!治世は70年とも、神殿前に高さ20mの彼の巨像が鎮座、これだけのものを3000年以上前に人手だけで20年で完成、
奴隷でも賃金労働者でもない人々が、報酬は乾いた喉を潤す物、食事の他、ビールが1日5ℓも配られた、
元々は鮮やかに彩色、中の大広間には豪華な柱が並び、壁には王の功績が彫られた。
今の神殿は1960年代アスワンハイダム建造の為に200m先の高台に移築された、神殿名は遺跡発見の案内少年の名!本当の神殿名は不明

⚫︎4 ミイラ
死んで肉体を離れた魂は新たな命を求め夜に戻るのでその為に肉体を保存、
死後の世界を重視する世界観、保存の為、死体をミイラ化、7000万体以上のミイラを製作、まるで工場の様に量産、
カイロの博物館には王たちもミイラが安置、中に好戦的なアメンへテップ2世、偉大なラムセス2世、その父セティ1世が。
臓器を全て取り除き、脳は鼻から、遺体を薬品を浸して後水分を完全に抜き中に塩を詰め、次に体中に包帯を巻くことで何千年にわたり完璧な状態を保つ、体のいかなる部分も遺棄しない、
生き物にも魂が宿ると信じられペットもミイラ化、犬猫ワニさえも。

⚫︎3 ロゼッタストーン
古代エジプトを紐解く鍵に、18世紀末、遠征のナポレオン軍が要塞をつくる際に発掘発見し持ち帰る
高さ100cm程の花崗岩は今は大英博物館の人気展示物
これによりヒエログリフが解読された、石には同じ情報がエジプト象形文字(ヒエログリフ)、民衆文字、ギリシャ文字で、各々全て同じに記載、そしてプトレマイオス王の功績を語るものと判明、古代エジプト史の全容が解明化、それまで全く読めなかった象形文字がこれで解読可能となる。

⚫︎2 ピラミッド
エジプト文明の象徴的存在、ピラミッド形は世界各地(中南米,中東,東南アジア)に有るが、規模と精巧さで別格、エジプト以外は土レンガで作られてる
現在残っているものだけで100基以上有り高さ3m幅1.5mの壁にすればニューヨークからロサンゼルスまで築ける量の石材が使用された、
4500年前から作られ始めた、ファラオの墓で死後も生き続ける王達の住まい、或いは王の昇天の為の装置。
カイロの南30kmのカッサラの階段ピラミッドが最古でBC2660頃に建設が始まる世界最初の巨大石造建築物、元々の高さは60m以上、最初は平たい屋根の墓、その上に別の墓室を重ねていきピラミッドとなる、しかも建設は地下にも及び、カッサラのは30mの坑道があり岩を削った部屋も2室、その一つに遺体、もう一つには臓器が安置、地下道全長が5kmの入り組んだトンネルの一部、
最初の設計者はイムヘテプ、人々は彼を神格化した、
後続のピラミッドでは段をなくし滑らかに石灰岩で光沢を出し頂上に黄金をかぶせた、オリオン座に魂を届ける儀式に使われたとも。
中には崩れピラミッドという建設途中で放置されたものも、それでも高さ60mで当時の世界最高記録。
屈折ピラミッドは高さ105m、
又、赤いピラミッドにはより大きな石材を使う、土台の広さはフットボール場の10倍。
最高のものはギザのピラミッドで4000年近く世界一の高さを誇る、6世代かけてこれだけのモノが完成、驚くべきは1分に1〜2個の石材を運んだ計算になる事、
なぜ建造をやめたかは、そんなピラミッドが略奪にあい、そのため後の王達は遺体と財宝を王家の谷に隠した、BC600迄にその建造は終わる、王の権威も衰えていった。ピラミッドの建造技術は時代の先を行く並はずれたものだった

