中国語学習者のブログ

これって中国語でどう言うの?様々な中国語表現を紹介します。読者の皆さんと一緒に勉強しましょう。

紅楼夢の上海ガニの詩

2009年12月20日 | 紅楼夢
 蘇州に住んでいた時、勤め先の会社が蘇州市の東側の蘇州工業園区の中にあり、会社の裏側に陽澄湖という湖があった。ここがいわゆる上海ガニの最も有名な産地であり、一時期、偽物が出回り、カニの甲羅に陽澄湖と刻印したり、ハサミのところにプラスチックの封印をしたことがあった。シーズンは9月の末から12月の初めくらいまで。紅楼夢は舞台が蘇州や南京といった江南の設定であり、上海ガニを食べるシーンが出てくる。

 紅楼夢第三十八回で、キンモクセイの花を見るために皆が集まり、上海ガニを食べた後、賈宝玉が次のような詩を詠んだ。

持螯更喜桂陰凉,潑醋擂姜興欲狂.
饕餮王孫応有酒,横行公子却無腸.
臍間積冷饞忘忌,指上沾腥洗尚香.
原為世人美口腹,坡仙曾笑一生忙.

螯(かに)を持って更に喜ぶ桂陰の涼しきを。醋(す)を潑(ま)き姜を擂(す)りて興狂わんと欲す。
饕餮(とうてつ)の王孫は酒有るべく、横行の公子は却って腸無し。
臍間(せいかん)に冷を積むも饞(むさぼ)りて忌を忘れ、指上に腥(せい)を沾(うるお)し洗えども尚香し。
原(もと)世人が口腹を美(こや)す為に、坡仙は曾て一生は忙しと笑いし。

● 螯 ao2 カニのはさみ
● 潑 po1 (水や液体を)かける。まく
● 擂 lei2 する。すりつぶす
● 饕餮 tao1tie4 饕餮(とうてつ)。伝説中の凶悪な獣。食いしん坊の比喩としても用いられる。
● 横行公子却無腸
古人給蟹取“四名”:“以其横行,則曰螃蟹;以其行声,則曰郭殻;以其外骨,則曰介士;以其内空,則曰無腸。”所以蟹便有了“横行介士”和“無腸公子”的称号。
[訳]古人はカニに「四つの名」をつけた。「横向きに歩くことから、“螃蟹”という。その形象から、“郭殻”(城郭のような殻)という。その外側に殻を持つことから“介士”(鎧を纏った兵士)という。その中が空であることから、“無腸”という。」したがってカニには「横行介士」、「無腸公子」といった呼び方がある。
● 臍qi2  へそ。
● 饞 chan2 口がいやしい。むさぼり食う
● 沾 zhan1 つく。汚れる
● 坡仙 po1xian1 蘇東坡のこと

 第一句:桂陰はキンモクセイの木陰。キンモクセイは秋に橙黄色で芳香の強い小さな花をたくさんつける。中国ではこの花を乾燥させたものを茶に入れたり、粉にして菓子に入れたりする。烏龍茶にキンモクセイの香りをつけたものが桂花烏龍。上海ガニと同じ、秋の代表的な花である。醋(酢)は鎮江の陳醋、黒酢である。生姜を磨ったり細切りにしたものに酢を入れたものがカニの調味料の定番であるが、ずっりり重い、茹で立ての上海ガニを一匹手に持ち、調味料の入った小皿の前に座り、さあこれから至福の時を迎えようという喜びが表れている。

 第二句:饕餮は中国古代、殷代の青銅器の図柄によく使われる伝説上の獣だが、何でも食べてしまうので、食いしん坊の比喩として用いられる。宝玉は自分をその饕餮の王孫になぞらえている。第三十七回で海棠詩社を作ることになり、各人が雅号をつけた時、彼は「怡紅公子」と号することにしたが、ここで彼は戯れでカニを「横行公子」と言って、自分と対比している。宝玉は常々自分は他の人とは行動が違う、と言われていたが、カニを手にして、ふと他と違って横歩きするので「横行公子」と呼ばれることを思い出したのであろう。しかし、カニは「無腸」、中身は空っぽである。だから、自分と同じ「公子」でも中は空っぽで、自分とは違う。自分は一方、「横行覇道」、好き勝手をしてやるぞ、と言いたいのだろうか。

