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保津川下りの船頭さん

うわさの船頭「はっちん」が保津川下りの最新情報や、京都・亀岡の観光案内など、とっておきの情報をお届けします。

温暖化防止へ、バイクに乗ろう!

2007-01-27 01:28:35 | 船頭の目・・・雑感・雑記
元副大統領アル・ゴア氏制作の映画
「不都合な真実」(英題An Inconvenient Truth)」
が話題になる中、地球の温暖化対策はまさに待ったなし!

ゴア氏は「車はハイブリッドへ」と提案しているが
高価なバイブリッドカーはまだまだ庶民には高嶺の花。

典型的な庶民の私は今のところ「バイク」が一番
適した乗り物だと考え使用している。

温暖化の原因となる二酸化炭素発生の2大要因は
自動車の排ガスと石炭燃料による発電といわれる。
その要因の一つ「自動車の排ガス」問題は車社会の恩恵に
どっぷり浸かっている日本にとって重要課題だ。

私自身、社会人になって以来、ずっと自動車通勤をしていたくちだ。
たとえ渋滞に巻き込まれても「夏はクーラー、冬はヒーター」
を独り占めできる快適さは他の交通手段の比ではない。
まして自分好みの音楽まで聞けるという空間は
「マイルーム」がそのまま移動している様なものだ。

しかし、地球環境問題を勉強するにつれ、この様な私の振る舞いが
地球環境を最大の危機に向かわせる要因になっていることを知った。

高まる危機意識の中、自分自身の行いの不一致は大きな
ジレンマとなって自らを責める。だからといって悩んでいても
地球環境が改善されるはずない。一歩、踏み出さねば。
「身近なところから、出来ることから行動」を起こすことが
先ずは必要と考えた私は7年前から「バイク」に乗り始めた。

それが写真のわが愛車「SUZUKI セピア」だ。

車の代替え手段として、テレビCMなどでよく聞く
バスや電車などの公共交通機関は、快適さや利便さにあまりのも
落差がありすぎるし、自転車や徒歩ではその用途が違いすぎて、
代替え手段としては無理がある。

それらに比べると「バイク」はスピード、走行能力ともに
車に最も近く、車にはない利便性と低燃費、しかも渋滞知らずという
車の代替え手段としては最適の乗り物だと気が付いた。

なんと言っても軽量なので燃料消費の削減になり、渋滞の影響を
受けないのでアイドリング時間も短く、排ガスも小量。
駐車場の心配もないので、目的地の近くに駐車できて時間的な
無駄も省くことが出来る環境にと精神衛生において申し分ない
優れモノだと思う。


確かに雨の日や冬の寒さなどに使用するのは不向きで、快適さ
という点では車には遠く及ばないものの、フルヘイスのヘルメットと
ベンチコート、手袋などで防寒対策をバッチリすればカバーできるし
なにより深刻な地球環境問題に比べたらさして耐えられない事ではない。

私のバイクは見てのとおり50ccの原付バイクだが、今は250cc
でもスクーター型のバイクも販売されており、クラッチ型が
苦手といういう方でも簡単に操縦することが出来るだろう。
ちなみに私のバイクは製造15年以上という年季の入った代物だが、
以前は原付バイクレースでサーキットを走っていたスペシャルバイク。
その時のスポンサー「「LUCKY STRIKE」のシールも
そのまま貼ってある。

エンジンはWRCで活躍するスバルSTIのメカニック
がチューンアップしてくれているので、走る手応えも
直に感じることが出来、バイクならではの楽しさを味わってもいる。

もちろん制限速度は守りながら・・・

昨年の国際協定「京都議定書」により日本は温暖化防止の目標として
「CO2、6%削減」が義務され、今年から本格的な政策を打ち出す
ことになる。

今の車社会の中にあって、機能的に車に最も近いバイクは
温暖化防止に一役かえる乗り物だと確信する。


しかし、このままでは50年以内に必ずやって来るクライシスを
前にして、意識に行動が追いついていかない私自身のジレンマに
悩む日々はまだまだ続いているのだが・・・



12年前の今日を忘れない。

2007-01-17 01:52:36 | 船頭の目・・・雑感・雑記
また、あの日がやって来た。

多くの尊い命を奪った「阪神淡路大震災」が起った日が。

12年経った今もこの日が来るたびに当時のことが思い出され
私の心を深く締め付ける。

12年前の震災が起る前日、私は最も被害があった
神戸市長田区にいた。

長田区に妻の親類があり、結婚前の挨拶を兼ねて遊びに行っていたのだ。
16日は成人の日の振り替え休日だった事もあり、一泊させて頂いた。

前夜は皆で近所の居酒屋に繰り出し一杯やりながら
楽しい会話に花が咲いた。柱が剥き出しになった町家造りの
店内は満員で活気があったのを覚えている。
「一杯飲んだ後はやはりラーメン」といことになり
国道沿いの九州ラーメン屋に流れ込んだ。
寝る前に銭湯へも行き、一日の疲れを癒した。
年季のある素朴なまちの銭湯だったが、壁タイル
に書かれた風景画やライオンの給水口、レバー式の
シャワーなどどれも昔懐かしい銭湯そのままで情緒があり、
身も心も温まった気がした。

