三重を中心に徹底訪城 検索「山城遺産」「セルフコラボレーション」 ペン画で歴史を伝承 時々徒然に

中世の城を主に訪城しています。三重県が多いです。百名城は96/100。総数で600城。新発見が4城です。

御麻生薗見張城

2021-07-12 21:14:47 | 松阪の城

城名
 御麻生薗見張城(注1)
読み
 みおぞのみはりじょう
住所
 松阪市御麻生薗町/庄町
形式
 山城(見張台)
遺構
 曲輪・堀切・見張台(虎口・西・主郭)
標高 250m 比高 200m
歴史
 古くは伊勢神宮のあらたえの材料である麻を栽培していたということから地名にその面影が伺える。
経緯
 2018年2月3日 初登頂「本郷浅間山 松阪ノ猪」のプレート有り。この時、尾根筋に堀切を見つけ城跡を認識する。同13日俯瞰図を描く。2020年1月10日約2年振りに2回目の登頂。新たに虎口・見張台と東堀切を確認する。又、主郭の北西の口を虎口と認識する。
書籍
 無し
環境
 櫛田川中流域の左岸にあって妨げるようにその流れを右折させている。そのことによって流れと山肌は近接し全ての往来を妨げている。まさに自然の要害を創り出している。
考察
●虎口見張台
 御麻生薗見張城の南に位置し尾根を半分強登ってきた肩にその遺構はある。
 直下の登城道とそれより西の広瀬から御麻生薗と大河内を結ぶ根木峠辺りまでを見晴らす位置にある。
 遺構として決定付けた要因は、①石が周辺の半分くらいにかけて積まれている。
 ②その一部に土塁で壁をつないでいるところがある。
 ③浅いが空堀が崖の際まで掘られている。
 ④見張台として決定付けた要因は石積で囲われた先端に据わりの良い大きめの石が置かれ、まさしく少しでも高さを増したいという気持ちが見える構造である。
 逆に城の遺構でない理由として考えられるのが、一番に炭焼きである。しかし、大きさや場所、構造などその可能性は少ない。他に、木落し道、切通し道、荷の集積場等々を考えても合致しない。
●西見張台
 西に張り出した小さな尾根上に、小さな遺構が3か所ある。東から削平地、土橋、見張台である。
 削平地は尾根の斜面を切り込んで削平地が半円状に造られている。人間なら2~3名が駐屯するに限界の面積しかない。
 土橋はかすかに石積の様子が見られる。細い尾根をさらに細くする造作のようだがその意図が読み取れない。
 見張台は岩石が露頭する尾根の先端で、岩石のために広さが犠牲になっているようだ。それでも削平感はかなり認められる。根木峠から広瀬の入口まで明瞭に捉えられる。
 広瀬史に北畠の桜という条がある。別名駒引の桜ともいい北畠氏が桜木に駒をつないで櫛田川の景色を見ながら休んだという。地元では桜広と呼んで看板が設置されている。
●堀切
 堀切は主郭の南尾根と東尾根にそれぞれ1か所設けられている。残念ながら堀切の半分はミカン園の造成工事によって削り取られているため認められない。
 尾根の片側半分だけしか現存しないのであるが、堀切として明確に判定できるだけの様相である。特に東堀切の残存状況は明瞭である。
●主郭
 主郭は浅間神社、役行者の祭事に利用されているため改変が行われている。こういう場合はあえて縁を丹念に調べることである。
 曲輪が2段になっている。主郭上段と虎口から帯曲輪につながる下段である。
 虎口は食違いの構造を持っていると言っていいかもしれない。立木の根が土塁の存在を今に伝えている。
 虎口のもう一方は幅広で高さもあり見張台の様相である。北方面、寺井の峠道辺りを見ていたのかもしれない。
感想
 一般的な山城という様相ではない。それは遺構が分散しているせいであろう。守りを集中的にやっているという遺構ではない。砦ということも難しいかもしれない。
 虎口においても見張を意識した造りである。西見張台においても文字通り見張を意識した造りと考えられる。主郭においても見張台を持っており見張を意識している。
 
 
注1;命名について
 この城を発見した責任として命名には慎重を喫した。
 所在地が御麻生薗町と庄町にまたがるため、本来なら複合した名称にするか、あるいは所在地と関係ない名称にするかであるが、庄町には庄城があるので複合にした場合、関係性にややこしさが生まれるので避けた。
 所在地と関係ない名称にするにはそれだけの謂れなり、特色が欲しいがそれは無い。
 御麻生園は伊勢神宮に奉納する麻を栽培していたという古い歴史があり、川や道は古から整備されていたと考えられる。その種の情報は複数見聞きしている。”御麻生薗”は生かすべきである。
 先達の郷土史家がふもとにある上山城の別名”御麻生薗城”を書籍にて発表されているので使えない。
 現地の遺構を観察するとそれぞれが中心より離れ、分散し、集中的に何かを守るという縄張でもなく、近辺ではあまり例がない。
 個々を見ると、虎口見張台、西見張台、主郭見張台と東西南北の見張に配慮した遺構と思われる。
 統合して見張に重点を置いた遺構群と結論付けた。御麻生園にある見張をしていた城砦であり、御麻生薗見張城とした。

 

 



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