 第三句:中国では、カニは体を冷やすと言われる。したがって、レストランではカニを食べ終わる頃に必ずしょうが湯を持ってくる。「臍間積冷」、へそのあたり、つまりお腹が冷えるけれど、あまりおいしいのでつい、忌まねばならないのを忘れて食べるのに夢中になってしまう。「腥」はにおいが生臭いことで、カニを食べると指に生臭いにおいがついて、洗ってもそのにおいがとれない。

 第四句:蘇東坡《初到黄州》「自笑平生為口忙,老来事業転荒唐」(自ら笑う平生口の為に忙し、老い来たりて事業荒唐に転ず)という句を踏まえている。世の中の人々はおいしいものを腹いっぱい食べるために、一生忙しい思いをする。ちょうど、蘇東坡がかつてそう言って笑ったように。

 それを聞いて、林黛玉は次のような詩を作った。

鉄甲長戈死未忘,堆盤色相喜先嘗.
螯封嫩玉双双満,殻凸紅脂塊塊香.
多肉更怜卿八足,助情誰勧我千觴
対茲佳品酬佳節,桂拂清風菊帯霜.

鉄甲長戈死すとも未だ忘れず。盤に堆(うずたか)き色相、喜んで先ず嘗む。
螯(はさみ)は嫩玉を封じ双双に満ち、殻は紅脂に凸(ふくら)みて塊塊に香し。
肉は多く更に怜(あわ)れむ卿が八足なるを、情を助けて誰か我に千觴を勧めん。
茲の佳品に対し佳節に酬(むく)ゆれば、桂は清風を拂(はら)い菊は霜を帯べり。

● 鉄甲 tie3jia3 鉄のよろい
● 戈 ge1 矛(ほこ)
● 嫩玉 nen4yu4 柔らかい(或いはみずみずしい。色の淡い)玉
● 双 shuang1 量詞。一対。
● 觴 shang1 古代の杯(さかずき)。
● 酬 chou2 酒を勧める
● 佳節 ここでは、重陽の節句のこと。
● 拂 fu2 そっとかすめる。[例]春風拂面:春風が頬をなでる

 第一句:カニを「鉄甲長戈」、鉄の甲冑を身に纏い長い戈を持つ、と形容した。それが盆の上に蒸しあがったものが積まれている、ということで、カニを食べる前の期待に胸が躍る気持が表現されている。

 第二句:ここでの「螯」はハサミで、ハサミを割ると、中に玉のような白い身が詰まっている。甲羅は赤い脂でふくらんでいて、一個一個良い香りがしている。

 第三句:肉のしっかり詰まった足が八本もあるのがうれしい。誰か私の気持ちを察して酒を千杯ついでくれるものはいないか。

 第四句:この好き肴に向って佳節を祝えば、キンモクセイは清風になびき、菊は霜を帯びている。

 これは、宝玉の詩を聞いて、それに和して即興で作ったためか、あまり良い出来ではなかったとみえ、黛玉はこの詩を書いた紙を破り、焼いてしまうように言いつけている。

 それを聞いて、薛宝釵が私も一首できたと言って、次のような詩を詠んでいる。

桂靄桐陰坐挙觴,長安涎口盼重陽.
眼前道路無経緯,皮里春秋空黄.
酒未滌腥還用菊,性防積冷定須姜.
于今落釜成何益,月浦空余禾黍香.

