ジワ(jiwa),ジーヴァ(jīva)<--リンク
以下、文頭の部分ですが、追記となります。
↓
まずはジワ(Jiwa)というコトバから始めましょう。
ジワ(Jiwa)というコトバは、 サンスクリット語の jivás( Sanskrit : जीव , jīva)に由来し、語源は「息を吐く」。 <--リンク
それはラテン語のvivusと同じインドヨーロッパ語のルートを持ち、「生きている」という意味です。
ヒンドゥー教とジャイナ教では、 ジバ ( サンスクリット語 :जीव 、 jīva 、別のスペル Jiwa、 ヒンディー語 : जीव 、 jīv 、別のスペル jeev )は生き物であり、または生命力を吹き込まれたどんな存在でもよい。
ジャイナ教のジバ jivaの概念は、ヒンドゥー教のアートマンatmanと似ています。
しかし、いくつかのヒンドゥー教の伝統は、ジバ jivaを個々の自己と見なし、アートマンatmanはすべての生き物に存在する普遍的な不変の自己であり、そしてアートマンatmanの存在は形而上学的なブラフマンBrahmanの現れであるとして、2つの概念(ジバ jivaとアートマンatman)を区別します。
ジャイナ教では、 ジバ jivaは物理的な死では死ぬことがない、生物(人間、動物、魚、植物など)の不滅の本質または魂です。
そして、アジバ(Ajiva )の概念は、「魂ではない」ことを意味し、物質(身体を含む)、時間、空間、非運動および動きを表します。
ジャイナ教では、 ジバjivaはサムサリ samsari (世俗的、生まれ変わりのサイクルで捉えられる)か、またはムクタmukta(解放された)のいずれかとなります。
ジャイナ教の宇宙論によれば、 jīvaまたは魂は感覚の原則であり、宇宙の一部を形成する基本物質の一つである。 <--リンク
そしてジャイナ教は、ジバ jīva(魂)とajiva ( 非魂 )と呼ばれる2つの独立した、永続的な、共存する未創造(作られたものではない)というカテゴリーに宇宙を分けます。
従ってジャイナ教のこの基本的前提は、この教えを二元主義の哲学にする。
ジャイナ教によれば、ジバ jīvaは、 カルマkarmaのプロセス、 転生 、および転生からの解放のプロセスがどのように機能するか(を説明するの)に必要不可欠な部分である。
さて、南インドからの貿易は、約4世紀頃にヒンズー教を(ジャワに)もたらしました。<--リンク
それ以降、イスラムがジャワにもたらされるまでのおよそ1000年に渡ってヒンズー教と仏教がジャワで受け入れられていました。
そうでありますから、ヒンドゥー教の伝来に伴って「ヴェーダーンタ学派の教え」->「個々の魂:自己( Atman / Jivatman )」という概念が伝わったものと思われます。
そうして、このストーリーが一番可能性が高そうなのですが、JivatmanではなくJiva-->Jiwaとしてインドネシア語、ジャワ語に吸収されと思われます。
但しバリ・ヒンドゥー教ではJivatmanーー>Jiwatmanとして現在でも使われている模様です。<--リンク
(追記終了 2017年6月25日)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
以下、これまで記述していた内容です。
↓
バパのトークでの大変なキーワードなのですがいまだに
正確につかめません。
英訳ではたぶんsoulでしょう。
和訳で魂ですか。
日本では魂というと仏教やら風習やらの影響でヒトダマの
ようなものを思い浮かべてしまいます。
でもバパが使ったジワという言葉、かの地の伝統と結びついていて
そう簡単に訳せるものじゃなさそうです。
・・・・
今日のところはこれくらいで、詳細はまた後日にでも。
PS
ジワに近い概念がキリスト教にありました。
以下、紹介です。
キリスト教霊性思想史<--リンク
・・・そのような状況を踏まえて著者は、ヨーロッパのキリスト教思想史において哲学的な心身の二区分とは別に、『霊・魂・身体』の三分法が説かれてきたが、それはパウロの一テサロニケ書五・23の「あなたがたの霊も魂も体も何一つ欠けることのないように」という言葉に由来し、オリゲネスを経て西ヨーロッパの伝統的な見解になったと指摘する。
そして、ここでいわれる「霊」は「実体である魂に所与として認められる特別な機能であり、しかも広義の精神に所属する宗教的機能である。・・・
・・・・・・
そして、この「霊性」は「それによって人間が永遠者なる神との関係を生きる機能」、「道徳や倫理を超えた霊的な生命」であり、「神から来る愛を受容して生きる」ものであり、この「受容能力」こそが霊性である。
