石木川まもり隊

石木川を守ること  それは里山を守ること  それは海を守ること  それは未来を守ること  
ここにダムは要りません

ため池探検ツアー

2012年11月30日 | 活動

11月28日、石木川まもり隊員5名+3名の計8名で、ため池探検に出かけました。

 

私たちは以前から、ため池の活用ができないものか…と考えていました。

だって、佐世保市の地図を広げてみると、あちこちにたくさんの溜池が点々と…

それらはちゃんと活用されているんだろうか?

農業人口はどんどん減っていると言われているのに…

 

そんな会議をしたことも忘れかけた9月の終わり頃、長崎新聞にこんな記事が掲載されました。

 

 

近年、佐世保市ではため池の漏水が相次いでいる。

その理由の一つに、農業者の減少もあると書かれていました。

やっぱり…

しかし、実際どのくらい減少して、その結果、どのくらい余分な水があるのかは書かれていません。

以前調べようとした時も、個人情報だからということで教えてもらえませんでした。

ところが、この記事には市有のため池が83有ると書かれています。

市有なら教えてもらえるはず…

ということで、Y市議を通して入手した資料で、面白いことがわかりました。

ため池Aは、貯水量≒110,000㎥で、灌漑面積≒25ha

ため池Bは、貯水量≒130,000㎥で、灌漑面積≒15ha

どう考えても、ため池Bには水源としての余裕がありそうですね~

 

いずれにしても、まずは現場検証?

ということで、晩秋の昼下がり、2台の車で細い山道をドライブして回りました。

 

初めに訪れた福田池は、貯水量72,300㎥。

少し離れた道路から見下ろすだけだったので、その大きさもピンときません。

 

次に訪れた津穴口池は、67,600㎥の貯水量で、福田池より規模は小さいのですが、

そばで見ると、やはり大きいです。

 

もっと大きい大里見池。

貯水量は、107,100㎥で、津穴口と同じ市有のため池です。

かなりの田畑が潤せますね~

 

以上3つのため池は、いずれもゴルフ場のそばに、寄り添うように位置しています。

もしかして、ゴルフ場でも使っているのでしょうか?

 

車はいったん瀬戸越の市街地に戻り、今度は相浦川を上流に向かいます。

川谷ダムを過ぎて、宇土のあたりから左へ登っていくと、

佐世保で一番大きなため池に出ます。

郷美谷池です。

満々と水を湛えたこの池の貯水量は、なんと304,900㎥といいますから、

転石ダムの1.3倍もあるのですね~

この橋の下を通って、灌漑用の水が下流域に流されていきます。

苔むした石橋とススキの群生に思わず見とれてしまいました。

 

この池は、昭和11年から6年の歳月をかけて、農業振興のために造られた大事業で、

これを計画し成し遂げた旧柚木村長の中川浅雄氏に、村民は深く感謝し、

顕彰碑が建立されたそうです。

ため池のすぐそばに、その碑はひっそりと建ち、今も水源を見守っているかのようです。

 

しかし、古い資料には、その貯水量は40万トンと書かれています。

貯水量が減ったということでしょうか?

だとしたらなぜでしょう?

 

先人の苦労の結晶の、偉大なため池を、

私たちはもっと大切に守り、活かしていかなければならないのではないでしょうか。

なんでも使い捨て、安易にコンクリートの建造物を造る時代は、もう終わったのです。

 

石木ダムなどに無駄な巨費を投じるよりも、

今ある小さなため池を点検整備し、水源涵養林を育てるなどの対策こそ急ぐべき!

と、中川氏の声が聞こえてきそうな気がしました。。

 


守り続けたい 先人が守った板取

2012年11月29日 | 他ダムのこと

今日、水源連のMLで、素敵な文章に出会いました。

それは関市の「青年の主張大会」でグランプリを受賞した女子中学生の文章でした。

引っ越してきて、住んでみて感じた板取という地域の素晴らしさと、学校生活の楽しさなど、

素直にありのままに綴られています。

そして、美しい板取の自然が今も残っているのは、ダム建設に反対した先人のおかげだと感謝し、

その板取を自分も守っていきたいと述べられていました。

 

この「青年の主張」を聴いた板取の皆さんは、どんなに嬉しかったことでしょう。

特にダム建設と闘ってきた先人の方々は…

想像しただけで、私の顔もほころびます。

 

