保津川下りの船頭さん

うわさの船頭「はっちん」が保津川下りの最新情報や、京都・亀岡の観光案内など、とっておきの情報をお届けします。

保津川下り400年記念準備委員会が設立されました。

2005-06-23 06:16:19 | 角倉プロジェクト・世界遺産事業
来年の2006年は、私達の「保津川下り」が
創業されて、400年目の記念すべき
節目の年を迎えます。

このめでたい年を迎えるにあたり、私達
保津川遊船企業組合でも、何か記念事業を
企画しようと「400年記念準備委員会」
を立ち上げることになり、不詳・私はっちんが
その委員長に任命されました。

今後、この会において記念行事やキャンペーン等の
企画・立案を進め、全国的な一大PRを展開して
行く予定であります。

今回の記念事業を進めるにあたっては、
斬新なアイデアと行動力が求められることから
比較的若いメンバーで会が構成されました。

伝統ある歴史の堀下げと、雄大な自然環境保全・整備を
企画のテーマとし、保津川下りの新たな魅力の創造に
努めたい意向です。

保津川下りは、江戸幕府初期の慶長11年(西暦1606)に
当時、嵯峨に居を構えていた豪商・角倉了以の保津川
水運計画によって開かれた運搬船として誕生しました。

木材等は奈良時代から、筏にして京まで運ばれてはいたものの
物資を乗せる荷物船は、保津峡が難所となり、通行できなかった
のです。

そこで了以は、この難所の渓谷を荷物船でも
通行可能な水路にするべく、巨額の財を
投入し、保津峡の開削工事に着手したのでした。

工事は約半年で完了し、ここに丹波と京都を結ぶ
物流ルートが完成し、両地域の経済発展に大きな
役割を果たす事になったのです。

また、5年後の慶長16年には京都の洛中に高瀬川を
開削し、保津川から運んだ物資を京都から伏見湾を
経由して天下の台所・大阪までの運ぶ物流の大動脈
を完成するに至ったのです。

江戸時代においては、大量の物資を確実にしかも
速く運べる最大の輸送手段は船であり、現代でいえば
まさにハイウェイー・高速道路だったのです。

この船運ルートの確保により、丹波経済圏、京都経済圏
大阪経済圏の三大経済圏を結ぶ物資流通ルートが
確保されたたことは、今で考えると、最大の国家プロジェクト
の完成に匹敵する大事業だったのです。

そしてこの一大プロジェクトに欠かせない事業だったのが、
最大の難所である保津峡を開削することだったのです。
このプロジェクトも保津峡が通れなかったら、
不可能だからなのです。

京都、大阪という大都市を支えてきた保津川の物流、
それを可能にした保津川開削という歴史的な意義を踏まえ、
私達のプロジェクトもより魅力あるものに
したいと思っておりますので
皆様のご支援、ご鞭撻のほど
よろしくお願いする次第であります。