ラティハン日記

ラティハンと人生の散歩道

スシラ ブディ ダルマ・6章の3 人類全体のジワJiwaのレベルの推移

2018-06-15 | 日記
6章の2からの続きとしてこのページでは「なぜ現代ではジャスマニレベルの人が非常にすくないのか」という疑問、そのような状況に至る事になった経過について考えてみます。

さて、まずはアダムの時代です。
その時代には多くの人がジャスマニレベルにありました。
しかしながら、時代が下るにしたがって人々の間違いの行為の結果として、内部感覚に誤りが蓄積され、ジワJiwaが劣化する様になってきました。
その誤りの正体はバパによれば次の様なものです。
『「間違っている」とは、他の人々を傷つけたり、他の人々の自由を奪ったり、心の安らぎを奪ったり、などをすることを意味します。
あるいは、他の人に属するものを(自分のものとして)取りあげることです。(6月18日,1981)』

そのようにして内部感覚に蓄積された父親と母親の間違いは性的合一によって両親の間で共有され、平均化されます。
同時に父親と母親のジワJiwaのレベルも性的合一によってよって平均化されます。
そうして、生まれてくる子供のJiwaのレベルはその平均化されたJiwaのレベルと同様のレベルとなり、また内部感覚に蓄積された誤り(カルマ)も両親の間の平均化されたものが子供に引き継がれていきます。
そのようにして親から子供にJiwaのレベルと内部感覚の誤り(カルマ)が引き継がれていきます。
以上がバパが主張する、結婚と子供の誕生の時に起こっている状況の説明の要約になります。(注1)

アダムの時から時間がながれて時は1952年、その時にはすでに人々の状況は以下のようでした、というのがバパの表明になります。
第11章 アスマランダーナ 34節
『・・・しかし実際には、きわめて多くの人々が、外見は人間であっても、内部にジャスマニ、つまり人間力をまだ持っていない。・・・』

人口の0.1%なのか0.01%なのかは不明ですがジャスマニJasmaniレベルの人は極めて少ない、とバパは嘆いておられます。
また別のトークでは、「人は良くても動物力のレベルである」と発言されています。
つまりアダムの時代には100%近くであったジャスマニレベルの人々が、いまでは0.01%程度(?)しかいないのであります。
そうしますと、どこかの時代では4つのレベルに同じ程度の数の人々が存在していた事がある、というのは妥当な推定になります。
以下、その様な時代があったという前提で、その時点をスタートラインとして話を進めます。

さて、Jiwaのレベルを数値で表すのも気が引けますが、計算するにはそうするしかありません。
それで以下の様に数値を設定します。

(J)ジャスマニレベル<--87.5
境界値=75(76以上をジャスマニとする)
(A)動物力レベル<--62.5
境界値=50(51~75を動物力レベルとする)
(V)植物力レベル<--37.5(26~50を植物力レベルとする)
境界値=25(26~50を植物力レベルとする)
(M)物質力レベル<--12.5
        (25以下を物質力レベルとする)

上記に表現された数値の意味は、ジャスマニレベルの人と植物力レベルの人の結婚により誕生する子供は動物力レベルである、と言う事を表しています。
つまり
動物力レベル(62.5)=(ジャスマニ(87.5)+植物力(37.5))/2
という事です。
こうやって「両親のJiwaのレベルの平均値が子供のジワJiwaのレベルになる」、というバパの説明を表現する事にします。(注2)
そうして、上記で示した前提に従って、それぞれのレベルに同数の人口を割り当てます。
つまりそれぞれが25%の人口をもっていた、というところから始める訳です。
人口総数は、そうですね1億人としましょうか。

それで、そのような4つのレベルの人々が混在しながら仲良く暮らしていました。
年頃になった男女が、
「①多くの男女がハート(Hati)に喜びを与える事柄だけを基準にして結婚している。」状態、それは、今と同じ状況でが、結婚相手を見つけて結婚します。

