
標記本を読みました。賢治さん大好き人間のオイラとしましたら、ある種の嬉しさを伴って、ほとんど抵抗なく すいすい読み進めれました。賢治さんと妹トシさん、および 政次郎さんと賢治さんの会話するシチュエーションが多くありますが、どの場面描写も 実にリアリティに富んでて、ほとほと感心させられながらの 読了でした。
最愛の妹 トシさんの臨終の場面は、父:政次郎さん 賢治さん 妹:トシさんという 主役3人が一堂に介した、この本の山場とも言えるものであると思いますが、たいへんよく書けていたのではと思います。オイラは 泣いてしまいました。ただ惜しむらくは、トシさんの臨終の言葉が「うまれてくるたて、こんどは・・・」で終わっていることでして、ここは是非とも最後まで書いていただきたかったと思うのです。「こんど生まれてくるときは、こんなに、わりゃのことばかり苦しまないように生まれてくる」と、ここまで。
そうは言ったって 小説家さんはスゴイです。登場人物は どなたも実在の方といえども、実際にあったかのごとく ここまで物語化できるとは、本当にスゴイこと、たいしたものであります。でも これが小説家の小説家さんたる所以なのでしょう。
それから あの「雨ニモマケズ」の詩(オイラは、世界中で、一番短かく(十句観音経除く) 一番分かりやすく 一番進化してる 一番優れてる 万人すべからく心すべき お経 or 教典なのではないかと思っています)ですが、これまで 東京で書かれたものとばかり思ってましたが、認識違いでして、昭和6年11月3日 花巻於いてでありました。へなへなしない手帳になら、書きやすいカタカナなら、衰弱して寝ている状態であっても書き留められる・・・といったことも。
また、盛岡在住で 賢治さんの10歳年上で、手紙のやり取りも実際の行き来もお持ちの直木賞作家・森荘己池(もりそういち、本名:森佐一)さん、この方は「オラの本は読まねでえがら、賢治さんの本さ読んでけれ」と周囲におっしゃられていた方ですが、氏の著わされた「宮沢賢治の肖像」という本によりますと、
父 政次郎さんは「あれが天才であることは若いときからとっくり知っておりました。しかし私ら家の者まで、世間といっしょになって、天才などと言っては絶対いけないと思っていました」、「あれは若いときから、手のつけられないような自由奔放で、早熟なところがあり、いつ、どんな風に、天空に飛び去ってしまうか、はかりしることができないようなものでした。私は、この天馬を、地上(つち)につなぎとめておくために、生まれてきたようなもので、地面に打ちこんだ棒と、綱との役目をしなければならないと思い、ひたすらそれを実行してきたのであります」とおっしゃっておられたようですが、とか
賢治さんは、生涯一度も女性と交わってないようですが、性知識は、ここら辺りでは敵うものがないほど豊富で、その類の本も 積み上げると 1m ほどにもなるぐらい持っておられ、なかでも出色・特筆すべきは、ハバロック・エリスの性学体系という相当分厚い英語の原書を取り寄せ、読みこなしてられたとか、ニュートンは生涯 一滴も精液を外に漏らさなかったと言っておられたとかの
こんなこと この本には書かれてませんでしたが、果たして誠治郎さんは実際 賢治さんが存命中 ご存知だったかどうか は気になるところでございますが、置いておきまして、記されてるような政次郎さんと賢治さんのヤリトリは、実際にあったような気がしてます。それにしても 政次郎さんが、これほどまでに賢治さんベッタリだったとは、思いも寄りませんでした。
賢治さんの親父さん 政次郎さんが主人公の「銀河鉄道の父」という小説は、今まで見ることの無かった親父目線での著述ということですから、トシさんイチさんを始めとする家族の方々も、単一パルスではなく線型化というか連続化されての登場となりますから、賢治さんを取り巻く世界が、お陰様で、ぽつぽつ写真から 8ミリモノクロフィルムとなりました。
ただオイラは思います。天才 宮沢賢治さんに迫るのは至難の技です。賢治さん並みの、自然との接し方・あらゆることの見識 が無ければ、どだい無理な話です。賢治さんが スゴ過ぎるのです。でも 親父さんの政次郎さんだったら、感情移入はできます。でも、果たしてそう言えるのか・・・
政次郎さんも、未だ法華経 理解できないオイラに較べますと、スゴイお方です。しっかり読んでないので当然と言えば当然ですが、まして、賢治さんの創られた童話、賢治さんおっしゃるに、どれも法華経を解かりやすく表したものです とのことですが、オイラには いったい どこがどう該当するのか、恥ずかしながら 皆目 見当つかないのです。でも 政次郎さんは、ちゃーんと法華経を理解してらっしゃる。これだけ観ても スゴイお人・・・
という隘路は残っているのですが、政次郎さんは、東大合格くらいヘノカッパの、IQ の高いお人であるのは 確かでしょうが、天才ではありません。作者の門井慶喜さんは、そこに目を お付けになられたのではないかと思うのです。
ですから 賢治さんが到達してる 人文科学的境地・自然科学的境地・宗教的境地について、少ししか踏み込んでおられません。これは言葉は悪いですが、ある種 ずるい方法ではないかと思えます。が しかし 賢治さんを深く掘り下げようとする本ではないのです。親父さんからみた、賢治さんを頭とした家族について述べた小説なのです。なので、まあ これでいいかぁ といったところです。
では、上述の書籍、森荘己池さん著「宮沢賢治の肖像」と (財)宮沢賢治記念会さん発行「宮沢賢治」という本に載ってました数枚の写真を撮らせていただき、以下、賢治さんを お偲び申し上げたく存じます。
最後にタラレバで申し訳ないですが、それにしても惜しい方を 早くに亡くしたものです。妹 トシさん、賢治さんより勉強が出来、文章も上手だったとは。でも、多分、トシさんは 生前中、己の総てを賢治さんに注ぎ込まれ、旅立たれたのではないかと・・・オイラはそう思いたい・・・ということも含め、賢治文学は トシさんが亡くなられたからこそ生まれ得た、というのは間違いないのではありますまいか。


これは 自筆サインだと思います


偶然かもしれませんが最近の日経新聞「私の履歴書」に宗教学者山折哲雄様の記事があり、4,5日前の記事に小さい時:戦時中に花巻の実家のお寺に疎開、近所に宮沢賢治の生家があったと紹介がありました。でも花巻空襲で消滅したとの内容でした。
機会がありましたら新聞を一読されてはと思いコメントしました。