日常。
出家したわけでもないので(笑)、私には「日常生活」があり、その中で生きている。
具体的に言えば、会社勤めをしながら少しばかりの(爆)収入を得て、その範囲の中で衣食住をまかない、暮らしている。
そういう生活を意図的に選んだわけではないが、結果、そうなっているのが事実である。
仕事は、どうでもいいような気持で(爆)気楽に取り組んでいる。
かつては、自分のプレゼンスを確立するために(心配性だったので、クビになるのでは?という恐怖がいつもあったのだ!!)、無料休日出勤を初め、いろんなサービスをしていたが、どうでもいいや、と思えるようになってから、自然とそういう行為はしなくなった(爆)
例えば、毎朝、始業1時間前くらいに行って仕事をしていた。私のボスはオフィスに到着するなり、一気に仕事モードに突入できたのである。
でもさ、そういうのも、自分のため?という動機ではなく、クビにならないようにプレゼンスを確立する、という「怖れ」を基本にした行為だったため、私の中で何か地殻変動が起きた時に、意図せず、自然とそういう行為がなくなった。
会社にも丁字にしか行かない。
最初は、私より先に着席しているボスを見て、罪悪感なんか感じていたけど、それもすぐ消滅し、なんとも思わなくなった。それどころか、ボスも私が早く来ないので、定時に出勤するようになった!(笑)
そうか、私に合わせて早く出勤していたのか?!(笑)
クビになったところで、それはそれ(笑) そしたら、必ず「クビになった」を経由しての道が開かれる。
結局は、どんな「デキゴト」も通過点に過ぎないのだ。 私がこの仕事をクビになったら、そら、多少困るかもですが、それで人生が終わる事はありえないもんね。なんだかんだと、その後も続くのである。
だから、その通過点のデキゴトで、あんまり一喜一憂しててもな、とか思うようになったら、とーっても気が楽になった。
人生は塞翁が馬、だと私は思う。良いも悪いも無いといえば無い。ただ、変化していくだけである。 幸運が訪れたとしても、その喜びは永久に持続しない。カナシミが訪れても、それも永遠ではない。いつか、消滅していくか、カタチを変えていくかする。それが世の中というものだ。
まあ、その一方で不変な何かも、同じに存在してるんだと思うけど。
さて、そんな日常。
まあ、世の中的には特別でもないし、フツーの一般市民な暮らしぶりであると思う。
これもまた、どこに視点をおくかで、随分、その意味が変ってくる。
例えば私は会社で辛酸を舐めている(爆)と思っていて、周りの、イワユル、日本的なエリートが大嫌いだった時期がある。「ふん。何をエラソーに!」と思っていた。
私は生活基準(住まいの家賃等。駐在員には会社が出してるんだけどね。)とか、会社での激しい賃金格差(私は現地採用)とか、それよりも何よりも、「ふん、日本人の中だけじゃん、威張れるのって。世界基準から見たら、あんたなんかプー!」と思ってる日本人駐在員から、同じ日本人でも、私だけ二級市民の扱いを受ける事で、もの凄く気分を害したものだ(笑)
私もホント、小物でございますね(爆)
そんな日常の中で、特別なエンライトメントに遭遇するとか、聖人や賢人が登場する!というイベントも無く、私の探求は相変わらず、遅々としながらも、模索が続いている。
ホントは、ピカーッと空が二つに割れて、、、、とかいう劇的なデキゴトでも起きたら刺激的なんでしょうが、全くそういうのもないです(笑) 残念ながら。
そんな小市民的(笑)に探求の道を辿る自分に「与えられたもの。」は、この「日常的生活」しかないのである。
普通に仕事をし、趣味のヨガにウツツを抜かし、週末には友人と会って映画を観たり、楽しい事をしてみたり。 趣味の読書も延々と続けて、もう、このジャンル飽きたなあ~と思っても、他に関心を寄せる分野が無いので、相変わらず能書き世界の本に沈殿している。
必要なものは、既に、「全て」与えられている。
有名な言葉だ。
人生に足りないものも、欠けてるものも無い!という、小市民をエンカレージ(激励、勇気づける)する言葉かしら?とずーーーっと思っていた。
だって~!私に与えられているもの、、って言っても、特別な才能も無いし、地味な、この単なる日常が『与えられている』?わけ? だったら、あんまり役に立たないよなあァ~^^
それに、仮に私が消滅しても、誰も困らないのではないか?とずっと思っていた。
地殻変動は静かに起きた。いつ、なんどきだったか記憶には無いけど。