その場合は結婚相手の組み合わせは16通りが可能になります。
そして、その結婚から生まれる子供をJiwaのレベルによって以下の様に整理してみます。

表示方法 (男親のレベル)X(女親のレベル)-->子供のレベル

組み合わせ                         人口比率
(J)X(J)ーー>87.5                   6.25%
(J)X(A)、(A)X(J)ーー>75              12.5%
(A)X(A)、(J)X(V)、(V)X(J)-->62.5     18.75%
(J)X(M)、(M)X(J)、(A)X(V)、(V)X(A)-->50 25%
(V)X(V)、(A)X(M)、(M)X(A)-->37.5     18.75%
(V)X(M)、(M)X(V)ーー>25             12.5%
(M)X(M)-->12.5                    6.25%
                            合計100%

親のレベルは4つでしたが、子供のレベルはそれぞれの中間レベルが発生して合計で7つになります。
それから、人口比率も両端から中央へ移動するように変化しています。
そしてジャスマニに注目するならば、25%から6.25%へと一世代下るだけでこれだけ少なくなっています。

つぎは第一世代の子供が成人して親になり配偶者を見つけて結婚し、第二世代の子供が誕生します。
計算は上と同じ事を繰り返すのですが、詳細表示はなしとして、結果のみ以下に示します。

第二世代の
子供のレベル  人口比率(%)
87.5        0.391
81.25       1.563
75         3.906
68.75       7.813
62.5        12.11
56.25       15.625
50         17.188
43.75       15.625
37.5        12.11
31.25       7.813
25         3.906
18.75       1.563
12.5        0.391

結果は
ジャスマニレベルが1.954%
動物力レベルが39.453%
植物力レベルが52.734%
物質力レベルが5.859%
となります。

そして、ジャスマニレベルで親のレベルと同じ87.5のみに注目すると、その人口比率はわずかに0.391%となってしまいます。

さて、ひと世代は30年、長くても35年ぐらいでしょうか。
2世代で70年、3世代で105年、ほぼ一世紀相当になります。
こうして人々が心が好む、それぞれの好みの相手を見つけて自由に結婚をしていくならば、それだけであっという間にジャスマニレベルの人はいなくなる、とそういう事が分かるのであります。
そうして、この計算は各世代が新たにカルマを積む事を想定していません。
そのような新しいカルマが附け加わらなくても、単に「人々が心の好みで結婚を繰り返すだけ」でこう言う事になってしまいます。

それから上記に示したようにして世代を重ねるごとに動物力と植物力のレベル、数値で言うならば50という真ん中の値に大方の人のJiwaのレベルが収束していく事がわかります。
つまり人々が自由に結婚をくりかえす事で、人類のJiwaのレベルは急速に均一化され、真ん中の値に集まっていくのです。

さて、アダムの時代からどれくらい時間が過ぎたのかは定かではありませんが、各世代が新たなカルマを積み、つまり親の世代の平均値より子供の世代のJiwaのレベルの平均は確実に下がる、という条件を上記の計算結果につけくわえるならば、その結果は「推して知るべし」としか言いようのない、あまり見たくない結論に導かれることとなってしまいます。

それは人類全体としては、常に下方向への、堕落方向への移動圧力を受け続ける、という事ですが、その結果は、人類全体のジワの平均レベルが植物力と動物力の中間の位置、いままでの議論ですと50という数値で表される位置ですが、それが25以下に落ち込む事になる、つまりほとんどの人が物質力レベルのジワの持ち主ということになるのであります。

以上がバパが「現状はそのようである。」と警告している状況が現われる事になった理由の、バパの主張に沿った説明になります。

ちなみに参考例として87.5のジャスマニレベルの人口比率の推移を示しておきます。(各世代での新たなカルマの増加なしでの計算です。)
25%-->6.25%ーー>0.391%ーー>0.00153%ーー>0.00000002%
2500万人ー>625万人ー>39.1万人ーー>1526人ーー>0人
最初に2500万人もいた87.5レベルのジャスマニが四世代目にはもういなくなる、そういう結果になります。(各世代の人口総数1億人としています。)

以上の事から、バパは何度も「若い人は結婚に注意しなさい」と注告したのでした。
しかしながら何分とも「時すでに遅し」の感があります。
つまり今現在もジャスマニでいる人がいたとしたら、ほとんどそれは「奇跡」といってもよい事になると思われます。
(またこれがバパが協会内部に結婚相談所を作る事にとても熱心だった、ということの理由にもなりそうです。)

