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戒め戒めは守らなくてはならない/指差す標識の事例下

2021年03月01日 | もう一冊読んでみた
指差す標識の事例 下/イーアン・ペアーズ    2021.3.1    

指差す標識の事例 下』 は、この物語を構成する四つの手記のうち残り二つが語られます。

第三の手記は、オックスフォード大学の幾何学教授 ジョン・ウォリスが語ります。
最後の手記は、歴史学者 アントニー・ウッドです。

上下巻併せて1000ページ余り、読み終わってみればアントニー・ウッドとサラ・ブランディの愛の物語の記憶が強く残ります。
英国の歴史と人々の信仰心についての深い知識があれば、もっと面白く感じられたのかも知れません。
ぼくにとっては、長いなが~い読書の旅路でした。



第三の手記 従順なる輩

 小生は、このディエゴ・デ・エステラによる言葉、「巨人の肩に上がった小人は、その巨人よりも遠くが見えるであろう」を、つねに心に留めてきました。

 一度反抗の味を知った者は、さらにその味を求めるものなのです。

 神を信じるのは非常によいことである一方、神はまた、われわれがみずからの面倒を見ることを期待されています。

 おざなりな祈りにおいて、人は気もそぞろに単調な言葉を繰り返すだけですが、真の祈りであれば、心からの深い祈りを捧げることにより、神の恩寵を感じることができます。

 「彼はヴェネツィアの人間だということですが」と小生。「彼はあそこの運河のように冷たく、総督の地下牢のごとく秘密主義だと言われていますね」


第四の手記 指差す標識の事例

 ローマの史家アミアヌス・マルケリヌスの言う通り、真実は沈黙と欺瞞によって歪曲されるのだ。

 「神の意志は計り知れない」私は屈託なしに言った。「意志を実現するために、時として神は不思議な手段に訴える」


 三人が三人とも、真実とは似て非なる幻想を語っている。私は矛盾や混乱をすべてありのままに述べる決心である。さらぬだに、自ら重厚な存在を誇る柄ではなし、自身の見聞や言行のほかはいっさい捨てて顧みない独善は身のほど知らずの謗りを免れまい。私はただ、時の流れに弄ばれ、散逸した事実の断片を綴るまでである。

 フランスの政治思想家、ジャン・ボーダンは言った。嫉妬の恐怖と疑惑以上に人に責め苦を与える首吊り役人がいるだろうか。スペインの鉄人ファン・ルイス・ビベスによれば、人間ばかりか鳩さえも嫉妬ゆえに狂い死にすることがあるという。

 嫉妬の理由がわからないからといって苦しみが去るものでもない。なお悪いことに、医術の世界では少なくとも診断が処方を定めるが、薬の効かない疫病に似て、嫉妬には治療の手立てがない。人は嫉妬の炎に焼かれて苦悩する。果ては炎が燃え尽きるか、命の綱が切れるか二つに一つである。

 神は目に見えないところで密かに加護の手を差し伸べているのだが、人間は無分別なあまり、尽きせぬ慈悲と愛に浴しているとは悟らない。これはいつの時代にもあることで、この先どこまで世代を重ねても事情は変わるまい。

 戒めは守らなくてはならない。
 これこそは一つにして唯一の真実で、明白、かつ十全、間然するところ何もない。


 何はともあれ、サラはある晴れた日、神隠しにでも遭ったように忽然と消息を絶った。


    『 指差す標識の事例 下/イーアン・ペアーズ/日暮雅通訳・池央耿訳/創元推理文庫 』

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