私はこの地味な日常の中に、「凄いなあ!」と感じる事を発見し、私の問いへの「答え」を、ものの見事に発見しているのだ。劇的に、ではなく自然に、ゆるやかに。。。
ホント、必要なものは「全て今、ここにある。」ってーのを実感しているのだ。
そしてそれは、本から実感する事もあるけど、「周りの人」の人生から、という事がとても多い。人間って、そういう風に影響しあうように出来ているのかも知れない。
例えば、昨日、友人アントニオがマネージャー(実質責任者)をしているカフェ・レストランに夕食に行った。 高級住宅地に隠れ家のように存在するこのカフェは、インテリアにお金をかけてあり、大変居心地がよく、メニュもサラダ中心で、働く人々も若くてフレンドリーな人ばかりで、徐々に人気だそうだ。
アントニオは料理好き。正式な修行はしていないみたいだけど、私のように料理を作って人を驚かせたり、喜ばさせたりするのが好きな人なのだ。
彼は10ヶ月ほどまえ、とあるホテルのレストランマネージャーで採用されたけど、ホントはホテルビジネスの経験も無く、英語も堪能というわけではなかったため、既存の社員からイジメを受け(本人談)、イヤイヤながら仕事をしていた。
結局、数ヶ月もしないうちに、クビになってしまった。 彼はとてもショックを受けていたし、私たち友人もなんと言っていいやら、という感じであった。
その後、彼は就職せずに、好きな料理のケータリングを知人・友人ネットワークを使って始めていた。自宅でパーティする人の家に出向いて、そこのキッチンでパーティ料理を作るのである。
そんな事を数ヶ月しているうちに、彼の料理のセンスを評価する人が現われたのだ。それが、現カフェのオーナー。
アントニオは首になった時点で、凄くスネていたし、荒れてもいた。セルフエスティームも相当下がったと思われる。でも、結果として、あの「悪夢の解雇事件」は、自分のレストランを持つ、という夢への始まりだったわけである。
世の中、上手くできてるねえ~と、彼のレストランで嬉々として働く彼を見るたびに思う。そしてレストランのメニュには、アタクシが直伝した「牛のたたき」サラダがあります!!
もう少し先に、「ジャパニーズウィーク」を企画するから協力してね!というアントニオの申し出を、快く引き受けたのは言うまでも無い。
私はアントニオに起きた出来事を思うたび、「通過点」の一点だけで、全てを判断しても意味無いな、と思うようになった。良い事と悪い事は、結局、同じコインなのだ。裏だけのコインも無いし、表だけのコインも無いのである。
人はハッピーな時や、順調な時には「どうして?」と思う事はあまりないように思う。
思い通りにならなかった時に「なぜ?どうして?」という思いが沸いてくる。そして、このクエスチョンは、必ず回答が与えられるのだ。
またもや、友人。大好きな友人M。
先日、Mの車に同乗していた時、Mの勤務する大ホテルの敷地内であったが、Mは管理職だけど、クリーナーからどんな人にも声をかけるのだ。私の住む場所は、階級社会なので、普通、そんな光景は見ない。しかも職務階層が明確な職場である。
Mはそんな事は一向にお構いなしに声をかけていく。当然、みんな笑顔で応えている。
それを見て思った。
全員が管理職ではホテルは存在できない。
料理する人も、掃除する人も、客室の世話をする人も、全部、「必要」なのである。
その必要性に優劣は無い。「必要」があるだけだ。
そして、ホテルの社長と掃除のオバサンとで、人間的な格差も結局、無いのだ。カルマ的に観れば、幾度もの転生で、人はいろんな役を演じてるそうだから、今回は掃除婦、次回はバチカン法王かも知れない。
そう思えるようになってから、「理不尽な駐在員の私に対する態度」も、納得がいくようになった(笑) そういう「違い」の中で、人は何かを学んで「腑に落として」いくのである。体験、ってやつか。
そして体験には、「体験する、しない」があるだけで、「良い体験」「悪い体験」ってーのは存在しないのだ。良い悪いはあくまで、人間が自分の欲望や満足度を標準に決定しただけに過ぎないのだ。
そしてその欲望も一定ではなく、どんどん変わっていく。変っていくものを満たす事は出来ないと思うのだ。変っていくものを観察する事、で充分と思うのだ。
こうして、私の日常にも、なんと「お宝」が散りばめられているのだ、と思うようになったら、なんか、平安な気分で暮らせるようになりました^^
出家したわけでもないので(笑)、私には「日常生活」があり、その中で生きている。
具体的に言えば、会社勤めをしながら少しばかりの(爆)収入を得て、その範囲の中で衣食住をまかない、暮らしている。
