今回の記事は看護学についてですが、今回のテーマ「尽くす」という点は看護学で核となる部分となります。
どのサービス業でもそうですが、働いている時間はお客様に尽くすという気持ちで仕事をします。
それは、「奴隷のようになるとか極端にへりくだる」
という行為ではありません。
「尽くす」とは相手の喜ぶこと、して欲しいことを先読みしてサービス提供するということです。
以前もお話したとおり、
看護の目的は何か?
「相手を幸せにすること」
でしたね?
そして、相手を幸せにするには
「相手の考え方を変えること」
が必要となってきます。
目的は「相手を幸せにすること」
目標は「相手を幸せにするために、相手の考え方を変えること」
手段は「相手を幸せにするために、相手の考え方を変えるために、看護介入していく」
ということです。
現在の臨床の看護は「目的、目標、手段」どの段階においてもズレていることに気づきますか?
ですから、自分のやり方でみんなばらばらで仕事をしています。
だから、遣り甲斐もないし、つまらなくなる。
多くの新人Nsは急性期ばかりに行きたがる傾向がありますが、
急性期の特徴とは、生命維持が第一選択となるため、そのほとんどの行為が医療と看護の共同目標となってしまいます。
「対人間への介入」というよりは「状態=数値の管理」です。
例えばどのような共同目標が設定されるかというと
「治療コンプライアンス遵守」につきます
・異常時、不調時、ナースコールを使用できる
・病棟・治療ルールが守れる
なぜか?パスに乗せて退院させることが、医療経済の視点から第一目標になるからです。
それが急性期病棟加算です。
そして、急性期の特徴としては医療処置ばかりが多く、効率性重視の観点から
クリニカルパス通り進行していくだけでコミュニケーションによる介入が
極端な話、「バイタルサイン測定」だけになります。
では、その他の時間は何をしているのか?というと
担当患者の処置+記録という「作業」をしています。
最悪な病院の場合、タブレット、ノートPCを持ち歩いて巡回しています。
個人情報をメモしない&ペーパーレスが目的かもしれませんが、逆に効率悪いとは思わないのでしょうか?
そもそも、看護はサービス業なのですが、トップ(経営者、医師)がサービス業という意識が欠落しているため
顧客本位で業務整理がされていません。
監査対策、ISO対策でしか業務効率化を目指していないのです。
さて、話題を元に戻しますが
医療処置とは本来、医師の仕事のはずですよね?
私たち看護師は医師の指示のもと、医療行為の補助をするだけのはずです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・(以下転載)
第三七条 保健師、助産師、看護師又は准看護師は、主治の医師又は歯科医師の指示があつた場合を除くほか、診療機械を使用し、医薬品を授与し、医薬品について指示をしその他医師又は歯科医師が行うのでなければ衛生上危害を生ずるおそれのある行為をしてはならない。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・(転載ここまで)
特定研修を受ければ行ってもよいそうですが、、
特定行為についてみてみると以下の通りです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・(以下転載)
第三七条の二 特定行為を手順書により行う看護師は、指定研修機関において、当該特定行為の特定行為区分に係る特定行為研修を受けなければならない。
二 手順書 医師又は歯科医師が看護師に診療の補助を行わせるためにその指示として厚生労働省令で定めるところにより作成する文書又は電磁的記録(電子的方式、磁気的方式その他人の知覚によつては認識することができない方式で作られる記録であつて、電子計算機による情報処理の用に供されるものをいう。)であつて、看護師に診療の補助を行わせる患者の病状の範囲及び診療の補助の内容その他の厚生労働省令で定める事項が定められているものをいう。
・・・・・・・・・・・・・・・(転載ここまで)
37条2項が平成26年に追加されていますが、これを読んでみると
あくまでも、「①医師の診療補助&②医師が作成した手順書に従い実施」することが「特定行為」であり、看護師が独立して自己判断でできることではないと法律に明記してあります。
つまり、医療行為はあくまで医師が行うものだということですね。
現在の看護業界において意識の高い人はこの「特定行為」を取得することに躍起になっています。
なんでも医師不足だそうで、看護師の手も借りたいというみたいですが、、、
であるならば、同一労働同一賃金を実施することから始めないといけませんよね?
スキルを身につける理由が、
「病院で有利な立場を得るため」
「病棟で必要とされる立場を確立するため」
という自己中心的な考えで研修を考えている人が多すぎます。
というか、そういう看護師しかいません。
目の前に苦しんでいる人がいる、頼っている人がいるのに、
一体誰のために働いているのでしょうかね?
何を遣り甲斐に働いているのでしょうかね?
人間性を疑います。
人生の最大の喜びは
「自分の個性・才能を使って、人を幸せにすること(救うこと)」
です。
「自分勝手に独りよがりでやりたいことをし、自分の欲望をかなえること」
ではありません。
「食う、寝る、排泄する」という動物の本能的・下半身的な快楽と違って、
人間特有の脳・上半身の快楽=喜びは「相互間でしか」生まれません。
看護学、看護教育がずれているためこのような基本が疎かになるのです。
それは、教育する側が、
「遣り甲斐を感じていない」
そもそも、生活中心となり、
先生、先生と呼ばれて良い気になっている、
プライベートで贅沢するため、
食べていくため、生きていくため
だけに働いているため
「遣り甲斐そのものを知らない」
だけなのかもしれませんね。
看護師の遣り甲斐に
「退院していく患者さんにありがとうといわれた」
「あなたが担当でよかったといってもらえた」
という声が多いですが、これってどうでしょうか?
「私の働きが認められた、私のおかげで良くなった」という
相当、自己中心ではないですか?
あなたの自尊心を満たすことが看護の喜びでしょうか?
一番の喜びは
担当した患者様が
「看護師を目指すこと」
「看護師になること」
ではないでしょうか?
年齢的な問題があるため高齢者は難しいですが、それこそ
「相手の生き方を、考え方を変えたとき」
こそが、その職業の遣り甲斐ではないでしょうか?
そういう体験、経験を仕事を通して感じたことが無い人が教える側に多い。
つまり教育の段階で、凹んでいる状態ですね。
・時間内に担当患者の処置が終わり、
・正確に記録が書ける
・引継ぎ申し送りも抜かりが無い
それは作業目標です。
その作業を完全実施する目的は何ですか?
逆に、その作業を完全実施して、本当に目的は達成できるのですか?
達成できないなら、目標や手段が間違っていませんか?
そこを日々検証することがプロの看護なのかもしれません。
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