中国語学習者のブログ

これって中国語でどう言うの?様々な中国語表現を紹介します。読者の皆さんと一緒に勉強しましょう。

沈宏非《食相報告》を読む: 我們愛這条刺(私たちはこの刺を愛す)

2012年01月25日 | 中国グルメ(美食)

 (写真は、鰣魚(ジギョ))

  今回のテーマは魚の刺(とげ)です。“刺”(刺す)というと、「刺客」が連想されます。司馬遷の史記の《刺客列伝》で、燕の領土の地図の巻物の中に匕首を潜ませ、秦の始皇帝の暗殺を謀ったのは、荊軻ですが、“刺”にはむしろ、魚の腹の中に匕首を潜ませ、みごと呉王・僚を殺した専諸の方が合っているような気がします。
  さて、刺についていうと、中国人は刺が多く、食べにくい魚を好みます。特に、江南で取れる鰣魚(ジギョ)や刀魚(エツ)がそうです。そして、こうした魚の味わいに、刺が大きく影響しているようなのです。それゆえ、我們愛這条“刺”。

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 ( ↓ クリックしてください。中国語原文が表示されます)


・援引 yuan2yin3 引用する
・蜂准 feng1zhun3 鼻が高い。“蜂”は“隆”、“准”は“鼻”のこと。
・摯鳥鷹 zhi4niao3ying1 鳩胸。胸郭が彎曲して、前へ張り出していること。
・豺声 chai2sheng1 ヤマイヌのように恐ろしい声。
・聞風喪胆 wen2feng1 sang4dan3 [成語]うわさを聞いただけで、肝をつぶす。
・心惊肉跳 xin1jing1 rou4tiao4 [成語]大きな災難が降りかかりはせぬかと、戦々恐々、びくびくすること。
・下意識 xia4yi4shi2 無意識に
・魚茸 yu2rong2 魚から皮や骨を取り去り、魚肉を叩いてつぶしたもの。これを丸めて、魚のすり身団子を作る。
・剔除 ti1chu2 悪いものを、取り除く。
・豹胎 bao4tai1 ヒョウ、或いは山猫の子。“龍肝豹胎”という成語があり、これは「得難いたいへん貴重な食品」の喩えだが、始皇帝の時代、本当にヒョウを食べたのだろうか?

・擠 ji3 絞り出す。押し出す。
・如假包換 ru2jia3 bao1huan4 「もし偽物だったら、交換します」という商人たちの客を呼び込む時の決まり文句。
・老粗 lao3cu1 無学で無骨な人間。礼儀作法をわきまえていない人間。
・雅人 ya3ren2 風流を旨とする文人。
・鯁 geng3 魚の骨が喉に刺さること。
・火冒三丈 huo3mao4 san1zhang4 烈火の如く怒るさま。

  ここに、「秦の始皇帝暗殺」の別バージョンがある:

  秦の始皇帝は魚を食べるのが好きだったが、またしばしば魚の刺(とげ)に悩まされていた。凡そ魚を食べて「刺」に当たると、必ずその魚を調理した人は殺された。(司馬遷は尉繚がこう言ったのを引用している:「秦王は人となり、鼻が高く、眼は切れ長で、鳩胸で、ヤマイヌのような恐ろしい声で、思いやりが少なく、残忍であった。」ここで言う「豺声」というのは、現代医学の推測によれば、おそらく気管支炎の一種の呼吸系統の疾患を患ったことによるもので、ひょっとすると、魚の刺が刺さったことによるのかもしれない。)だから、宮中のコックはこれにより皆、うわさを聞いただけで肝をつぶした。ある日、任という名のコックが魚の調理の当番になり、戦々恐々として、無意識の内に包丁の背でまな板の上の魚を叩いていた。食事の開始を告げる声の中、知らず知らずのうちに、魚の筒切りは叩いてすり身になっていて、魚の刺は奇跡的に取り除かれていた。任師傅はそこで、魚のすり身を一つ一つ丸め、ヒョウの子のスープに落とし入れ、スープが煮立つと、魚の団子は出来上がった。始皇帝は食べてたいへん喜び、その場で「皇室風天の果て鳳の珠の浮いたスープ」と命名した。