どれもこれも、ごく当たり前の日常が流れていくだけの幸せな時間。
その約30時間後にやって来る悲劇など想像すら出来なかった。

約18時間後には崩壊する「JR新長田駅」から私達は電車に乗り
京都へ帰った。

そしてその時が来た。

その衝撃は京都で眠っていても瞬時に目が覚めるほどの強さだった。

数時間後、長田区に甚大な被害がでていることを知る。

テレビ画面から流されてくる長田区の映像は、間違いなく
昨日私がいた場所だった。

崩れた駅、黒い炎をあげ燃え上がるアーケード商店街、
そして倒壊する住宅地、目を覆いたくなる様な映像は昨日とは
全く異なっているのだが、確かに見覚えある風景ばかりなのだ。

私が泊まった親類の家はまさにその場所だったのだ。

その親類とも全く連絡が取れなかった。親類はまだ3歳の幼子もいる。

「この炎の中にいるのでは?倒壊しガレキの下敷きになっては
いないか?」息が出来ないくらい心が鋭く締め付けられた。

負傷はしたものの、家族全員無事だったことを知ったのは
丸一日経った午後のことだった。

泊まった家は地震から数十秒で2階部分が崩れ、数分後には
傾き倒壊したそうだ。つまり私が泊まらせて頂いた部屋は
数十秒で屋根が落ちたという事だ。
一日遅れで遊びに行っていたら、間違いなく死んでいたし、このブログ
を書くこともなかったであろう。はっちんというキャラクターも
この世に存在していなかった。

楽しく飲んだ町家風の居酒屋も、昔情緒いっぱいの銭湯も
この世から永遠に消えてなくなった。

当たり前に来ると思っていた「明日」が不確実であること、
生きているというのは当たり前の事ではないと初めて実感した日。

人生の価値観を大きく変えたあの日のことを、私はけして忘れない。
あの震災前の長田の風景とともに・・・

リサイクル工場の火事に遭遇!

2007-01-09 23:45:59 | 船頭の目・・・雑感・雑記
国道1号線を大阪方面に向かって車を走らせていると
左前方に黒こげた煙が上がっているのを偶然にも
発見!

よく見ればその煙、産業廃棄物をリサイクル工場内
から上がっているではないか。

明らかに煙突から上がっているのではないその煙は
車が近づく僅かの間にも、勢いを増し空目掛け、
立ちあがっていく。

車の後ろからけたたましくサイレンを鳴らしながら
数台の消防車が凄まじい勢いで近づいてきた。

道路端に車を停車させ、消防車を行き過ごさせると
携帯していたデジカメで火事の模様を撮影開始。

あたりはプラスティクがこげた様な悪臭が蔓延して
息苦しさを感じた。

産廃工場なだけに、炎でどの様な有害化学反応を起こしている
のか、わからないので、この場に長くいるのは危険と判断。
車に戻り、素早く窓ガラスを上げた。

高度成長時代からバブル期、そして現在にいたるまで、
便利と快適を求め、科学技術は目覚しい発展を見せ
大量生産、大量消費を背景にその恩恵に授かっている私達。
しかしその分、操作を間違うと制御困難な惨事になることも
知っておかねばならないと思う。
幾ら科学技術が進んでもそれを操るのが生身の人間であるかぎり、
完全な安全はなく必ずリスクがあるものだということを
忘れてはいけない。
この火事で被害者が出ていないことを祈りながら
複雑な思い胸に抱えたまま車を走らした。


「雨中嵐山」、雨の日の嵐山に思う・・・

2006-11-19 19:28:31 | 船頭の目・・・雑感・雑記
今日は一日、秋雨が降る寒い日でしたね。

秋の観光シーズン本番を迎えた京都にとっては、
まさに水を注す冷たい雨となりました。

保津川下りに乗られたお客さんも寒い船旅になったことと思います。
こんな天候の日にもかかわらずお越しくださったお客さんには
本当に‘感謝’の言葉以外見つかりません。ありがとうございました。

