ラティハン日記

ラティハンと人生の散歩道

スシラ ブディ ダルマ・7章の1 人の世界から物の世界に落ち込む事//

2018-07-24 | 日記
第3章 キナンティ 19節~20節、39節~51節(物質力の章:一部要約あり)
『19、あなたが自分にとっての正しい仕事をすることで、自動的にあなたの神への礼拝、これは人間としてのあなたの内部自我Diri Pribadiが要求している事ではあるが、それが減ずるということは無くなるであろう。
まことにこれは最善の道である。
なぜならその時人は世的な目的の為に働くことのみならず、神への礼拝もまた捨てられなくなるからである。

20、ここに述べた事を行う事により、あなたはこの世での生活のみならず、死後においても真の平和と幸福とを味わうであろう。
・・・・・
39、物質的関心が実際に大きな利益を生み出すとなれば、なおさらのことである。
さらに大きな利益を求めて、彼らは身を粉にしてでも働くであろう。

40、すること、なすこと全てがもうけを生むという喜びの為に、財産に対する愛は彼らの中で際限なく深まってゆき、ついには家族や親しい友人を愛する以上に財産を愛するに至る。
・・・・・
42、とりわけそれが当てはまるのは、常に成功し、何をやっても儲かる人たちである。
もしも彼らが自分の内部自我Diri Pribadiを顧みないと、物の世界の深淵に落ち込むであろう。(注:後述 第5章 メガトルフ 29節~45節 参照)
・・・・・
44、物体の内部にある力の作用というものは、このようなものである。
これらの物質力は人をしてもはや死後の生活、死後も続く事になる人間の存在様式を信じさせなくなる程に強い影響を与える。
だからそのことに気が付いていなさい。
(注:リンカネーションをみとめるバパでありますから、死後も続くことになる人間の存在は大前提となります。)

45、別の言い方では、注意していないと物質力の作用によって(この世で生活している間に)、その人の性格が変化してしまうということである。
そのようなってしまうと、自分のジワJiwaの事を認識する事が一段と難しくなってしまう。
・・・・・
48、そのようになってしまうと(この世で生活している時にすでに)人間というレベルから物質というレベルにまでその存在レベルが落ちてしまう事になる。
そうなった人は、(財産を持っていない、というだけで)豊かでない人達を物同然に扱う様になる。
・・・・・
51、しかしながら、ある人達が、物質力を理解していない、統御していない、という事で貧しい生活をしいられているとしたならば、それもまた間違いである。
そのような人たちはこの世の生活でも不幸であり、そうしてまた死後の生活でも不幸である。
(注:だからラティハンをやって自分の運命、天命をしり、人間としての生活が出来るようにしなさい、とバパいうのです。)』


第5章 メガトルフ 25節~28節、物質力の章:仕事に取りつかれる事(雇主に雇われて働く人の例)
『25、そして雇い主に目をかけられている為に、自分が働いている部署では権力者になった様に感じ、同僚に対して横柄にふるまう者も出てくる。

26、こうした状況の中で、彼はいとも簡単に仕事にのめりこみ、ハート(Hati)や頭脳はもはや真の自己をかえりみる時間的余裕も与えられない。(注1

27、昼夜、彼等は自分の仕事のこと以外は考えない。
そしてついには彼らの内部生命(inner life)も同様に影響を受けて、仕事以外の事は何も意識しなくなるのである。

28、それゆえ、外面的にも内面的にも自分の仕事に専念するのだが、その結果、人生の最後になって死を迎えた時に、彼らが引き寄せられるのはその方向に向かってである。
(注:つまり地球上の特定の場所に引き寄せられる。
つまり、生前に彼がこだわりを持って意識していた、常に考えていた場所に引きつけられる、ということです。
そして、それを通常は地縛霊と言います。
あるいは浮遊霊という場合もあります。
そしてバパの言い方ではそれは「物質力の世界に引きこまれたジワJiwa」という事になります。)』


