ラティハン日記

ラティハンと人生の散歩道

雑記帳16・正しさを追い求めること

1987-07-31 | 日記
バパに言わせれば「宗教は正しいものである」となります。

しかし、「人間が、その宗教の信者が間違えるのである」と言います。

この相互に関連している間違いには二つあります。

一つは信仰がファンタジーになっている、というものです。

もうひとつは、それに加えて狂信的になっている人がいる、というものです。


宗教は正しいのですが、その正しさを人の心で、感情心と思考心で追い求めすぎるところから間違いが出てくる様です。

つまりは「正しさを要求しすぎる」、「正しさを欲望しすぎる」のであります。

それゆえにそれが人として許されている限界を超えてしまい、そうなってはそれはもはや「正しいもの」ではなく「正しくないもの」になってしまいます。


ラティハンはそのあたりのバランスを正常に戻してくれます。

欲望は不必要なものではなく、「正しさ」も不必要なものではありません。

しかしながら何事も「過ぎたるは及ばざるがごとし」なのでありますよ。
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雑記帳15・バパの平和論、あるいは人類救済計画

1987-07-29 | 日記
1、ラティハンが人類の三分の一に広まれば、戦争はなくなるだろう。

2、ロハ二レベルが7万人登場すれば、人類の意識は変化し、人が作り出すであろう災害はなくなる。

3、ラフマニレベルが200人登場すれば、同上。
(2,3、については「Subudについて」の108~109ページを参照願います。)<--リンク

これがバパの人類救済計画でした。

そうなる為にも一刻も早く多くの人にラティハンを広めたかったのであります。

そうしてこれらは1から3という順序で達成されるものです。

つまりは、会員数が増えないとジャスマニ男とジャスマニ女の出会いによる結婚が起こらず、ロハ二レベルでの子供が生まれる可能性がなくなります。

そうして、ロハ二レベルの会員が増えないとそこからラフマニレベルへの進化が起こる可能性がありません。

そうであればまずは会員数をふやし、ラティハンによりジャスマニレベルまで引き上げ、そうして結婚させる。

そうやってロハ二レベルの子供を誕生させる、のがなによりの希望であったかと思われます。

その為の世界旅行でありエンタプライズであったことでしょう。

そうでなければあればあれほどにはスシラ ブディ ダルマの人間力の項目で人の生殖行為については語らないと思われます。

そうして本来ならば人間力については語るべきことは他にもたくさんあったかと思われます。

さてそれで実情は、といいますと、会員数はそれほどふえずに、そうしてまたジャスマニレベル同士の結婚もそれほどおこらず、ロハ二レベルの子供の誕生はなかった模様です。


あるいは、そのように熱心にその行為について語られるのは、人類の堕落(人類全体のカルマ)を引き起こしてきたその原動力、原因とまでは言いませんが、それに強く関係しているものがその夫婦間の行為とその結果誕生することになる子供にある、というバパの認識があった様に思われます。

従って、そのような状況は正されねばならない、、、と。

他方で、バパはかなりそのような事が起こる事を急がれた印象があります。

なぜでしょうか?

アルカイダやISISの登場と関係があるのでしょうか?

バパが存命中はこれらのいわゆるイスラム原理主義によるテロと呼ばれる行為はまだありませんでした。

そうしてこれらのテロ行為はイスラムの評判を落とすのには十分でした。

このような事態は到底バパには受け入れられなかったものでしょう。

なにせイラン革命やホメイニ師の登場にすら批判的でありましたから。

現在のようなイスラムを語る者たちの武力闘争というものも、もし中東のイスラム圏にラティハンが広く受け入れられていたら状況はまた違ったものになっていたかもしれませんが、そのような事は起こらなかったのであります。

そして残念ながらラティハンの中東イスラム諸国への展開はその入口でつまずきました。

この件、詳細は「カイロからのニュース」をご参照ねがいます。

PS
↓関連記事です。
雑記帳14・宗教的寛容性<--リンク

PS
バパの人類救済計画、この大前提は17歳でオープンされた若者が15年から、遅くとも20年ぐらいでジャスマニレベルを卒業出来るほどに浄化される事が出来る、というものでした。