バパが語っている人間構成論はあまりはっきりととらえられませんが、ジワとナフスとロホはそれらを説明するのに使われている、大切なキーワードです。
以下のブログ(?)も参考になるのであげておきます。
犬にも霊はあるのか?<--リンク
以上のような3つの層を想定して、霊が次の世に継続していく、、、という考え方に対して、日本の感性では「体と精神」の二つにわかれて、そうして「精神=魂」で「精神活動そのものがそのまま次の世に移行する」と素直に、あるいは単純にとらえているように思います。
たぶんこれは「三途の川」とか「お花畑」とかいう通俗のスピリチュアリズムの影響で、それは「往生要集」とそれによって書かれた「地獄絵図」がやっぱり根源にあるように思われます。
PS
他にジワに相似なものとして、たとえばスーフィーズムではラターイフを上げることができそうです。
・・・
ラターイフは、目が視覚を司り耳が聴覚を司るように、それぞれが役割を受けもつ器官である。
そして、ラターイフの器官は、神に向かうための器官であった。
たとえば、クシャイリー(al-Qushayri, d. 1072)は、ルーフは愛(al-mahabba)、カルブは知識(al-maarif )、スィッルは観想(al-mushahada)が宿る器官であると紹介している7)。
詳細はこちらから<--リンク
PS
さて、バパは「この世の生活を次の世に引き継ぐものがジワだ」と言いました。
このジワという概念が何を包含しているのか、いまだ明確にはなっていません。
それは、バパが使うコトバが通常の心理学用語、あるいは スピリチュアリズムの用語とは違っているからであります。
関連した話ですが、「スシラ・ブディ・ダルマ」は難しい本です。
そうして、「内なる我の光」の方がアウトラインをつかむのにはやさしい様に思われます。
そういう訳で、是非とも「内なる我の光」、再出版をお願いしたいと思います。
2016・1・18
PS
以下はインドネシアWikiのRohにある説明です。<--リンク
キリスト教の見方として・・・
Roh atau roh ( Ibrani ??? baca: ru-ach ) adalah unsur ketiga yang membentuk kehidupan manusia.
精神や霊(ヘブル???を読み取る:ruach)は、人間の生活を形成する第3の要素です。
Paulus menyebutkan bahwa manusia terdiri dari tiga unsur: roh, jiwa dan tubuh ( 1 Tes 5:23 ).
精神、魂と体(1テサロニケ5:23):パウロは、男は3つの要素から構成されていることを言及しています。
Unsur tubuh jasmani adalah wadag yang dapat kita raba,
Wadag要素は、私たちが触れることができる物理的な体であり、
jiwa disebut juga nyawa ada di dalam darah,
また、魂の生命は血にあると呼ばれます、
sedangkan unsur ketiga yaitu roh adalah yang memberi manusia kesadaran.
精神の3番目の要素は、人間の意識を与えるものであるが。
Tubuh jasmani dapat binasa, tetapi roh manusia bersifat kekal.
肉体が滅びるかもしれないが、人間の精神は永遠です。
注目すべきは、
roh, jiwa dan tubuh ( 1 Tes 5:23 ).
精神、魂と体(1テサロニケ5:23)
であり、これは上記の
・・・そのような状況を踏まえて著者は、ヨーロッパのキリスト教思想史において哲学的な心身の二区分とは別に、『霊・魂・身体』の三分法が説かれてきたが、それはパウロの一テサロニケ書五・23の「あなたがたの霊も魂も体も何一つ欠けることのないように」という言葉に由来し、オリゲネスを経て西ヨーロッパの伝統的な見解になったと指摘する。
に対応した部分のインドネシア・キリスト教での表現になっています。
そうしますと、永遠に生きるのはRohでありJiwaではない、、、とキリスト教徒は言っているのですね。
こうして、「Jiwa が永遠に生きる」というバパの表現(Jiwaという言葉の使い方)はキリスト教徒とは違っている、、、ということが分かるのでありました。
PS
以下、インドネシアWikiのJiwaのページから引用<--リンク
Jiwa atau Jiva berasal dari bahasa Sanskerta yang artinya "benih kehidupan".
