三重を中心に徹底訪城 検索「山城遺産」「セルフコラボレーション」 ペン画で歴史を伝承 時々徒然に

中世の城を主に訪城しています。三重県が多いです。百名城は96/100。総数で600城。新発見が4城です。

星合氏館

2017-08-07 23:24:22 | 松阪の城

城名
 星合氏館
読み
 ほしあいうじやかた
住所
 松阪市星合町里中
築城年
 永生年間(1504~1521)に築城し居城とした
築城者
 北畠政郷の三男・北畠頼房(星合頼房⇒大河内頼房)
 頼房は1510年頃の生れ。11歳ごろの築城?
形式
 居館
遺構
 無し
推定規模
 東西100m×南北160m
城主
 星合(大河内)①頼房━②具種(坂内具佑)━③具㤗
一族
 北畠氏の分家、北畠政郷の三男・星合頼房
標高 2m 比高 
歴史
 廃城時期;元亀3年(1572)
経緯
 北畠政郷の三男・頼房が永生年間(1504~1521)にこの地に館を築き住まいした。
 兄の材親の信頼厚く伊賀甲賀の乱では大将として軍功をあらわしている。大永六年(1526)、大河内城主(兄)親忠が出家したので代わって頼房が大河内城主となった。
 星合氏は頼房の子・具種が跡を継いだ。具種も軍功多く具祐と改め阪内城主となる。(注1)
 続いて星合氏は教房や具㤗へと続くが元亀三年(1572)具㤗が大河内城を併有して移ったので星合館はこの時廃館となった。
書籍
 三重の中世城館
勢陽五鈴遺響
 星合城址;星合権中納言源頼房住ス
環境
 雲出川は伊勢平野の中央部を伊勢湾に向かって流れ、香良洲の三角州で分流する。その南側の里、星合に館があり、北側の香良洲の矢野城と共に雲出川の出入りを抑えていた。
現地
 館跡は江戸時代に開墾され現在は畑地及び宅地になっている。畑地の西側の段差が城域を示すという。
感想
 江戸時代に開墾され今では宅地と美田に生まれ代わっているがこの地で営々と星合氏の歴史が営まれ大河内城主や阪内城主と繋がっていく実家のような所だ。
注1
 同一人物説は星合系図により尊重した。解釈を否定する説もある。あるいは、星合氏が北畠氏の一族であることを証明できないという全体否定もある。
地図

👇 松阪遺跡地図

👇 畑地の段差が城域を現すという

 

👇 遺跡地図が示す縁辺 

👇 傍にある寺「明照寺」

👇 近くに七夕伝説の地が伝えられている

 

 

 

 



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