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百休庵便り

市井の民にて畏れ多くも百休と称せし者ここにありて稀に浮びくる些細浮薄なる思ひ浅学非才不届千万支離滅裂顧みず吐露するもの也

百休気まぐれ旅【松陰先生を訪ねて】

2009-11-18 14:50:42 | 日記
  身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも留め置かまし大和魂

 このあまりに有名な 吉田松陰 先生の辞世の歌を拝謁いたしたく
萩まで行って参りました。

2日間 留守にいたしまして、誠に申し訳ありませんでした。
17日、広島にての 今年最後(年2回あり)の会議出席を兼ね、
15日(日)深夜 高速道路に乗りまして(1,000円ゲットのためです)、
10月21日付け産経新聞にて、10月27日開館と 紹介されておりました、
   山口県萩市 松陰神社宝物殿至誠館
を、訪ねてきたのであります。

松陰先生は、安政6年(1859)10月27日、江戸伝馬町の獄舎で処刑され、
満29歳の あまりに短い生涯を終えられたのでありますが、
その日から ちょうど150年後にあたります この日を期し、
当該記念事業の柱として、当館が整備された とのことです。

まさに、"清冽" そのものであり、後世に、
歴史上 ナンバーワンの教育者 として、この人あり と謳われる
先生の シンボル的存在 ともいえます この辞世の歌は、
「留魂録」と銘打たれ、処刑2日前の25日書き始められ、26日黄昏時に
書き終えられたという、いわば 遺書 の冒頭に掲げられているのです。

横17cm縦12cmほどの、和紙の薄い冊子であります その「留魂録」が、
「宝物殿至誠館」の最奥部 ガラスケースに納められているのです。
もう言葉がありません。手を合わせ、頭を垂れるのみでありました。
涙がでてまいりました。この地は、日本の聖地 だと思いました。

ミュージアムショップでは、
「留魂録」関連グッズの、写し・絵葉書・クリアケース を購入しました。
写真は、その 写し を撮ったものです。

愚生にとりましては、4度目の萩市内でありますが、
それまで、1客しか持っていないことでもありますから、
また、おそらくは これが 最後の萩だろう と思われますことから、
高価でない抹茶茶碗を、4客 買い求めました。なお、
ふたつは 子供らにやる という口実も 用意いたしております。


  <追伸>
  高速での移動途中、SAで仮眠をとり、湯田温泉に朝5時半ごろ到着、
 とあるホテルと折衝しまして、時間外でありますが、湯船に浸からせて
 いただきました。どなたも入ってこられず、山頭火さんの俳句
    ちんぽこも おそそも湧いて あふれる湯
 が思い出されたりして、もう最高に気分が良いお風呂でありました。
 したがいまして、松陰神社には、きれいな体でお参りいたしております。 







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