心のハンドル操作方法 幸せに生きるための教習所

旧精神科医療は思想警察なのか?

精神障害者の就労の意味を考える

2015年10月23日 | 精神科看護

おはようございます。

日中暑い日が続きますね。

精神科の訪問看護をやっていると、訪問先で気持ちよく出迎えてくださる家庭は本当に少ないです。

温度、気候の話をすると、夏暑い、冬寒いのが当たり前です笑

季節感を感じれて良い仕事ではあるなぁと感じますがw

その理由が電気代ケチっているという方が多い。

障害者年金や生活保護だけで生活されている人は、光熱水道費って結構重要になってきます。

基礎年金だけだと6万5千円。生活保護だと12万円くらい。

その中から、家賃、光熱水道費を支払って食費にあてています。

贅沢できないですよね。

それでもパチンコや競馬、競艇に使ってしまう人はいます。

その人その人の人生かなぁと思いますね。

彼らは本当に仕事する気ありません。

なんだかんだ理由付けして仕事しませんから。

しかし、とある患者さんは工場のラインに行き始めてから、本当に表情がよくなったと思うし、人間性が回復してきたと思います。

「人間には労働は必要だなぁ」と感じます。

「お金のために働くのはよくない、何か目的があり、それを達成するための手段で労働すべき」だと感じます。彼は、生活保護を受給しており、家賃は2DKの県営住宅で1万円。

十分遊んで暮らせますが、人との接点を求めました。

それも、精神科デイケアや老人のデイサービスといった、同じような人を寄せ集めただけの人間関係でなく、一般的な社会での人間関係を。

そのために、薬を減らし、週3回くらいのラインのバイトを始めました。

もちろん病気のことはクローズです。

収入があれば、生活保護費は削られます。しかし彼は文句言いません。

他人と社会と触れ合うことが大事だからです。

当然、コミュニケーションはぎこちないです。

ですから、仕事終わって、一緒に遊びに行くとか、ご飯いくとかはありません。

しかし、居心地、社会の中での存在意義を強くかみ締めている様子です。

そして、無限にあるような時間が、有限となり、やりたいことを少しづつ始めることができるようになってきています。以前はやりたいことだらけだったが何一つ行動できなかったのにも関わらず、、、人って変わるもんです。

これは、病気だからとかそういう問題じゃなくて、お金以外の部分で、彼は労働の価値を見つけ出せたんだなぁと関心してしまいます。

工場は彼が来なくても、潰れることはありません。違う人を雇えばいいからです。

景気に左右される程度です。

しかし、福祉作業所、作業所AやBのような事業所はどうでしょうか?

一応、自立支援施設ですから、通所してくれる人がいなければ、国保連から支払いはありません。

職員は、通所してもらって給料をもらっています。

ですから、最近のそういった施設はマイクロバスによる送迎付が当たり前です。

こんなの入院しているのと変わりないなぁと思ってしまいますが笑

まぁ、ほとんどの福祉事業は単なる公的なビジネスですから、真の目的が自立であってはいけないし、「利用者にいかに長く通ってもらうか」「いかに新規顧客を獲得するか」だと思います。

福祉作業所や、デイケアに通っている患者さんは、本当に覇気がありません。

基幹支援の相談員から、主治医から「行け!」と言われて行っているだけ。

行くことが目的なんです。行くことにより、年金や生活保護が更新できるという餌がぶら下げられているからです。

人付き合いが下手な人達ばかりですから、訪問看護での30分の方がよほどマシみたいです。

デイケアではマージャンパチンコ、ギャンブルの話ばっかり、タバコの煙はもくもく、すぐに何処かで喧嘩や口論が始まる、みんな自分勝手なことしか言わない、しない。

牧畜、なんの共通目的もない群集、羊の群れです。

飼い主=医療法人やNPO法人、社会福祉法人に収益をもたらし、食べさせていくためだけに通所しています。社会復帰去れては困る業界ですから、何とも気の毒です。私も真剣に社会復帰を進めていた時期がありましたので当然燃え尽きます。

人間は辛いことよりも楽なほうを選びます。それが真の意味での身体、魂の自由から遠のくとしても…。

そういう構造が見えると、本当に牧畜なんだなぁと同情してしまいます。

同じ人間なのにかわいそうです。

本人に変わる気がありませんし、変わるには相当なエネルギーがいるし、過去の自分から決別できないといけない、過去の怠惰な生活には戻れないという意識付けが必要なのです。

これは「過去に怠惰な生活をしていた」と認められないと、自己否定できないといけません。

精神病患者は自己評価が低く、自己肯定感が少ないといわれますが、それは嘘だと思います。

誰かに「肯定してもらう為」にそういっている、そう認識しているだけで、幼児がかまって欲しいときに悪さをしたり、たまにほめてもらえる事をするのと同じ行動をとるだけです。

「他者から認められたい、他者評価依存」が強いだけなのだと感じます。

医師のような権威から一言言われればなびいてしまう、ブレブレな人ばかり。

大きい子供ですね。

別に、「我慢しろ」なんていいません。彼らに足りないのは「努力」です。

理解して欲しいと思うなら、まず、自分が「周囲を社会をメンバーを理解することから始めること」が最優先であり、自分のコンフォートゾーンから外にでられないと何も変わっていかないと思っています。

人間は分かり合うことは出来ません。しかし、他人を解ることはできます。

そうすれば争いが減るし、お互いが理解しあうために争うことはいい。

しかし、反対にマイペースで自分ルールでしか生きていない人もいます。

極端なんですね。どちらも生き辛いし、他者を理解しようとする姿勢がまるでない。

結局タイプの違うこどもなだけ。

 

しかし昨今の紛争やテロ戦争のような、最初から武力や経済力で差を押し付け、奪うことがありき、価値観を押し付けることがありきの国際金融資本や支配者の対話、自己表現の仕方は、本当に幼稚で、規模の大小はあれど、精神病患者と何も変わらないなぁ、相手を理解しようとしてないなぁと思ってしまいますね。

結局、今の世界の問題も、「価値観の押し付け」なのかなと思います。

CASE1

「あなたのおもちゃが欲しい。」

嫌だ。

「わかった、戦争だ」

…シェアしろよw

「あなたのおもちゃが欲しい」

は?嫌だね。

「わかった。法律が変わった。明日からそのおもちゃの所有する権利は俺が貰った。

拒否すれば、国家権力(警察)がお前を逮捕しにくるぞ」

…だから共有しろよw

 

日本だけじゃない、世界でも話あいができない幼稚な人々が、経済界、金融業界といった世の中心にいるのだなぁと。

これじゃ地球だめだわと思ってしまいます。

 

こんな世の中変えていくには、まずは、自分が日々変わっていくしかないですね!!

 

最後までよんでいただきありがとうございます。

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