  嬴政(始皇帝の本名)は「暴君」であっただけでなく、また「偽物だったら交換する」と言うような礼儀を知らぬ男で、もちろん魚の刺の奥深くて微妙なところは分かりようがなかった。実際のところ、私は、彼は更に魚の刺を彼の政治的な反対勢力の一つと見做していた可能性があると推察している。それでは、知識分子は魚の刺をどのように扱っていたのだろうか。

  知識分子、つまり雅人(みやびびと)だが、雅人も人間である。喉に一度魚の刺が刺さると、雅人の苦しみもしばしば一般の粗野な人間以上であった。違いはその表現方法だけである。粗野な人に刺が刺さると、必ず烈火の如く怒り、怒りが収まらない。粗野で且つ権力のある者は、嬴政のように最も暴力的なやり方で、怒りをコックにぶつけるだろう。雅人に刺が刺さると、怒ることは怒るが、この怒りは穏やかな怒りで、しかもはっきり燃え上がりはしない。このような火は、金聖嘆の言葉で言うと、「恨」と呼ばれる。金聖嘆がまとめた「人生三恨」は、「一に鰣魚に刺が多いのを恨み、二に海棠に香りが無いのを恨み、三に紅楼夢が完結しないのを恨む」である。

■[2]
 

・縝密 zhen3mi4 周密である。考えが細かい。
・多慮 duo1lv3 よけいな心配をする。
・匪夷所思 fei3yi2 suo3si1 [成語]言行が常軌を逸していて、一般の人には思いもよらない。
・労什子 lao2shi2zi くだらないもの。いやなもの。

   「恨」というのは一種複雑な感情で、少なくとも「怒」よりはずっと複雑である。そして、少し女性的な色彩がある。もし「怒」の反対が「喜」であるなら、「恨」に対するのは「愛」である。「喜」と「愛」の違いは、少なくとも「魚の刺」と「フカヒレ」の違い以下ではない。こう言うと、魚の刺への「恨」は完全に魚肉への愛に基づいていて、愛は深く、恨みは痛切である。事実、世の中の凡そ美味しいものは――正確に言うと、凡そ中国人が美味しいと思っている魚は、ほとんど皆、刺が多い。道理はたいへん簡単で、刺の多い魚は、肉質が必ず特別にきめ細かく柔らかで、ちょうど心配性の人の考えることが、しばしば常軌を逸して異常に細かいのと同じである。

  「魚の刺」の問題について、外国人の考え方はちょうど正反対で、彼らは始皇帝よりもっと魚の刺を嫌う(「嫌う」というより、「怖がる」と言った方がよい)。彼らは皆、こう信じている:刺の少ない、或いは刺の無い魚こそが、本当に美味しく、下品な趣味を離れ、人民に有益な魚である、と。

  こうした観念は、万事に実際の効果を重んじるアメリカ人あたりには、とことんまで発揚されている。「魚に刺はあるかい?」十歳以下のアメリカ人の子供に聞いてみるとよい。返って来る回答は必ず「No」である。なぜかというと、マクドナルドで食べられるフィッシュ・バーガーは100%刺無しであるだけでなく、魚の刺というくだらないものは、とっくに、マクドナルドに材料を卸す上流産業、すなわちスーパーマーケットの冷凍庫の前で、きれいさっぱり処理されているのである。