山々の紅葉が赤く色づいてきた雨の嵐山は
霞みの中にしっとりとした葉が浮き上がり
秋の情緒を一段と醸し出します。

こんな日は「雨にけぶる嵐山」の美しさに魅せられた
一人の人物のことを思い出します。


その人物とは中華人民共和国の元首相・周恩来氏(1898~1976年)。

彼の詠んだ詩碑が嵐山の亀山公園に建てられています。
1972年に当時の日本国首相・田中角栄氏と日中平和友好条約を
締結したことであまりにも有名な周総理

この周恩来氏は、1917年に官費留学生として来日、約2年間、早稲田大学や
京都大学などで聴講生をしながら受験勉強をされていましたが、
受験した2校(東京高等師範と東京第一高等学校)はいずれも不合格と
なり、失意のなかで帰国を余儀なくされます。

この詩は彼が「日本で学ぶ」という夢が破れ、
帰国する前に訪れた嵐山で詠まれたもので、
夢破れた失意の中に「一すじの光を見出した喜び」を
詠った前向きな内容の詩とのこと。

当時、聴講生として通っていた京都大学で、マルクス主義研究の第一人者
河上肇教授の思想に強く影響を受けたといわれる周恩来青年。
その新しい思想を知ったことが、暗い世界の現実の中で
「一点の光が差し込めたような感動」を詠んだ詩なのです。

1978年8月、日中平和友好条約が調印されたことを記念して
未来永劫に渡って友好を願う気持ちから、ゆかりの深い嵐山に
日中両国友好のために尽された周恩来総理の詩碑を建立しました。

日本ではあまり有名なスポットではないようですが、
中国や台湾、香港などから来られる観光客の間では
必ず訪れる日本の観光スポットなのです。

周総理が失意の心で見た嵐山の美しい自然の中に、一すじの光を見出した様に
私もこの風景の中に、希望という光を見出したい!
そう願わずにはおれない「雨の中の嵐山」でした。

*「雨中の嵐山」
 
 雨の中を再び 嵐山を散策
 川の両岸には松や桜花もまじえ
 見あげると 高き山を見る
 水は緑に映え 川の石は人を照らす
 雨や霧に溢れているが
 一すじの日の光 雲間よりさして
 いよいよなまめかし
 人の世のもろもろの真理は糢糊たるも
 糢糊たる中に 一すじの光を見るは
 いよいよもって なまめかし

広島、長崎にみる原爆投下の意味するもの。其の弐

2006-08-10 17:43:34 | 船頭の目・・・雑感・雑記
核兵器時代の幕をあけたのは、天才物理学者として有名な
アルベルト・アインシュタインだ。
彼が1905年に発表した「特殊相対性理論」で原子エネルギーの公式を明確にした。
その後、ドイツの物理学者オット・ハーンとシュトラスマンによりウラン235に
中性子を当て核分裂を起こし、原子のエネルギーが取り出す実験に成功し、
アインシュタインの理論を証明した。

これが原子爆弾の誕生の歴史だ。

当時、原子力研究の先頭を走っていたのは、ヒットラー率いるドイツの
物理学会であった。彼の執拗なユダヤ人迫害で命の危機を感じたアインシュタインら
ユダヤ系の科学者はドイツを脱出し、アメリカに亡命していた。

そしてそのアメリカで「悪魔の様なナチスドイツが原爆を完成させる前に、
正義の味方・アメリカが原子爆弾を完成させなければならない」との
原子爆弾作成を求める手紙を当時アメリカ大統領ルーズベルトに送っている。

ルーズベルトはこの手紙を元に、原爆の開発計画に着手、多額の予算を投入した。
これが有名な「マンハッタン計画」だ。

そしてこの計画は「日本の広島」に原爆を投下することで完成をみたのだ。

アメリカ指導階層はこの計画を遂行する国として、すでに降伏は
時間の問題であり、和平交渉も求めていた日本に決定した。
そして彼らはたいして良心的呵責も感じることなく、この大量殺戮兵器を
非戦闘員の一般市民に目掛けて投下したのだ。

なぜ、彼らはこの残忍な殺戮方法を同じ人間に向かって遂行したのか?

これから論じる見解はただアメリカ一国の指導者の責任追求ではないことを
まずご理解して頂きたい。この問題の本質はヨーロッパ・アメリカを代表する
西欧文明思想の深層心理に求めたいと思う。

人類史上初めてで唯一の原爆投下。

それは我々日本人が‘白人’ではなかったからだ!