これは今の我々のラティハンのペースから考えると、「とてつもない早さ」ということになります。

68.2.15 バンドン 20年から30年後、神の力を全世界が知り衝撃を受けるだろう。

かつてはこのようなトークがありました。

その頃のラティハンはとても強かったのか、あるいはこれは単なるバパの予測ミスなのかは不明であります。

但し、バパと共に行うラティハンはとても強かったのは事実ではあります。

しかしながら、我々の進み具合はとてもゆっくりとしたものであって、到底先の予測には合致してはいませんでした。

その為に後日のトーク(1979年)で修正が入りました。  

20年から30年後→800年後に変化、30から40倍に年月が伸びる。

これでは当初、バパが考えたような「新しい人類の誕生による、人類の救済」というのは無理という事になります。

17歳でオープンした若者がその一生のうちにジャスマニレベルまで到達できるかどうかさえ、不確かな事になりますので。

それでは到底「新しい人類を生み出す事」など出来はしないのであります。

そうして残念ながら、状況はそのように推移したのでありました。

PS
ラティハンの登場によって今までなかった、覚性への道が開かれたことは明らかでありましょう。

しかしながら、その道は当初言われてたほどには「楽に歩ける道」ではなかった様です。

結局のところ、自分たちの心、ナフス、思考心と言うようなものが邪魔をします。

そうして、それらの事にどれほど自覚的になり、対応していけるのか、と言う事が問われる事になります。

確かに「一人静かに座って心を落ち着けて悟る」様な道ではありません。

世間の中にあって、世間と共に動いて、それでもなおかつ悟る、という道であります。

そうであればそれなりの覚悟と言うものがそこには必要になってきます。


まあ人類全体の事は人類にまかせましょう。

我々はこの自分一人の身をまずは面倒見ることからはじめる事ができればそれで十分であります。


PS
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雑記帳14・宗教的寛容性

1987-07-27 | 日記
世界は宗教的寛容性の欠如の為に苦しんでいる様にみえる。

彼らは我々とは違う、というものだ。

双方がお互いの相違点を上げて差別し、非難しあう。

そこからは何も生まれないし、その先にあるのは暴力沙汰だけである。


さて、他方でラティハンはそのような差別やら非難やら相違点やらという世界とは別物である。

そこにあるのはただ我々は同じものである、という感覚である。

そうしてそこに、ラティハンが人類の中に広まる事による、人類の平和共存の可能性が見えているのであります。


ところで、ラティハンがそうであるのに、何故にラティハンの入り口で、ある特定の人たちにとって困難になるような状況を設定するのか?

宗教的にはとても「寛容である」といえる状況ではない様にするのか?

それはさかのぼってみれば、本来は無色透明なラティハンというものにイスラムの、あるいはアブラハムの宗教の匂いや影をつけてしまったバパのトークゆえの様にみえる。

バパは熱心なイスラムであったがゆえにそのことをあまり責めるつもりはない。

しかしながら、素直にいわせていただくならば、「バパの事実上、宗教的には不寛容に見える態度がそのまま現在の協会に引き継がれている」様にみえる。

そうしてこの事は、「ラティハンが目指すものは、ラティハンが表現しているものは、宗教的な寛容性である」という事実とは明らかに矛盾しているのであります。

PS
オープンの前にイスラム流のあからさまな信仰告白をしなくてはならない、というのはこれはバパが導入したバパ流の「けじめのつけ方」でありましょう。

「今からは誠実にラティハンを実習していきます。」という一つの態度表明かと思われます。

しかしながらいかんせん、インドネシアでは誰にとっても、何の抵抗もなく出来る事が、この日本では人口の1%以下の人にしかそうはなりません。

そのような信仰告白は我々日本人にとっては本当になじみがない作法なのであります。


そうして、その信仰告白のコトバに特別な力があって、それが魔法の呪文のように作用してラティハンが始まる訳ではないのです。

もしそうならば、そのコトバはオープンの必要条件になりますが、そうではない事例がたしかに見られています。

そうであれば、そのコトバをいう事は必要条件ではなく、せいぜいがバパ流の「望ましい条件」という所が相当であると思われます。

PS
さてそれで、宗教的な寛容ということは、日本人にとっては朝飯前、大得意とする所であるはずなのですがねえ。

何故かみなさん、ガッチガチであります。

PS
↓関連記事です。
雑記帳19・人と人とを結びつけるもの<--リンク

PS
バパが生まれたインドネシアという国、そしてその当時の政治的な、宗教的な状況ゆえにバパがあまり宗教的には寛容でないようにふるまわざるを得なかった、そのような外的な状況は確かにあったかと思われます。