魂(Jiwa)や魂(ジヴァ Jiva:Jiwaの別スペル)は「生命の種」を意味するサンスクリット語から来ています。
Dalam berbagai agama dan filsafat , jiwa adalah bagian yang bukan jasmaniah (immaterial) dari seseorang.
様々な宗教や哲学では、魂は人の物理的ではない(物質的ではない)部分です。
Biasanya jiwa dipercaya mencakup pikiran dan kepribadian dan sinonim dengan roh, akal, atau awak diri. [1]
通常、魂( jiwa)が心(pikiran)と人格( kepribadian)を包含することを信じ、精神( roh)、心(akal)、または自分自身(awak diri)と同義です。 [1]
Di dalam teologi , jiwa dipercaya hidup terus setelah seseorang meninggal, dan sebagian agama mengajarkan bahwa Tuhan adalah pencipta jiwa.
神学では、魂は、誰かが死んだ後に生きることを信じて、ほとんどの宗教は、神が魂の作成者であることを教示しています。
Di beberapa budaya, benda-benda mati dikatakan memiliki jiwa, kepercayaan ini disebut animisme . [2]
いくつかの文化では、無生物は、この信念はアニミズムと呼ばれますが、魂を持っていると言われています。 [2]
Penggunaan istilah jiwa dan roh seringkali sama, meskipun kata yang pertama lebih sering berhubungan dengan keduniaan dibandingkan kata yang kedua. [3]
魂(Jiwa)と精神(Roh)という言葉の使用は、しばしば同じですが、最初の言葉は2番目の言葉に比べて日常と関連することが多いです。 [3]
(jiwaとrohはあまり厳密に区別されずに使われている、、、ような。:訳注)
Jiwa dan psyche bisa juga digunakan secara sinonimous, meskipun psyche lebih berkonotasi fisik, sedangkan jiwa berhubungan dekat dengan metafisik dan agama . [4]
魂(Jiwa)と精神(psyche)はまた同じ様に使用することができますが、精神はより物理的な意味合いですが、魂は形而上学と宗教に密接に関連しています。 [4]
Sedangkan menurut Kamus Besar Bahasa Indonesia , kata jiwa memiliki arti roh manusia (yang ada di di tubuh dan menyebabkan seseorang hidup atau nyawa.
一方、インドネシアの辞書によると、「魂」(Jiwa)という言葉は、人間(manusia)の精神(roh)(身体にあり、人の人生(nyawa)や生命(hidup)を引き起こす)を意味します。
Jiwa juga diartikan sebagai seluruh kehidupan batin manusia (yang terjadi dari perasaan, pikiran, angan-angan, dan sebagainya). [5]
魂(Jiwa)はまた、人間の内面の生活(感情、思考、想像などで起こる)全体として解釈されます。 [5]
Jiwa manusia, sebenarnya berbeda dengan jiwa makhluk yang lain seperti binatang, pohon, dan sebagainya.
人間の魂は、このようなように、動物、植物(木)などの他の生き物の魂とは、実際に異なっています。
(Jiwaは「生命の種」ですから、動物、植物を問わず生命のあるものはこれを持つ、、、というのが大前提の話ですね。:訳注)
Jiwa manusia bagaikan alam semesta, atau alam semesta itu sendiri, yang tersembunyi di dalam tubuh manusia dan terus bergerak dan berotasi.