板取ダムに詳しい方によると、

板取は長良川の上流部で、山の奥のそのまた奥という秘境だったそうです。

その素晴らしい自然を生活の場にしていた村民がダム計画にこぞって反対し、

白紙撤回を勝ち取ったのだそうです。

それは1982年のことでした。

同じ年に、長崎県では石木ダムに反対する住民たちが体を張って闘ったのに、

機動隊を導入しての強制測量が実施されてしまいました。。

 

でも、こちらの住民の皆さんは今も闘い続けています。

そんな皆さんに、この「青年の主張」は、大きな勇気と温かい励ましを与えてくれるでしょう。

 

 

                        「守り続けたい」

 

                                         関市立板取中学校 市川 栞

 

 私は板取中学校の2年生です。みなさんは、板取に来たことがありますか?板取は山に囲まれ、空気がとてもきれいです。川は底まで見えるくらい透明で、水が澄んでいます。板取は、自然豊かなとても素晴らしいところです。

 私は、この板取に4月に引っ越してきました。転入当初、転入生は珍しいと、いろいろな人に驚かれました。私は今までにも転校をしたことがありましたが、こんなに珍しがられたことや貴重がられたことはありません。それは、板取から出ていく人は多いが、板取へ入ってくる人が少ないからです。私たちの学年でも板取を離れていった子が何人かいたそうです。今、2年生は10人です。もちろん一クラスです。全校生徒は26人、前の愛知県の学校の一クラスの人数より少ないです。人数は少ないけど、さみしくはありません。毎日がとっても楽しいです。学校では、男子も女子もみんな仲良しです。全員がまとまって一生懸命取り組みます。体育祭では私たち2年生が優勝しました。地域では、お祭りや行事などがあり、積極的に参加しています。また、家の前には、きれいな板取川が流れています。夏には友達や家族と川で遊びました。泳いでいると、魚がいっぱい見えます。バ一ベキューや花火もしました。板取に来て1年たっていないけど、大切な仲間とたくさんの思い出ができました。

 さらに、部活のバレーを通して、自分自身が変わることができました。前の学校では、周りの子が部活に行かないと、自分も行かなくてもいいやと思うことがありました。でも、今は自分がやらなくてはいけません。なぜなら、バレー部はぎりぎり6人だから責任重大です。バレーは、板取に来て初めてやりました。最初はまっすぐボールが飛ばないし、思うように体が動かなくて落ち込むこともありましたが、仲間が私のミスをカバーしてくれたり、的確にアドバイスをしてくれたりして支えてくれました。そんな仲間に応えるために、私は家で筋トレをして自分なりに努力をしました。すると、サーブが入るようになり、得点につながるプレーができるようになってきました。以前は楽な方へと人に流されてしまっていた自分が、今は苦しいことでも挑戦し、頑張ることができる自分になれたのです。板取に来て本当に良かったと思います。この板取は、私にとってかけがえのないふるさととなりました。

 しかし、さみしいと思うことがあります。総合の学習で、林業の衰退とともに板取の人口が減っていることや、少子高齢化が進んでいることが分かりました。しかも、若い人は働きに出ていってしまって少なくなっています。このままだと、人口がどんどん減少して、板取がなくなってしまうかもしれません。
 授業で、地域の方から、以前にもダム建設によって板取がなくなるかもしれないという危機があったと聞きました。実際にダム建設によってなくなった村があるそうです。私は板取がなくなってしまうのは絶対嫌だと思いました。板取にはダム反対の看板が残っています。その写素を見て、先人がずっと守り続けてきたからこそ今の板取があることが分かりました。
 では、人口減少を止めるためにどうしたらいいのでしょう。授業で話し合った時、板取に働く場所をつくることが必要だということがあがりました。あじさいまつりなど、板取の自然を生かした観光で地域を盛り上げていこうと地域の方も頑張っています。わたしも自分ができることで板取を支え、ここで暮らしたいと思いました。

 私は、職場体験学習でデイサービスセンターに行きました。最初は緊張してお年寄りとしゃべることができなかったけど、お年寄りの方から話してくれてとてもうれしかったです。ゲームや折り紙などを一緒にやって、笑顔いっぱいなお年寄りを見ると、わたしもうれしくなりました。お年寄りはできないことが多いけど、周りの人がサポートすれば生き生きと生活することができます云高齢化が進む板取ですが、私は介護士になって、お年寄りの役に立ちたいと思いました。そして、大好きなふるさと板取を守っていきたいと思います。


東京新聞「こちら特報部」が伝えた石木ダム

2012年11月25日 | 報道

昨朝、埼玉の友人からFAXで新聞記事が送られてきました。

何だろうと思って見たら・・・

東京新聞の「こちら特報部」の記事で、そこに石木ダムのことが書かれていたのです。

 