⚫︎1 ツタンカーメン王墓の財宝
王家の谷にひっそり埋められ3000年間眠っていたツタンカーメン王墓はエジプト学の唯一無二の発見。
1920年代、英国の考古学者ハワードカーターが王家の谷を発掘調査、1922に未盗掘の王墓発見、世界初のエジプトの真実が日の目を見る、5000点の埋葬された財宝-工芸品、その多くが黄金製。
生と死が近い世界観、王は所持品を冥界に持っていった、その財宝の規模は想像を超えるもので、宝飾品多数、王座2つ、戦車6台、等々全て若き王の来世での必需品、他にも予備の下着セット、新品の服、麻製のコンドームまで、それらは保護を厳重にする為外側の棺は金で覆われ、さらに王の棺はマトリューシュカの様に何重にもなっており最後の大事な棺は黄金で重さ110kg以上、
黄金の棺の中にはさらに財宝、それはファラオの顔、世に言うツタンカーメンの黄金マスク、完璧な芸術品に近い秀逸な彫刻、マスクの周りには貴重な宝石、青色のアフガニスタン製のラピスラズリ、眼球の水晶と黒曜石は地中海の向うから、重さ10kg以上のこのマスクは古代の最高傑作、後期の王でさえこれだから絶頂期の盗まれた王達の財宝はどれだけの規模だったか計り知れない、
死者でさえこれだけの財宝が、生前ならもっと凄いはずで、エジプト王朝は世界的にも恐ろしい程の財力、後にも先にもこのような文明はない、他の追随を許さない建造物や財宝のエジプト文明


#5 古代の船舶
古代における水路は生活面でも軍事面でも重要視された。
その時代においていかに斬新だったかを考察。

⚫︎10 フェニキアの火船
古代から各地で、燃える船を敵に突進させる戦法用にあった
アレキサンダー大王がアジア遠征の為に敵の島に土手道を築きティルス(現在のレバノンの地中海の要所)攻撃時BC332年、2基の攻城塔使用、対抗するフェニキア人が火船で対抗、古い貨物船に可燃物を積み燃える液体を入れた釜を吊し積荷を燃やして土手に突入、炎は150mにひろがり爆発、水中でも燃える化学物質を考案した、その詳細は不明。この火船が世界最古らしい。

⚫︎9 バイキングのロングシップ
1000年前のスカンジナビアがバイキングの本拠地、のちの西洋史に爪跡、素早い操作が可能かつ長距離を迅速移動出来る船、最速27km(当時最速)
バイキングは海戦に興味なし、もっぱら敵地への上陸奇襲が主。
浅い喫水と平たい船底で水深90cmでも航行可能、川を上り160km内陸進出例も。
中には60人乗り全長30mの大型船有り。
多くの船首には魔除けの竜をあしらいドラゴンシップと呼ばれた。又、船首と船尾の区別なくどちらにも進め逃走に便利、
北極海から中東さらにアフリカまで暴れる、オールと帆で推進、

⚫︎8 支那のジャンク船
ジャンクは支那語で船の意、2世紀から続く息の長い意匠の船、喫水が浅く川も海も使えた、船穀が平たい、国土に船用の木が少ないため木材を極力使わない設計、帆が帆柱の周りを1回転出来てヨットの様に風向きに左右されない、上げ下ろし可の舵も特徴。
竹の構造から船殻内に仕切り壁を作り強度を上げた、浸水にも強い。
明の鄭和の宝船は長さ120m、遠くインド洋まで航海。

⚫︎7 マインツのローマ船
マインツは古代ローマ-上ゲルマニアの都、そこで1980代、4世紀のローマの巨大な軍船が5隻見つかる、
流線型の船体、長さ20m幅3mで30人乗り、漕ぎ手を盾で守る構造、軽量で操作しやすい巡視船、時速18km、航行するゲルマンの船から都を守る、船にはバリスタも積まれた。
骨組を作ってから薄い板を張る構造で今の船と同じ工法
フレームや竜骨に硬い木の幹使用で頑丈
ドイツの博物館に復元展示

⚫︎6 支那の楼船
甲板が3層で水上の要塞、船は総計3万kmの河川を支配する為。
3世紀の長江に180m四方の四角船、甲板に大軍を収容、この要塞の船が河川に次々登場、5世紀には外から中が見えない全部覆われた船、6世紀には5階建のモノも作られた。

⚫︎5 三段櫂船
BC8世紀ギリシアの長さ35m高さ6m幅3m流線型の船
喫水線近くに銅で覆った巨大な衝角を先端に取り付けた、そして敵船横腹に体当りで穴を開け沈めた、速さも当時最速級、漕ぎ手170人が左右に上下三段に配置され速度を得た、上が突き出ていて漕手は上下斜め一列で配置し邪魔にならない構造、最速17km当時としては早い。
サラミスの海戦で3倍のペルシャ艦隊を打ち破った。

⚫︎4 亀甲船
装甲は亀のように守りの堅い船、16世紀の朝鮮軍船で鉄で甲板を覆い兵士を守る、全周に大砲を備え、毒ガスを放出したらしい

⚫︎3 シュラコシア号
BC3世紀シラクサ、アルキメデス考案の最古のクルーズ船でジムや図書館や居住空間があり絵画ー彫刻が飾られ、青銅のバスタブ、花壇も、長さ100m以上とか、宮殿の様な船には、更にアルキメデス考案のカタパルト(80kmの岩を発射可能)、アルキメデスポンプ搭載で、排水対応、担当は1人で十分だった、

⚫︎2 40の船
文献によると長さ130m漕ぎ手4000人、兵士3000人を乗せた
古代最大級で人力で動く木造船では最大級、双胴船の様な船殻が2つの船、プトレマイオス4世がシュラコシア号に対抗して造った。
ただしこれは巨大な兵員輸送船で甲板はフットボール場より広い
名前の通り漕ぎ手が40列並び重量4000t近く、大小7本の衝角付き。
どの様に漕いだのかは不明。

⚫︎1 ネミ湖の古代船
ローマの南に位置する火山湖をムッソリーニが水抜きを命じ見つかったのが巨大な沈没船、当時の技術の粋を駆使した2隻のローマ船、どちらもカリギュラ帝の夢の船、
どちらも長さ75m、一隻は女神ディアナを祀り、もう一隻は帝のパーティ船、並外れて豪勢、鎖を使った排水ポンプは1000年先行、床暖房、玉軸受が2000年前の船にダビンチが再発明する1500年前、錨も最先端で鉄製、ピストンポンプ式の配管は中世までなかった。
沈没理由は不明、イタリアは専用の博物館を建設も第二次大戦で大半を破壊された、わずかに残った遺物だけでも凄さがわかるとか。

◆#6 古代ローマの発明品
ローマは大西洋からティグリス川まで広がる帝国で最盛期には7000万人近い人口、今の世界に最も影響している古代文明、
世界を変えたローマの技術順位

⚫︎10 ユリウスカエサルの橋
BC55カエサル将軍が4万の兵を移動の為、それまでライン川に橋はなく川幅400m地点、水深も9mあり流れも急、普通なら数ヶ月かかるが、敵前で周囲の木を切り、水に浮かぶ巨大な杭打ち機を建造し川底に杭の大支柱を打ち込み橋を安定させる革新技術で、1日にバス3台分ペースで橋を伸ばしわずか10日で構築、大軍を通しその後、破棄。
敵は恐れをなし退散した。杭を支えに使う橋の早期事例。

⚫︎9 連射式バリスタ(ポリボロス)
今で言う機銃、木製の石弓を巨大化したバリスタ発射体で槍400m飛ばす、ギリシア由来の技術を発展させ機銃の様な連射式兵器を考案、10秒に1本の槍を放った、弾倉の槍が1本づつ自動的に下り、弦を手前に引き寄せると自動発射する、槍を補充すれば連続発射が続く仕組みで装置には先進的なローラーチェーン駆動を開発、これは16世紀ダビンチ迄登場しない。その原理は現代の機械を支えるもの