桂靄桐陰、坐して觴を挙げ、長安は口に涎(よだれ)し重陽を盼(まちのぞ)む。
眼前の道路経緯無く、皮里春秋、黄空(むな)し。
酒未だ腥(なまぐさ)を滌(あら)わずば還(さら)に菊を用いよ、性積冷を防ぐには定(かなら)ず姜を須(もち)うべし。
今に于(於)て釜に落つるも何の益をか成さん、月浦空しく余す禾黍の香

● 靄 ai3 もや。かすみ。
● 涎 xian2 よだれ
● 長安涎口 長安は、この前に皆が菊を題に詩を作った時、宝釵が「長安公子」と詠んだことを踏まえている。長安公子は、杜甫の《飲中八仙歌》の中の、汝陽王、李進(璡)を指すと言われている。
杜甫 《飲中八仙歌》の中の一句:“汝陽三斗始朝天 道逢曲車口流涎 恨不移封向酒泉”
(汝陽三斗始めて天に朝し、道に曲(麹)車に逢えば口から涎を流し、恨むらくは封を移されて酒泉に向かわんことを。)
● 経緯 jing1wei2 機織りの縦糸と横糸。ここでは、カニは横歩きするので、眼前の道路が縦横どちらに向いていようと関係ない、ということ。
● 皮里春秋 pi2li3chun1qiu1 =皮里陽秋[成語]腹の中に「陽秋」がある。心の中だけ思って口に出さない批判。(「春秋」、「陽秋」は何れも五経のひとつ、「春秋」のこと。「春秋」は孔子が種々の事柄に褒貶を加えたとされることから、ここでは批判を意味する。
● 空黄 konghei1huang2 黒は黒道、黄は黄道のこと。黒道、黄道は占いの凶と吉。凶だ吉だと言ってもむなしいことだ。
● 滌 di2 =洗滌:洗う
● 落釜 luo4fu3 釜の中に落とす。鍋で煮られること。
● 禾黍 he2shu3 アワやキビ

 第一句:靄の籠るキンモクセイやアオギリ(梧桐)の木陰に座って杯を挙げていると、長安の公子が口から涎を流したように、誰かさんと誰かさんは重陽の節句にこれから起こることを期待している。ここでは、宝玉と黛玉が仲良く詩のやりとりをしたことをあげつらい、これから更にお楽しみに入るのか、とからかっている。

 第二句:横ばいのカニは、目の前の道路を歩くにも方角の見境がつかないくせに、腹の中では人のことをいろいろあげつらい、吉だ凶だと勝手なことを言っている。

 第三句:酒がカニの生臭さを洗い流せないなら、酒に菊を浮かべればよい。(ここでは、菊花酒のことを言っている。重陽の節句に菊花酒を飲むと、悪気を除くことができると言われていた。)カニを食うと腹が冷えると言うが、それを防ぐには生姜を用いるがよい。

 第四句:カニもこうして釜に入れられてしまえば、もういくらジタバタしてもはじまらない。カニがもと住んでいた月夜の水辺には、今は禾黍の香りだけが空しくただよっているばかりであろう。

 この詩については、前半の二句を読むなり、皆の反応が;
衆人不禁叫絶.宝玉道:“写得痛快!我的詩也該焼了.”(皆思わず感嘆の声を上げた。宝玉は「すばらしい!ぼくの詩も焼き捨てなくっちゃ。」)という反応が還るできばえであった。

 そして、全部聞き終えたうえでの論評は;
衆人看畢,都説這是食螃蟹絶唱,這些小題目,原要寓大意才算是大才,只是風刺世人太毒了些.(皆は見終わると、こう言った。これはカニを食べる詩の傑作だ。こうした小さな題目は、もともと大きな意味を寓するのでなければ大才とはいえない。しかしこれは世人の風刺がやや辛辣すぎる。)

 作者は、この三番目の詩が言いたくて、前のふたつを付け足しで作ったと言われている。なかでもその第二句の、世の中で、陰謀や不正にあらゆる手練手管を尽くしても、最後には身を滅ぼすことになることを暗に言いたかったのである。