  イギリス国内の全てのFish and Chipsの店では、魚の刺が一本でも見つかったら、軽くて料金は全額無料、悪くすると、店主は裁判所に訴えられる。

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・面拖 mian4tuo1 小麦粉をまぶしつけて、フライの下地にすること。“面拖黄魚”で黄魚のフライのこと。
・鰣魚 shi2yu2 ジギョ。ヒラコノシロ。太平洋に分布し、毎年、端午節の前後に、長江、珠江、銭塘江で産卵する。背部は青黒く、腹部は白い。成魚の体長は50センチ。うろこが大きく、脂肪に富む。古来より珍重され、河豚、鰣魚、刀魚を“長江三鮮”と呼ぶ。

・刀魚 dao1yu2 エツ(斉魚)。カタクチイワシ科の海産の硬骨魚。主に長江下流の鎮江、靖江、江陰、張家港で多く水揚げされる。春先の脂が載ったものが好まれ、清明節を過ぎると、味が落ちると言われる。日本でも、有明海やその周辺の河川に生息。

・生相 sheng1xiang4 “長相”zhang3xiang4のこと。容貌、器量のこと。
・粗 cu1guang3 粗野である。
・箬鰨魚 ruo4ta33yu2 “舌鰨魚”のことで、舌平目。
・靠攏 kao4long3 近寄る。
・幽恬 you1tian2“幽”奥深く上品。“恬”安らか。

  ドイツ西部の小都市、ランゲンフェルドで魚を食べた体験は、上海の美食家、洪丕謨先生に深い印象を残した。

  私たちは明るいガラスのショーケースの氷の器の中に、多くの種類の異なる魚が並べられているのを見た。おそらく名前も知らないが、多少はっきりしているのは、ドイツ人が食べる魚は刺のあるものがたいへん少ないということだ。刺が多いと、彼らはうんざりするか、根本的に食べない。刺が喉に引っかかるのを恐れて……考え方が、中国の一般大衆と正反対である。中国人の物の見方では、美味しい魚はほとんど大多数が骨が多く、刺が多いものである。例えば、鰣魚(ジギョ)、刀魚(エツ)、また例えば、スズキ、フナがそうである。たとえ黄魚に小麦粉を付けてフライにしても、基本的には骨ははずさず、食べる時に自分で吐き出してもらう。

  「もし刀魚(エツ)やフナをテーブルに並べ、外国人に食べてもらおうとしたら、彼らにはどうしようもない(食べられない)。中国と西洋の飲食文化の違いは、人の器量や性格にも影響し、すなわち、西洋人は粗野で、東洋人はきめが細かい。西洋人は率直で、東洋人は回りくどい。」

  私は外国人の魚類の加工工場ではどのように魚の刺を取り除くのか見たことがないが、話を元に戻すと、アメリカ人や欧州人が通常食べる魚は、それ自身に刺が無い――もちろん「魚の骨」はある。あるだけでなく、たいへん大げさにされている。このような刺の少ない、或いは刺の無い魚には、主にタラ、マグロ、カジキ、舌平目、サケなどが含まれ、体の内部構造は実は哺乳動物に近く、それらが「切り身」にされて後、その形も食感も全面的にビーフステーキやポークチョップに似通ってくる。「ひと口噛めば、肉厚の身は白きこと雪の如し、たちまち口中に清々しい香りが広がり、きめ細かく滑らかで、気持が安らぎ、美味しく気持ちがよい。」

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・従容 cong2rong2 ゆっくりと。落ち着いて。
・炉火純青 lu2huo3 chun2qing1 [成語]学問や技術が最高の域に達する喩え。事をさばくのに、非常に熟練していること。(道教の僧が、仙薬を練る時、炉の中の火が純青色を呈すと、成功と見做したことから)
・没有金剛鑚,不攬磁器活 mei2you3 jin1gang1zuan4 bu4lan3 ci2qi4huo2 俗語。“金剛鑚”と呼ばれる小さな鑚を持っていなければ、割れた陶磁器をかすがいで継ぐ(鋸碗的ju1wan3de)仕事はできないことから、ちゃんとした技能がないと、仕事ができないこと。

