胡散臭いなあと思いつつ、なんだか、言い古されていた「言葉」が輝きつつ、腑に落ちるのを実感する昨今。
今朝もなんか、おおお!と自分的に思える「言葉」がハートに染み込んだ。
今朝、寝相の悪い私はベッドの上でゴロゴロ転がりながら目が覚めた。
何かしら寝ながら思索していた様子で、目が覚めた時に、結論らしきものを導き出していた。
おそらくは、ワンネスについて考えていたのではないかと思う。
結論は、『私の世界に存在する全ては、みーんな【わたし】なんだから、ちょっとフォーカスすれば、その存在のキモチを理解できるよ。』であった。
対象が鉱物でも、人でも機械でも、なんでも。魔術師が魔術師たる所以は、これに尽きる。
瞑想も一つの手法である。
自分が自分と思ってる(認識している)もの以外、例えば他の人、に意識を集中し、同調する。同調には技術は必要ない。思い浮かべれば良い。
しかし、その際に、「わたし」のエゴちゅうか、思い込みが少なければ少ないほど、相手というか対象のキモチがわかるのである。
自分の思い込み、それは「判断(ジャッジメント)」である。イイとか悪いとか、好きとか嫌いとか、なんだとかかんだとか。そういのが私を構築してると
思いがちだけど、多分、違う。 それはいわば、思考のカスではないかと思うのよ。カスにしがみ付いたりしても意味ないので、捨てるが一番ね。
良く、判断してはいけません、とか、全てを受け入れましょう、とか本に書いてあるけど、ある意味、その通りである。簡単ではないけどね。
「わたし」という思考のカスが(笑)自分と他にマボロシの境界線を作ってしまうのである。この境界線、要らないんだよね、ホントは。
他人は自分であり、自分は他人である。 一つ、なんである。結局のところ。
私は細胞分裂ファンである(爆) 誰が思いついたんだろうね?あの機能。
人間の例で言えば、受精卵がどんどん分裂していって、ヒトになっちゃうんだよね。凄いよね!最初はひとつ、ここがポイント。一つから分裂して増加していったのだから、もとは一緒よね。
しかし。
私の手の指の爪になった細胞は、分裂の段階で、「私は爪になる!」と思ってなったのだろうか?
私の白髪は、「私は髪の毛になる!でも白髪ね!」と自ら選択したのだろうか?
そこには何の意思も無いのだろうか?じゃあ、誰が何が一つの細胞から分裂して増殖しようとしたわけ?
私の足の甲。確かに足の甲はあり、その皮膚は体中でつながっている。足の甲は太ももではないのは確かだが、でも、足の甲と足首の境界線ってどこ?無いよね。
私が私と思ってるのは足の甲の部分であり、太ももは他人と思ってるんだよね。でも機能は確かに違うけど、境界線は無いのです。太ももと足首の間にはふくらはぎ、があるけど、足首とふくらはぎの間には明確な境界線は存在しない。
なので、足の甲は太ももの一部であり、ふとももも、ある意味、足の甲なんである。
何を考えてるのか、私(爆)
そそ。境界線。自分と他人は違うと思う以上、そこには境界線がある。思い込み境界線。でもホントは実在しないんだよね、これ。この境界線を構成してるのが、判断であったりするわけで。判断をやめれば、境界線、無くなるんではないかな。
何でこんな事を考えてるのか自分でもワカラナイんだけど、ホントは(笑)まあ、好きなんですね、きっと。だからって何だって事も無いのですが。こうしてウダウダ考えをめぐらすのが、楽しいのかもね(笑)
そか、そっかー!と思う事が増えるたび、私の心の空も来クリアーになっていくようで、楽しいのだ。
会社でのイジメもゲームと思えるようになった。ゲームに本気になった時点でゲームオーバー。なので、私はゲームと思ってる間は大丈夫、そんな気がしている。イジメちゅうほどのイジメでもないけど(笑)
今朝もなんか、おおお!と自分的に思える「言葉」がハートに染み込んだ。
今朝、寝相の悪い私はベッドの上でゴロゴロ転がりながら目が覚めた。