そういう生活を意図的に選んだわけではないが、結果、そうなっているのが事実である。
仕事は、どうでもいいような気持で(爆)気楽に取り組んでいる。
かつては、自分のプレゼンスを確立するために(心配性だったので、クビになるのでは?という恐怖がいつもあったのだ!!)、無料休日出勤を初め、いろんなサービスをしていたが、どうでもいいや、と思えるようになってから、自然とそういう行為はしなくなった(爆)
例えば、毎朝、始業1時間前くらいに行って仕事をしていた。私のボスはオフィスに到着するなり、一気に仕事モードに突入できたのである。
でもさ、そういうのも、自分のため?という動機ではなく、クビにならないようにプレゼンスを確立する、という「怖れ」を基本にした行為だったため、私の中で何か地殻変動が起きた時に、意図せず、自然とそういう行為がなくなった。
会社にも丁字にしか行かない。
最初は、私より先に着席しているボスを見て、罪悪感なんか感じていたけど、それもすぐ消滅し、なんとも思わなくなった。それどころか、ボスも私が早く来ないので、定時に出勤するようになった!(笑)
そうか、私に合わせて早く出勤していたのか?!(笑)
クビになったところで、それはそれ(笑) そしたら、必ず「クビになった」を経由しての道が開かれる。
結局は、どんな「デキゴト」も通過点に過ぎないのだ。 私がこの仕事をクビになったら、そら、多少困るかもですが、それで人生が終わる事はありえないもんね。なんだかんだと、その後も続くのである。
だから、その通過点のデキゴトで、あんまり一喜一憂しててもな、とか思うようになったら、とーっても気が楽になった。
人生は塞翁が馬、だと私は思う。良いも悪いも無いといえば無い。ただ、変化していくだけである。 幸運が訪れたとしても、その喜びは永久に持続しない。カナシミが訪れても、それも永遠ではない。いつか、消滅していくか、カタチを変えていくかする。それが世の中というものだ。
まあ、その一方で不変な何かも、同じに存在してるんだと思うけど。
さて、そんな日常。
まあ、世の中的には特別でもないし、フツーの一般市民な暮らしぶりであると思う。
これもまた、どこに視点をおくかで、随分、その意味が変ってくる。
例えば私は会社で辛酸を舐めている(爆)と思っていて、周りの、イワユル、日本的なエリートが大嫌いだった時期がある。「ふん。何をエラソーに!」と思っていた。
私は生活基準(住まいの家賃等。駐在員には会社が出してるんだけどね。)とか、会社での激しい賃金格差(私は現地採用)とか、それよりも何よりも、「ふん、日本人の中だけじゃん、威張れるのって。世界基準から見たら、あんたなんかプー!」と思ってる日本人駐在員から、同じ日本人でも、私だけ二級市民の扱いを受ける事で、もの凄く気分を害したものだ(笑)
私もホント、小物でございますね(爆)
そんな日常の中で、特別なエンライトメントに遭遇するとか、聖人や賢人が登場する!というイベントも無く、私の探求は相変わらず、遅々としながらも、模索が続いている。
ホントは、ピカーッと空が二つに割れて、、、、とかいう劇的なデキゴトでも起きたら刺激的なんでしょうが、全くそういうのもないです(笑) 残念ながら。
そんな小市民的(笑)に探求の道を辿る自分に「与えられたもの。」は、この「日常的生活」しかないのである。
普通に仕事をし、趣味のヨガにウツツを抜かし、週末には友人と会って映画を観たり、楽しい事をしてみたり。 趣味の読書も延々と続けて、もう、このジャンル飽きたなあ~と思っても、他に関心を寄せる分野が無いので、相変わらず能書き世界の本に沈殿している。
必要なものは、既に、「全て」与えられている。
有名な言葉だ。
人生に足りないものも、欠けてるものも無い!という、小市民をエンカレージ(激励、勇気づける)する言葉かしら?とずーーーっと思っていた。
だって~!私に与えられているもの、、って言っても、特別な才能も無いし、地味な、この単なる日常が『与えられている』?わけ? だったら、あんまり役に立たないよなあァ~^^
それに、仮に私が消滅しても、誰も困らないのではないか?とずっと思っていた。
地殻変動は静かに起きた。いつ、なんどきだったか記憶には無いけど。
私はこの地味な日常の中に、「凄いなあ!」と感じる事を発見し、私の問いへの「答え」を、ものの見事に発見しているのだ。劇的に、ではなく自然に、ゆるやかに。。。
ホント、必要なものは「全て今、ここにある。」ってーのを実感しているのだ。
