青田城
築城時期;不明
城主;北畠具親
経緯;天正5年(1577)北畠具親が川俣森城に拠って反織田の軍を挙げて、北畠氏再興を企てたが多勢に無勢敗北した。この時に拠った城ではないかと言われている。
位置付け;青田の集落を超え山地に入ると急峻な山々が続く。奈良の県境に近く最後の砦という雰囲気のところだ。
標高500m、比高200mの山地中腹に石垣は現れる。横幅70m、奥行き25mさらに30m上部には特異な施設の跡のような遺構もある。
遺構;郭、石垣、石塁
感想;登坂に疲れる頃横幅のある石垣が見えてくると少し感動する。なんといっても石垣が特徴の青田城である。
郭は大きく3か所に分かれる。虎口を境に左の一番面積の大きい郭(仮称;三の丸)、右の下の段(仮称;二の丸)同じく上の段(仮称;本丸)である。
虎口から石垣で固められた坂道を上がり右に直角に曲ると通路がありその奥にこの城の中で一番堅固な場所の本丸となる。
30m上部の施設跡は屋根を付けたら氷室のような機能を持たせたものではないかと思った。内部は石垣が積まれて畳2帖くらいの面積を作って いる。
青田城は城というよりは防御性の高い居館という性格ではないかと考えた。
地図;
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