それゆえに、バパがあまり寛容でなかったという事に対してはそれを責める、というものではありません。

しかしながら、我々が体験してきているラティハンの広さ、その一体感にてらしてみれば、何も我々が単に「バパがそうであったから」という理由で不寛容な態度を持ち続ける必要性はどこにもないように思われます。

そうしてラティハンも「宗教的には寛容である」という態度を支持している様に見えるのでありました。

PS
・エジプト300人超死亡テロ事件 礼拝中のイスラム教徒標的に衝撃<--リンク

これはもうほとんど「唯一自分たちの理解のみが正しいと考えている教条主義者たち」の末期的症状であります。

PS
・イスラム教徒墓難民 九州土葬用施設なく 偏見や抵抗感…新設に壁<--リンク

この記事からわかる様に、我々日本人のもっている「宗教的寛容性」というのは「あまり宗教の事を意識しない、という寛容性」の様です。

つまり「あなたが何を信仰されていようがそれはあなたの自由だ。しかし、ニッポンの常識やら生活習慣には従ってもらう。」という程度のものです。

従って我々にはもうなじみが無くなってしまった「土葬」という風習には、そのような行為には抵抗感を持つのです。

それでも「宗教が違う」といって暴力沙汰になるよりは随分と「マシ」とは思われます。

まあしかしそれでもかつては我らが国も「土葬の国」でありました。

それからすればこれは「慣れの問題」とも言えそうであります。

PS
・強硬派仏教徒集団の台頭、覆される「平和的哲学」のイメージ<--リンク

時代は動き、ブッダが想定しないような仏教集団が現われてきています。
そうして、これは本当に残念な事であります。(2018.3)

PS
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雑記帳13・クバティナン事情(2011年)

1987-07-25 | 日記
2011年10月現在のインドネシアのクバティナン事情

・ジャワの宗教、信仰、呪術<--リンク

いろいろと変化があるようです。

『・・・インドネシアでは宗教と信仰は別とされていて、前者は宗教省の、後者は観光文化省(認定された時点では教育文化省)の管轄下にある。
普段は略して「信仰」と言っているけれど、正式には「唯一神への信仰」と言う
・・・・・
信仰は各地に土着的なものがたくさんある。
以前は、信仰を表す語はクバティナン(内面的なるものの意)だったけれど、前・信仰局長の話によれば、信仰を表す語はクプルチャヤアンに統一されたので、クバティナンは今は使われていないとのこと。
・・・・・
そういう信仰を実践している人たちは、自分たちのことをプングハヤット・クプルチャヤアン(信仰実践者)と称する。
インドネシアには、似たようなカテゴリの人を指す言葉として、パラノルマル、ドゥクンという語があるが、信仰実践者を自称する人達は、彼らと一緒にされることを喜ばないので、注意が必要だ。

パラノルマル(英語のparanormal)とドゥクンはどちらも超常能力を見につけた人のことを指し、特に、失せ物・失せ人探し、事業の予言、病気治療などを得意とする。
ただし、インドネシアでは、どちらもネガティブな響きを持つ単語だ。
特に、少なくともジャワでは、ドゥクンという語を耳にすることはない。
そこには、呪術師のようないかがわしい感じの響きがある。・・・』

さて、バパの協会も今や観光文化省に登録されている模様です。
そうして他の団体と同様に「唯一神への信仰」を実践する団体と見なされている様です。

注:「唯一神への信仰」(Kepercayaan terhadap Tuhan Yang Maha Esa)
クプルチャヤアン(Kepercayaan)信仰
トウハン ヤン マハ エサ(Tuhan Yang Maha Esa)唯一神<--リンク
関連記事「唯一神への信仰」へはこちらから入れます。<--リンク

PS
つまり「インドネシアの仏教徒は「唯一神を信仰」している事になっている」のです。

さてこう書きましたが、これは「日本人から見た感想」です。

インドネシアの仏教徒は「Tuhan Yang Maha Esa」を本気で信仰している可能性があります。
(「唯一神」はインドネシア語では「Tuhan Yang Maha Esa」と書かれます。)

その「唯一神への信仰」と言うのは、とても古くからあるものでその上にまずは仏教とヒンドゥー教が伝来し、そしてのちにイスラム教とキリスト教が入ってきた、というのが歴史です。
(仏教とヒンドゥー教は端の方に押しやられました。)