第5章 メガトルフ 29節~45節、物質力の章:物の世界の深淵に落ち込むこと
物には物質力という一番低いレベルではありますが、生命力を認めるのがバパの世界観になります。
そうして、そのような物質力レベルのジワJiwaが集い、生活している世界としてスシラ ブディ ダルマでは以下の様な「物の世界」を記述しています。
しかしながらそのような世界を我々は通常は認識できません。
そうしてスシラ ブディ ダルマからその記述部分を引用してもただ単に我々は空想を刺激されるだけです。
くわえて、そのような世界の事を認識できなくてもラティハンを続けていく上では何の支障もない様です。
それで以下、その部分の記述は概要のみにとどめて、興味のある読者には原典にあたっていただく事にしたいと思います。

以下、第5章 メガトルフ 29節~45節の要約
『29、・・・物の世界の有様は我々の世界の様であり・・・

30、・・・この現世での我々の生活から見れば、そのような物質というものには生命がある様にはみえない。
それは我々が自分たちの生活の為に加工し便利な道具として使用する物としかみえない。・・・

31~32、・・・物のレベルで神との関連をもつ、それを礼拝といってもいいかもしれない・・・

33、このような訳で物は自分の地位を自分と比べてより高い段階である人間のレベルに引き上げてもらおうとして、人の思考に結び付く事を切望している。
(注:このような訳で人は自然を理解でき、それを自分たちの生活に役立てる事が可能となっている、というのがバパの主張です。)

34~35、37・・・このようにして物は人の世界に入り込み、人が生きている間、その人の望みに従い続ける。

36、それが物に定められた生き方である。
人はそのことを理解し、物質力の影響を理解し、それを統御できるようになる必要がある。

38~43、しかし実際には反対の事が起こっている。
つまり人間が物に仕えるのである。
そのために物の段階を引き上げるのではなく、人間が(死後に)物の世界に沈み込んでしまう。

39~42、死後、物の世界に落ち込んだ人はこの世にいた時に持っていた人としての記憶と感覚(Rasa)をもはや維持できない。
そして、物の世界を「当然の事」として受け入れる。

(このような状態は人の本来あるべき死後の生活の状態ではない。
しかし人間自身の行動の間違いによって物の世界に落ち込むならば、そうなってしまう、というバパの主張、警告であります。
そうして、そうであるとすればこの世の生活というのは人間にとっては本当にテストになっている、自分のレベルを改善し向上させるも、低次の諸力の欲望のままに降下させるもその人次第である、という事になります。)

44、(それまでその人に仕えてきた)物にとってみれば、この事(人を物の世界に連れ込む事)は正当な代償に見える。
なぜならば、これらの人々は(彼らが使っていた物に対して)借りがあるからである。・・・

45、しかしながら、その人にとって見ればそのような状況というものは、単に「悪い」というもの以上の事である。
それは人間にとっては「大いなる過ち」である。
人間は物に対して秩序を与えることが出来る存在であるのに、その事に完全に失敗しているからである。』

注1:ハート(Hati)や頭脳
ハートやマインド、あるいは感情心と思考心の様に訳される事もあります。
それで、現代の我々の考え方では「感情も思考も頭脳が作り出すもの」という様に理解しています。
ですから、この部分の訳は我々からすれば、
「ハート(Hati)や頭脳はもはや真の自己をかえりみる時間的余裕も与えられない。」というのは単に
「頭脳はもはや真の自己をかえりみる時間的余裕も与えられない。」とすればよい事になります。
しかしながら、バパの時代では「感情、想像、白日夢を抱く場所というものは肝臓(Hati)である」とされていました。
従って「心、感情、ハートと思考心が具体的に生み出される所」としては「頭脳」というだけでは足らず、「Hati(肝臓)と頭脳」と言わなくてはならなかったのです。
(Hatiについての、このような理解は、1959年5月3日のトークの注釈からの引用となります。)

PS
物の世界に落ち込んだジワJiwaのその後の運命、成り行きに関してはスシラ ブディ ダルマの中では何も記述されていません。

但し、関連する記事(63BCL7.8(ブライアクリフ))地球に定められし時にはこちらから入れます。<--リンク


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スシラ ブディ ダルマ・6章の2 結婚とカルマの受け渡し/

2018-07-10 | 日記
7章 ダンダングラ 46節~50節から引用。
『46、人間の全身が動物力で満たされ、翻弄されると、そのようになる。
本来は美しく傷一つない肉体も、実際は動物力やその他の(低次の)諸力の単なる道具に完全になり下がってしまう。

47、この影響を被るのは彼自身の自我(Pribadi)だけではない。
というのは、子孫もまたその影響から逃れられないからである。
その結果その人の生活とその子孫にまで本当に大きな害を与えるのである。(注1

