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脱ネガティブを計るべく、浮きつ沈みつ漂う女の戯言日記

11.25という日

2012-06-07 | 本・映画
若松孝二監督の「11.25 自決の日 三島由紀夫と若者たち」を観てきた。

私は三島の本が好きで文人としての彼に惹かれ、そこから彼自身に興味を持ちこれまで
ずっと追いかけてきた。
でもどうしても武人としての彼の気持ちに追いつく事が出来ない。
この映画を観て更にその思いを深くしたと共に、どこまでも探求したい気持ちにも今
駆られている。

あの事件のあった当日、私はまだ生まれて間もなく全く記憶にはない。
少し成長した頃にニュース映像で三島が市ヶ谷のバルコニーで演説しているところを見て、
父に「この人は誰?」と尋ねたところ「腹を切って死んだ小説家だよ。」と言われたのを
覚えている。
映画は楯の会結成に至るまでの経緯と最後に自決を迎えるまでの日々を、三島と彼と共に
生きた若者達の熱情を持って描かれて行く。

バルコニーの演説シーンを観ていた時、実際のニュース映像が頭の中をだぶって過っていた。
自衛隊員達の怒号、ヘリコプターの騒音にかき消され、三島の必死の声は届かない。
彼の想いは、決意は全く届かない。
映画も現実も、天皇陛下万歳の声がなんて虚しく響いていた事か。
天皇は神ではなく人間であり、今自衛隊は海外の戦場へ派遣されている。
三島が現代の世の中を見たならなんて言うのだろう?
彼が死を以てしても訴えたかった事は、果たしてほんの少しでも後世に伝わったのか?
あの事件に関する記事を読むと、三島をキチガイだとか、単なるナルシストだとか、森田との
同性愛心中だとかひどい事が書かれているものが多い。
確かに彼は自分の美学を追究したのだとは思う。きっとあのまま生きて行く事は耐えられなかった
のだろう。
しかし彼の死を単なる自己陶酔の果ての愚かな行為と決めつける意見には、私はとても賛成出来ない。
もっと純粋な彼等の信じる真実を貫いたのだと思うから。

井浦新は三島を熱演していたとは思うのだけれど、私には思い入れが強すぎるせいかどうも
ARATAにしか見えなくて今一つ入り込めなかった。
でも森田必勝役の満島真之介は初めて彼を見た新鮮さもあり、そのひたむきな瞳とがむしゃらさに
烈士森田が乗り移っているように思えた。

エンドロールを観ながら楯の会の残った人達が語った言葉を知りたいと思っていたら、映画館で
売られていた公式ブックに元班長のインタビューが載っていた。
それを読んで益々色々と知りたくなり、彼等の書いた本が読みたくなっている。
しばらくはまた追いかける日々が続きそうだ。自分なりに何かを得られる日まで。



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