そして、インドネシアの人たちは「それらの外来の神はすべてTuhan Yang Maha Esaが形を変えたものであり、本質は同じだ」ととらえている所があります。

そうでありますから、我々の目には一見無謀な、無理筋に見えるパンチャシラ Pancasilaが成立するのでありましょう。<--リンク
その一番目に
1、唯一神への信仰 (Ketuhanan Yang Maha Esa)
と言う事が決められています。

インドネシアの人はこれを認めそうして『インドネシアではイスラム教、プロテスタント、カトリック、ヒンドゥー教、仏教、儒教の6つの宗教が公認されているが・・・』
これらの宗教は全て「唯一神を信仰するもの」と認めているのであります。

そして当然、オープンの時の宣誓も「Tuhan Yang Maha Esa」を信仰しますね、と聞かれるのですから「NO」と言う人はいないのです。

「唯一全能の神」などとは聞かれないのですよ。
これがインドネシアでの状況です。


さて日本ではどうなったか?
まずは「Tuhan Yang Maha Esa」が英訳されます。
クリスチャン文化圏の英訳者はそれを God Almighty とかThe only almighty godと英訳し、日本人はそうやって英訳された文章から「唯一全能の神」と訳します。

そうしてこう聞かれるのです。
「唯一全能の神」を信じますね?と。
おまけに伝わってくるバパのトークは全て「スブドの神はアブラハムの宗教の神」のように書かれています。
それじゃ「唯一全能の神」とはあれの事か、となりますよね、普通は。

さてそれで困ってしまうのは仏教徒でした。
(インドネシアの仏教徒は困りません。
しかしながら、それ以外の世界中の仏教徒は困ってしまいました。)
・・・・・
世界中の翻訳者はこうしてインドネシア語から英語に翻訳されたものを第二原典として、そこから自国語に翻訳していきました。
従って、世界中でオープンの時の宣誓は「唯一全能の神」を信仰します、と言わねばならなくなったと、そういう事の次第であります。

全ての呼び名を超える存在としての「Tuhan Yang Maha Esa」と言う概念はインドネシアにしか存在しない様です。
そのためにこうした誤解、あるいは混乱が発生し、世界中に広まっていったのであります。
2019/1/19

PS
・クバティナン関連の目次です。<--リンク

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雑記帳9・生と死と聖なるもの/

1987-07-17 | 日記
ラティハンがそれまで世の中に在ったものと同じものであるならば、それは「新しい」とは言わず、極論すれば存在しなくてもいいものになる。

そういう意味では、ラティハンがこの時代に出現してきたという事は、何らかの相違点が、新しい事がその中にある故である。

そうして、ラティハンが扱う対象は、関係している事柄は、「生と死と聖なるもの」、つまりはそれまであまたの宗教が扱ってきたことと同じ領域になるのは必然の事でありました。

さて、そうであれば、どれだけバパがそれらの既に存在している宗教に気を使って、無用の争いが起こらないようにトークをされてはいるのですが、しかしどうしてもそのような宗教権威に挑戦するように見える事柄がラティハンの中には存在しています。

逆に言えば、そうでなければラティハンの存在する意味がないからであり、どうやってみたところでこれは回避できない事であります。

そうであるからと言って、ことさらに相違点をあげて既存の宗教権威に挑戦する必要はありませんが、そうかといって「ラティハンは宗教と同じものである」という意味で「なんら宗教と相違するものではありません。」と言い切ってしまうのもまた本当の事ではないでしょう。

そうであれば妥協点として、現実的な対応としてバパは「今まで続けてきたように、あなたがお持ちの宗教を続けて下さい。」といい、それと同時に「あなたのラティハンを継続していって下さい」と言ったのでありました。

PS
唐突ですが、思いついたので書いておきましょう。

バパは100歳までの寿命を神からもらった、といいました。

しかし現実には87歳で亡くなりました。

それでは神が言ったことは間違っていた?