そしてそれは、本から実感する事もあるけど、「周りの人」の人生から、という事がとても多い。人間って、そういう風に影響しあうように出来ているのかも知れない。
例えば、昨日、友人アントニオがマネージャー(実質責任者)をしているカフェ・レストランに夕食に行った。 高級住宅地に隠れ家のように存在するこのカフェは、インテリアにお金をかけてあり、大変居心地がよく、メニュもサラダ中心で、働く人々も若くてフレンドリーな人ばかりで、徐々に人気だそうだ。
アントニオは料理好き。正式な修行はしていないみたいだけど、私のように料理を作って人を驚かせたり、喜ばさせたりするのが好きな人なのだ。
彼は10ヶ月ほどまえ、とあるホテルのレストランマネージャーで採用されたけど、ホントはホテルビジネスの経験も無く、英語も堪能というわけではなかったため、既存の社員からイジメを受け(本人談)、イヤイヤながら仕事をしていた。
結局、数ヶ月もしないうちに、クビになってしまった。 彼はとてもショックを受けていたし、私たち友人もなんと言っていいやら、という感じであった。
その後、彼は就職せずに、好きな料理のケータリングを知人・友人ネットワークを使って始めていた。自宅でパーティする人の家に出向いて、そこのキッチンでパーティ料理を作るのである。
そんな事を数ヶ月しているうちに、彼の料理のセンスを評価する人が現われたのだ。それが、現カフェのオーナー。
アントニオは首になった時点で、凄くスネていたし、荒れてもいた。セルフエスティームも相当下がったと思われる。でも、結果として、あの「悪夢の解雇事件」は、自分のレストランを持つ、という夢への始まりだったわけである。
世の中、上手くできてるねえ~と、彼のレストランで嬉々として働く彼を見るたびに思う。そしてレストランのメニュには、アタクシが直伝した「牛のたたき」サラダがあります!!
もう少し先に、「ジャパニーズウィーク」を企画するから協力してね!というアントニオの申し出を、快く引き受けたのは言うまでも無い。
私はアントニオに起きた出来事を思うたび、「通過点」の一点だけで、全てを判断しても意味無いな、と思うようになった。良い事と悪い事は、結局、同じコインなのだ。裏だけのコインも無いし、表だけのコインも無いのである。
人はハッピーな時や、順調な時には「どうして?」と思う事はあまりないように思う。
思い通りにならなかった時に「なぜ?どうして?」という思いが沸いてくる。そして、このクエスチョンは、必ず回答が与えられるのだ。
またもや、友人。大好きな友人M。
先日、Mの車に同乗していた時、Mの勤務する大ホテルの敷地内であったが、Mは管理職だけど、クリーナーからどんな人にも声をかけるのだ。私の住む場所は、階級社会なので、普通、そんな光景は見ない。しかも職務階層が明確な職場である。
Mはそんな事は一向にお構いなしに声をかけていく。当然、みんな笑顔で応えている。
それを見て思った。
全員が管理職ではホテルは存在できない。
料理する人も、掃除する人も、客室の世話をする人も、全部、「必要」なのである。
その必要性に優劣は無い。「必要」があるだけだ。
そして、ホテルの社長と掃除のオバサンとで、人間的な格差も結局、無いのだ。カルマ的に観れば、幾度もの転生で、人はいろんな役を演じてるそうだから、今回は掃除婦、次回はバチカン法王かも知れない。
そう思えるようになってから、「理不尽な駐在員の私に対する態度」も、納得がいくようになった(笑) そういう「違い」の中で、人は何かを学んで「腑に落として」いくのである。体験、ってやつか。
そして体験には、「体験する、しない」があるだけで、「良い体験」「悪い体験」ってーのは存在しないのだ。良い悪いはあくまで、人間が自分の欲望や満足度を標準に決定しただけに過ぎないのだ。
そしてその欲望も一定ではなく、どんどん変わっていく。変っていくものを満たす事は出来ないと思うのだ。変っていくものを観察する事、で充分と思うのだ。
こうして、私の日常にも、なんと「お宝」が散りばめられているのだ、と思うようになったら、なんか、平安な気分で暮らせるようになりました^^
いろいろ未熟な点をさらけ出しているブログですけどよろしくです^-^
とりあえず当面は無理なくまったり成功を目指していく方向で決定しました。気持ちは Being的に、行動はゆったりDoing ……という感じでいこうかなと思ってます。
ワタクシ、思うんですよ、時々。
成功、ってなんなのかな~って。富をゲットする事や、地位や名誉や異性を「ゲット」する事なのか~?
