ラティハン日記

ラティハンと人生の散歩道

雑記帳49・テストについてのあれやこれや/

2019-07-21 | 日記
テスト。

ラティハンを修するものはテストにより真実を受ける事が出来る。

間違いをする事はなく、常に正しく行動できる。

まあ当初はそのように考えたものでした。

そうしてそれは全く成立していない様です。

ちなみに「自己利益から離れられないのが人間」でありますから、そのような存在が「自分は絶対に正しい」という錯覚に陥った時にどれほどの厄災を周りに引き起こすか、歴史が示している通りであります。


ラティハンがベースです。

そのラティハンがどれだけナフスから離れてジワによって起こっているのか?

ナフスとジワとの切り分けが出来ているのか?

そう言う事がまずは前提であり、そうしてそのような切り分けが出来ているならば、改めて「テスト」などという行為そのものが不要になるかの様であります。


テスト。

ナフスから回答が出てくる事さえあります。

自己関心、自己願望。

そう言うものがあれば、それに従ったテストにしかなりません。

そうしてそれはもはや「コックリさんレベルのもの」であります。


テスト。

バパは「テストでエンタプライズを運営するな」と言われました。

エンタプライズは世の中の法則と思考力、そうして情熱、そのうえでできれば少しばかりのひらめきが必要でしょうか。

特に複数人で始めるエンタプライズであれば、そこにテストが入り込む余地はないでしょう。


そのような「テスト」でありますが、未だにそれをもって組織運営のかなめとしているのが協会であります。

それはまるで「現代に生きる巫女さん政治」そのものでありましょう。

時代錯誤もはなはだしい、といわねばなりません。


そうして「巫女さん政治」は「誰も責任を問われない政治」でもあります。

単に情勢に流されて漂っているだけ。

そのようであれば、どこにも行きつく事は望めそうにもありません。


PS
「雑記帳・目次」にはこちらから入れます。<--リンク


コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 雑記帳46・19年2月2日... | トップ | 雑記帳26・ラティハンの表現/ »

日記」カテゴリの最新記事