こうしてバパが希望したような「人類全体のカルマの逆回転」はおこらず、ジャスマニが人類の25%、という状況に戻る事もなく、ロハ二レベルの人類が70000人誕生することもない、そのような可能性は非常に少ないということになりそうです。<--リンク

さて、バパの以下の表明に戻りましょう。
第11章 アスマランダーナ 34節
『・・・しかし実際には、きわめて多くの人々が、外見は人間であっても、内部にジャスマニ、つまり人間力をまだ持っていない。・・・』

そうであれば我々は自分に対して「ジャスマニレベルにすでに到達している」というような自己評価をする事はほとんどが間違いである事を知ることが必要でありましょう。
そうして、そのような現状からスタートしてラティハンでどこまで到達する事ができるのか、それを目標として行動しようではないか、というスタンスに立つのが良さそうであります。


(注1)
この要約の部分の詳細な説明は長くなりますが、ポイントを抜き出した記事であれば
スシラ ブディ ダルマ・6章の2 結婚とカルマの受け渡し<--リンク
を参照願います。
長く詳細な説明は以下のような記事になります。
バパの”人間の種( human seed:biji manusia)と誕生論”<--リンク

(注2)
この計算方法の元になっているトークを以下に示します。
6月24日1985 バパ
『男性と女性。
それから私たちは人間の生命力、ロホ ジャスマニroh jasmaniに来て、それはナフス・ムトマイナnafsu mutmainahを生み出します。
そして、これは、夫と妻の関係、または男と女 - 男性と女性の交流から来るものであり、あるいはそれによって現れるものである。

もう一度、あなた方はそれを取り除こうとすることができます。
しかし、男女間の関係を無視したり横にどかしたりした結果は、あなた方は人類と言うものを作り出す事はないでしょう。
あなたが人間を創造するのはその関係を通っているからです。

しかし、もう一度、あなた方は慎重でなくてはならず、あなた方は良い男性と良い女性を会わせる必要があります。
言い換えると、善良な男性は、適切な、それに相応して良い女性を見つけようと努めるべきです。
それはカップルの中にあるものはすべて共有されるからです。

だから純粋なジワjiwaを持つ男が純粋ではない女性と結婚すれば、彼は彼女の不純物が何であれ半分を得るでしょう。
そして同様に、純粋な女性が純粋でない人と結婚した場合、彼女は彼の中にある何らかの問題やミスの半分を何であっても得る事になります。
それが「一緒になった(結婚した)」と言われたときのことです。
彼らはすべてを共有します。

ここで言われているように、彼の妻は彼について天国に行き、しかし、もし彼が地獄に行くならば、彼女は彼と一緒に引きずり下ろされます。(注4)
彼らはお互いにそのようにする以外に選択肢はありません。
従ってパートナーの選択は非常に重要であることは明らかです。
・・・・・』

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以上の内容に関連したカルマKarmaについての記事にはこちらからも入れます。<--リンク

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スシラ ブディ ダルマ・5章 ムハンマドによってもたらされた道//

2018-06-01 | 日記
まずはスシラ ブディ ダルマに記述されている該当部分の文章を見てゆきましょう。

スシラ ブディ ダルマ 13章 ダンダングラ 14節~20節
『14、このことをはっきりとさせる為には、ある独身の若者が同程度に人間力に満たされている処女と結婚すると、その結婚によって二人はどのようになるかを述べるのが最善であろう。
これはまさに理想的な場合の例である。
というのは、たまたまこのような結婚をする事が出来た男性は二人の間に固く強い生命の絆をすみやかに作り上げる事ができ、その絆によって二人は同じ一つの力すなわち人間力によって満たされ、結びつけられるからである。

15、人は常にこのような結婚を求めている。
なぜなら、性的合一の時に、二つのからだの中の力が容易に一つに溶け合い、二人とも内的に別個の存在であるとはもはやまったく感じなくなるからである。
このような訳で、女性はしばしばガルワ(garwa)、すなわち夫の命の半分とよばれる。
またそれゆえに結婚した女性は夫の姓を名乗るのである。