それもちょっとアレだよな(笑)と個人的には思ってるので。
成功って、目指すものではなく、感じ取ることではないかと思います。
平たく言えば、「もう、既に成功している!」わけで(笑)
もう成功を手にしていると自覚すれば、後の「デザイアー」はお遊びのようなもんで(笑)あってもなくてもいいけど、ヒマだから実現してみようかな?という軽い気持で実践できるのでは?と思うのです。
こういうを、天性で身に付けてる人もいれば、私のように頭デッカチで理屈で納得できないと進めないタイプもいるわけで、そのアプローチは人の数だけ存在するのでは、と思います。辿り着く場所は一緒だけど^^
今回掃除婦、次回はバチカン!
おぉ!あり得ますねー
ところでエディンバラ旅はいかがでした?旧いか!(^^;)
ずーっと眠くて、まぁいっか~(Being状態??)って毎日を過ごしていましたら、もう12月!びつくりいたしました。何もせんでも時は過ぎます、ほんとに。
さて、今年はどんな年でしたか?なーんて総括したくなる時期ですが(笑)Kamoちゃんはレンアイに忙しかった?今年ゲットしてないなら、来年、です!ドン!←太鼓判を押した音。
捕獲方法は簡単!Kamoちゃんが、Kamoちゃんでいればいいだけです。そうすっと、自然に寄ってくるらしいですぜ。そのような話は耳にタコができるほど聞いてるとは思いますが(笑)このたび、その集大成版が出たよ。
The Secret、です!DVDが凄くいいらしいです。本も出てて、アマゾンのベストセラーになってました。
潜在意識の活性化とか活用法なんだけど、結局(笑)そのアプローチとかまとめ方、プレゼンテーションの仕方(笑)で、「腑に落ちる」度合い、全然違うのですよね。
これが腑に落ちれば、後は、自然に作動していくだけ、なんです、はい。Kamoちゃんもチャンスがあったら、是非、ゲットしてみてくだされ。
私からの「情報お歳暮」(笑)どした。
探せなかったデス。[The Secret Garden]がわんさか出てきました。邦題は何でしょ…
今年のまとめ、レンアイは、新たな動きなし、仕事はすこぶる順調です!てことでおすすめDVDで捕獲方法、腑に落としたいよぉ~(笑)
サウンド・オブ・サイレンス。
サイモン&ガーファンクルは、
どうして、
ガーファンクル&サイモンではなかったのか?
どうでもいいからだよね、おそらく。
夜更けに、S&GのDVD観ていたあたしざんした。
あははは。
モノゴトは共鳴しますから、仕事が上手く行ってれば、それが人間関係→恋愛関係、に波及していくと思いますよ。
ま、鷹揚に構えてて下さい。宇宙がどんな手法で驚かせてくれるのか、楽しみです^^。
年の瀬、忘年会ではガンガン飲んでくださいね!
◆マッチ師匠
私はS&G大好きです。その中でも名盤「シーザーズカット」いいよねぇ。
そういえば、一時はやった(笑)Insight、もう全然聞いてませんわ。
こういう時にポッと聞くと、何か変化あるのかな???
師匠、聞いてます??