48、現実はこのようであるが、我々人間の多くは依然として、自分の内部自我(Diri Pribadi)についての真実を理解したいとか、意識したいとは思わない。
その結果、多くの男女がハート(Hati)に喜びを与える事柄だけを基準にして結婚している。(注2

49、それゆえ、本当に望ましくない多くの事が起こる。(注2
すなわち、多くの人が人間としての地位(Jasmaniレベル)にふさわしくない行動をするようになる。
つまり、真の人間的な性質を欠いてしまうのである。(注2
従ってこのような人々は、人間としての地位を維持するための完全な基盤であり、またその中心となる人間としてのジワ(Jasmani レベルのJiwa)を全く失っていると言える。

50、その結果、このような人々の中に人間の内的な本質すなわちクジワアン(kejiwaan)を研究する事に関心を持ち理解したいと望む者がいたとしても、その進歩はきわめて遅々たるものとなるであろう。』

8章 キナンティ 1節~6節から引用
『1、これが自分の内部自我(Diri Pribadi)を理解し、それに対する洞察力を得ようという気持ちがないものが被る結果である。
従って、自分の妻と交わりを持つ時に、その意義に気がつくことができない。(注3
言いかえれば、彼はただ欲望にうながされて妻と交わりを持つのである。

2、当然、その子供たちもこのような過ちの影響から逃れることはできない。(注4
親と同じ過ちを子供はおのずと繰り返す。

3、このような過ちが子々孫々果てしなく受け継がれてきている。(注5
それゆえ、このような間違った行為についてもうこれ以上論じない方が良かろう。
なぜなら、親を責めても仕方がないからである。

4、このような過ちがあなた方よりは先に続かない様にすれば、それで充分である。(注6
そのときあなた方は、これらすべての過ちを正し始める為に自分を準備することができる。
そうすれば将来、望んでもいない力(注:物質力、植物力、動物力)の圧迫から逃れる事ができる。

5、この点で、あなた方の身体は外側の特徴(注:人間という外観上の姿)に合う様に出来る限りうまく修理、改築し始めた家の様なものである。
それはあなた方がやがては人間としての真の地位(Jasmaniレベル)に本当に気がつくようになる為である。

6、こうすることによって、新たな障害にぶつからないかぎり(注:余計な寄り道をしない限り)あなた方は外的(身体的)にも内的(精神的:霊的)にも健康になっていくであろう。』

9章 シノム 24節、25節
『24、これが貪りのナフス(nafsu aluamahナフス アルアマ)にただ身を任せてきた人の誤った行動の結果である。
それゆえ、そのような習性をさけ、動物力があなたの感情を支配し、あなたの進歩の妨げとならないように努めるのが最善である。

25、それに失敗すると、あなたは将来道を見失うばかりか、現在においても動物力の影響をうけ、さらにあなたの子孫のジワJiwaの質を引き下げてしまいかねない。(注1)』

注1  カルマの遺伝について
ダンダングラ 46節、47節とシノム 25節、26節の主張はほぼ同じ内容になっています。
いずれも動物力の衝動に盲目的に従って行動した結果についての警告になっています。
さて当面バパの主張に沿って、生まれてくる子供のジワのレベルについてはその子供の責任を不問とした場合の事になりますが、そうしますと両親の行動によって劣化してしまった内部感覚(Rasa Diri)の状況がそのまま子供に引き継がれる事によってカルマ(内部感覚に蓄積した間違い全て)が子供に引き渡される事になります。
こうして親のカルマが子供に引き継がれ、親の犯した過ちと同様の行動を子供がとる、という事になります。

以上の両親からのカルマの引き継ぎについては「バパの”人間の種( human seed:biji manusia)と誕生論”」で考察しました。<--リンク
以下、要点を引用しておきます。
『・・・・・
さて「人間の種子」が完成する、というのはどういう事でしょうか?
その人の魂(Jiwa)は夫と妻の合一の時に「完成した人間の種子に宿るもの」と説明されています。(8月22日1959 バパ)
ですので魂(Jiwa)以外で両親から子供に引き継がれるものは、魂が宿る前に「人間の種子」の内容になっている事が必要です。