いいえバパの後継者がちゃんと指名されていました。

そういうわけで、きっちりと神は2000年までは面倒をみてくれました。

「それじゃあ2001年からはどうなったの?」ですって。

そりゃ、バパが前々から言っていたように、「ラティハンは人の手に、本当にゆだねられた」のですよ。

そうでありますから、ラティハンが広まるのも、消滅するのも人間しだい、という時代に入っているのです。

2代目がいう様に「ラティハンは消えても、また現れるでしょう。」という様な可能性は非常に小さい、ほぼゼロでしょう。

バパが言う様に「人が、人のみがラティハンの広がりに対して責任を持つ時代は2001年から」なのであり、もう17年も過ぎてしまいました。


PS
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雑記帳8・ラティハンと宗教

1987-07-15 | 日記
協会の最初のころのスタンスは「ラティハンはイスラムの後に現れた啓示である」と言うものでした。

そうして、アブラハムの宗教の系列に属し、その最終的な形態である、と言うような主張ともとれるトークがあります。

しかしながらそのような言い方はバパにとっては自然なものであって、何の不都合もないものであったでしょうが、既存の宗教権威からすればあきらかに「挑戦」に見えた事でしょう。

そういう意味で本来はもっとイスラム圏諸国に広まっても良い筈のラティハンはほぼインドネシアのイスラムの間にしか普及していないのが現状であります。

そんなこんながありまして、今の協会のスタンスは上記のような主張はしておらず、「ラティハンと宗教とは相補的な関係である」という表現になっています。

さて、そうではありますが今の協会のラティハンの説明の仕方は「唯一の神」の存在を認め、「その神の力の働きの結果」としてラティハンを説明する、というものになっています。

ですので先鋭度は低くはなりましたが、相変わらずアブラハムの宗教の流れに親和的な説明です。

そうして、それゆえに会員の中に占めるアブラハムの宗教に属する人たちの割合は相当なものになっていると推察されます。


さて、上記でのべたようにバパは非常に宗教的な人でありました。

それゆえにバパのトークは非常に宗教色の強い物になっています。

そうしてそれはバパにとっては自然な事でありました。

しかしながら他方でそれほど宗教的でない人、特定の宗教を持たない人がトークを読んだ場合には、「これではまるで神学ではないか」と思われるような所がいくつも出てきます。

それで、だからどうだというものでもないのですが、バパのトークと言うものはそういう一面を持っている、ということであります。


そうして、とりとめのない話にも結論が必要です。

そういうわけでこのあたりでまとめをひとつ。

宗教というものは「これが真実だからこれを信じよ。」と言います。

それに対して、ラティハンの道は「これがバパの言った事です。参考にしてください。そうして、自分のラティハンに従って下さい。」と言うのでありました。

PS
さて、バパは熱心なイスラムでした。

しかしそれはジャワに、インドネシアに特化したワリ達のイスラム、ジャワ・イスラムでした。

それゆえにバパの説明によるラティハンの紹介ではいわゆる主流派のイスラムには残念ながら受け入れられるという事はありませんでした。

そうしてそのようにイスラム色が強い説明でありますから、バパの作った協会はアカデミズムからは「イスラムから派生した修行方法を持つ団体である。」と言うように見なされています。(注1)

そしてこれはもちろんラティハンの本質からいえば学者さんたちの「誤解」であります。

しかしながらバパのトークや、書かれたもの、バパの説明だけから推定するならば、そのように理解されてしまっても仕方のない面があります。

注1
たとえばDrs. KafrawiによるTHE PATH OF SUBUD: A Study of 20th Century Javanese Mysticismの前書きの部分では次の様に述べられています。

This thesis examines the origins, nature, and characteristics of the Subud mystical order which is an expression of Javanese Red (abangan) Muslim mysticism.
Javanese Red(abangan)イスラム教徒の神秘主義の表現であるSubudの神秘的なオーダーの起源、性質、特徴を考察する。

It presents material on the life of the founder, on the religious background of the order and presents the doctrines, practices, and forms of organizatiori peculiar to the order.
それは創始者の生活、オーダーの宗教的背景についての資料を提示し、オーダーに特有の教説、実践、および組織形態を提示する。

上記文中、オーダーというコトバが出てきますが、これはスーフィーの団体を指す時に使われるコトバです。

たとえばナクシュバンディ・オーダーとか。

そういうわけで、アカデミズムの目には協会は一つのオーダーに見えているのであります。

(あるいは他の学者さんの場合では、イスラムに近い一つのクバティナン・グループとしてとらえられている、というケースもあります。
たとえばその例としては「ジャワ神秘主義の民族誌」関本照夫、「ジャワの宗教と社会」福島真人などが上げられます。
そうしてこれらのとらえ方のベースにあるのは、なによりもまずインドネシア政府がそのようにバパの協会を見ている、という事であります。)

