さて、チャイニーズニューイヤー。私は毎年、風水の先生のアドバイスに従い、家の風水のレメディの位置を変えている。
風水が効く効かない問題以前で、私は基本的にはこのレメディしかしない。なぜなら、キリ無いから!(笑)
さて、今年の風水のレメディ、興味のある方はお試しください。
風水の先生からのメッセージは、下記、
・ヘビ年生まれの人は、年回りが良くありません。ヘビ年生まれは、「寅」のお守りを身に付けて厄除けしましょう。
(先生曰く、『寅』と紙に書いて、お財布に入れてるだけでもOKだそうです。)
・イノシシ年生まれの人。今年は「ダブルペナルティ」の年。(イノシシが年に2匹いる≪普通は1匹、なので混乱が生じるという意味≫)
ひょうたん、をお守りにしましょう。
・寅年の人は、猪の友達なので、今年はいい年となるでしょう!楽しんでください!
・ウサギと羊年の人は、ズバリ、ロマンスの年!或は社交生活が活発な1年となります。
⇒ネガティブエナジーは北東。 6棒のチャイム(風鈴)を飾りましょう。一軒家に住んでる人は、敷地の北東を掘らないこと。
【風水は家の真中を中心に見立てて、方角を出します】
⇒病気は家の中央が象徴します。6枚のコインを家の中心に置いて下さい。中国のコインがあればベストですが、無ければ銅貨でOK.
⇒幸運の方角は南西。水もの(噴水や金魚鉢、水槽)をこの方角に置いて、幸運を拡大しましょう。水ものを置けない場合、時計でもOK。
という事です。
風水はキリがない(笑)というか、奥が深過ぎてよくワカラナイので、私はこのベーシックなアイテムの置き場所だけを毎年チェックしています。これは八宅風水という流派と思われます。風水は流派によって解釈が違います。私の先生は、とにかく、こういう風なアドバイスをくれて、私はそれに従いました。
ええ、事件の後です(爆)
しかし、ある日突然、暴風雨がやってきた。そして、私はものの見事にアッサリと飲み込まれてしまった(笑) 常日頃の豪胆な口ぶりとは裏腹に(爆)自分の弱さをしみじみ味わった事件では、ありました。
常日頃の訓練の甲斐あって、そう簡単には自分の指針を取り下げたり、信じる方向を変えたりはしなかった。けど、自分の意識のうーーーんと深い部分にダメージを感じたよーな気分で、なんにもやる気がしなかった。
昔だったら、相当な自己嫌悪に陥っていだだろうが、もう、自己嫌悪は無い。自己嫌悪は無いけど、カラダが(笑)
ボディ、マインド、スピリットは三位一体みたいだから、どこが一番ヤラレタ!って事ではないのだろうけど、「気」が無くなってしまった。
無駄な気が無くなったらいいのだけど、「意欲」という気まで無くなって、ヨガにも行かなかった。
かろうじて会社には来ていた。そういう時に限って、仕事が忙しい。やらなくちゃいけない事から、機械的に片ずけていく。機械的に。
いつもは出張続きで留守がちなボスが、何故かどこへも行かずに会社の席を暖めている。ボスの存在が忙しさに拍車をかける。今思えば、この忙しさに救われ、仕事中はあまりモノを考えずに済んだ。
暴風雨は3週間。その間にパーティやら、何やら楽しい催しモノも何度かあった。気分転換に参加してみたが、全然、ぜーーーんぜん、楽しくない。全く、気分転換ができなかった。
しかし、私の遭遇した暴風雨は、私が何かできる種類の問題ではないので、何も方策を講じることができなかった。それも、大変、無力感を味わう原因になった。
あ、価値観の崩壊、かな?ある意味で。
私が対峙した問題って、平たく言えば、「事件」。英語では「クリミナル」。日本語では「刑事事件」に相当する単語、ですね。という事は、出向く場所が警察やら、法廷やらイミグレーションやら労働局やらの、政府出先機関であったのだ。この国では、こういう政府機関との折衝ほど、骨が折れる仕事はないのだ。
そして「事件」は既に起きてしまったので、事実関係を変える事は難しい。解決策は一つ。拘束された人間をいかに救出、解放するか、であった。
そのために、一つ一つ、問題点を消していくという作業が、私に出来ることであった。
私は前向きな思考にかなり傾倒している(笑) 予期せぬ出来事、そしてそれは、私の苦手とする交渉事であった。「ううう」と思うも、「今までの修行の成果を試してみる機会到来!」と思い直して、イザ、出陣したのであった。
しかし結果は「????」 誰も本当の事を言ってくれないのだ。 私が当局に求めた行為は正当な行為である。普通ではない行為だが、正当。なので、友人一同(って3人くらいね。)は「絶対にソレはしてはイケナイ!」と口を揃えて進言してくれた。
その行為とは、私のパスポートを保証として差し出す事、であった。
私はハッタリを噛ませるか、清楚でいくか迷った挙句(笑)、なんか中途半端な格好で、当局へ出向いてしまった。おしゃれーなブーツ(この辺は寒くないから、かなりおしゃれ度の高いアイテムになる)に、丈は短く、色はショッキングピンクで、民族調の美しい刺繍を施したスカート、胸の大きく開いた白のレースのシャツ、、、とても可愛かったのだが(爆)ちょっと場違いかしら?なんていう逡巡が、私に「黒いカーディガン」を選択させたのであった(爆)
派手なんだか地味なんだか、ワカラナイ風体の私は、美容院で巻いた長い髪をくゆらせて、政府当局に出かけたのであった。
みんな丁寧に扱ってはくれた。
が。
私がかくかくシカジカで、保証の差し入れに来た、というと、「明日来い」「今はPublic Prosecutorがいない」等のエクスキューズを散々聞かされるハメになる。
「何とかしなくっちゃ!」と思った私は連日、中途半端な格好で(笑)当局に通ったのである。
しかし、拘束に関しては、誰も何も教えてはくれなかった。いや、正確には教えてはくれたが、みんな思い思いに別な事を言うので(笑)何が本当か、次に何が起こるか、全く予想がつかなかったのである。
聞けば聞くほど、混乱に陥っていく。そんな感じであった。しかし、知ってる人に聞かないと、どうにもなんない、のも事実で、全くヤヤコシイ、現実であった。
・・・・・・・・・・・・・
ここまで文章を作って、「はっ!」としてしまった。
私、この事件を数年前に夢で見ている・・・・・。 少し前に日記を全部捨ててしまったので、記録を辿る事はできないが、見たよ、この夢!!なんか急に思い出した。。。そうそう、事件の登場人物の一人、A氏だけは古い友人なので、夢にも出てきた。事件の当事者は、私が夢を見た時は、まだ知り会ってなかった。
そうだ、そうだ。
身柄拘束、そして法に触れるという夢、だったので、そういう事件と無縁の私は「なんだかな、この夢。。」と思ったんだよねえ。。。。これだったんだねえ。
それ以外の細かいことは、残念ながら記憶が蘇らないなあ。。。
・・・・・・・・・・・・
そう。あちこちかけずり回りながら、やっとモノゴトが見えてきた。拘束の原因、解決策、その後の手続き等。
私はそこで、友人が保証を差し入れる、という私を必死で止めた理由を理解した。私の保証で、「拘束された人」は解放され、自由になる。保証を差し入れた私は、拘束される事は無いので、旅行の予定も無いし、パスポート差し入れても良いや、と私はあまりにアサハカな考えでいたのである。
少し言い分けすると、日本語だったら「保証差し入れ」で何となく想像がつくけど、英語で「ギャランティ」だと「保証」なんだ一緒じゃん?(笑) 私は単に私のパスポートが「拘束」されるだけ、と誤解していたのである。
後になって「ギャランティ」の意味をやっと理解した。身柄を拘束された人の背負ってる「負荷」を私が替って背負う、それをパスポート差し入れで「保証」する、という事だったのだ。
私が当局で会った役人達は、バッジの沢山ついたそこそこの役職の人達である。いまどき何でもパソコンで調べられるから、私が関与しようとしていた事件の全貌は、みんな知っていたハズである。
だから、私の保証差し入れを「やんわりと回避」したのではないかと思う。 最後に会った検察官は気持が緩んで口が滑ったのか(笑)、「もう、これ以上この件に係わらない方がいい。君は君にできる事は十分果たした。それで十分だよ。後は法が裁く。」と。
事件は少し複雑。でもないか(笑)
身柄を拘束された人は、仮に私のパスポート差し入れで保釈されても、他に問題があって、晴れてシャバに出る事は無く、そのまま、「国外退去」の刑が待っていたのである。
当局の人は全員知っていたハズである。
が。
誰一人として、その事実を私に告げようとは、しなかった。
「イミグレに行って、まず、イミグレの問題を解決しなさい。」 そう言われ続けた。
私は結局、イミグレ、労働局とハシゴし、その全貌を知ることになる。国外退去令の事も確認した。
「そういう事だったのか!だから、みんな私のパスポート差し入れを、間接的に拒否したのね!」と気がついた。
友人に話すと、「天使に護られたわね!」 うーむ。
モノゴトは全然進展しなかった。
あっちこっちへ出向き、情報収集に余念がなかった。 私は基本的にアラブ人が嫌いだ(爆) が、今回、ものすごくイイ人達に出会った。助けられた。救われた。日本の役所で似たような事があったら、これほどまで親切だろうか?ワカンナイけど。
事件も収束に向かう昨夜、私は検察官の部屋で、お茶なんか御馳走になっていた。目頭が熱くなる気分であった。
同時に、何事も手につかない気分でいる私に、親しい友人は、あれしろ、これしろ、とパシリに使おうとしていたので、すんごく腹が立った。これが一番コタエタよね、実は。
普段静かな生活してる私には、こういう難局を乗り越える術がない。ただ、静かに話しを聞いて欲しかっただけ、だが、自分の事にいっぱいで、私の「難局」なんか、気にもならない、んだなあと。普段の関係で、私は何も望まないのだから、こういうときくらいは、話を聞いてくれたっていいじゃない?と。
人は自分の事しか考えてない?のかな、と。でも、自分が一番カワイイ、のもまた真実である。
私は普段から要望、要求しないから、それがアタリマエになっちゃってたのね。 欲しいなら、欲しいと言えよ、自分!これも今回のレッスンの収穫?
収穫といえば、素晴らしい人々との出会い。
そして、親身になって、ものすごく貢献してくれたのは、Ex夫であった。
いろんな思いが渾然一体となっていたけど、これで、私たちのカルマも環が閉じて行くのだなと実感した。出会ってよかったよ。と。
やっと昨日あたりから、元気になりつつある。
今日は、やっとヨガに復活。刑事事件の当事者が、今後、どうなっていくか、は考えない事にした。そして、また機会があって会う事になっても、この事件や、その背景はもういいや、と思った。罪を憎んで人を憎まず?(笑)
再生のチャンス、も与えられるのではなく、本人が発見するであろう、そうしたかったら。
この突然の暴風雨のような事件は、台風が潅木をなぎ倒して風景を変えるみたいに、私の心象も変えたような気がする。疲れた、けど。
風水が効く効かない問題以前で、私は基本的にはこのレメディしかしない。なぜなら、キリ無いから!(笑)
さて、今年の風水のレメディ、興味のある方はお試しください。
風水の先生からのメッセージは、下記、
・ヘビ年生まれの人は、年回りが良くありません。ヘビ年生まれは、「寅」のお守りを身に付けて厄除けしましょう。
(先生曰く、『寅』と紙に書いて、お財布に入れてるだけでもOKだそうです。)
・イノシシ年生まれの人。今年は「ダブルペナルティ」の年。(イノシシが年に2匹いる≪普通は1匹、なので混乱が生じるという意味≫)
ひょうたん、をお守りにしましょう。
・寅年の人は、猪の友達なので、今年はいい年となるでしょう!楽しんでください!
・ウサギと羊年の人は、ズバリ、ロマンスの年!或は社交生活が活発な1年となります。
⇒ネガティブエナジーは北東。 6棒のチャイム(風鈴)を飾りましょう。一軒家に住んでる人は、敷地の北東を掘らないこと。
【風水は家の真中を中心に見立てて、方角を出します】
⇒病気は家の中央が象徴します。6枚のコインを家の中心に置いて下さい。中国のコインがあればベストですが、無ければ銅貨でOK.
⇒幸運の方角は南西。水もの(噴水や金魚鉢、水槽)をこの方角に置いて、幸運を拡大しましょう。水ものを置けない場合、時計でもOK。
という事です。
風水はキリがない(笑)というか、奥が深過ぎてよくワカラナイので、私はこのベーシックなアイテムの置き場所だけを毎年チェックしています。これは八宅風水という流派と思われます。風水は流派によって解釈が違います。私の先生は、とにかく、こういう風なアドバイスをくれて、私はそれに従いました。
ええ、事件の後です(爆)
しかし、ある日突然、暴風雨がやってきた。そして、私はものの見事にアッサリと飲み込まれてしまった(笑) 常日頃の豪胆な口ぶりとは裏腹に(爆)自分の弱さをしみじみ味わった事件では、ありました。
常日頃の訓練の甲斐あって、そう簡単には自分の指針を取り下げたり、信じる方向を変えたりはしなかった。けど、自分の意識のうーーーんと深い部分にダメージを感じたよーな気分で、なんにもやる気がしなかった。
昔だったら、相当な自己嫌悪に陥っていだだろうが、もう、自己嫌悪は無い。自己嫌悪は無いけど、カラダが(笑)
ボディ、マインド、スピリットは三位一体みたいだから、どこが一番ヤラレタ!って事ではないのだろうけど、「気」が無くなってしまった。
無駄な気が無くなったらいいのだけど、「意欲」という気まで無くなって、ヨガにも行かなかった。
かろうじて会社には来ていた。そういう時に限って、仕事が忙しい。やらなくちゃいけない事から、機械的に片ずけていく。機械的に。
いつもは出張続きで留守がちなボスが、何故かどこへも行かずに会社の席を暖めている。ボスの存在が忙しさに拍車をかける。今思えば、この忙しさに救われ、仕事中はあまりモノを考えずに済んだ。
暴風雨は3週間。その間にパーティやら、何やら楽しい催しモノも何度かあった。気分転換に参加してみたが、全然、ぜーーーんぜん、楽しくない。全く、気分転換ができなかった。
しかし、私の遭遇した暴風雨は、私が何かできる種類の問題ではないので、何も方策を講じることができなかった。それも、大変、無力感を味わう原因になった。
あ、価値観の崩壊、かな?ある意味で。
私が対峙した問題って、平たく言えば、「事件」。英語では「クリミナル」。日本語では「刑事事件」に相当する単語、ですね。という事は、出向く場所が警察やら、法廷やらイミグレーションやら労働局やらの、政府出先機関であったのだ。この国では、こういう政府機関との折衝ほど、骨が折れる仕事はないのだ。
そして「事件」は既に起きてしまったので、事実関係を変える事は難しい。解決策は一つ。拘束された人間をいかに救出、解放するか、であった。
そのために、一つ一つ、問題点を消していくという作業が、私に出来ることであった。
私は前向きな思考にかなり傾倒している(笑) 予期せぬ出来事、そしてそれは、私の苦手とする交渉事であった。「ううう」と思うも、「今までの修行の成果を試してみる機会到来!」と思い直して、イザ、出陣したのであった。
しかし結果は「????」 誰も本当の事を言ってくれないのだ。 私が当局に求めた行為は正当な行為である。普通ではない行為だが、正当。なので、友人一同(って3人くらいね。)は「絶対にソレはしてはイケナイ!」と口を揃えて進言してくれた。
その行為とは、私のパスポートを保証として差し出す事、であった。
私はハッタリを噛ませるか、清楚でいくか迷った挙句(笑)、なんか中途半端な格好で、当局へ出向いてしまった。おしゃれーなブーツ(この辺は寒くないから、かなりおしゃれ度の高いアイテムになる)に、丈は短く、色はショッキングピンクで、民族調の美しい刺繍を施したスカート、胸の大きく開いた白のレースのシャツ、、、とても可愛かったのだが(爆)ちょっと場違いかしら?なんていう逡巡が、私に「黒いカーディガン」を選択させたのであった(爆)
派手なんだか地味なんだか、ワカラナイ風体の私は、美容院で巻いた長い髪をくゆらせて、政府当局に出かけたのであった。
みんな丁寧に扱ってはくれた。
が。
私がかくかくシカジカで、保証の差し入れに来た、というと、「明日来い」「今はPublic Prosecutorがいない」等のエクスキューズを散々聞かされるハメになる。
「何とかしなくっちゃ!」と思った私は連日、中途半端な格好で(笑)当局に通ったのである。
しかし、拘束に関しては、誰も何も教えてはくれなかった。いや、正確には教えてはくれたが、みんな思い思いに別な事を言うので(笑)何が本当か、次に何が起こるか、全く予想がつかなかったのである。
聞けば聞くほど、混乱に陥っていく。そんな感じであった。しかし、知ってる人に聞かないと、どうにもなんない、のも事実で、全くヤヤコシイ、現実であった。
・・・・・・・・・・・・・
ここまで文章を作って、「はっ!」としてしまった。
私、この事件を数年前に夢で見ている・・・・・。 少し前に日記を全部捨ててしまったので、記録を辿る事はできないが、見たよ、この夢!!なんか急に思い出した。。。そうそう、事件の登場人物の一人、A氏だけは古い友人なので、夢にも出てきた。事件の当事者は、私が夢を見た時は、まだ知り会ってなかった。
そうだ、そうだ。
身柄拘束、そして法に触れるという夢、だったので、そういう事件と無縁の私は「なんだかな、この夢。。」と思ったんだよねえ。。。。これだったんだねえ。
それ以外の細かいことは、残念ながら記憶が蘇らないなあ。。。
・・・・・・・・・・・・
そう。あちこちかけずり回りながら、やっとモノゴトが見えてきた。拘束の原因、解決策、その後の手続き等。
私はそこで、友人が保証を差し入れる、という私を必死で止めた理由を理解した。私の保証で、「拘束された人」は解放され、自由になる。保証を差し入れた私は、拘束される事は無いので、旅行の予定も無いし、パスポート差し入れても良いや、と私はあまりにアサハカな考えでいたのである。
少し言い分けすると、日本語だったら「保証差し入れ」で何となく想像がつくけど、英語で「ギャランティ」だと「保証」なんだ一緒じゃん?(笑) 私は単に私のパスポートが「拘束」されるだけ、と誤解していたのである。
後になって「ギャランティ」の意味をやっと理解した。身柄を拘束された人の背負ってる「負荷」を私が替って背負う、それをパスポート差し入れで「保証」する、という事だったのだ。
私が当局で会った役人達は、バッジの沢山ついたそこそこの役職の人達である。いまどき何でもパソコンで調べられるから、私が関与しようとしていた事件の全貌は、みんな知っていたハズである。
だから、私の保証差し入れを「やんわりと回避」したのではないかと思う。 最後に会った検察官は気持が緩んで口が滑ったのか(笑)、「もう、これ以上この件に係わらない方がいい。君は君にできる事は十分果たした。それで十分だよ。後は法が裁く。」と。
事件は少し複雑。でもないか(笑)
身柄を拘束された人は、仮に私のパスポート差し入れで保釈されても、他に問題があって、晴れてシャバに出る事は無く、そのまま、「国外退去」の刑が待っていたのである。
当局の人は全員知っていたハズである。
が。
誰一人として、その事実を私に告げようとは、しなかった。
「イミグレに行って、まず、イミグレの問題を解決しなさい。」 そう言われ続けた。
私は結局、イミグレ、労働局とハシゴし、その全貌を知ることになる。国外退去令の事も確認した。
「そういう事だったのか!だから、みんな私のパスポート差し入れを、間接的に拒否したのね!」と気がついた。
友人に話すと、「天使に護られたわね!」 うーむ。
モノゴトは全然進展しなかった。
あっちこっちへ出向き、情報収集に余念がなかった。 私は基本的にアラブ人が嫌いだ(爆) が、今回、ものすごくイイ人達に出会った。助けられた。救われた。日本の役所で似たような事があったら、これほどまで親切だろうか?ワカンナイけど。
事件も収束に向かう昨夜、私は検察官の部屋で、お茶なんか御馳走になっていた。目頭が熱くなる気分であった。
同時に、何事も手につかない気分でいる私に、親しい友人は、あれしろ、これしろ、とパシリに使おうとしていたので、すんごく腹が立った。これが一番コタエタよね、実は。
普段静かな生活してる私には、こういう難局を乗り越える術がない。ただ、静かに話しを聞いて欲しかっただけ、だが、自分の事にいっぱいで、私の「難局」なんか、気にもならない、んだなあと。普段の関係で、私は何も望まないのだから、こういうときくらいは、話を聞いてくれたっていいじゃない?と。
人は自分の事しか考えてない?のかな、と。でも、自分が一番カワイイ、のもまた真実である。
私は普段から要望、要求しないから、それがアタリマエになっちゃってたのね。 欲しいなら、欲しいと言えよ、自分!これも今回のレッスンの収穫?
収穫といえば、素晴らしい人々との出会い。
そして、親身になって、ものすごく貢献してくれたのは、Ex夫であった。
いろんな思いが渾然一体となっていたけど、これで、私たちのカルマも環が閉じて行くのだなと実感した。出会ってよかったよ。と。
やっと昨日あたりから、元気になりつつある。
今日は、やっとヨガに復活。刑事事件の当事者が、今後、どうなっていくか、は考えない事にした。そして、また機会があって会う事になっても、この事件や、その背景はもういいや、と思った。罪を憎んで人を憎まず?(笑)
再生のチャンス、も与えられるのではなく、本人が発見するであろう、そうしたかったら。
この突然の暴風雨のような事件は、台風が潅木をなぎ倒して風景を変えるみたいに、私の心象も変えたような気がする。疲れた、けど。