まずは先祖から伝わる代々のカルマ(Karma)が父親と母親から子供に引き継がれます。
これは両親の内部感覚の中に存在する誤りを合わせたものになります。
(これは「両親の内部感覚を平均した状況の内部感覚が子供に引き継がれる」ということと同じです。
こうして子供には先祖代々の誤り、カルマ(Karma)が引き継がれてゆく事になります。)

次に物質力から人間力にいたる基本的な4つの諸力が父親と母親から引き渡されます。
二人の諸力の特徴に差がある時はその平均的な所が子供に渡されることになります。
そうしてこの4つの諸力によって子供の中に人生を渡ってゆくのに必要となる4つのナフスnafsuが生まれることになります。
・・・・・』

注2
『その結果、多くの男女がハート(Hati)に喜びを与える事柄だけを基準にして結婚している。
49、それゆえ、本当に望ましくない多くの事が起こる。
すなわち、多くの人が人間としての地位(Jasmaniレベル)にふさわしくない行動をするようになる。
つまり、真の人間的な性質を欠いてしまうのである。』

上記の文章は結局
①多くの男女がハート(Hati)に喜びを与える事柄だけを基準にして結婚している。
ので
②真の人間的な性質を欠いてしまうのである。
と主張している事になります。

しかし①と②の間に直接の因果関係はない様に思われます。
もっというならば、基本的にはジャスマニレベルの男女が結婚する以外に子供がジャスマニである可能性はないのです。
そうすると、結婚する当事者同士のジワJiwaのレベルが問題なのであって、①が問題なのではないことになります。

但し、この忠告はすでにジャスマニレベルに到達している当事者については非常に重要になります。
(一般的には当事者がジャスマニレベルに到達しているのかどうか、という事は不明な事ではありますが、何らかの事情でそうである事が分かった、としましょう。)
そのような当事者は結婚相手がまずはジャスマニレベルにある、と言う事が希望すべき第一条件となります。
この場合には①のような基準で結婚相手を決めるのはお勧めできず、バパの忠告が有効になります。

しかしながら現状はそのような理想的な結婚はほとんど起こらない、というのがバパの見立てでもあります。
第11章 アスマランダーナ 34節
『・・・しかし実際には、きわめて多くの人々が、外見は人間であっても、内部にジャスマニ、つまり人間力をまだ持っていない。・・・』
つまり仮に運良く当事者がジャスマニレベルにあったとしても、その結婚相手を探し出す、というのはこれまた至難の業になる、というのが今の状況の様です。

(ところで上記の様に、ある人がどのレベルにあるのか、というのは外見からは分かりません。
そして、相当長くおつきあいすればある程度は見えてくるでしょうが、通常はそれほど長い時間をかける事はできません。
そうして、それゆえにインドではカースト制を、目に見える階級が魂のレベルを示すと決めたのであります。
しかしながら、バラモンの職にあるものが本当に高貴な魂をもっているのかどうかは定かではない、というのが現実の様に思われます。)
ーー>以下(注7)に続く。

ちなみにそれゆえにバパは「協会内部に結婚相談所を開設する事」を提案されたと思われます。
しかしながら、そのアイデアは実現には至らなかった模様です。

注3
『従って、自分の妻と交わりを持つ時に、その意義に気がつくことができない。
言いかえれば、彼はただ欲望にうながされて妻と交わりを持つのである。』
さて、そうではないような仕方での性的合一については「バパの結婚と礼拝の論」で語っておりますので、そちらをご確認ねがいます。<--リンク

しかしながら、そのような「性的合一が礼拝にまで高められる」為には、まずもって男女のお互いの性器官がラティハンによって浄化されなくてはならない、と言うのが結論になります。
そうして、そのような状況になる為には、その男女はすでにジャスマニレベルに到達している必要がある、という事になるのです。

注4
『2、当然、その子供たちもこのような過ちの影響から逃れることはできない。
親と同じ過ちを子供はおのずと繰り返す。』
さて、ジャスマニに到達していない両親から生まれた子供は、残念ながらジャスマニレベルになっていません。
そうであれば、両親が行ってきたような「性的合一の仕方」以外にそれらの子供達が行える方法はありません。

バパは「礼拝に至っていない性的合一は誤りだ」としてそれを「過ち」といいます。
バパの観点からすればそうなのでありましょうが、しかしながらそれは今の人類にとっては相当にハードルが高い様に思われます。