我々は神に最も近いと信じられる‘白人’ではなく劣った‘黄色人種’だからだ。

当時のいや、今でもそうかもしれないがヨーロッパやアメリカの支配的階層は
明らかにその様に信じて、近代合理主義に裏付けられた西欧文明を作ってきた。

その文明の本質は、生存競争こそ進歩の基盤であり、生物の進化の歴史は
生存競争によって‘強者が弱者を選別し淘汰’してもいいのだ
という自分勝手な 虚像の論理に裏打ちされている。

神に選ばれし白人は欧米先進諸国は‘劣った東洋の人種である日本人を
選別して淘汰してもいい、それが必然だ、と信じるからこその行動なのだ。

この説は原爆製造の引き金を引き、生涯その懺悔の念とともに生きた
物理学者 アルバート・アインシュタインも回顧録に書いている。

アインシュタインは言う。
「ダーウィンの進化論にある生存競争説とそれに関連した淘汰の論理は
競争社会の奨励を権威化するものとして多くの人々に引用されてきた。
このことが諸個人に破壊的な経済競争という戦いが行われるのは必然的だ
ということをえせ科学的に証明しようとした。しかし、それはまちがいです」と。


生物の進化の歴史は生存競争で進化したのでは断じてない。
人以外の生物にとっては種の維持と繁栄が個々の個体にとっての生存の第一義である。

生存競争の縮図の様に紹介されるアフリカのジャングルでは
ライオンとシマウマが仲良く同じ泉で水を飲んでいる風景をよく見かける。

ライオンは空腹になるとシマウマを捕らえ食糧とする。
しかし、これは劣ったシマウマがライオンに食われるので断じてない。
ライオンは空腹時にたまたま隣りにいた運の悪かったシマウマを食べたに過ぎない。
けして足の遅い劣ったシマウマが食べれらた訳ではない。

この行為はライオンという種の存続の為であり、またシマウマの種の存続でもある。
けして絶滅させるようなものではない。

そして食糧として必要以上の殺戮は一切行わない。まして同種の中での
些細な争いはあっても、意味のない殺戮など皆無だ。

このことは人間以外の生物の常識である。

しかし人は生存競争の論理を正当化して正義と進歩の名のもとに
その価値観は確立され、今度は自分が淘汰されるのではないか?という
恐怖感がさらに争いを過酷なものへと押し上げているというのが
今の世界の現状だ。

人は原子のエネルギーを手に入れ、それを同胞の「人」に使用するという
禁断の果実を食べてしまった。

そのことは西欧文明が頑なに信じていた生存競争に勝つ事が
人の進歩の基盤であり幸せへの道なのだという論理の崩壊を
意味することに気が付かねばならない。

これからの生存競争に勝利者など存在しない。

あるのは一切の破滅のみだ。

人は自国のエゴや自らのエゴから開放され、全て争いをやめ,
ともに共生できる道を探っていかねばならない。

それ以外に尊厳ある生存を確立する道はない。

2回にわたり書き込んだこの文章は、原爆被害者及び戦争被害者
また今もなお続いている紛争の被害者の方たちに対し、
生存競争を信じて生きてきた自分自身への反省と懺悔の念を表したものだ。

広島の原爆平和資料館に掲げてあった一文を紹介して終わりたいと思う。

‘人類の尊厳と敬愛は、いかなる破壊力にも動じることなく、
 惨禍を克服し尊敬と平和のうちに国家と国家を結ぶ’

広島、長崎にみる原爆投下の意味するもの。

2006-08-10 01:09:09 | 船頭の目・・・雑感・雑記
今日9日は61年前、長崎に原子力爆弾が投下された日である。
午前10時40分から行われた記念式典には小泉首相はじめ政府の要人も出席して、
あの悲劇を繰り返さない‘平和への誓い’を宣言した。

この6日には広島の平和記念公園でも同様の平和記念式典が開かれ、
日本の夏は毎年、反戦の思いを強くする熱い夏となる。

自分は先日、市の企画で広島を訪れた。

その時、あの場所で確かに感じた原爆犠牲者の声が、今度はブラウン管の中
から甦り語りかけてくる気がした。
以来、脳裡を離れない彼ら被害者の声無き声、内なる心の叫びが
この文章を書く動機にもなっている。

61年前、広島や長崎の原爆被害者の方々は、何故あんなにも
惨たらしい死に方をしなければならなかったのか?

