ラティハン日記

ラティハンと人生の散歩道

オープンをお考えのあなたに。・

2012-08-24 | 日記
バパに言わせれば「ラティハンは人類に与えられたもの。」

ですからすでにあなたはラティハンを受ける資格は十分にお持ちなのです。


そうはいってももうバパはいませんし、いや、たとえおられたとしてもあなたをオープン
する為に簡単に日本に来られる訳がありません。

それで、仕方がないのである程度ラティハンの経験を積んだ、まああなたからすれば
先輩にあたる人になりますが、オープンに立ち会う役割を与えられました。

こうしてオープンの時に立ち会う人たちが生まれて、オープンの前の説明やら何やら
いろいろと世話をしている訳ですね。


真面目な気持ちで道を探しておられるならそれを伝えればよいでしょう。

このブログを読んで「面白そうだから。」と思って「ちょっとやってみようかな。」でも
別にかまわないと思います。

でも、目の前の先輩にはそうはいってはいけませんよ。

少しおさえ目に「精神世界に興味がありますので、ラティハンを受けたいと思います。」
ぐらいにしておきましょう。

あるいは「ラティハンが自分に合いそうな気がしたので。」とかなんとか。


オープンの時はこちらは別に何もしなくていいのですが、始める前に難しい宣誓文を
読むことを要求されるかもしれません。

こなれてない日本語で、おまけに普通の生活をしている日本人にはなじみのない文章が
並んでいます。

ストンと腹におさまる方はそれでいいのですが、どうにも「腹に落ちない方」は
「オープンの為だから」といって無理して読む必要はありませんよ。

前もって先輩とよく相談して「読める文章」にしておくか、あるいはかわりに読んで
もらうか、まあいろいろと方法はあると思います。

早めにオープンの手順を確認しておかれるとよいでしょう。

オープンは平静な、からっぽの心で受けるのが望ましいのに、宣誓文のおかげで
心の中に引っかかりを作ってしまっては意味がありませんからね。


「ラティハンは人類に与えられたもの」というのがバパが受けたことです。

普通の生活をされている方が扉をたたいた時に「とびらを開けない」ということは
けしてありません。

そんなことをしたら後でバパから大目玉ですからご安心ください。

さあ、よいオープンになりますように。

PS
関連ページリンクです。

ラティハンを始めるのに。<--リンク

PS
現状は残念ではありますが、オープンの前に決められた(と主張する人たちが多い)宣誓文を読むように要求される可能性が大きいのであります。

しかしながら、それを読まなくともオープンは受けることが可能な手順が決められております。

ですので、「読んでください。」と言われたときに、「読めませんが、オープンは希望します。」と答えれば良いかと思われます。

以下、関連するページのリンクです。

・バパの世界観

・唯一神への信仰

PS
ラティハンの道というのは「こうでなくてはならない」というように決められたことは無いのです。

そのみちは「こうであってもよいし、そうでなくてもよい」のです。

それはつまり「あなたはあなたのままでよい」ということなのであります。

宗教的な人は、宗教に従っている人は其のままで良いし、そうでない人はそうでないままでいいのです。


そうやってラティハンを続けることで「こちらがあなたの本来の道ですよ」とあなたのラティハンが言うようになる。<--リンク

今度はそこにあるのは「良い悪い」ではなく「あなたの選択が問われる状況」ということになるのです。

さてそれでその時に、「その声を受け入れる」というのも、あるいは又「受け入れない」というのも「あなたの選択」、そうしてまた当然ながら「その結果についてはあなたの責任」ということになるのであります。

それはちょうど「皆の前で宣誓する」という「外側で行われる宣誓」ではなく、「あなたが自分の内面で自分自身に宣誓する」かの様であります。


PS
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