注5
『3、このような過ちが子々孫々果てしなく受け継がれてきている。』
バパによればこれが人類が抱えているカルマのそもそもの元凶となります。

注6
『4、このような過ちがあなた方よりは先に続かない様にすれば、それで充分である。』
あなた方はラティハンによってまずはジャスマニレベルに到達しなさい。
そうして、それから礼拝にまで高められた性的合一によって子供を持ちなさい、というバパの無理難題であります。

さて、1952年に受けられた「スシラ ブディ ダルマ」ではバパはそのように言いましたが、なかなか現実はそうはいかない様でした。
それで32年後の1984年には、「せめてこうしなさい」という、以下の様な忠告をトークでしておられます。

April4月21日, 1984 - Bapak
『・・・・・
それはアラジンAladdinの(魔法の)ランプの物語のようなものです - ランプをこする人は悪魔の住居に吸い込まれます。
なぜ?
人間自身の間違いのために。

なぜこれはすべて起こるのですか?
思考、感情心、思考心を間違った方法で使っているからです。
これが、バパがあなたにある事を伝えたい理由です。
バパが最近ジャカルタ外のメンバーに言ったことですが、ここ(チランダ)でも繰り返す価値があります。
少なくとも、他の人を傷つけたり傷つける心や意欲を持たないでください。
復讐感や憎しみをはるかに少ないように。
これは絶対に許可されていません。

神聖なコーランの詩では、それは言われています。
イスラムの人は、別のイスラム教徒に対して嫌悪感や復讐感を感じてはいけません。
恨みの気持ち、恨みの抱きしめ、復讐の意志は、その気持ちを持っている人が、復讐する人、場所、物に、つまり、彼が憤慨しているまさにそのような人へと肉体化(incarnated)されることを意味します。
これが現実です。

あなたが男であり、あなたが結婚していて、あなたの妻が妊娠して子供を孕んでいる場合、あなたが誰かを憎むようになったら、あなたに生まれる子供は、あなたが嫌う人のようになります。
はい。あなたが軽蔑する人が知的で親切で美しいものであっても、(あなたが持つ子供は)知的ではなく、親切ではなく、善良でもありません。

そのように登録されます。
そしてこれ(間違い)はすべて人間自身が作り上げたものです。
・・・・・』
そうして、以上の様な忠告は「スシラ ブディ ダルマ・6章の1 カルマについて」で取り上げたジャワの伝統のなかにある、「人は努力をすることによって、良い子孫を得る事ができる」というものと同等のレベルのものに見えます。
この詳細については「それはGumelaring Jagad(宇宙の重層性)です」の第44節を参照願います。<--リンク

注7(注2からの継続)
ジャスマニレベルの人が何故そんなに少なくなるのか、ということの計算に基づく数学的な考察ですが、長くなりますのでページを改めて記述する事にします。<--リンク
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
PS
以上の内容に関連したカルマKarmaについての記事にはこちらからも入れます。<--リンク

そこには自分を中心に前後7代にわたっての霊的なつながり、リンクの事も述べられています。
そうして、そのような霊的なリンクについてはスシラ ブディ ダルマの中でも一部は言及されています。

8章 キナンティ 6節~9節から引用(前述キナンティ章の続き)
『6、こうすることによって、新たな障害にぶつからないかぎり(注:余計な寄り道をしない限り)あなた方は外的(身体的)にも内的(精神的:霊的)にも健康になっていくであろう。

7、あなたがそのようであれば、たとえ親の過ちを正そうという気持ちがあなたに全然なくても、親の内面の本質も(親の生死にかかわらず)おのずから影響を受けるであろう。

8、別の言い方をすれば、親が望むと望まないとにかかわらず、あなたが進歩すれば間違いなく、あなたの両親も恩恵を受ける。
つまり、期せずして彼らの状態も良くなるのである。

9、従って子供が両親を高い段階に引き上げる事が出来る、と言う事は本当の事である。
そうなれば親が子供の真の自我(Diri Pribadi)の成長を妨げることはもはやなくなる。』

ここの部分のスシラ ブディ ダルマの記述は「子供が出家した事による孝徳が親に伝わる」という仏教の話と通じるものがあります。


連載「スシラ ブディ ダルマ」にはこちらから入れます。<--リンク

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