毎年、式典で献花が捧げられる原爆死没者慰霊碑には
「安らかに眠ってください。過ちは繰返しませんから…」という言葉が刻まれている。
明らかに懺悔の念を言葉に表した文面だが、この文面からは大事な主語が
抜けていることに容易に気がつく。過ちを繰り返さない主体は一体誰なのか?
おそらく原爆投下の加害者であるアメリカ一国のみを指したものではないとは思うが、
この様な人類史上最も残虐な大量殺人を受けた場所ですら主語をぼかさねば
ならないところにこの「平和祈願」の無力感を感じずにはいられない。

一体、広島と長崎の原爆投下が意味するものは何だったのか?
日本人は否、人類はこの本質をしっかり見定める必要があるのではないか。
この努力もせずに「平和や反核」」を叫んで感傷に浸っていても
無力感や空しさを胸から取り払うことはできないであろう。

今や広島と長崎の原爆投下は「アメリカの対日戦争勝利」には不必要であった
というのは良心的な歴史家の常識になりつつあるという。
ドイツの敗戦後、唯一残った日本であったが、相次ぐ戦線での敗北で、
制空権も制海権もアメリカに奪われ、3月の東京空襲を皮切りに
日本の都市は無防備状態となり、全国の主用都市は連日B29の焼夷弾攻撃に
さらされていた。
日本海軍は壊滅し瀬戸内海をアメリカの潜水艦が大きな顔して潜航するような
末期的状況下に追い込まれていた。そんな状況下で原爆は投下されたのだ!

ここに驚くべき資料がある。
トルーマン大統領記念図書館で発見された彼自身の日記がそれだ。

その日記によると「7月7日、イギリスのチャーチル、ソ連のスターリンにより
ポツダムで会談が持たれた際、スターリンが日本の天皇が和平を求めた
電報を送っていたことを伝えた」「しかしその和平電報は握り潰すことに決定した」
とある。
広島原爆平和資料館のパンフレットには「ソ連の影響力を高める前に
早期終戦に持ち込むため使用した」と説明されている。

この説は国際法違反である大量殺戮兵器である原爆を使用した
アメリカのプロパガンダとして正当性を掲げる定説となっている。
戦争を終了させるため仕方なしの作戦であったと。

だが一歩譲ってこの意見を肯定したとするとして、では広島に原子爆弾を
投下したあと、無条件降伏の回答を待たず3日後に何故、長崎に2発目の
原子爆弾を投下しなければなかったのか?
これに対する明確な答えは見つからないであろう。

敗北が決定し、天皇は和平交渉電報を打っているにもかかわらず
日本に対し原子力爆弾を使用した本当の理由は別にあったのである。

広島と長崎に使用された原子爆弾の種類は異なっていた。
長崎はプラトニウム239爆弾というすでにニューメキシコ州で実験済みの
爆弾だったのに対して広島には濃縮ウラン235爆弾という未使用な爆弾であり
これは実験の為の投下だったのである。

広島原爆が投下された時間「8時15分」も広島市民が
もっとも外へ出て仕事などをしている時間を入念にリサーチして、
外出している人への被害効果を測る最悪の人体実験だった。

幾ら戦争時とはいえ、こんな惨たらしい行為を
同じ人間がたいして良心の呵責も感じずにできるものなのか?

では何故、彼らはそれが出来たのか?

その思考の本質について次回以降、深く探っていきたいと思う。

広島の旅に思う・・・

2006-07-26 00:56:09 | 船頭の目・・・雑感・雑記
7月の23、24日の二日間、亀岡市が主催する
「親子で平和を学ぶ旅」という企画で広島に行ってきた。

広島を訪れたのは今回で2度目だ。

一度目はまだ学生の頃なので、もう20年近い歳月が経ったことになる。

その当時と比べて街並みの景観もより美しく整備され、広島は
また一段と活気を帯びた街として成長している様に感じられた。

ただ、綺麗な街並みに整備されればされるほど、日本が人類史上唯一体験した、
かけがえのない体験の記憶が、時間という大きな流れの経過とともに風化
してきているなと感じたのも事実である。

悲惨という言葉すら陳腐に感じられる現実が襲った街には高いインテリジェントビル
が建ち並び、数千の人達が原子爆弾の熱さに耐え切れず飛び込んだ川にも
今では観光船が多数行きかい楽しい宴会などの歌声すらも聞こえてくる。

これが‘平和’というものなんだろう。

この風化した‘今’を、風化し崩れ落ちそうな原爆ドームだけが
当時の姿のまま静かに主張をしながら見つめ続けている。

この鉄骨と壁だけで建ち、時間を止めている原爆ドームを前にし、
当時の人々の希望や夢、人生などに思いをはせると、
原爆被害者たちの眠れる魂が今にも自分に叫びかけてくる様に感じる。

今の有り余る平和を享受する自分たちに、彼らは何を語りかけてくるだろうか?
今の日本、争いの絶えない世界の現状をどのように感じていることだろう?