16、このような結婚の結果、平和と調和がもたらされるばかりでなく、さらに生活の繁栄への道が開かれる。
もしも彼らがこのような結婚で子供をもうけると、男性の自我を通って訪れる人間の種子の力で彼の身体感覚が呼びさまされよう。

17、そして感覚がこのようにして呼びさまされると、その欲望が何処から来ているのかが直ちに感じられ、さらに彼は合一の間の自分の状態に気が付いている事ができるであろう。
従ってそれは彼にとっては一つの内的な覚醒になるであろう。

18、それ以降彼は、自分の持つ従属的な力(注:4つの低次の諸力)、すなわち彼の自我の内部(注:内部自我:Diri Pribadi)で絶えず結びついたり離れたりしているさまざまな力(注:4つの生命力)の全ての特徴を認識するように少しづつ導かれるであろう。

19、その場合にも彼は常に指示を受けて従属的な力とそれ以外の力を次第により熟知するようになる。
そうなれば彼は、依然としてそれらの力と結びついたり、結びつかれたりしていても、それにしばられず支配されず、彼はそれらの力からより離れていられるようになったと言えるであろう。

20、これがあるべき姿である。
しかし実際にはそうなることは極めてまれである。
なぜなら人々は、特に若者たちは普通はまだ自分の内部の力(注:生命力)に気づこうとはしないからである。
そうして、生涯の伴侶として結婚する女性の選択を、彼等はクジワアンの見地からではなく、単にお互いのハートを近づけるだけの日常の社会的交際に基づいて行っている。
(注:しかしながら、今や女性も男性も自分の結婚相手をJiwaの相性、魂の伴侶という観点からではなく、世的な評価基準とハートの相性によって決めているのが普通の様であります。)』

さて、13章 ダンダングラ 16節から
And if within the marriage they conceive a child, the force within the human seed coming through the man’s self will awaken his bodily feelings.
そして結婚の中で彼らが子供を宿すならば、男の自我を通って訪れる「人間の種子の中の力」が男の身体感覚を目覚めさせるでしょう。<--リンク

それで、この話は上記の文がキーポイントになります。
そして14節~20節に書かれているように、二人のジャスマニレベルにある男女が結婚して子作りにはげみ、そうしてめでたく子供を授かった場合の事が書かれています。
そのような体験が男性にとっては「それが一種の内的な覚醒体験となり、それを契機として自分の内部にある諸力を見分けること、さらに進んでは支配する事ができるようになる」とされています。
そうして次には、「妻との性的な合一という行為の中にある秘密(結婚の秘密)にも気がつくようになる」とされます。<--リンク
こうして彼は妻と二人そろってジャスマニからロハ二へ向かう旅に出ることができるのであります。

以上の話の中ではラティハンの事については一言も触れられておりません。
そうでありますから、バパの認識では「本来はこのようにすでに道は用意されていたのだ」という事になります。
しかしながら、残念な事に人類はその道から外れてしまった、と。
その為に、その対応策としてラティハンが出現したと、そういうストーリーになっているのでありました。
そうして以下のトークで示すように、「ラティハンが出現する前にすでに存在していたこの道は、実はムハンマドによってもたらされていた道である」というのがバパの主張になります。

(London 1959/8/11 by library、 8/1 by定訳集)トークより引用
ムハンマドによってもたらされた礼拝
『・・・・・
そして、ムハンマドと彼の妻との性的合一が真実になって神に向かって礼拝する行為になったので、ムハンマドが神を礼拝することがより容易になりました。

男性と女性の性的合一は、真の礼拝行為であると神によって定められました。

これは、イスラムの宗教に従って、モスクで行われた結婚式で示されています。
ここで、男女は真の夫と妻になることを宣言して確認するために、「アッラーフ(神)の他に神はなし。ムハンマドはアッラーフの使徒である。」という信仰告白を唱和する必要があります。
この行為によって、夫婦は彼らの存在を神に誓うこと、そして彼らは神の目撃者であることを認めています。

これはそれがどのように実践されたかです。
ムハンマドの追随者や他の多くの人間が、夫と妻の性的合一を純粋にし、礼拝の行為をしました。
それで彼らは真実、神を礼拝することができました。