人間の魂(Jiwa)は、宇宙のようなものであり、宇宙そのものであり、人体に隠されて動いて回転し続けます。
(訳注:さだかではありませんが、上記の「回転し続けます」は「転生し続けます」という意味の可能性があります。)
PS
ご参考までに・・・
生まれ変わり<--リンク
・精神の2つの面 エゴ、ジーヴァ、アートマン、ブラフマンの関係<--リンク
PS
バパの言われるジワとは「成長して展開していかなくてはならないもの」の様です。
そしてそれは我々には完成した形では与えられません。
ある意味この世の経験を通じて成長していくものの様です。
しかしながら、まずは眠っているジワをオープンで起こさなくてはなりません。
そうして、その後も継続的にラティハンを実習することでジワの覚醒状態を保っていなくてはならない様です。
そうしないとこの世の経験はジワには伝わりません。
そうしてジワの成長も起こらないようです。
さてそういうわけで、ある意味ジワにとっては「この世は夢のようなもの」なのかもしれませんね。
PS
以下、ジワについてのバパのトークです。<--リンク
(2月25日1963 バパ)
あなたが生まれる前に、あなたの体が人間として形成される前に、あなたの存在が何らかの内容を持つ前に、あなたの魂(ジワ)がそこにありました。
それが中に存在した最初のものです。
あなたの魂(ジワ)があなたの外形より前に来ていたことは明らかです。
あなたの人間としての性質やあなたの「人間の種子」はまだ水に似ていますが、魂はすでにそこにありました。
・・・・・
だから、魂は人間の生活に必要なすべてを持っています。
例えば、それはこの地球上の人間の外的な生活の中で起こっているすべてを聞くこと、見ること、嗅ぐこと、感じること、理解することができます。
さらに、いったん魂が体の形 - 外形 - によって覆われると、これらの機能の力と範囲は限られたものになります。(注6)
いったん魂がそこにあり、「人間の種」となるものに付随するようになると、魂の覆いまたは容器となったこの実体が徐々に発達する。
その発展は生まれてくる時まで続く。
つまり、9ヶ月間です。
そして、それが生まれたとき、人間 - あなた方ひとり一人 - は(注:外観上は)完全な人間(の姿)です。
PS
「ジワ(Jiwa)と転生の物語」にはこちらから入れます。<--リンク
PS
文字サイズはページ右上で変更できます。
ラティハン日記 目次 にはこちらから入れます。<--リンク
本記事に対してのコメント、ご感想などは
こちらまでお願いします。<--リンク
以下、文頭の部分ですが、追記となります。
↓
まずはジワ(Jiwa)というコトバから始めましょう。
ジワ(Jiwa)というコトバは、 サンスクリット語の jivás( Sanskrit : जीव , jīva)に由来し、語源は「息を吐く」。 <--リンク
それはラテン語のvivusと同じインドヨーロッパ語のルートを持ち、「生きている」という意味です。
ヒンドゥー教とジャイナ教では、 ジバ ( サンスクリット語 :जीव 、 jīva 、別のスペル Jiwa、 ヒンディー語 : जीव 、 jīv 、別のスペル jeev )は生き物であり、または生命力を吹き込まれたどんな存在でもよい。
ジャイナ教のジバ jivaの概念は、ヒンドゥー教のアートマンatmanと似ています。
しかし、いくつかのヒンドゥー教の伝統は、ジバ jivaを個々の自己と見なし、アートマンatmanはすべての生き物に存在する普遍的な不変の自己であり、そしてアートマンatmanの存在は形而上学的なブラフマンBrahmanの現れであるとして、2つの概念(ジバ jivaとアートマンatman)を区別します。
ジャイナ教では、 ジバ jivaは物理的な死では死ぬことがない、生物(人間、動物、魚、植物など)の不滅の本質または魂です。
そして、アジバ(Ajiva )の概念は、「魂ではない」ことを意味し、物質(身体を含む)、時間、空間、非運動および動きを表します。
ジャイナ教では、 ジバjivaはサムサリ samsari (世俗的、生まれ変わりのサイクルで捉えられる)か、またはムクタmukta(解放された)のいずれかとなります。
ジャイナ教の宇宙論によれば、 jīvaまたは魂は感覚の原則であり、宇宙の一部を形成する基本物質の一つである。 <--リンク
そしてジャイナ教は、ジバ jīva(魂)とajiva ( 非魂 )と呼ばれる2つの独立した、永続的な、共存する未創造(作られたものではない)というカテゴリーに宇宙を分けます。
従ってジャイナ教のこの基本的前提は、この教えを二元主義の哲学にする。
