そうして多くの発見、発明に物質力は関与してきました。
そうやって作りあげてきたのが生命科学、医療技術を含む現在の科学技術文明です。
もう一つの物質力の関与の大きなものは、経済の発展に現れています。
そして経済発展の象徴的な存在はマネーです。
お金が存在するようになって、人々はより一層の経済発展を望み、それを推し進めてきました。
その意味で、マネーは物質力のかたまりのような存在であります。
通常、「生命力の最下位にあるのが物質力である」という説明を聞くと、「いや、私はもうそのレベルは卒業したから、、、。」と思い込みがちです。
しかしながら、お金の価値がわかる小学生以上の年齢のほとんどの人はお金が大好きです。
これは生活していく上でお金が必ず必要となるような社会に暮らしていることの必然の結果でしょう。
そうして我々の暮らす社会では、お金はそれを持つ事によって何でも好きなものが手に入る、万能のマジックパワーを持つものとされています。
それらはまた、お札と呼ぶその紙切れに価値を見出すことができる物質力を人間が所有している、と言う事から始まる話でもあります。
(当然のことながら、お金を必要としない暮らしをしている方々にはこの話は関係のない話です。
そしてそのような方たちはお金から離れている、、、というだけであって、物質力をコントロール出来ている訳ではありません。)
こうして「お金大好き」の我々はコトバを変えますれば「物質力大好き」なのであります。
この事は事実であり、否定のしようがありません。
バパが「人間は物質力を好む」といったのは明らかにこの事も含めてのことでありましょう。
さてこのお金、正体は紙に風景やら人物やらが細密画され、それと並んで数字が印刷されている、印刷物にすぎません。
そして、この代物が大事なもの、価値があるものと教えてくれるのが人の頭脳と相互作用できる物質力であります。
ちなみに動物の中でこの印刷物の価値が分かるのはヤギさんぐらいなものでしょう。
でもそれは少々ごわごわした舌触りの良くない、あまり上等でない食べ物としての認識であります。<--リンク
人間の場合は、この印刷物の後ろにあるものが理解できます。
そうして、これを所有することが好きになります。
ほとんどのものは、この所有物と交換して手に入れる事が可能であるからですね。
ここで問題が2つ発生します。
一つ目は「我々がお金を好きなのは良いが、果たして我々はお金に好かれているのか?」ということです。
「いやいやお金は生き物ではないのだから、そこには好きとか嫌いとかは無い」と言われるようですと、「私はお金に好かれてはいない」、「私はお金のことを理解していない」、と認めている様なものであります。
二つ目は「好きなのはいいのですが、それにおぼれてはいませんか?」、「お金に人生をしばられていませんか?」ということです。
バパが言う理想的なあり方、それは「我々はお金を好み、そうしてお金も我々を好む。しかしながらその主人は我々である。」というものであります。
そうであって初めて「私は物質力のレベルを卒業した。」といえるのでしょう。
そのような状態になる為のラティハンであります。
そうして、そのようになる為に我々は教育を受け、社会的に訓練され努力しなくてはなりません。
生まれながらにしてそのような状態の人はいないのであります。
その様な社会的努力がなければ希望するような状態には到達しないでありましょう。
このラティハンと言う贈り物は、勤勉に働く人のためのものであり、けっして宝くじが当たる事を夢みて暮らしている人の為のものでない事は明らかなことであります。
結局のところ、いくらラティハンをしても空中からお札が降ってくる事は無いのでありますれば。
お金は通常の方法で手に入れ、そうして上手に使うべきものなのであります。
PS
お金の話はその前提となっている社会の存在とは切り離せませんし、そうしてまた各個人の仕事(いずれかの組織に所属するにせよ、個人事業主になるにせよ)とも切り離すことはできません。
そうであればまたこの二つのテーマも物質力と関係をもつものなのであります。
そうして、人生のある時期はこの2つのものが、仕事とお金というものが主要なテーマとなり、避けて通ることはできません。
このようにしてバパが言うように我々の生活は物質力とは切り離すことはできず、したがって物質力とどのような関係を作りあげるのか、仕事とお金についてどのような理解を持ち、どのような態度で臨んでいくのかはとても大事な事になるのでした。
PS
「仕事とお金の話などラティハンとは関係ないだろう?」ですって。
いえいえ、4つの諸力が働いて宇宙が存在し我々が存在しそうして社会がありお金が存在しています。
従ってこれらのものはすべて4つの諸力と何らかの関係を持っているのであります。
そうして、ラティハンこそは我々のありようと4つの諸力の関係を正常にもどしてくれるものなのでありますれば。
仕事とお金についての理解というものも、ラティハンから生じても何の不思議もないのであります。
追伸
自分の進むべき方向とかつくべき職業とか、あるいは天職とかいう考え方に対してのバパの一応の回答がここにあります。<--リンク
ご参考までにどうぞご一読を。
PS
企業をおこすこと、エンタプライズとも言いますが、この活動も物質力とは密接な関係にある事は言うまでもありません。
そういう訳で、このページもご参考までに。<--リンク
PS
お金に関係した、少々古い話を一つ。
『出エジプト記』によると、モーセがシナイ山において神から十戒の石版を授与されるまでには40日の期間を要したとされているのだが、麓に残されたイスラエルの民は時間の経過と共に忍耐力を失い、ついには、モーセは死んだと思うようになった。
不安になった民はアロンのもとに相談に出向き、苦肉の策として民族を導いてくれる新しい神の制作を懇願する。
アロンはそれに応じ、全民衆から貴金属の提出を命じる。
こうして鋳造の金の子牛が完成したのである。<--リンク
・・・・・
それを知った神はモーセに山を降りるように言い、怒り狂ったモーセによって金の子牛は破壊され火にくべられた、、、と続きます。
こうして人々は紀元前の昔から「目に見える具体的な形をしたものを礼拝すること」が好みなのでありました。
さてこの「金の子牛」はその時代ごとに姿、形をかえながら現代にまで至っております。
その見事な例がマネーでありましょう。
それぞれの国ごとに独自のマネーを作り出し、人々はそれを好み、そのありさまはまるでマネーを礼拝しているかの様であります。
追伸
以下、ご参考。
・人間とお金の歴史<--リンク
PS
物質力が人間に与える影響について記述したもう一つの記事はこちらです。<--リンク
追記
上記に展開した様な「お金についての認識」に至った方を知ってはいますが、その方はあくまで「知的に理解していた」と言う事でありました。
なぜならばその方の実際の生活の仕方は上記に述べられているような「お金に好まれる」と言うようなものではなかったからであります。
そういう訳で「知的な理解」はそれが無いよりはましではありますが、そのような理解があったからといってそれだけで「お金に困らない状態に至る」ということはないのでありました。
以上、蛇足ではありますが、誤解のない様に付けくわえさせていただきます。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
連載「スシラ ブディ ダルマ」にはこちらから入れます。<--リンク
PS
文字サイズはページ右上で変更できます。
ラティハン日記 目次 にはこちらから入れます。<--リンク
記事内容についてのコメント、ご感想などは
記事テーマを添えてこちらまでお願いします。<--リンク