しかし、バパは再び、人間は人間のままであると言います。
とても素晴らしく幸福な礼拝行為にもかかわらず、彼らは再び、彼らの楽しみと喜びの中で、彼らがこの世界の環境の影響力と圧力にさらされていること、そして低次の諸力の侵入、それは人間が純粋な目標を達成するのを妨げる傾向があると言う事を忘れてしまいました。
だから、ほとんどの人にとって、男女の合一は、礼拝の行為ではなく、再び彼らの情熱の喜びに過ぎなくなりました。

現実には、性的合一の真の性質は要約(繰り返し)というものであり、それを通して人間は「存在する前と後の両方で自分の状態を認識して知ることができなければならない」というものです。
あなた方は本当にそのように認識しなければなりません。
そうでなければあなたは単に車が通り過ぎた道のようで、その車がどこから来たのか、どこに行ったのか知ることがありません。
それは本当に失望する事であり、本当に全能の神を悲しませています。
なぜ人間はこれを理解できないのですか?

それで兄弟姉妹の皆さん、あなたの子供がどこから来たのか、あなたの子供があなたを通過しても何が起きるのか、皆さんは知らないのです。
子供はどこから来たのですか、そしてどこに行くのですか?

しかしあなたがこれを意識すると、「私が存在する前に私はどのようになったのか?」を意識していることになるでしょう。
そして、「後で(地上を、この世界を)離れるときはどうなるのか?」がわかります。
(注:つまり、「死後の自分の状況を前もって知る事ができる」という主張です。)

以上のように、これらはアブラハムからムハンマドまでの預言者たちが受けた戒めがどれほど優れているかという事です。
しかし、人間は人間のままであり、世界の雰囲気にとても容易に左右されます。
何が起こっているのかを意識することなく、時間が経つにつれて、彼らは自分たちの欲望、意志、思考心、そして心の力に従うことをますます重要にしていきます。
・・・・・』

ムハンマドに与えられた天啓もこうして本来の意味を失っていきました。
そうして時代は現代に至り、ついにラティハンの登場を迎えたのであります。
・・・というのがバパの主張する「ラティハン登場にいたるまでの歴史的な経緯」になります。

但しそのような説明は人類すべてに受け入れられるものではなく、結果的にはあるグループは受け入れた様ですが、あるグループはその主張を拒絶した模様です。
こうして人類のあるグループはラティハンを受けることができ、あるグループはラティハンを受けることが出来なくなりました。

(注:上記のようなイスラムの到来による恩恵についての理解の仕方はかなりバパの独自性が出ている様に思われます。
そうして、そのような理解はイスラムの中では主流派、正統派ではない様です。
ただしイスラム神秘主義のなかに、たとえばイブン・アラビーの著作の中に似た考え方を見つけることは可能の様です。)<--リンク

追記
上記(London 1959/8/11)トークでは、イスラム教徒が結婚式で信仰告白をすれば、自動的にその夫婦の子作りの行為が礼拝の行為になる、と誤解しそうであります。
しかしながら、事実はそうではなく、結婚式での夫婦の唱和は単に「その夫婦がスタートラインに立った」と言う事を表しているにすぎない様です。
そうであればこそ、単に儀礼としての信仰告白のみでは夫婦の子作りの行為は礼拝にまで高まる事はなかったのであります。
(信仰告白の宣誓という行為自体に何か不思議な霊的な力があって、それが人を浄化する、、、という事はないということになります。)

そうしてまたこのことは以下のトークからも推定できそうです。
(6月13日1963 バパ)より<--リンク
実際、男女の合一は、兄弟姉妹の皆さん、本当に人間と神の間の礼拝の行為です。
しかしそれは、誰でもそうであるのではなく、神の恵みを受けた人間にのみ適用されます。
それ以外の人では礼拝にはならず、喜びの行為になるだけです。
それは彼らの動物力の欲望、彼らの植物力の欲求、そして彼らの物質力の欲求を満足させる方法です。
それは一般的に、つまりは男と女の合一は礼拝の行為ではないということです。
・・・・・

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