ラティハン日記

ラティハンと人生の散歩道

無くて七癖

2012-08-31 | 日記
人間、無くて七癖とはよく言われることです。

どんな人でも少なくとも七つの癖があると。

良い癖もあまりよくない癖もあります。

こういうものは長年の習慣になっていて、無自覚に、自動的に出てしまいます。

もはや自分の一部になっているといってもいいくらいですね。

それで、そんなふうに凝り固まった習慣にさえラティハンの浄化作用というのは
浸透していく様です。


「いいえ、これは私のお気に入り。」といって手放さないことも可能です。

ラティハンで浄化するよりも自分の癖の方が大切だということですね。

でもそれは「ラティハンで浄化して日常生活で元に戻す」ということになります。


ブレーキを踏みながらアクセルを吹かす。

進むことは進みますが、進歩が遅いですね。

本人にはそんな自覚がなくて、単に習慣的に繰り返していることかもしれませんが、
事実上はそういうことになってしまいます。

それで、もしすみやかな浄化を望むのであれば日常生活にも注意が必要になって
くるという訳です。


60・NCE/1.6



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オープンをお考えのあなたに。・

2012-08-24 | 日記
バパに言わせれば「ラティハンは人類に与えられたもの。」

ですからすでにあなたはラティハンを受ける資格は十分にお持ちなのです。


そうはいってももうバパはいませんし、いや、たとえおられたとしてもあなたをオープン
する為に簡単に日本に来られる訳がありません。

それで、仕方がないのである程度ラティハンの経験を積んだ、まああなたからすれば
先輩にあたる人になりますが、オープンに立ち会う役割を与えられました。

こうしてオープンの時に立ち会う人たちが生まれて、オープンの前の説明やら何やら
いろいろと世話をしている訳ですね。


真面目な気持ちで道を探しておられるならそれを伝えればよいでしょう。

このブログを読んで「面白そうだから。」と思って「ちょっとやってみようかな。」でも
別にかまわないと思います。

でも、目の前の先輩にはそうはいってはいけませんよ。

少しおさえ目に「精神世界に興味がありますので、ラティハンを受けたいと思います。」
ぐらいにしておきましょう。

あるいは「ラティハンが自分に合いそうな気がしたので。」とかなんとか。


オープンの時はこちらは別に何もしなくていいのですが、始める前に難しい宣誓文を
読むことを要求されるかもしれません。

こなれてない日本語で、おまけに普通の生活をしている日本人にはなじみのない文章が
並んでいます。

ストンと腹におさまる方はそれでいいのですが、どうにも「腹に落ちない方」は
「オープンの為だから」といって無理して読む必要はありませんよ。

前もって先輩とよく相談して「読める文章」にしておくか、あるいはかわりに読んで
もらうか、まあいろいろと方法はあると思います。

早めにオープンの手順を確認しておかれるとよいでしょう。

オープンは平静な、からっぽの心で受けるのが望ましいのに、宣誓文のおかげで
心の中に引っかかりを作ってしまっては意味がありませんからね。


「ラティハンは人類に与えられたもの」というのがバパが受けたことです。

普通の生活をされている方が扉をたたいた時に「とびらを開けない」ということは
けしてありません。

そんなことをしたら後でバパから大目玉ですからご安心ください。

さあ、よいオープンになりますように。

PS
関連ページリンクです。

ラティハンを始めるのに。<--リンク

PS
現状は残念ではありますが、オープンの前に決められた(と主張する人たちが多い)宣誓文を読むように要求される可能性が大きいのであります。

しかしながら、それを読まなくともオープンは受けることが可能な手順が決められております。

ですので、「読んでください。」と言われたときに、「読めませんが、オープンは希望します。」と答えれば良いかと思われます。

以下、関連するページのリンクです。

・バパの世界観

・唯一神への信仰

PS
ラティハンの道というのは「こうでなくてはならない」というように決められたことは無いのです。

そのみちは「こうであってもよいし、そうでなくてもよい」のです。

それはつまり「あなたはあなたのままでよい」ということなのであります。

宗教的な人は、宗教に従っている人は其のままで良いし、そうでない人はそうでないままでいいのです。


そうやってラティハンを続けることで「こちらがあなたの本来の道ですよ」とあなたのラティハンが言うようになる。<--リンク

今度はそこにあるのは「良い悪い」ではなく「あなたの選択が問われる状況」ということになるのです。

さてそれでその時に、「その声を受け入れる」というのも、あるいは又「受け入れない」というのも「あなたの選択」、そうしてまた当然ながら「その結果についてはあなたの責任」ということになるのであります。