何かしら寝ながら思索していた様子で、目が覚めた時に、結論らしきものを導き出していた。
おそらくは、ワンネスについて考えていたのではないかと思う。
結論は、『私の世界に存在する全ては、みーんな【わたし】なんだから、ちょっとフォーカスすれば、その存在のキモチを理解できるよ。』であった。
対象が鉱物でも、人でも機械でも、なんでも。魔術師が魔術師たる所以は、これに尽きる。
瞑想も一つの手法である。
自分が自分と思ってる(認識している)もの以外、例えば他の人、に意識を集中し、同調する。同調には技術は必要ない。思い浮かべれば良い。
しかし、その際に、「わたし」のエゴちゅうか、思い込みが少なければ少ないほど、相手というか対象のキモチがわかるのである。
自分の思い込み、それは「判断(ジャッジメント)」である。イイとか悪いとか、好きとか嫌いとか、なんだとかかんだとか。そういのが私を構築してると
思いがちだけど、多分、違う。 それはいわば、思考のカスではないかと思うのよ。カスにしがみ付いたりしても意味ないので、捨てるが一番ね。
良く、判断してはいけません、とか、全てを受け入れましょう、とか本に書いてあるけど、ある意味、その通りである。簡単ではないけどね。
「わたし」という思考のカスが(笑)自分と他にマボロシの境界線を作ってしまうのである。この境界線、要らないんだよね、ホントは。
他人は自分であり、自分は他人である。 一つ、なんである。結局のところ。
私は細胞分裂ファンである(爆) 誰が思いついたんだろうね?あの機能。
人間の例で言えば、受精卵がどんどん分裂していって、ヒトになっちゃうんだよね。凄いよね!最初はひとつ、ここがポイント。一つから分裂して増加していったのだから、もとは一緒よね。
しかし。
私の手の指の爪になった細胞は、分裂の段階で、「私は爪になる!」と思ってなったのだろうか?
私の白髪は、「私は髪の毛になる!でも白髪ね!」と自ら選択したのだろうか?
そこには何の意思も無いのだろうか?じゃあ、誰が何が一つの細胞から分裂して増殖しようとしたわけ?
私の足の甲。確かに足の甲はあり、その皮膚は体中でつながっている。足の甲は太ももではないのは確かだが、でも、足の甲と足首の境界線ってどこ?無いよね。
私が私と思ってるのは足の甲の部分であり、太ももは他人と思ってるんだよね。でも機能は確かに違うけど、境界線は無いのです。太ももと足首の間にはふくらはぎ、があるけど、足首とふくらはぎの間には明確な境界線は存在しない。
なので、足の甲は太ももの一部であり、ふとももも、ある意味、足の甲なんである。
何を考えてるのか、私(爆)
そそ。境界線。自分と他人は違うと思う以上、そこには境界線がある。思い込み境界線。でもホントは実在しないんだよね、これ。この境界線を構成してるのが、判断であったりするわけで。判断をやめれば、境界線、無くなるんではないかな。
何でこんな事を考えてるのか自分でもワカラナイんだけど、ホントは(笑)まあ、好きなんですね、きっと。だからって何だって事も無いのですが。こうしてウダウダ考えをめぐらすのが、楽しいのかもね(笑)
そか、そっかー!と思う事が増えるたび、私の心の空も来クリアーになっていくようで、楽しいのだ。
会社でのイジメもゲームと思えるようになった。ゲームに本気になった時点でゲームオーバー。なので、私はゲームと思ってる間は大丈夫、そんな気がしている。イジメちゅうほどのイジメでもないけど(笑)
あははは。
思ったです。私が今世、「右手の親指の爪」として、何の因果か知らねど(因果ではある)生まれてきたのだから、爪であることに全力投球(笑)しかないよね、結局。爪は乳首になって愛されたり(爆)、歯になって磨かれたりできないけどさ。
人々の人生って、そんなもんなのかもなー、と思ったわけです。
皆、根っこの部分は同じで、大して変わらないよーな気がする。