宇宙の秩序に調和しながらの煩悩達成日記

自己実現。そうです、願望実現を通して、自己をさらに深く知ってみようという実験の日記ざます!

それぞれに与えられた課題の意味するもの

2016-06-29 15:45:22 | 瞑想にまつわる能書き
PCを新規購入して2か月。ぬあんか、使い難くて放置していた。
PCの新規購入を思い立ったのは、旧PCがブラックアウトしそうに調子悪かったため。
まあ、突然、壊れることもなく、ズルズルと不調なPCを使用していたが、さすがに、
ブラックアウトの頻度が高まり、ちょっと難儀していたメールの引っ越しも済んでいたので、
新しいのを使っている。

うーん。良く違いがわかんないばい。

さて。
かつてレストランを経営していたころ、従業員、特にインド人従業員への対応で思う事が
多々あった。
何度も書いてるが、「違い」の深さが想像を超えていたのだ。
私は教育程度の問題なのかな、と思っていた。
おそらく、無教育、というのも一因ではあるが、なして学校に行けなかったのか、という根底を
考えてみると、「貧困」以外に考えられない。

従業員の自宅を訪問したことはないけど、たとえば、300ドルの給料の大半を仕送り。
ふるさとには、10人、とか大家族が待ち構えているわけで。
いったい、300ドルで何ができるのか、とか貧困の経験のない私は思う。


たぶん、インド北部の山岳地帯とか、って電気もないんだろうな。
電気ないから、電気製品の扱いを知らない。
そして、学校へ行ってないせいか、学習能力が無い。全然無い。
やる気が無いのか?一体、この無力感はなんだ?と私は原因追及に躍起になっていた。

そして、汚い。
貧困で小奇麗にしている風景は、あまり見ない。
なんか、ミソもクソも一緒、家にあるもんは、全てガラクタ、手垢でまっくろけ、みたいな。
そういうのが、狭い汚い家を占領している、つうのが、TVのドキュメンタリーなどからの
情報で、私がイメージする貧困、である。

貧困。
貧しくて困る、と書いて貧困。
困っているかどうかは結論できないが、貧しいのは確かである。だから学校へ行かすに
稼ぎに行く。稼ぐ、つうても学校出てないので、肉体労働とかが主体になる。
貧困、は連鎖する。原因は割合はっきりしている。
ならば、なんで貧困を元から断たないのか?
チャリティ団体はいっぱい存在してるんだから、そういうのを頼って学校へ行けばいいのに。
と私は思うが、近所というか村一帯が貧困だと、学校に行くのがメンドクサイのかもだ。


私の職場のインド人。良く寝ている。つうか、寝てばかりいる。
給料が安いせいもあって、どこか外の世界を覗こうとか、そういう感じもない。
娯楽、という概念もない。TVを呆けたように見入ってるのみ。
このレベルは、ネットとかそういう操作も知らない。
できないのか、する機会がないのかは、私はわからない。

英語が通じないので、まったく意思の疎通ができない。

生きてる意味とか、そういうことは、おそらく考えない。
多少、英語のできる従業員いわく、「だいたいの話題が、家族の問題。みんなその話。
問題は貧困に起因するから、お金があれば解決するんだけどね。」
その英語の多少話せる従業員はハイアットのlaundry部門から転職してきた。
富豪は、最新設備を整えたプロ仕様のランドリー室がある。わたしが見たこともないような
プレスの機械、でかい洗濯機に乾燥機、キングサイズのベッドシーツを一気呵成にアイロンできる
設計用のコピーマシンみたいなアイロンマシンとか、圧巻である。


従業員は住み込みで、このレベルの人たちは制服付き。食費も3食付き。
衣食住に、一切、お金がかからない。だから安い給料でもOKなんであるね。
なんというか、まったく、共通の話題が無い。興味の方向もわからない。
仕事上でのモチベーションを上げるとか、そういうレベルでもない。
生活上でのヨロコビが、食事と寝ることに集中しているのだ。
最初、インド料理以外の食材を使ったも食べ物を勧めてみたが、まったく手をつけない。
カレーしか食べないのだ。好奇心、とかもないのかな。

そんな環境で日々、うむむ、という思いに遭遇する私。
ランドリーマンが、以前から菓子作りに関心がある、ってんで、キッチンの空いてる際に
お菓子作りコースを実施することにした。
私は台所の女王(笑)なので、なんでも好き勝手にできるのだが、いちおー、富豪に報告した。
富豪の反応は意外に、
「素晴らしい。ぜひ、実施しなさい。私はね、何か学ぼうとする人を、心から尊敬し、応援するのだよ。」

その後、話題が「学び」になり、従業員の英語力の貧しさのため、コミュニケーションが取れずに、
なかなか難しい状況も起きたりする。そこで、英語のグループレッスンを実施したらどうか、
という提案をした。
富豪は、「素晴らしい。応募者をまとめて報告してください。実施しましょう。」


まあ、ある程度の日常会話もできる人もいるので、私は単語も話せないような人が応募するのかと
思いきや、ふたを開けてみたら、全員、レッスン参加を希望してきた。
意外、だった。

ある従業員が片言で言うには、
「自分は、グレード3 (たぶん、9歳か⒑歳)までしか、学校に行っていない。
学校はウルドウー語(北インド、イスラム教徒の共通語)標準だったので、全然、英語を
勉強したことがない。」

なーるほど。
私はキッチンのスタッフに、食材が終わりかけたら、ホワイトボードに購入品として書いておけ、と
指示している。
もちろん、ウルドゥ語で書かれても、私がまったく理解できないので、英語での表記になる。

Witor とか。なんだこれ。。。。 Waterか。
Kedowon。。。。。わからないので聞いてみたら、カルダモン、Cardamonであった。
しょうがないよね、わかんないだから。
私もウルドゥ語、ぜーんぜんわかんないし。

しかし、ここは仕事。わかんないまま、では困るのだ。
だから、基本会話英語レッスン、なのである。


アルメニアのころから、私はこうして、教育程度の貧しい人たちに囲まれている。
教育程度の低いことで、その人を判断はしないが、それが原因で、今現在の人生の重荷になって
いたりする。
人生はいろいろで、全てがお金で買えるものではない。
しかし、ちょっと努力して、向上心を養えば、今の現況の貧困からは、相当、這い上がる事が可能
なのだ。
そういう状況を見ていると、なんだか歯がゆい。


ラマダンが終わり、ラマダン明けのEid祭り。
イスラム教徒は、新調した服を着るのがならわし。正月みたいなもんだ。
私はインド人のスタッフにシャツをプレゼントした。
ジェフリー・ビーン、というニューヨークのデザイナーのシャツ(笑)
アウトレットで激安だったのだ。彼らには、洋服のデザイナー、という概念が理解できない。
そして、おこずかいとして、100ドル程度。給料の3割近いので、とても喜んでくれた。

こういうのが起爆剤となって、ちっとは仕事に向上心を持って、カレー以外の料理に挑戦してみよう、
とか、英語をまじめに勉強してみようとか、そういう風になってほしいものだ。




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