それはちょうど「皆の前で宣誓する」という「外側で行われる宣誓」ではなく、「あなたが自分の内面で自分自身に宣誓する」かの様であります。


PS
文字サイズはページ右上で変更できます。

ラティハン日記 目次 にはこちらから入れます。<--リンク

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こちらまでお願いします。
<--リンク

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ラティハンの存在

2012-08-17 | 日記
ラティハンが最初にありました。

あるとき地球上にバパがうまれました。

バパが地球上で最初にラティハンを受けた人になりました。

今、地球上で多くの人がラティハンを受けていますが、全てはバパから始まりました。


誤解をおそれずにざっと状況を述べるならばこういう事になります。

バパによれば、バパ以前にもラティハンを受けた人がいましたが、それはその人に
のみとどまって、決して我々のような一般庶民に広がるようなことはありませんでした。


時代の要請だとバパは言っています。

ますます人々がこの3次元の物質世界の富に目がくらみ、それのみを追い求める
事が加速してきているこの時代にこそラティハンを受けるべきだと。


自給自足で外の社会とは切り離された状態でも生活できる人はいいですね。

世の中の圧力からは分離されていますから。

そうはいってもきっと国税庁は見逃してくれないでしょうけれども。

してみると生きている間はどうあがいても世の中から完全に分離するのは無理の様です。


さて、ラティハンはどうやってこんなすごい世の中の圧力を無力化するのでしょうか?

それはさっぱり分かりません。

説明しろと言われても無理ですね。

ラティハンと欲望が共存できない状況というものは、ご自分で試していただくのが
一番の様です。

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レビューポイント

2012-08-11 | 日記
地球上で暮らす全ての人にラティハンという贈り物を届ける為に、、、。


20・唯一神への信仰

19・間違いを正すのは誰でしょう?

18・名目成長率

17・我に従え

16・トーク聖典化計画デスカ?

15・トークと宗教

14・ロホ(roh)とナフス(nafsu)の物語(その1、事の始まり)

13・ロホとナフスの物語(その3、7つのロホ)

12・エンタプライズ論

11・アンワスとアンワルの物語(アダムの子どもたち?)

10・アーカイブ

9・ラティハンの説明

8・受け入れられない話

7・ラティハンの広がり(検証結果)

6・誤解されたら訂正が必要です。

5・2代目のお仕事

4・金貨50枚

3・二代目の体験談

2・「万人に開かれる」ということ

1・月をさす指


・ラティハン日記 目次に戻る。<--リンク



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ラティハンの浄化方法

2012-08-10 | 日記
ラティハンはその動きの中で浄化が行われる。

静かにしていく方法とはまるで逆。


集団ラティハンのうるさいこと。

説明なしに集団ラティハンに立ち会ったらきっとビックリするでしょう。

「これはいったいどうゆう手合いの浄化方法なんだ。」とね。

「こんなにうるさくては静かになどなれない。」

「ましてや浄化など起こるはずがない」とね。


いえいえ、洗濯機というのはうるさいものです。

あっちの汚れをゴシゴシ、こっちの汚れをギューッとね。

そうやって汚れを落としていくのですね。


そしてその結果、ラティハンが終わった後は心は静かなものです。

ラティハンの前にあんなに固執していたグルグルまわりの妄想も止まっています。

さてそうなると本当によく眠れます。

でもそれはラティハンのおまけですね。


ラティハンのステップはまずは浄化。

でもそこで止まる訳ではありません。

浄化の次があります。

内部の成長ですね。

本当の個性が成長し始める。


さて、そうではありましょうが、まずは浄化です。

あっちをゴシゴシ、こっちをギューッとやらなくてはいけません。

いそがずあせらず、ゴシゴシ、ギューッとね。


57・CSP/6.29
59・MUC/12.6




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感情の広がり

2012-08-03 | 日記
人間と言うものは感情が許す範囲内でしか理性的になれない様です。

理性的といってみても結局は感情の大きさが関係するということでしょうか。


心理学でいう自己防衛のための「合理化」反応。

全てを自分の都合のよいように認識するということですね。

心の平安や整合性を保つためには通常こうしないと我々はやっていけません。


但し残念な事に「自分に都合よく」の部分ですが、本当に自分の利益になっているか
どうかはあやしいところがありますね。

どういうことかといいますと、ここでいう「自分」とは単にそれまで人生をすごしてきた
経験の寄せ集めであったりします。

あるいはその時々の思い込みやらが合わさって、いつのまにやら確かな存在感を
伴った「自分」になっているようです。


そしてこの見かけ上は存在感のある「自分」をあまり信用しすぎると
ろくな事はありません。

過去の経験のみで毎日新しくなる周りの状況に対応することになるからです。

それでときどきは「自分にリセットをかける」必要がでてきます。


このリセットの方法のひとつがラティハン。

ゼロベース、生まれた時の状態にもどっての再スタートですね。

さあ、そうすると今まで当然と思っていたものがそうでもなくなり、固執していたものが
少しばかりばかばかしくなったりします。

これは言葉をかえると「感情がひろがった」ということにもなりそうですね。

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