 雲郷は、《雲郷話食》の中で、この紅楼夢での上海ガニは、実は江南地方のカニではなく、曹雪芹が暮らした北京付近に出回るカニ、つまり天津の勝芳のカニではないか、と言っている。その根拠は、第三十七回に、次のようなくだりがあるかかである。

 宝釵道:“這個我已経有個主意.我們当舗里有個伙計,他們地里出的很好的肥螃蟹,前儿送了几斤来.現在這里的人,従老太太起連上園里的人,有多一半都是愛吃螃蟹的.前日姨娘還説要請老太太在園里賞桂花吃螃蟹,因為有事還没有請呢.你如今且把詩社別提起,只管普同一請.等他們散了,咱們有多少詩作不得的.我和我哥哥説,要几簍極肥極大的螃蟹来,再往舗子里取上几壇好酒,再備上四五桌果碟,豈不又省事又大家熱閙了.”

[訳]宝釵が言った。「それについては、私に考えがある。うちがやっている質屋の手代が、自分の家の田んぼから上等な肥えたカニが取れるとかで、先日幾斤か届けてくれた。今ここの人は、ご隠居様はじめご家族の人たちは、たいていの皆さんがカニが好物だ。先日母がご隠居様を園内にお招きしてキンモクセイの花見をしながらカニをご馳走しようと言っていたが、用事にまぎれてまだお招きしていない。今、詩社のことは言わないで、かまわず皆さんを誰彼無しに全部お呼びしなさい。皆さんがお帰りになってから、私たちが詩を作ることにしたらどうだろう。私が兄に話をして、一番肥えた大きなカニを幾籠かもらうので、それからお店から良い酒を少し取り寄せよう。それに果物のお皿を四五卓用意すれば、手間もはぶけるし、皆もにぎやかに楽しめる。」

 ここの「他們地里出的很好的肥螃蟹」の、「地里」、つまり田んぼから取れるというところに注意する必要があり、江南では、陽澄湖はじめ、太湖、高郵湖など、産地が湖や川で、そこへ四手網や簗を仕掛けてカニを捕まえるのが一般的な光景であるのに対し、天津・勝芳では、秋に海河の水が畑に溜まり、カニが海河を遡ってきて、高粱畑で高粱を食べに上がってくるので、そこを捕獲する、だから「地里出」という言い方をするそうである。

 在江南呉越間,一年到頭都能在水浜中捉到蟹,但真正講究螃蟹,要在旧歴九十月間経霜之后,団臍(母蟹)才有黄,再晚尖臍(公蟹)才有膏,這就是俗話説的“九団十尖”。而北京天気冷,霜期早,所以在旧歴七月底,八月初就講究吃螃蟹了。

● 一年到頭 一年中
● 浜 bang1 小川。日本語の浜の意味は「濱bin1」。「浜 bang1」は主に江南一帯で使う。
● 臍qi2 「肚臍」でへその意味だが、カニの甲羅の裏側、えらぶたの意味に使う。
● 団臍 tuan2qi2 雌ガニの腹部の丸い殻。或いは雌ガニの意味。「団」は丸いという意味。
● 尖臍 jian1qi2 雄ガニの腹部のとがった殻。或いは雄ガニの意味。

[訳]江南の呉越の間では、一年中池や川でカニを捕まえることができるが、本当にカニのことを言うなら、旧歴の九、十月の間の霜が降りた後、雌ガニは卵を持ち、更に遅いと雄ガニが味噌(「膏」。どう訳したらよいか迷い、とりあえず味噌とした)を持ち、これがつまり俗に言う「九月は雌で十月は雄」である。北京は寒いので、霜が降りるのが早く、旧歴七月末、八月初旬にはカニを食べる話ができる。

 上記の団臍、尖臍という言い方、果たしてカニを食べる時に通じるだろうか?来年のシーズン、蘇州に行く機会があれば、是非試してみたいものである。