PS
以下、ご参考までに。
4月18日1963 バパ@ボゴタ
『・・・・・
このように、信仰のあらゆる種類の人々、そしてこの地上に存在するすべての国の人々は、ラティハンに従うことができます。
それは彼らがさまざまな宗教で経験したことを拒否したり、怒らせたりすることはありません。

例えば、インドを例にとりましょう。
インドでは多くの人々が仏教の宗教に従いますが、また多くはヒンドゥー教徒です。

しかしながら、すべての信念と宗教を包み込んで包み込むことができるので、ヒンドゥー教徒であるインドのメンバーは、彼らの宗教で経験したことに沿ってラティハンを受け取ることができると、Subudはあなたがそのように言うことができるものです、

そこにはクリスチャンとイスラム教徒もいます。
彼らは彼らの宗教で受けたことに基づいてラティハンでも経験します。
したがって、彼らはお互いに嫉妬を感じることはなく、彼らの間に争いはありません。

そして、つまりムスリム、キリスト教徒、仏教徒、ヒンズー教徒、または他の宗教の人々の視点から見ると、スブドのラティハンはすべての人に非常に適しています。

それで、Subudは宗教や信念でもなく、教えや理論でもないが、霊的な生活の真の現実である技法を神から受け取ることができる人々の協会であることは明らかです。

あなたが受け取る方法は、あなたの宗教だけでなく、あなたの国籍、行動、またはあなたが必要とするものにも適しています。

したがって、Subud のラティハンlatihanは、あなたの宗教、あなたの国籍、またはあなたの必要事や慣習を害することはありません。
・・・・・
(訳注:しかしながら、好ましくない習慣はラティハンによって自覚するようにうながされ、それを当人の自由意思によって修正していく事は必要な事であり、そのようにして人は進歩というものを自分の上に表現し、そしてまたそれを実感していく事になります。<--リンク)』(2018年10月・記)

PS
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関連記事・雑記帳23・アブラハムの宗教に従う人たち

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雑記帳6・ラティハンからの照明(イルミネーション)

1987-07-11 | 日記
「ラティハンとは何であるのか?」

そういう質問に対して「ラティハンと言うものはこういうものだ」という説明がなされる。

その説明の元になっているものは、コトバは、ボキャブラリーは、情報は、知識は、今まで地球上に存在してきたものである。

まあ当然ですね。

従来のものを、既知の物を使うしか説明、あるいは証明と言う行為はできませんからね。

そうしてそれが説明の限界、証明の限界なのであります。

そういうものを超えてしまったらもはや説明は不可能、証明は不可能になります。

そういうわけで、本当は「ラティハンは説明不可能」なのです。

しかしそうはいっても、それでは「身もふたもない話」になってしまいますので、そういう訳にもいきません。

それでラティハンに対していろいろとバパは説明してくれたのであります。

ジャワ語をつかって、インドネシア伝統の文化をつかって、イスラムを使って、アブラハムの宗教をつかっての説明でありました。

しいて言うならばそれはラティハンのバパバージョンの説明であります。

その意味は「ラティハンはバパの説明を超えている」という事であります。

しかしながらそれは誰が説明してもその人の使うコトバ、その人の暮らす文化、宗教、思想によってしか説明はできないのですから、どのような説明が展開されようとも、その説明をラティハンは超えているのです。

さて、そのような事を前書きとして、逆にラティハンからの照明を、光を、見えてくるものを少々書いておきます。

ラティハンを説明するために使われた宗教的な説明、あるいは宗教そのもの、それに対して今度は逆にラティハンからの照明があたります。

ラティハンによって見えてくる宗教の意味、本体、実体がありそうです。

そのような話をすると既存の宗教権威からは反発がきそうです。

「我々が宗教の実体を知っている者だ。」という訳ですね。

しかしながら我々庶民にしてみればそのような「えらいさん」がどのような実体をつかんでいるのか、などという事はどうでもよい話であります。

要は、生まれてきて、いずれはこの世を離れるであろうこの身に起こる事を知りたい、という話でありますら、それがわかればいいのであります。

そうしてどうやらラティハンはそういう希望に答えてくれそうな、人から人に手渡すことができる、技術、テクニック、方法、礼拝、啓示、天啓、恩沢、ワヒューなのであります。