・源遠流長 yuan2yuan3 liu2chang2 [成語]源が遠ければ、流れも長くなる。歴史や伝統が長い喩え。
・深得吾心 shen1de2 wu2xin1 ある意見に大賛成すること。
・惆悵 chou2chang4 がっかりして、ふさぎこむさま。
・相提并論 xiang1ti2 bing4lun4 [成語]同列に論じる。同一視する。

  喉に一旦刺が刺さると、その後の結果は大小様々だが、大多数の中国人は魚の刺を落ち着いて口の中に入れることができ、且つ未だ嘗て目の中には入れたことがない。

  一方では、これは固より私たちの刺の多い魚への偏愛より出たものであり、もう一方では、先祖代々何千何百年に亘って蓄積されてきた刺を捜す技が、既に「遺伝子化」されて私たちの先天的な技能となっているのだろう。一人一人が長年休まず訓練をしてきた結果、思いがけず最高の腕前となったのだろう。たいへんなことだ。ちゃんとした技能がないと、仕事ができない。正に、「技能が高いと、大胆になる」である。

  中国人の魚を食べてきた歴史はたいへん古く、後漢時代に誕生した《説文解字》の中で取り上げられている魚は、既に70種類に及ぶ。中国人がなぜナイフ、フォークでなく、箸を使って食事をしたかについては、歴史学者は各種各様の推測をしている。その中で、私が大いに支持しているのは、「魚を食べるのに、刺を捜すため」説で、すなわち箸の出現は魚を食べることと大いに関係があり、なぜなら箸はナイフ、フォークと比べてきめ細かな魚肉を食べるのが容易で、同時にきめ細かな魚肉の中からもっと細かな魚の刺を選び出すのに都合が良いからである。

  私たち中国人、とりわけ南方の中国人から見ると、外国人が好むタラ、マグロ、カジキ、及び舌平目、或いはサケの類は皆「粗野な魚」に属する。刺が無い、或いは刺が少ないことが、「粗野」の大きな原因である。ちょうど、私たちがよく言う「粗野な人(武骨者)」というのは、頭の中にしばしば他の人より筋が一本少ないのと同じである。魚に刺が無い、けれども口に入れた時のあの期待外れの気持ち、泣きたいような気持ちは、考えてみると、年中香りが漂う海棠、及び《紅楼夢》の(80回本の続編である)後40回本だけが同列に論じることができるものである。

  もちろん、アメリカ人の、魚の刺の問題での「恨みが起こりっこない」やり方は、実は自ずと様々な明らかなメリットが存在する。他のことは言わぬが、魚の刺の上での不幸な事件、及び納税者がこのために支払う医療費は、大幅に減少する。けれども、これはまたちょうどアメリカに行って、チャイナタウンで飯を食おうと計画している中国人が注意しないといけない重要事項の一つである:彼の国の咽喉科の医師は通常、「魚の刺の傷」を処理する基本能力を備えていない、ということを。

■[5]


・榜首 bang3shou3 掲示板に公示された、リストの最上位のこと。
・吮 shun3 吸う。吸い取る。
・蘊藉 yun4jie4 言葉や文字、表情に、含みがある。含蓄がある。
・歴歴 li4li4 ありありと。一つ一つはっきりと。
・青衫 qing1shan1 書生
・貽 yi2 物を贈る。
・無福消受 wu2fu2 xiao1shou4 享受するだけの冥加もない。もったいない。
・招惹 zhao1re 相手にする。関わり合う。
・自縛之繭 zi4fu4 zhi1 jian3 =作繭自縛:カイコがまゆを作って、自分をその中に閉じ込める。自縄自縛。

   刺が多くて美味しい魚、例えば江南の鰣魚、エツ、フナ、また例えば珠江デルタのヒラウオなどがそうである。けれども、その中で刺が最も多くて、最も味が良いのは、鰣魚とエツを並んで第一とする。

