ラティハン日記

ラティハンと人生の散歩道

雑記帳44・「バパのイスラム」とは何か・4(2つのイスラム)

1987-09-26 | 日記
THE PATH OF SUBUD (1969) Author: Drs Kafrawi : Kafrawi McGill University Montreal. から見ていきましょう。<-- Link
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

サントリSantriとアバンガンAbanganの説明

サントリSantriとアバンガンAbanganの説明についてはいろいろな立場からいろいろな説明が可能である様です。<--リンク
そうして、どれが正しい、というものではなく、いずれの解釈もそれなりに妥当である、という理解で良いかと思われます。

そういう訳で以下は、この論文の著者の理解とスタンスが現われている部分になります。
さて、英文の前書きにある説明では、以下の様になります。

『インドネシアのイスラム教徒、特にジャワ人は、白イスラム教徒(イスラムプチハンIslam Putihanまたはサントリ)と赤イスラム教徒(イスラム・アバンガン)の2つのグループに分かれています。

白いイスラム教徒は、イスラム教を信仰として受け入れ、イスラム法(シャリアShari'ah)に含まれる命令を実践する人々です。

レッド・ムスリムは、シャリアShari'ahの命令を執行せずに、信仰としてのみイスラムを受け入れる者です。

 したがって、白いイスラム教徒が理解し実践しているシャリアShari'ahに従う代わりに、赤いイスラム教徒のグループは、多くの場合正統派のスンニ・シャリアとスフィズムのそれとはまったく異なる神秘的な基盤を構築しています。

私たちが知っている限り、インドネシアのイスラムのあらゆる側面についてのこれまでの研究は、ほぼ完全にホワイト・イスラム教徒(サントリ)にしか関係していません。

赤いイスラム教徒グループにはほとんど注意が払われていない。

言い換えれば、アヴァンガン(赤いイスラム教徒)の存在とその発展はほとんど変わっていませんが、このグループの総数は比較すれば白いイスラム教徒以上であると認めなければなりません。

特に神秘の分野では、インドネシア全土で繁栄しているレッド・ムスリム型の150以上の神秘的な同胞会があり、そのうち100以上がジャワで生まれました。

私がある程度集中しようとしているスブド霊的な会は、インドネシアの赤いイスラム教徒の多くの団体の中の一つに分類されます。』
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
あるいはP33にある説明によれば、

『1.サントリ(Ulamaウラマ、Kijahiキアイ、Hadjiハジ、Sufiスーフィー、lay-Muslimsムスリム)。

これらの人々はシャーリアShari'ahについては可能な限り厳密に従うことを約束しました。

白イスラム教徒を意味するイスラムプチハンIslam Putihanとも呼ばれています。

2.イスラム教Abangan(赤いイスラム教徒):

Kiキアイ、Guruグル、Prijajiプリアイ、ムスリム、彼らについては正統派のスンニ派が理解しているShari'ahの実行を観察できなかったイスラム教徒である。

このグループのイスラム教徒は、先住民族の信仰と同様に、ヒンドゥー教と仏教信仰に深く関わっています。

いくつかの先住民族の信念と習慣は、正統的なイスラム教とキリスト教が存在した時間の経過とともに徐々に消滅したが、その一部はそのまま残っていた。』
と言うようになります。

さてそれで、著者はバパをアバンガンだと見ている模様です。
まあ、サントリとアバンガンの2つしかカテゴリーがなければ、さすがに「バパはサントリだ」とは言えませんのでアバンガンにせざるをえません。
しかしながらこれは学者さん達が外から見てそのように分類しただけでありますので、バパにすれば「私は純粋なムスリムだ」とこうなるのであります。
そしてその事については、「バパのイスラムとは何か」という記事もあります。<--リンク
御参考までに。
ちなみに、インドネシアのイスラムはシーア、スンニーの分類ではスンニー派になります。

加えて、サントリSantriというコトバはバパのトークにも出てきますが、アバンガンAbanganというコトバは出てこない模様です。
(ちなみにアバンガンAbanganというコトバは1960年代に米国人の人類学者のギアツによって作られたものです。)

PS
イスラムであれば5行という行為は大事である、と考えるのが通常であります。
そしてこれはサントリSantriであれアバンガンAbanganであれ、当てはまる事です。

・5行<--リンク
・信仰告白(シャハーダ)
「アッラーの他に神は無い。ムハンマドは神の使徒である。」と証言すること。
・礼拝(サラー)
一日五回、キブラに向かって神に祈ること。
・喜捨(ザカート)
収入の一部を困窮者に施すこと。
・断食(サウム)
ラマダーン月の日中、飲食や性行為を慎むこと。
・巡礼(ハッジ)
経済的・肉体的に可能であれば、ヒジュラ暦第十二月であるズー=ル=ヒッジャ月(巡礼月)の8日から10日の時期を中心に、メッカのカアバ神殿に巡礼すること。

しかしながらバパは5番目の・巡礼(ハッジ)にはあまり賛同してはいない様です。
通常、アバンガンと呼ばれる人達でも、経済的に許せばメッカのカアバ神殿に巡礼することは大事であると認識しています。

そうして、それが許されないならせめてインドネシア国内にある、9人の聖人(9walis)のお墓にお参りする事が良いとしています。

しかしながらバパはそのような「聖地巡礼」には否定的な立場を取ります。<--リンク

そうして、実際にバパは何度も中東の上空を飛行機で通過しましたが、メッカを訪れることはなかった模様です。

そうでありますから、確かにバパは熱心なイスラム教徒ではあったのでしょうが、それは通常とは違う形のムスリムでもあった、と言う事になりそうです。



コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 雑記帳40・クオリア | トップ | 巡りあえたということ。 »

日記」カテゴリの最新記事