それは日常生活では人の内省と自覚と努力を要求し、その結果は変容、覚醒、救い、解脱をもたらす可能性があります。


注:「可能性がある」という意味。

上記の「結果」に書かれている内容は、いままではいわゆる「宗教的天才」によってしか達成された事がなかったものです。

したがって、それらの事を達成するのは、どのような道をめぐるにせよ難しい、と言うのが実情です。

しかしながらラティハンの道はそれに比べれば比較的にたやすい道ではありますが、そうかといって無条件にラティハンさえ実習していればそのようなところにたどり着ける、という訳でもなさそうです。

バパがカルマと呼ぶ、先祖から引き継いできた内部感覚にため込んでいる浄化対象のごたごたの多い少ないという違い、会員がどれだけ忍耐と誠実さをもってラティハンに従っていけるのか、という時間軸上の試練、そうして同時に日常生活ではラティハンの注意にどの程度従っていけるのか、という問題、そういう個人個人に帰属する問題があります。

そういう問題がクリアできれば、バパが主張している様なロハニと言われるような状態に達することが出来るかと思われます。

そういうわけで、ラティハンの道はある種の宗教とは異なり、~すれば天国は(あるいは極楽は)保証される、というような道とは違います。

(最終的にはラティハンの道に従う事でどの程度まで内部感覚の浄化が進んだのか、という事がポイントであって、そうならない状況では、そのようにできない状況では、多くを望むことは難しいと思われます。)

PS
アブラハムの宗教では入信と宗教が教える行為の実践、神への礼拝によって信者さんは天国に行くことができる、とされている様です。

さてそれは基本的には信仰対象となっている「神」によって「良いかな」とされたものが「(死後に)天国に至る」のであります。

それではラティハンではどうでしょうか?

ラティハンは手段、方法であって、それによって我々の内部感覚内に積もったあやまり、あるいはカルマを浄化することによって天国に至るのであります。

そうしてそのような浄化の過程、あるいはその結果というものは自覚的に認識可能なものの様であります。

さてそういうわけで、死後に神の審判を待つ必要はなく、生前において死後の行く先が分かるとバパは言っているのでありました。

追伸
以上のような事はバパは強調されませんでした。

バパが暮らしたジャワはインドネシアではほとんどの協会の会員はイスラムでした。

そのような中で「単にイスラムであるだけでは天国に(あるいは緑園に)いけませんよ」と声高に言う事は相当の反発を覚悟する必要がありました。

そうして、そのような事はバパは望まれませんでした。

したがって「分かるものだけに分かる」様にしか話されませんでした。

しかし、本質はごまかす事はできません。

そういう意味では、アブラハムの宗教が宣言している内容と、バパの主張は実は鋭く対峙しているものなのであります。

PS
ラティハンは結局はラティハンなのです。

バパはそれを「トウハン ヤン マハ エサ(Tuhan Yang Maha Esa):唯一神」への礼拝である、と言いました。

通常は礼拝というのは対象となるものをあがめ、賛美し、その対象に帰依することでありましょう。

礼拝したら浄化が起こり、意識の覚醒が起こる、という話は聞いた事がありません。

しかしながらラティハンは「浄化のプロセス」でもあり、そうして「意識が覚醒する道」でもあります。

そうでありますからラティハンは従来の言い方では「行」とか「瞑想」とかいわれるもの、そこに分類されても少しもおかしくはないのでありました。

しかしながらイスラムには「瞑想」という概念がありません。

それでバパはラティハンを「礼拝である」というのでした。


ところでバパはズィクルを行っていました。

そうしてズィクル(dhikr)というのはスーフィ達が行う瞑想の事でもあります。<--リンク

しかしながらイスラムではそれを「礼拝である」と言い、バパもそのように言うのでした。


さてそれではズィクル(dhikr)というのは礼拝でしょうか、それとも瞑想ですか?

同様にラティハンと言うのは礼拝ですか、それとも瞑想ですか?

その答えはズィクル(dhikr)と同様に「ラティハンは礼拝でもあり、また瞑想でもある」というのが妥当なところでしょうか。

「いやそれではバパのコトバに反する」というのであれば「ラティハンはラティハンである」と言うのが公平というものでありましょう。

PS
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