  鰣魚の美味しさは鱗にあるだけでなく、ずっと骨の中に到るまで美味しい。つまり、鰣魚の刺一本一本に到るまで、注意して吸い取る値打ちがある。この意味の上で、鰣魚ファン達の心理は、その刺が多いのを恨むというより、むしろ、その刺が少ないことを恨む、とした方がよい。金聖嘆が「鰣魚に刺が多い」ことを「人生の三つの恨み」の第一に挙げたことは、この「恨」の一文字の下に含まれる情感がどれほど錯綜して複雑かということである。

  野史の記載によれば、民国初期の北京・前門の八大胡同の名妓、謝蝶仙は、《茶花女遺事》によって、久しくそれを著した林紓(林琴南)を慕っていたが、彼とのつてが無いのに苦しみ、「食べ物」を贈るという簡便な方法を採ることにした。先ず、人に託して4つの特大の干し柿を贈り、干し柿一個一個を「自ら」ひと口ずつ齧り、いわゆる「噛み後がはっきりと残り、猶口紅の香りを帯びる」ようにした。ところが思いがけず、彼の林先生は気持ちを理解してくれず、「芸者はもとより色恋事が多いだろうが、私は如何せん書生の分際で、はかない運命だ。折角の美人からの贈り物ではあるが、それを受けるだけの収入も無い」との返事、4つの干し柿も、そのまま送り返された。八大胡同の側でも、それだけではへこたれず、紅葉が赤く色づき、菊の黄色い花の咲く時分、恋い焦がれた蝶仙は再び、特に人に託して林紓に鰣魚を贈った。今度は、林先生も真面目に対応せざるを得なかった。彼は家中の酒を並べて飲みながら丸々一晩、あれこれ思い悩み、明け方の鶏が時を告げ時分に、遂に結論を出した:「鰣魚は刺が多く、関わり合い難い。一筋の男女の情の糸も自縄自縛になるかもしれない。花柳界の中ではきっぷの良い女も多いのだろうが、良婦になるのは容易いことではない。」そして詩を一首書いて、謝蝶仙に贈った:「平素の罪悪を子孫に留めないため、あなたとの情愛の根を育もうとは思わない。甘言は早々に除くのが名士の習いである。寧ろ美人の恩に背こうと思う。」

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・酒醸 jiu3niang2 甘酒。粥に麹を加えて発酵させたもので、江南地方で調味料に用いる。
・清醤 qing1jiang4 醤油。たまりでなく、上澄みの部分。
・快刀 kuai4dao1 鋭利でよく切れる包丁
・駝背 tuo2bei4 せむし。猫背。
・鈣 gai4 カルシウム

  鰣魚に比べると、刀魚(エツ)の身の上の刺は、細かく密集している。これらの刺がどこから来るのかは、本当に理解できない。もし諸葛孔明が(赤壁の戦いで)曹操から借りたのが弓矢ではなく魚の刺であったら、エツはすなわち草船である。だから袁枚も《随園食単》の中で、仕方なく、特別に「エツの刺除く方法」を説明している。エツは蜂蜜、甘酒、醤油を加えて鉢の中に入れ、鰣魚と同じやり方で蒸すのが最も良い。水を加える必要はない。刺が多いのが厭なら、よく切れる包丁で身をこそげ取り、鉗子で刺を引き抜く。中華ハムのスープ、チキンスープ、竹の子のスープでこれをとろ火で煮込むと、その旨さは類を見ない。金陵(南京)の人は、その刺の多いのを恐れて、これを油でからからになるまで揚げ、それから少量の油で炒める。ことわざに、「猫背の人の背中を無理にはさみつけて伸ばすと、その人は死んでしまう」と言うが、正にこのことである。或いは、よく切れる包丁で魚の背を斜めに切り、骨を砕き、それから鍋に入れてキツネ色になるまで炒め、調味料を加える。食べる時には骨があると気が付かない。「蕪湖の陶大人の家のやり方である。」実は、エツの刺は、清明節前にはまだ硬くなく、或いは骨が脆い(カルシウム不足のせいかどうか知らないが)ので、蒸した後、「熱くなった刺」は綿のように柔らかくなり、遂には魚肉と一体になり、噛み砕いても気にならない。