自分はそう考えずにはいられず、彼らの魂に問い掛けてみたい衝動にかられる。

彼らはおそらく、今だ終わることのなく世界で続けられている戦争という
ものの最後に行き着く終焉の姿を体験者として強烈に警告し、
戦争、争いというものへの深い憎しみを叫ぶことだろう。

それは原爆を投下したアメリカという一国への恨むというよりは
戦争を引き起こす人間の内面的な性格、思考への批判であろう。

自国という集団と自己という個人的なエゴや欲望、それを全面的に
肯定する生存競争という論理、そして優れた者が劣った者を選別して
しかるべきという情念への強烈な批判であると思うのだ。

わずか60年前、確かにこの場所で人類史上例を見ない地獄絵が展開した。

現代はこの広島に投下された爆弾の3000倍以上の破壊力を持つ
爆弾が世界には幾らでもあるという。

もし、そのような爆弾が使用されたなら、人類は間違いなく終焉を
むかえるであろう。

この危機に日々直面している我々は、どうすればいいんだろう?
何をすればいいのだろう?

考えれば考えるほど無力感が自分の心を大きく支配していく。
それは死者の魂が明確な答えを示しているにもかかわらず、
現実の世界に移していけないもどかしさでもある。

宇宙で唯一の‘いのち’地球上に命ある全ての生きものの生存を
確立していくためには、国境や思想、宗教や皮膚の色の違いを
越えて‘いのち’とは何か?生きるとはどうゆうことなのか?
という‘原点’に人類が立ち戻らなければならないことだけは
確かなようである。

北朝鮮が弾道ミサイルを発射!今、そこにある危機!

2006-07-05 23:58:46 | 船頭の目・・・雑感・雑記
今日の未明から夕方にかけて、北朝鮮が我が日本に向けて
大陸弾道ミサイル・テポドン2号を含む計7発のミサイルを発射した。

ミサイルは幸いなことに日本国土には着弾しなかったが、
この危機的な緊急事態を受けて日本のメディアは、朝からこのニュースで
持ちきりである。

六ヶ国協議も物別れに終り、国際社会で孤立し瀬戸際外交を
続ける北朝鮮の最終カードが今、切られたのか?
これまでの国際政治の常識では俄かに考えられないこの事態は
我が日本国にとってまさに、今、そこにある危機!なのである。

もうジャーナリストではない私には、この事態の真相や詳細について
知る立場にはないが、国際政治を勉強した者の勘とでも
いおうか、なにかとてつもない恐ろしい事態が進行している様な
胸騒ぎをおぼえるのだ。

メディア各社で報道される特番などで、専門家による分析や解説を
聞いてはいるが、自分が取材したものでないのでどの説が正しいのか
正直、判断しかねる。が、先ほどの情報ではさらに2発のミサイルが
発射の準備段階にあるということを聞き、日本メディア共通の認識である
アメリカ、日本などを交渉に付かせる為のアピール活動と呼ぶには
あまりにも度が過ぎている気がする。

外務省筋がいうように「北朝鮮政権内で大きな政変が起っているのでは?」
という読みもあながち信憑性のないものではないと思えてくる。

およそジャーナリストは、自分の足を運び、自分の目で見て、自分の耳で聞いたもの
以外は信用してはいけないのは不変の鉄則だが、これだけ無計画で異常な
北朝鮮の行動を見せられると、外務省の読みも支持したくなるというもの。

私も早速、ジャーナリスト仲間やメディア関係者とコンタクトを取り、
鋭意、情報を集めてみたいと思う。

歯切れの悪い政府発表の裏に隠された生の情報は、もしかしたら
私達の思いもよらない戦慄の真実が隠されているのかもしれないのである。

笑いと感動そして‘いのち’亀岡で村上和雄先生が講演

2006-06-24 18:39:36 | 船頭の目・・・雑感・雑記
DNA(遺伝子)解析の世界的権威にして今、ノーベル賞に
最も近い日本人科学者である村上和雄先生の講演会が自分の地元
亀岡で開催された。

以前、このブログにも書いたが、村上先生は私の生涯の師と仰ぐ
山本利雄先生(元・天理よろず相談所病院・院長)と旧知の間柄であり
いくつかのシンポジウム等で面識のある先生なのだ。

その先生が我が地元亀岡にお越しになり講演をされるとなれば、
仕事を休んででも駆けつけないわけにはいかない。

村上先生は高血圧の黒幕である酵素「レニン」の遺伝子解読に世界で
初めて成功し、遺伝子学会のみならず医療の世界にも偉大な功績を残されている。

そして今では筑波大学教授を退官後、名誉教授として「笑いや感動」が
遺伝子の働きに影響を与えているという仮説を立て、心と体の働きには
つながりがあることを科学的に証明するため、吉本興業の協力のもと
「心と遺伝子研究会」を設立し、精力的に活躍されている行動される科学者だ。

