保津川下りの船頭さん

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怪奇!お彼岸トロッコ列車に乗車して・・・あの少女は一体?

2010-09-20 23:53:42 | スピリチュアル
時は明治後期・・・日本各地に敷設が進められた鉄道網は日本近代産業発展の
象徴といわれた。

競う様に敷かれていく鉄道の線路。山や田は破壊され、それまでの集落形態や
機能も大きな変化が生まれていく。
そして、それは、これらの地に埋め縛られていた因縁をも掘り起こし
踏み潰されたのあった。近代技術により呪縛から解き放たれた無数の念は・・・
今もこの世を彷徨い続けている・・・

ある山深い谷に敷かれた鉄道の話。

当時の技術の粋を尽くし完成した鉄道線路には、眼下を流れる川を横断する
巨大な鉄橋も有し、日本鉄道史に燦然と輝き、その名を刻んだ。

ここから本題・・・この鉄道完成に多大な力を注いだある偉人がいた。

この偉人、あろうことか、後年、自分が敷いた鉄道の脱線事故で
皮肉にもその生涯を終えることになる。しかも、その象徴といわれた
鉄橋から川への落下が死因というから何ともやり切れない。

懸命の捜索の甲斐なく、彼の死体は杳として見つからなかった。
結局、捜索は打ち切り。未だに行方不明のままである・・・と
一部の文献には記載されている。が!
本当は見つかっていたともいわれている。事実、死体引き揚げに協力した
地元の男の証言は調書に記録されているのだ。
では、なぜ「死体は見つからなかった」という話がまことしやか伝えられているのか?

実はこの死体が揚がった場所が問題だったのだ!

この鉄道線路の敷設作業をしていた際、路線計画ルートとなる
山裾の急傾斜地の箇所に小さな祠が発見された。
参道すらない山すそにである。もう長い年月、誰も参った形跡すらない祠。
線路は計画通り工事が進められた。祠はもちろん取り壊された。
取り壊した時である。その祠の下から無数の白蛇が出てきたという。

彼の死体はなんと、この祠があった直下の川縁に舞い込む様に流れ着き発見された!

あれから約100年の歳月が流れた。

これまで、この鉄道では度々不思議な事が起こっている・・・

日本中の鉄道線路には、この様な話がいっぱいある。
先日も北陸のある路線で、線路上に老婆が歩いているのを運転手が発見。
電車は急停車したが、間に合わず、接触事故を起したという。
「やってしまった!」慌てた運転手が電車から飛び降り、電車の下部を覗き込んだが、
不思議なことに老婆の影も形もなかったいう。
これは翌日の新聞記事に掲載された実話である。
これと似た話など枚挙に暇がないほど、日本各地の線路で起こっている。

さて、昨日、私の仕事場である保津峡を走る観光列車「トロッコ列車」が
特別企画として「怪奇!お彼岸トロッコ列車」を夜に走らせた。

心霊研究者である私も当然、乗車した。

灯りひとつない、暗闇の保津峡。どこまでも深い闇に、列車の走る轟音だけが響きわたる。
激しい揺れがなくなり、列車が急停車すると、どこからか?か細い女の声で
寂しげな‘わらべ歌’が聞こえてきた。

すると、薄暗い車内の通路に人影が見えた・・・

気が付くとその人影が私の真横に!

着物を着た青白い顔をした女である!


企画ではプロの劇団員が幽霊に扮しているらしい。
つまり、おばけ屋敷の列車バージョンということか。

でも・・・私が見たものは、実はこのお化けさんではない・・・

車窓から眼下の保津川を眺めていた時、対岸の石積みの上に屈み込み、
こちらを見上げていた女の子の姿だった!

その子はしばらく不思議そうにこちらを眺めていたが、私と目が合った瞬間
こちらを見て・・・笑った・・・そう、私に笑いかけたのだ!

夜、どこまでも深い闇が広がる保津川。
その静寂を昨日、一台の列車が薄暗い車内ランプと轟音を上げ走り抜けていった。

はっきり言おう! 夜、ここには無数の霊体の存在を感じる!

ここに集う‘霊’たちは、20年以来の列車の行く風景をどのように見ていたのだろうか?

ただ、家に帰ってから、どうも肩にずっしりとした重みを確かに感じる。

今日、その少女がいた石積みの横を2度、通過してきた。

なぜか、その場を通った時、二度とも、冷たい風が私の頬に
触れたような気がしたのは、ただの思い過ごしなのだろうか?