 (刀魚 エツ)

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・令人発指 ling4ren2 fa4zhi3 激怒させる。
・取締 qudi4 命令で禁止する。
・宗 zong1 [量詞]ひとまとまりの事物を数える。
・案情 an4qing2 事件のいきさつ。
・声嘶 sheng1si1 声のかすれ。
・霧化吸入 wu4hua4 xi1ru4 高速の酸素気流を利用し、薬液を煙霧化し、呼吸器官から吸入する治療法。
・搶救 qiang1jiu4 応急手当をする。
・九牛二虎之力 jiu3niu2 er4hu3 zhi1 li4 [成語]たいへんな努力の喩え。力の限りを尽くす。
・蠢 chun2 うごめく。・僥倖 jiao3xing4 思いがけず、幸いに。
・混淆 hun4xiao2 混同する。

  広東語と上海語の発音で、「魚刺」(yu2ci4 魚の刺)と「魚翅」(yu2chi4 フカヒレ)は大変よく似ている。おそらくこの二つのものの間の違いが、実に人を激怒させるほど大きいので、きっぱりと「魚刺」という言葉を使うのを禁じ、広東語では「魚骨」でこれに代え、上海人はただ「魚骨頭」という習慣的な言い方があるだけだ。

  「魚刺」と「魚骨」は、何れも魚の体にできるものであるが、「魚刺」と「魚骨頭」では、少なくとも生物学と飲食の上で、若干違いがある。「魚刺」、魚の刺は特に魚肉の中の繊維、そして鋭利な短い刺を指し、またその色が半透明、或いは煮えた魚肉の色に似ており、しばしば魚を食べる者が気付かないので、一旦「刺に遭遇すると」、後の結果は大きな問題になる場合も、そうでない場合もある。

  2001年、南京市秦淮区の裁判所で「魚の刺賠償事件」の審理が行われた。事件のいきさつは、こういうものだ:南京の某新聞の張という名の記者が、魚の刺が喉に引っかかり、南京市第一医院で診療を受け、二日後に同じ病院でもう一度診療が行われた。けれども、その後、張の病状は良くならないばかりか、却って益々重くなった。原告が再度同じ病院で診療を受けた際、医師の診断は、「食道損傷、食道炎。食道の内視鏡手術後、胸骨部の痛み10日、喉の痛み、声のかすれ2日。」というものだった。翌日、張は当該病院に入院、治療した。二日後、張が煙霧吸入治療を受けていると、突然鮮血を吐いて倒れ、応急手当をするも効果無く、2000年11月26日に死亡した。張の家族は先ず医療事故鑑定委員会に事故鑑定の申請をし、次いで第一医院を法廷に告訴し、病院に54万元余りの損害賠償を求めた。

  広東語と上海語のいわゆる「魚骨」は、実は魚の全身を貫く背骨のことを指す。大げさに言うと、《老人と海》で老漁師、サンチャゴが力の限りを尽くして、メキシコ湾流から岸辺に引き上げた、あの長さ18インチに達する魚の骨は、広東人に「魚の骨の形のアンテナ」と呼ばれているものの原型である。もし、このようなとてつもなく大きい「刺客」によって喉を刺された人がいて、もしたいへん好運にも生きて助け出されたとしても、彼はおそらく、この凶悪で危険な世界で、かりそめに生きていく、どんな体面も持たないだろう。

  つまり、「魚刺」と「魚翅」と同様、「魚骨」と「魚刺」の間の違いも、混同することは許されない。魚が人間と同じように刺を生やすことができるかどうかは、別の問題である。


【出典】沈宏非《食相報告》四川人民出版社2003年4月

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