ベストセラー作家でもある先生の講演とあって会場となった
「ガレリアかめおか」の大広間は開演前にすでに超満員。
立ち見が出るほどの大盛況だ。

笑いの研究されてる先生らしく、講演はお笑いのトークを
聞いているように面白く、先生が例え話をされる度に
会場は爆笑の渦になるのはさすがだ。


現代の最先端科学は人の遺伝子暗号の全ての解読を終えている。

先生はこの素晴らしい人類の英知を讃えながらも
「では、その書き込みを解読できたとして、書き込んだのは何者か?」
これは知性の世界であるサイエンスでは、絶対に解読できない」と
科学の限界を示唆し、科学で知れる範囲のことで、この世や生命の全てが
わかったような気になることは、人間の傲慢であると言い切る。

先生の説では科学には「昼のサイエンス」と「ナイトサイエンス」があるともいう。

最先端科学を突き詰めれば、突き詰めるほど、不思議な存在である
「サムシング・グレート」の存在にぶち当たると述べ「世界一流の科学者も
昼の研究室では決して口にしないが、夜の会食などの席では皆その不思議さ
を語っている」という裏話も明かされた。

確かに冷静に考えるとそうだ。

人間の体を作る細胞は60兆個。
その細胞一つの大きさは、重さ1gの2000億の分の1、幅1㎜の50万分の1の
中に1ページ1000字として1000ページの本が約1000冊分に
相当する情報量が書き込まれている。

この情報は一寸の違いもなく整然と正確に書き込まれているからこそ、
今日の自分に、今日のあなたに成長しているのだ。
このバランスが少しでも狂うと存在することはおぼつかない。

ではこの微小な細胞にこの膨大な情報を書き込んだ主は一体何者であろうか?
しかも、現代科学の力ではこの細胞どころか、大腸菌すら無から作り出すことは
不可能なのだと先生はいう。

書いてある暗号を解読するのと、その暗号を最初に書き込むのとは
全く次元が違う問題なのであろう。

その不思議な遺伝子が、笑いや感動で目覚め働き出すという事実。
病気や性格も改善してしまう働きはどの様な何故で、どう意味があるのか?
メカニズムはどうなっているか?

まさにロマンのあるお話であった。

このような興味深い話を1時間30分にわたってお話下さったのであるが、
全て載せられないのが残念だ。

私もついつい思考の闇に落ち入りがちな性格であるので、
先生の話にもあった様に「‘今、生きている’という科学的奇跡」を
実感する豊かな感性を磨き、これからの人生を歩んでいかねばと思う。

村上先生の話を聴かせて頂いていると、我が師に教えていただいた
「全過去、全現在、全未来は、いまここにのみ実在する」
「今を生きるとは非連続に連続する絶対実在の論理即事実である」という
言葉が心に甦り、深い感慨がこみ上げる講演会でもあった。

村上和雄先生(筑波大学名誉教授)
京都大学農学部、米国オレゴン大学医学部、米国バンダービルド大学医学部
を経て筑波大学応用生物化学系教授、99年退官。
著書に「生命の暗号」「人生の暗号」「笑う遺伝子」「生命のバカ力」
「バイオテクノロジー」「成功の暗号」など多数。

修学旅行で‘いじめ’を目撃!

2006-06-12 21:48:58 | 船頭の目・・・雑感・雑記
修学旅行・・・もう遠い記憶になるが、忘れることのない楽しい思い出が詰ってる。

たぶん、このブログをお読み頂いている皆様にとっても楽しい記憶として
残っていることだろう。

5月中旬から6月初旬の保津川はその修学旅行生でいっぱいだ。

この時期は中学生の旅行シーズンで、毎日、元気な声が渓谷にこだましている。

だが、どうも楽しい記憶ばかりでもない人もいるのかも?と
認識させられる現場を目撃してしまったのだ。

それは男子ばかり22名が乗り込んだ自分の船の中で起った。

船後部座席2列に3名づつ座り込んだ男子中学生たち。

まだ、あどけなさが残る彼らは特に悪ぶったところのない何処にでもいる子供達だ。

だが、最後部の舵を持ち、彼らの動向や言動を何気なく観察していた
私は、いつもとは何か微妙に違う雰囲気を感じ出した。

彼ら6人は「急流」で大きな声をあげ、皆仲良くはしゃいでいるのだと思っていたが…

そう!後部2列の前列真ん中に座っている子だけは、最初からはしゃいでなかったのだ!

