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旧精神科医療は思想警察なのか?

死生観がない日本人は病院に救いを求める

2024年10月08日 | 人生を変える方法

老人になったら、「死を受容できる」のでしょうか?

そんなはずありませんよね。

日本人の多くは無神論者であるため「死」というものが何なのか?明確に説明できません。

大学入試や国家試験なども、過去問があるため、傾向と対策をします。

ある程度、知識や情報を集めて、対策した人が、落ち着いて、入学試験に臨めるものです。

わからない、未知なるものを恐れずに生きられるはずありませんよね?

それは現実逃避しているのと同じです。

「死について」哲学は考えますが、神の存在を無視して語るため、答えが出ません。

哲学や自己啓発に答えはないため、読んでも学んでも「時間の無駄」なのです。

「誰でも高齢者になった死を受容できるのか?」というテーマについて以下、ニュース記事をご紹介します。

・・・・・・・・『「いつお迎えがきてもいい」85歳以上が死を恐れず、自然に受け入れられる能力を備えている納得の理由 2024/8/20(火)』 

https://news.yahoo.co.jp/articles/874303592b588cd8b141e048cefd4fe15895a790

■85歳以上になると「老年的超越」が起きる

 生物学的な観点から、死を受け入れる手立てについてご説明してきましたが、「頭ではわかっても、死は怖いよ」という人も多いでしょう。でも、ご安心ください。ヒトには、なんと死を自然に受け入れるようになる能力まで備わっているようなのです。死にゆく人の往生際をよくして、世代交代をスムーズにしたり、看取る若い世代の負担を軽減したりするため、進化の過程で獲得したシステムかもしれません。

 専門的には「老年的超越」と呼んでいますが、85歳以上の人の多くが、死を恐れなくなると考えられています。皆さんも、超高齢の方が「もう、いつお迎えが来てもいい」とおっしゃるのを聞いたことがあると思いますが、そうした心境の変化が訪れるのです。

 老年的超越の心理状態では、「自分はいいから、ほかの人にあげて」といった具合に、とても利他的になるのも特徴。また、周りへの感謝の気持ちが強くなったり、自己肯定的で後悔をしなくなったり、欲がなくなったりする傾向にあります。「人生を全うした」という人が到達できる境地、「人生のゴール」と言えるのかもしれません。

 もちろん、死は本人にとって、いいことは一つもありません。「死が怖い」という人は、人生に未練や欲があるわけなので、一生懸命に生きる努力を続けるべきでしょう。健康に気をつけながら、自己実現を目指してください。「自殺」も、生物の中でヒトだけの特徴だとよく言われますが、私はそう考えていません。進んで死を選ぶ生物は、原則としているはずがないからです。ヒトの自殺は、鬱などの精神疾患が主たる原因でしょう。動物園でもストレスでエサが食べられなくなり、「餓死」する個体がいるのですが、それと似た病態と言えます。したがって、社会的には、病気の原因を取り除くことも含めて精神疾患を治療し、自殺を防ぐ取り組みをするべきなのです。

 死を恐れながら、全力で人生を生き抜き、晩年には老年的超越の心理状態で、自然や宇宙とのつながりを感じながら最期を迎えるというのが、私が理想と考えるヒトの生と死です。

・・・・・・(転載ここまで)

年齢がこれば「老年的超越」という現象が起こり、死を受容できると筆者は言っています。

>>>>>>【哲学者の屁理屈と実態の解離】

しかし、私は医療現場で働いているので、現実とこのような理論が違っている事が分かります。

入院中の高齢者は、死を受容しているのではなく、無気力になり「うつ病」や「認知症」のようになっていきます。

そして、「別に家に帰りたくない」「家に帰っても何もすることがない」と無気力な人ばかりです。

ですから、この筆者の理論は間違っていると思います。

そして、この発想は飛躍的すぎて、「ある日突然、世界を救うヒーローになった」という漫画やアニメのような理論でしかありません。

 

「死を恐れながら、全力で人生を生き抜き、晩年には老年的超越の心理状態で、自然や宇宙とのつながりを感じながら最期を迎えるというのが、私が理想と考えるヒトの生と死です」

この筆者の理想的な人生の最期を、神という言葉を使わず、「自然」「宇宙とつながる」と誤魔化しています。

「じゃあ、自然や宇宙とどうやって繋がるのですか?」と具体策は書かれていません。

「誰もが奴隷のように会社にこき使われて、生活のためにお金を稼ぐために生きている、奴隷のように生きることも、全力で生きる事なのだろうか?」と疑問が残ります。

「老年的超越」などという言葉は、「単なる絶望と諦めによる無気力」であり、何ら普遍性がなく、実行不能な、東大学者が使う、妄想や屁理屈でしかありませんね。

>>>>>>>>>【高齢者の実態】

私は看護学校で教員をしているため、急性期病棟で80歳、90歳の高齢者を実習受け持ちさせてもらう事が多々あります。

受け持ち患者たちは「人生に絶望し、無気力になった老人ばかり」で、「何かの役にたちたいから、受け持ちを快諾してくれる人」が多くいます。

死を受容している、病や老いを受容しているというよりは、

「人生を考えても分からないため、諦めている」「希望を持てない為、無気力になり、うつ状態になっている老人」ばかりです。

リハビリする、離床する目的も、「退院して元気になって何かしたいから」ではなく「学生が勧めるから」です。

全く主体性がなく、人生を投げているとしか感じられません。

>>>>>【まるで急性期病棟や回復リハ病棟が「姥捨て山状態」】

病院が老人に対して、「患者」という社会的役割を与える場、短期的な「生き甲斐を与える場」となってしまっているのです。

反サロ運動といって「医療が老人を食い物にして、収益をあげている」

という意見もありますが、私はそうは思いません。

(税金は財源ではありません。税金について。消費税について。財源について。)