ジャイナ教によれば、ジバ jīvaは、 カルマkarmaのプロセス、 転生 、および転生からの解放のプロセスがどのように機能するか(を説明するの)に必要不可欠な部分である。
さて、南インドからの貿易は、約4世紀頃にヒンズー教を(ジャワに)もたらしました。<--リンク
それ以降、イスラムがジャワにもたらされるまでのおよそ1000年に渡ってヒンズー教と仏教がジャワで受け入れられていました。
そうでありますから、ヒンドゥー教の伝来に伴って「ヴェーダーンタ学派の教え」->「個々の魂:自己( Atman / Jivatman )」という概念が伝わったものと思われます。
そうして、このストーリーが一番可能性が高そうなのですが、JivatmanではなくJiva-->Jiwaとしてインドネシア語、ジャワ語に吸収されと思われます。
但しバリ・ヒンドゥー教ではJivatmanーー>Jiwatmanとして現在でも使われている模様です。<--リンク
(追記終了 2017年6月25日)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
以下、これまで記述していた内容です。
↓
バパのトークでの大変なキーワードなのですがいまだに
正確につかめません。
英訳ではたぶんsoulでしょう。
和訳で魂ですか。
日本では魂というと仏教やら風習やらの影響でヒトダマの
ようなものを思い浮かべてしまいます。
でもバパが使ったジワという言葉、かの地の伝統と結びついていて
そう簡単に訳せるものじゃなさそうです。
・・・・
今日のところはこれくらいで、詳細はまた後日にでも。
PS
ジワに近い概念がキリスト教にありました。
以下、紹介です。
キリスト教霊性思想史<--リンク
・・・そのような状況を踏まえて著者は、ヨーロッパのキリスト教思想史において哲学的な心身の二区分とは別に、『霊・魂・身体』の三分法が説かれてきたが、それはパウロの一テサロニケ書五・23の「あなたがたの霊も魂も体も何一つ欠けることのないように」という言葉に由来し、オリゲネスを経て西ヨーロッパの伝統的な見解になったと指摘する。
そして、ここでいわれる「霊」は「実体である魂に所与として認められる特別な機能であり、しかも広義の精神に所属する宗教的機能である。・・・
・・・・・・
そして、この「霊性」は「それによって人間が永遠者なる神との関係を生きる機能」、「道徳や倫理を超えた霊的な生命」であり、「神から来る愛を受容して生きる」ものであり、この「受容能力」こそが霊性である。
バパが語っている人間構成論はあまりはっきりととらえられませんが、ジワとナフスとロホはそれらを説明するのに使われている、大切なキーワードです。
以下のブログ(?)も参考になるのであげておきます。
犬にも霊はあるのか?<--リンク
以上のような3つの層を想定して、霊が次の世に継続していく、、、という考え方に対して、日本の感性では「体と精神」の二つにわかれて、そうして「精神=魂」で「精神活動そのものがそのまま次の世に移行する」と素直に、あるいは単純にとらえているように思います。
たぶんこれは「三途の川」とか「お花畑」とかいう通俗のスピリチュアリズムの影響で、それは「往生要集」とそれによって書かれた「地獄絵図」がやっぱり根源にあるように思われます。
PS
他にジワに相似なものとして、たとえばスーフィーズムではラターイフを上げることができそうです。
・・・
ラターイフは、目が視覚を司り耳が聴覚を司るように、それぞれが役割を受けもつ器官である。
そして、ラターイフの器官は、神に向かうための器官であった。
たとえば、クシャイリー(al-Qushayri, d. 1072)は、ルーフは愛(al-mahabba)、カルブは知識(al-maarif )、スィッルは観想(al-mushahada)が宿る器官であると紹介している7)。
詳細はこちらから<--リンク
PS
さて、バパは「この世の生活を次の世に引き継ぐものがジワだ」と言いました。
このジワという概念が何を包含しているのか、いまだ明確にはなっていません。
それは、バパが使うコトバが通常の心理学用語、あるいは スピリチュアリズムの用語とは違っているからであります。
関連した話ですが、「スシラ・ブディ・ダルマ」は難しい本です。
そうして、「内なる我の光」の方がアウトラインをつかむのにはやさしい様に思われます。
そういう訳で、是非とも「内なる我の光」、再出版をお願いしたいと思います。
2016・1・18
PS
以下はインドネシアWikiのRohにある説明です。<--リンク
キリスト教の見方として・・・
Roh atau roh ( Ibrani ??? baca: ru-ach ) adalah unsur ketiga yang membentuk kehidupan manusia.