船が揺れ、水しぶきを浴びてはしゃいでいるのは他の5名だけで、
その子はピクリとも姿勢を崩さず、じぃ~と前だけを見ているのだ。

しばらくすると、後ろの子がその動かない子の背中を指で突付きだした。
だが、その子は無視して姿勢を崩さない。

周りの5人は、髪の毛を引っ張ったり、脇の下を小突いたりと
その行動が段々エスカレートしてくる。

さすがにそのやられている子も怒った様で、髪の毛に絡みついた手を
強い力で払い除け、鋭い視線で行為者を睨んだ。

すると行為者は「ヘイ~怒ってる~イェーイ!」とおちょけ出し、
周りも一斉に「わはは~」とバカにした様に笑い出した。

そうなのだ!その真ん中の子は明らかに周りの子らに‘いじめ’られているのだ。

よく見ると確かに周りの5人よりかなり真面目っぽい感じの子だ。

そういえば座席に座る時も、周りの子らに囲まれて席に座らされた様な気がする。
最初からいじめるつもりで、その子を真ん中に座らせ、周りを取り囲んだのだろう。

そのいじめ行為は、繰り返し繰り返し、およそ30分は続いていただろか。

明らかにその子は嫌がっているようだ。

私はこの船に乗っている先生らしき人物に目をやった。
その先生らしき人は、賑やかに馬鹿笑いする後部座席の方を振り返りはするが、
すぐに彼らが大人しくなるので、何も気付かず目線を前方に戻してしまう。

「この鈍感さでは、子供のSOSに気がつく訳はない。」と私は絶望した。
恐らくこの旅行中、ずっと彼らに付きまとわれているのだろう。
それが事実ならなんと辛く悲しい修学旅行なのだろう。

何とかその行為をやめさせる方法はないか?思案していた私に、その機会がきた!

彼らのしつこい嫌がらせに業を煮やしたその子は、とうとう、
固めた握り拳を振り上げ振り返り、後ろの子たちを睨んだ。

「今がチャンス!」と感じた私は、拳を振り上げているその子に向かって
「う~ん、今の裏拳凄くいい!凄く早かったな」と話し掛けた。
「君は空手をやるといい!その拳のスピードなら強くなれるよ」と言ってあげた。

それを聞いた周りの子らには一瞬沈黙が流れたが、「こいつが?無理無理…」と
またバカにした様に笑い出した。

「俺は船頭やけど、本職はケンカ空手の極真空手家や。実際、何人もの
チャンピオンも育ててる。その俺が見て、そう感じるのだから間違いない!」と
真顔で、静かに言い切った。
続けて「君の様に静かで大人しい人ほど、内に秘めた気持ちの強い人が多い。
怒りを押さえる忍耐力こそ成功者に必要な要素。挫けない心というのなら、
周りの君らよりよっぽどこの子の方が強いし、いいものを持っている」と話し
「帰ったら絶対空手を始めてみて!強くなるといいことがあるぞ!」と改めて薦めた。

するとそのいじめらていた子は、少しはにかんだ笑顔を私に見せて
「ウン」と小さく頷いてくれた。

それから嵐山までの約1時間、その子へのいじめ行為は一切なくなったのだ。

もちろん、いじめ行為に「力」で対抗しようと薦めた私のやり方には
賛否両論あるとは思うが、長年、空手道場であの年代の子らと接してきた
経験上、また、今も指導する立場で関わっている者として、本人が「力」を付けた
時の変化の大きさはいやというほど見てきたし、感じている。

それは「腕力」を付けるという道筋で、自分に自信をつけ
立ち向かう勇気と気力を養えると確信するからだ。

今の教育界はどうも「腕力」を「暴力」と混同して軽視する
傾向にあるようだ。「話せばわかる」と「言葉の力」を
あまりにも信用しすぎているのではないだろうか?
本当に「話せばわかる」のならば論理的頭脳を持つ優秀な先生方が
説かれる説教でこの国からいじめがなくなるはずだが、現実は
そうではなく、年々深刻の度合いを増しているのだ。

「いじめられた辛さに耐える力がある子」に「強さ」という自信を
つけてあげることで、立ち直った子供たちを多く知っている。

「ニート」など引きこもる若者が社会問題になる中、その子らは
堂々とこの社会で生き抜いている。

船を下りた後、その子へのいじめ行為がなくなったのか知るすべもないが、
一期一会、その子には力強く生きる道を選んでほしいと願わずにはいられない。