ラティハン日記

ラティハンと人生の散歩道

ラティハンの感触

2014-02-19 | 日記
本来は無色透明なものとして現れたはずのラティハン。

浄化を引き起こす力として現れました。

でも最初に受けた人は特定の宗教の熱心な信者さん。

そうなるとどうしても無色透明なものに色がついてしまいます。


いや、ラティハンには色はつきません。

でも説明やら解釈やら世界観には色がつきますね。

そうしてその色になじめない人はラティハンを受けることができなくなります。


無限の存在に対してさえ名前を付けたがるのが人間の性(さが)です。

名前というのはあれとこれを区別するためのものですからね。

そうしてそうやって区別を組み立てる事を我々は「思考」と呼んで好んでいます。

おかげで「お前のあれは私のこれより劣る」と。

そういう言い争いができる訳です。


ラティハンはそんなものとは一切関係がありません。

無色透明。

味も匂いもありません。

ですからどなたでも受けることができるのです。


ごたごたを横においてラティハンにすべてをまかせる。

はい、たったこれだけのことなんですけれどもねえ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

iPad(アイパッド)

2014-02-04 | 日記
バパがラティハンを最初に受けたのは1925年でした。

そして7年後の1932年にはバパはブックを受けることになります。

その本には音声で質問ができ、回答は映像と音声、そして時には
テキスト文で答えてくれます。


さて、実際にアップルがiPad(アイパッド)を発売したのが2010年です。

ということは実際に発売される78年前にすでにバパはiPad(アイパッド)を受けていたのですね。


このことはバパが「受けること」についてどれだけ優れていたかを示しています。

そうして同時に、「時代の進歩がついにバパが受けたものに追いついた」ということも示しています。


かつてバパがブックを受けた時には、そんなものは世界中のどこにもありませんでした。

ですから、そのような「すごいもの」はとても神秘的に見えたのです。

そして、そのような神秘的な出来事は「奇跡」として記録されました。


でも、人間の進歩は止まりません。

今ではその気になればだれでもiPad(アイパッド)を使うことができます。

そうしてiPad(アイパッド)はほとんどバパが体験したものと同じ体験を我々に提供します。

でももはや誰もそれを「神秘的だ」とも「奇跡だ」とも言いません。

バパの神秘的な体験とそれを日常的なものにしてしまうiPad(アイパッド)の出現、
こうやって時代はどんどん進んで行ってしまいます。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする