ココロは 時として、自ら 浄化を求めてくる局面があります。灰色の雲が 溜まり過ぎたときです。そういった場合には定(き)まって、藤沢周平さん 山本周五郎さん 火坂雅志さん 安部龍太郎さん 葉室 麟さん等の、時代小説作家さんたちの本を読みたくなるのです。
本を読むということは、そこに描かれている世界が、読者のココロの中で展開するということですから、少なくとも読んでる最中は、その時代小説の登場人物が ココロのなかで棲み続けるということとなります。それら人物のなかには、主人公の場合が多いですが、勁く筋が通り 凛々しく逞しい 優れて美しい人が登場してきます。そういった人に同化することで、オイラのココロを、キレイに掃除してもらいたくなるのです。
このような心境に到っているおり、この ↓ 新聞広告を目にしたら、もう一溜まりもありません。まさにドンピシャ !!!。主人公「斎藤弥九郎」さんは、たしか「竜馬がゆく」に、竜馬:千葉道場 小五郎:斎藤道場との対比で 記されていたような気がする程度のことでしたので、直ぐさま購入です。


作者の植松三十里さんとは初対面です。みどりと読み、女性であることを知り、ビックリし 少しガッカリでしたが、読み始めるや否や その懸念は吹っ飛びました。読み終えて、不思議な感覚です。登場人物が スゴク身近に、みんな友達のように感じられ、さながら青春小説を読んだような感覚に陥っています。惜しむらくは、小説本文のみで、付帯情報や解説がまったく無かったことで、余韻を楽しむ記事の何かあったら・・・と思えました。なお 下記は、老生の書き留めた事柄の いろいろです。
P20 :弥九郎は越中仏生寺村の代々集落まとめ役(組合頭)の家の長男として生まれる。
34代前の平安の武将 藤原利仁の次男が斎宮頭(さいぐうのかみ)になったことから、
斎宮の斎 藤原の藤を採り、斎藤を名乗る。
P80 :江川太郎左衛門は代々 伊豆の代官という特別扱いの旗本。それは、秀吉の北条
めの先鋒を努めた家康が伊豆に来たとき、江川家当主が給仕として差し出したお万
という若後家(後に江川家の養女とする)を いたく気に入り、側室として、水戸
および紀州徳川家の藩祖となる男児を二人生んだことが起因。
P109 :水戸徳川家は基本的に江戸住まいで、参勤交代なし。
P116 :武は戈を止める→戈を止めるは楯→武の本質は楯となる、頑丈な楯があれば、戈は
打ちかかる無駄を知り、戦いにさえならない・・・まさに安保法強化もこれとまっ
たく同じ構図では。反対している人たちに ぜひこの本を読んでほしいものです。
P177 :長崎港の警備は福岡藩と佐賀藩が隔年交替で務めていて、その期間 千人規模の
藩士が動員される・・・道理で鞆の浦・對潮楼さんにあるフルベッキさんと写った
写真がある訳だ。
P196 :武力を持っていることで初めて対等な立場を得て、話し合いで戦いを止めることが
できるのです。やはりこれも軍備反対という人たちに 読んでほしいものです。
P213 :富士の白雪ゃノーエ…というノーエ節のノーエは、江川太郎左衛門が外国からの攻撃
に備え組織した農兵のこと。
P232 :弥九郎の長男で後継者の新九郎が長州に招かれたとき、ぜひとも練兵館で神道無念流
を修行したいとのことで 連れて還ってきた、20歳の 医者の息子が 桂小五郎。
P321 :斎藤弥九郎そのものが 抜かずの剣 であった。
P322 :最後の仕事は、弟子の桂小五郎から頼まれ 72歳で就いた大阪造幣局の権判事
(ごんのはんじ)で、建設中 火災に見舞われ、大火傷に遭いながらも重要書類を
守り抜いた弥九郎の働きもあり、無事一部竣工をみたが、それから2年後、体調
優れず 免官を願い出、東京にどうにか たどり着くも、とき置かずして
1871年10月24日 74歳 で大往生。
下は、その後 産経新聞に出た 本書籍の紹介記事と、登場人物の一人である 高島秋帆さんの
記事です。ご参考までに。