精神や霊(ヘブル???を読み取る:ruach)は、人間の生活を形成する第3の要素です。
Paulus menyebutkan bahwa manusia terdiri dari tiga unsur: roh, jiwa dan tubuh ( 1 Tes 5:23 ).
精神、魂と体(1テサロニケ5:23):パウロは、男は3つの要素から構成されていることを言及しています。
Unsur tubuh jasmani adalah wadag yang dapat kita raba,
Wadag要素は、私たちが触れることができる物理的な体であり、
jiwa disebut juga nyawa ada di dalam darah,
また、魂の生命は血にあると呼ばれます、
sedangkan unsur ketiga yaitu roh adalah yang memberi manusia kesadaran.
精神の3番目の要素は、人間の意識を与えるものであるが。
Tubuh jasmani dapat binasa, tetapi roh manusia bersifat kekal.
肉体が滅びるかもしれないが、人間の精神は永遠です。
注目すべきは、
roh, jiwa dan tubuh ( 1 Tes 5:23 ).
精神、魂と体(1テサロニケ5:23)
であり、これは上記の
・・・そのような状況を踏まえて著者は、ヨーロッパのキリスト教思想史において哲学的な心身の二区分とは別に、『霊・魂・身体』の三分法が説かれてきたが、それはパウロの一テサロニケ書五・23の「あなたがたの霊も魂も体も何一つ欠けることのないように」という言葉に由来し、オリゲネスを経て西ヨーロッパの伝統的な見解になったと指摘する。
に対応した部分のインドネシア・キリスト教での表現になっています。
そうしますと、永遠に生きるのはRohでありJiwaではない、、、とキリスト教徒は言っているのですね。
こうして、「Jiwa が永遠に生きる」というバパの表現(Jiwaという言葉の使い方)はキリスト教徒とは違っている、、、ということが分かるのでありました。
PS
以下、インドネシアWikiのJiwaのページから引用<--リンク
Jiwa atau Jiva berasal dari bahasa Sanskerta yang artinya "benih kehidupan".
魂(Jiwa)や魂(ジヴァ Jiva:Jiwaの別スペル)は「生命の種」を意味するサンスクリット語から来ています。
Dalam berbagai agama dan filsafat , jiwa adalah bagian yang bukan jasmaniah (immaterial) dari seseorang.
様々な宗教や哲学では、魂は人の物理的ではない(物質的ではない)部分です。
Biasanya jiwa dipercaya mencakup pikiran dan kepribadian dan sinonim dengan roh, akal, atau awak diri. [1]
通常、魂( jiwa)が心(pikiran)と人格( kepribadian)を包含することを信じ、精神( roh)、心(akal)、または自分自身(awak diri)と同義です。 [1]
Di dalam teologi , jiwa dipercaya hidup terus setelah seseorang meninggal, dan sebagian agama mengajarkan bahwa Tuhan adalah pencipta jiwa.
神学では、魂は、誰かが死んだ後に生きることを信じて、ほとんどの宗教は、神が魂の作成者であることを教示しています。
Di beberapa budaya, benda-benda mati dikatakan memiliki jiwa, kepercayaan ini disebut animisme . [2]
いくつかの文化では、無生物は、この信念はアニミズムと呼ばれますが、魂を持っていると言われています。 [2]
Penggunaan istilah jiwa dan roh seringkali sama, meskipun kata yang pertama lebih sering berhubungan dengan keduniaan dibandingkan kata yang kedua. [3]
魂(Jiwa)と精神(Roh)という言葉の使用は、しばしば同じですが、最初の言葉は2番目の言葉に比べて日常と関連することが多いです。 [3]
(jiwaとrohはあまり厳密に区別されずに使われている、、、ような。:訳注)
Jiwa dan psyche bisa juga digunakan secara sinonimous, meskipun psyche lebih berkonotasi fisik, sedangkan jiwa berhubungan dekat dengan metafisik dan agama . [4]
魂(Jiwa)と精神(psyche)はまた同じ様に使用することができますが、精神はより物理的な意味合いですが、魂は形而上学と宗教に密接に関連しています。 [4]
Sedangkan menurut Kamus Besar Bahasa Indonesia , kata jiwa memiliki arti roh manusia (yang ada di di tubuh dan menyebabkan seseorang hidup atau nyawa.