⚫︎8 コンスタンチノープルのバシリカ-シスタン
巨大地下タンクが安全な水を供給する、現イスタンブールの地下遺産、給水だけでなく街の防衛にも役だった。都市攻略の際に敵は包囲戦を展開し民を飢えさせ降参させる、最重要なのは水を絶つこと。
しかしこの地下水源の為、街は守れた、この施設は数百年秘密にされた。長さ140m幅70mあり、まるで大聖堂の様な大きさ、大理石の柱336本、帝国内の異教徒の寺院より移築、
この様な貯水槽はイスラエルのマサダ要塞、エジプトのアレキサンドリア地下にも包囲戦に備え有るが、この貯水槽は別格、圧巻の巨大貯水槽で8000万ℓ、壁の厚さ3mで堅牢な防水セメントで囲まれて今でも機能しちゃんと使える。1500年間使われ続けた
地下深く眠る貯水槽は今は公開されている

⚫︎7 ネミ湖のトンネル
ローマの30km南の神聖な湖、湖畔に女神ディアナを祀り浸水の危険があった為に山に1km以上のトンネルを通し防ぐ、BC500頃に建造された、これが2500年以上も残った、山の両側から同時に掘り1.6kmの長さを通す、合わせ技術の測量どうやったか不明、掘削方法も不明、合流点の差がわずか3m、しかもトンネルの勾配1%未満と非常になだらか、驚異の精度。失われた技術、このトンネルは近年まで使われていた

⚫︎6 リオ-ティント鉱山
南スペイン丘陵地、100年前ここで木製車輪を発見、2000年以上前の古代ローマ遺物の直径4mの大水車で最初から地下にあった、
水車は銀鉱山で使用、当時6千万人のローマ人が貨幣取引をしていた、その為に純銀が必要、鉱山には地下水が浸水する為、巨大な水車が排水用に必要、8組の水車が稼働し地上に排水、高さは10階建に匹敵、24時間稼働し1人1分に付き80ℓ排水、全体で毎日約70万ℓ排水
、多くの奴隷の働きで銀採掘浸水ローマの財政を支えた

⚫︎5 バルブガルの水車場
南仏アルル近郊にあるバルブガルの謎の廃墟、1940年代の調査で凄い遺跡と分かる。
大量の小麦粉を生産する水車場が産業革命のはるか数千年前に高機能な産業工場が存在、支那やギリシアにもあったが水車複数で稼働するものはここ以外ない。
16の水車場を組合わせた世界初の巨大工場、
水の流れ落ちる力でデイ製粉機を回す高低差20m、各水車は水を毎秒120ℓも受け取る、普通の水車と違いここは上射式でより大きな力が。この為、近郊の水道橋を伸ばし岩に溝を掘り山腹に水路を通した。毎日9000個4.5tのパンを焼く量の小麦粉を製造
他にも機械式のノコギリ等があり世界初の多機能工場と言える。

⚫︎4 ポリスパストス(複数の滑車を意味)
古代建築は人力が動力だが、ローマが究極のリフト機を考案
より大きな建造物が早く建てられる事に。
複数の滑車とクレーンを組合わせた建築用機材、これ一基で3t以上持ち上げ可能、1人で60人分の力。
従来は巻き上げ機を手で回しアームで持ち上げたがより強力に改良、車輪を踏んで車輪を動かし、複数組合せて力を増強、ローマの巨大建造物を数々構築

⚫︎3 ローマ街道システム
それまでは普通の小道を移動、帝国内の軍隊が行進出来る様、確固とした道路網を整備、交易も軍移動も便利にした、知られているだけでも40万km以上の道が敷かれた、月迄届く距離。
372本の大街道が帝国内の113の地域を繋ぐ、軍隊は1日40kmの行軍出来、マイルは当時に兵の千歩を基準とした単位。
伝令にも有利で欠かせない街道、1日95km進めた
精巧な道の敷設には現代的な技術が使われた、耐久性を高める為、敷設は底に敷いた岩の上に小石を詰めさらに砂利を敷き押し固めるその上に石を敷き詰めた、最短距離で移動出来る様に道は真っ直ぐ敷かれた。それは力の象徴でもある、ローマを一つに繋げた巨大な交通網は今でも姿をとどめ、都市間を繋いでいる耐久性。