「高齢者がサロン代わりに医療を使うと税金(社会保険税)が上がり、現役世代の手取りが減る」という悪循環を断ち切ろうとするのが「反サロ運動」と呼ばれるものです。

病院が、「人生に行き場を無くした人の世話をするところ」つまり、教会やお寺の役割を引き受けているように思えます。

政府や教育によって、人生を骨抜きにされた人たちは、高齢になると、「人生に意味が見いだせない」ため「死後の世界への不安」「人生の絶望」しかありません。

肉体が死ぬまでの間、「病名、闘病」という理由をつけて、お世話する場所が病院の役割になっています。

車に乗れる、歩ける老人は、クリニック診療所に集まり、開業医という教祖から「健康で長生きできますように」と励まされて「お薬」をもらって生活しています。

日本は戦後、戦争産業から医療産業にシフトした結果、病院の地図記号が十字架を示すように、「寺や神社から病院」に信仰の対象が移り変わってきたのです。

その証拠に、病院や開業医のクリニックは宗教法人なみに税制優遇されています。

詳しくは以下の動画の12分あたりからご覧ください。

 

医療法人の経営にコスト負担増・経営厳格化

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私たちは、生まれて来て、学校やマスコミの流す「常識」に縛られて生きています。

その常識とは一言で「人生は多くの欲望を満たした人が幸せだ」というものです。

「冨や名誉、異性を手に入れた人が幸せだ」「人生楽しんだ者勝ち」

と信じて生活しています。(かく言う私も信じていました)

しかし、芸能人やスポーツ選手、企業経営者のように、一時的に栄華を極め、それらのものを手に入れた人たちを見て、本当に幸せそうに思えますか?

手に入れたものや名誉を失うまいと、欲望をむき出しにし、余裕すら感じられません。

善人を装うもSNSで嘘や不正を拡散されたり、リア充アピールしたり、何か自慢すれば誹謗中傷され、衆人環視の元、窮屈な人生を生きています。

一方、庶民は、インフルエンサーや金持ちに憧れ、それらのものを必死に追い求めますが、結局手に入れられません。

そして、馬車馬のように企業に働かされ、年を取り、老いとともに、どんどん能力が低下していきます。

人生が諦めの境地になって、ふと立ち止まると、「人生の意味」や「苦労の意味、努力や我慢の意味」が見いだせなくないことに気付きます。

誰もがこの世の価値観、常識に従って生きて行くと、年と共に

「手に入れる立場から、失う立場」へと役割が変わっていきます。

「死」や「老い」に対して何も準備なく生活していれば、突然の怪我や事故などのアクシデントがあれば、気持ちは滅入ってしまいます。

>>>>>>>【不幸になりたくないから、自殺や安楽死を選択する】

「老いる前に、他人から介護されないと生きていけなくなる前に死にたい」と考える若者もいます。

「人生が欲望を満たすための時間」ではなく、「霊魂(脳)を神のように作るための時間」だとすれば、自殺や安楽死は、自ら成長を止める行為、つまり「神への反逆」と分かるため、選択肢に上がりません。

寝たきり老人は、なぜ存在するのでしょうか?

「医療」という間違った偽神を信仰していたため、人生の最期に寝たきりで延命され続けるという地獄のような報いを受けているのだと思います。

>>>>>>>>>>【自殺する人がどうして不幸なのか?】

「私は人生のピークで死にたい」という人がいます。

「人生のピーク」とは一体何か?「やるべきリストを全てやったら、人生のピークなのか?」違います。

そういう人は、また欲望が沸き上がり未練に囚われて、「生きていることに感謝の気持ちがあふれ出し」自ら死ぬこともできないでしょう。

>>>>>>>>【人生は自分という芸術作品を作る時間】

(Unfinished:未完成)

人生の目的、人間の喜び、楽しみとは、「自分を作ること」もっと具体的に言い換えると「自分を神のように作ること」なのです。

死ぬまで未完成なのです。

人生は芸術作品を作る事に似ています。

芸術家は最後の最後まで作品を作り続けます。

しかし、多くの人々は、人生を「芸術作品を作る」とは考えていません。

「得したい。損したくない」とか「沢山の欲望を叶えられたら幸せ」「死んだら終わり」だと勘違いしています。

実際、欲望のままに生きても、何ら達成感は得られませんし、人格も成長していきません。

だから人生が虚しく感じ、絶望するのです。

自分を芸術作品のように作る方法を、今まで誰も伝えてきませんでした。

しかしこの時代に、この日本に「人生を芸術作品として作り上げた人」が現れました。

その人から学ぶことが、人生の答えだと言えるでしょう。

この意味が分かれば、人生を1分1秒無駄にしたくないと気付くことができると思います。

きっと人生が変わるでしょう。

#人生は暇つぶしではない!

こちらの記事をどうぞ!

RAPT有料記事284(2018年6月11日)我々人間がこの世に生まれてきた目的は、霊魂の救いと成長のためだ。https://rapt-neo.com/?p=47936

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