< 追 伸 > H30.7.16 記
H30.7.14 BS-161 『諸説あり』『白虎隊の悲劇の真相 自刃したのは6人』に 植松三十里 さんが出演されてました。オイラは拝顔したの 初めてです。

本を読むということは、そこに描かれている世界が、読者のココロの中で展開するということですから、少なくとも読んでる最中は、その時代小説の登場人物が ココロのなかで棲み続けるということとなります。それら人物のなかには、主人公の場合が多いですが、勁く筋が通り 凛々しく逞しい 優れて美しい人が登場してきます。そういった人に同化することで、オイラのココロを、キレイに掃除してもらいたくなるのです。
このような心境に到っているおり、この ↓ 新聞広告を目にしたら、もう一溜まりもありません。まさにドンピシャ !!!。主人公「斎藤弥九郎」さんは、たしか「竜馬がゆく」に、竜馬:千葉道場 小五郎:斎藤道場との対比で 記されていたような気がする程度のことでしたので、直ぐさま購入です。


作者の植松三十里さんとは初対面です。みどりと読み、女性であることを知り、ビックリし 少しガッカリでしたが、読み始めるや否や その懸念は吹っ飛びました。読み終えて、不思議な感覚です。登場人物が スゴク身近に、みんな友達のように感じられ、さながら青春小説を読んだような感覚に陥っています。惜しむらくは、小説本文のみで、付帯情報や解説がまったく無かったことで、余韻を楽しむ記事の何かあったら・・・と思えました。なお 下記は、老生の書き留めた事柄の いろいろです。
P20 :弥九郎は越中仏生寺村の代々集落まとめ役(組合頭)の家の長男として生まれる。
34代前の平安の武将 藤原利仁の次男が斎宮頭(さいぐうのかみ)になったことから、
斎宮の斎 藤原の藤を採り、斎藤を名乗る。
P80 :江川太郎左衛門は代々 伊豆の代官という特別扱いの旗本。それは、秀吉の北条
めの先鋒を努めた家康が伊豆に来たとき、江川家当主が給仕として差し出したお万
という若後家(後に江川家の養女とする)を いたく気に入り、側室として、水戸
および紀州徳川家の藩祖となる男児を二人生んだことが起因。
P109 :水戸徳川家は基本的に江戸住まいで、参勤交代なし。
P116 :武は戈を止める→戈を止めるは楯→武の本質は楯となる、頑丈な楯があれば、戈は
打ちかかる無駄を知り、戦いにさえならない・・・まさに安保法強化もこれとまっ
たく同じ構図では。反対している人たちに ぜひこの本を読んでほしいものです。
P177 :長崎港の警備は福岡藩と佐賀藩が隔年交替で務めていて、その期間 千人規模の
藩士が動員される・・・道理で鞆の浦・對潮楼さんにあるフルベッキさんと写った
写真がある訳だ。
P196 :武力を持っていることで初めて対等な立場を得て、話し合いで戦いを止めることが
できるのです。やはりこれも軍備反対という人たちに 読んでほしいものです。
P213 :富士の白雪ゃノーエ…というノーエ節のノーエは、江川太郎左衛門が外国からの攻撃
に備え組織した農兵のこと。
P232 :弥九郎の長男で後継者の新九郎が長州に招かれたとき、ぜひとも練兵館で神道無念流
を修行したいとのことで 連れて還ってきた、20歳の 医者の息子が 桂小五郎。
P321 :斎藤弥九郎そのものが 抜かずの剣 であった。
P322 :最後の仕事は、弟子の桂小五郎から頼まれ 72歳で就いた大阪造幣局の権判事
(ごんのはんじ)で、建設中 火災に見舞われ、大火傷に遭いながらも重要書類を
守り抜いた弥九郎の働きもあり、無事一部竣工をみたが、それから2年後、体調
優れず 免官を願い出、東京にどうにか たどり着くも、とき置かずして
1871年10月24日 74歳 で大往生。
下は、その後 産経新聞に出た 本書籍の紹介記事と、登場人物の一人である 高島秋帆さんの
記事です。ご参考までに。


< 追 伸 > H30.7.16 記
H30.7.14 BS-161 『諸説あり』『白虎隊の悲劇の真相 自刃したのは6人』に 植松三十里 さんが出演されてました。オイラは拝顔したの 初めてです。

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