一方、インドネシアの辞書によると、「魂」(Jiwa)という言葉は、人間(manusia)の精神(roh)(身体にあり、人の人生(nyawa)や生命(hidup)を引き起こす)を意味します。
Jiwa juga diartikan sebagai seluruh kehidupan batin manusia (yang terjadi dari perasaan, pikiran, angan-angan, dan sebagainya). [5]
魂(Jiwa)はまた、人間の内面の生活(感情、思考、想像などで起こる)全体として解釈されます。 [5]
Jiwa manusia, sebenarnya berbeda dengan jiwa makhluk yang lain seperti binatang, pohon, dan sebagainya.
人間の魂は、このようなように、動物、植物(木)などの他の生き物の魂とは、実際に異なっています。
(Jiwaは「生命の種」ですから、動物、植物を問わず生命のあるものはこれを持つ、、、というのが大前提の話ですね。:訳注)
Jiwa manusia bagaikan alam semesta, atau alam semesta itu sendiri, yang tersembunyi di dalam tubuh manusia dan terus bergerak dan berotasi.
人間の魂(Jiwa)は、宇宙のようなものであり、宇宙そのものであり、人体に隠されて動いて回転し続けます。
(訳注:さだかではありませんが、上記の「回転し続けます」は「転生し続けます」という意味の可能性があります。)
PS
ご参考までに・・・
生まれ変わり<--リンク
・精神の2つの面 エゴ、ジーヴァ、アートマン、ブラフマンの関係<--リンク
PS
バパの言われるジワとは「成長して展開していかなくてはならないもの」の様です。
そしてそれは我々には完成した形では与えられません。
ある意味この世の経験を通じて成長していくものの様です。
しかしながら、まずは眠っているジワをオープンで起こさなくてはなりません。
そうして、その後も継続的にラティハンを実習することでジワの覚醒状態を保っていなくてはならない様です。
そうしないとこの世の経験はジワには伝わりません。
そうしてジワの成長も起こらないようです。
さてそういうわけで、ある意味ジワにとっては「この世は夢のようなもの」なのかもしれませんね。
PS
以下、ジワについてのバパのトークです。<--リンク
(2月25日1963 バパ)
あなたが生まれる前に、あなたの体が人間として形成される前に、あなたの存在が何らかの内容を持つ前に、あなたの魂(ジワ)がそこにありました。
それが中に存在した最初のものです。
あなたの魂(ジワ)があなたの外形より前に来ていたことは明らかです。
あなたの人間としての性質やあなたの「人間の種子」はまだ水に似ていますが、魂はすでにそこにありました。
・・・・・
だから、魂は人間の生活に必要なすべてを持っています。
例えば、それはこの地球上の人間の外的な生活の中で起こっているすべてを聞くこと、見ること、嗅ぐこと、感じること、理解することができます。
さらに、いったん魂が体の形 - 外形 - によって覆われると、これらの機能の力と範囲は限られたものになります。(注6)
いったん魂がそこにあり、「人間の種」となるものに付随するようになると、魂の覆いまたは容器となったこの実体が徐々に発達する。
その発展は生まれてくる時まで続く。
つまり、9ヶ月間です。
そして、それが生まれたとき、人間 - あなた方ひとり一人 - は(注:外観上は)完全な人間(の姿)です。
PS
「ジワ(Jiwa)と転生の物語」にはこちらから入れます。<--リンク
PS
文字サイズはページ右上で変更できます。
ラティハン日記 目次 にはこちらから入れます。<--リンク
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