⚫︎2 コンクリート
2千年前にコンクリートを発明、近現代の発明に匹敵、
市内のパンテオンは築2000年でも完全な状態のまま、巨大ドームでは無筋コンクリートで世界最大、
形成自由なので、アーチ-円天井-ドームも作れる正に建築の革命、その代表がパンテオン、直径43mのドームに支えの柱はない米国の国会議事堂より大きい。高さも43m、5000人以上の収容規模。
セメントの骨材の密度を使い分けた、土台や壁には高密度、ドームには低密度の軽量セメントと、これにより支柱を必要としないコンクリート建築が実現
さらに特別な性質が、時とともに強くなりパンテオンは当時より今が高強度、今のコンクリート建築は寿命50年で繰り返し修復が必須米国議事堂は1856以来2度大規模修復実施、パンテオンの前回修復はAD202年の地震後の対応、超長持ち。
水中コンクリート、当時の技術者は先駆的で材料を変える事で水中にも設置できる事に気づいた、ベスビオ山の火山灰85%に石灰と水を加えた水中コンクリートを発明、現代のものと異なり水を通さず風化しない。これで港の建設を行う事で、どんな所でも港を作れた、木箱にコンクリートを注ぎ丸ごと沈め海底に設置、これを繰り返し港建設、水中でも強度を増。
最大のモノはイスラエルのカイザリア、44隻の船が400tの火山灰を運び28万㎥のコンクリートで古代最大級7万㎡以上の港、海の800m先まで港、当時の主な天然港を上回る規模で300隻の船が停泊。

⚫︎1 水道橋
正にローマ帝国の動脈、その建造技術は最高級
最初のモノはBC312、その成功を受け水道橋建設は大規模化、水路が国中に広範囲に張り巡らされ何万ℓもの水が流れる、
総延長9500km以上、地球1/4周、新鮮な水の供給は文明の繁栄を保証、農業-産業-領土の拡大が可能に、街を自在に構築できる事に、さらに帝国内の都市が発達、
首都ローマが主に利用したのが長さ90km以上の水道橋、他にも総計約500kmに及ぶ11の水道橋を使用、毎日11億ℓの水がローマ市中を流れた、今のニューヨーク市を上回る供給量。
飲料水や生活用水は十分に確保され、壮大なスケールの余興にも利用、コロッセオの優れた技術で中に水を張って模擬海戦が行われ、翌日には全て排水し元通り、驚異の技術。
これに匹敵するモノが南仏ポン-デユ-ガールの渓谷を跨ぐ水道橋、高さ50mはコロッセオ並み、5万tの石材使用し今だ建っている、実際は約50kmに及ぶ広大な水道橋だった、これが実に精巧に出来ており、50kmで高低差わずか16mで約0.3‰の勾配、見た目で分からない、それでいて毎秒200ℓの水を流す、驚異である。
さらに驚きの時代先読み技術が逆サイフォンで管に高低差をつけると流れ落ちた水は反対側へ吹き上がるこれが広い渓谷でも用いられたこのおかげで平地や傾斜地だけでなく水を上向きに流すことが可能になった。この原理を応用して地形を気にせずに水を流し、渓谷間は複数のサイフォンでつなぐ、1時間に380万ℓの水を流し、しかも上向きに、古代においてまさに奇跡的な技術、他に例のない大規模事業だった。


💋ローマはどれも凄すぎ!正に現代に直結する技術。
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特になし '171207

2017-12-07 17:59:59 | 📖 日記
エアコン取替工事
🚶2956歩17F
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