地図や写真入りで石木ダム問題が大きく取り上げられています。

半世紀に及ぶ反対運動を続ける住民の思い(ふるさとの豊かな自然を守りたい)、

県の主張(川棚川の治水には石木ダムが必要)、

それに反論する科学者(ダムの有無にかかわらず洪水はおきる、堤防などの対策をすべき)、

佐世保市の主張(安定的に取水できる水源が足りない)、

市民の反論(人口減少に伴い、水需要は減っている)、

などの意見を公平に紹介し、

それでも県がダム建設に突っ走るのはなぜか」と問いかけています。

それに対し、水源連の嶋津暉之共同代表は、こう答えています。

 

補助ダム事業は、国交省官僚の地方支配の『くさび』だ。

脱ダムの方針をひっくり返してでも公共事業を続けたいのだろう。

 

それを受けて、林記者は、こう書いています。

 

事業主体こそ地方だが、治水のための事業費の半額を国交相が負担するほか、

地方負担分の一部も地方交付税で埋め合わせる。

官僚が補助金の金づるを握り、一方、公共事業が欲しい地方とが組む構図だ。

 

と、その腐れ縁のカラクリを見事に説明しています。

 

隣のページには、山形県の最上小国川ダムについての解説と、

民主党政権は努力はしたが、政治主導する知力も覚悟も欠いていたこと、

大震災を契機に、野放図な公共事業のばらまきが息を吹き返しつつあること、

政権奪回を目指す自民党は、今後十年間で200兆円をダムや道路に投じようとしていること、

それに対し、法政大の五十嵐教授は、

無駄なダムや道路を造り続ける、その先に待ち構えているのは、悲惨な財政破綻です

と警鐘を鳴らしていることなどが書かれていました。

 

デスクメモには、

ダムは新しく造るどころか、海外では壊す時代に入っている。

人口減や節水家電で水が余り、巨費の割に治水効果も低い。

一方で、どれほどの生態系を破壊してきたものか。

と書かれ、最後に、

もう、コンクリートの壁は要らない

と、きっぱり。

 

こんな骨太の報道がもっと増えると嬉しいな~ 

 


ダム解体の時代へ~田中優さんからのメッセージ

2012年11月24日 | 佐世保の水事情

田中優さんの本日発行のメルマガ 第185号のお題は「ダム解体の時代へ」でした。

※このメルマガは転送転載、大歓迎です。

と書かれていますので、有り難く転載させて頂きます。

でも、少々長いので、部分転載です。全文は、こちらをご覧下さい。

  http://tanakayu.blogspot.jp/2012/11/blog-post_8746.html


▼ 脱原発の裏で進むダム建設


 原発問題がクローズアップされる一方で、こっそり進められているものがダム建設だ

 かつて象徴的に言われていた西の「川辺川ダム」、東の「八ツ場(やんば)ダム」。
川辺川ダムは知事の決定によって一応は止まっているが、八ツ場ダムは推進されている。

 戦後のはげ山から森が回復したことで、流れ出る水はずっと減っているというのに。
どこにダムが必要な理由があるというのか。他の地域で進められるダムも推して知るべ
しだ。

 北海道から沖縄まで、ダム建設が進められる。どれも合理的な理由は見当たらない。
見当たるのは地方であえいでいる建設会社のわずかな利益と、原発が作れなくなった
ゼネコンの利権、政治家たちのだみ声だけだ。


 無能な有識者を弾除けにして、官僚・ゼネコン・政治家たちが国土を壊し続けている。



むごい未来を残す開発

 子どもの頃、近所の小川でたくさん遊んだ。魚やシジミを取り、川沿いの林で虫取り
したり栗拾いやクルミを取って遊んだ。ぼくがダムに反対するのは、そこにある生き物
たちを追いやるのがいやなのだ。

 ぼくは自分が虫だったらどこに集まるかと考え、魚だったらどうするか考える。その
大切な友人たちの棲み家を失わせるのはしてはいけないことだと思うのだ。

 ぼくは保守主義者だ。再生できないのに自然や生き物たちの棲み家を壊し、未来の
子どもたちの育つ場を奪っていく。多くの人はすでに清流を知らない。

 たとえば川に入って足元がぬるぬるするのはダムのせいだ。水は貯めると腐ると言わ
れるように、ダムで水を貯めれば水は微生物だらけになる。その微生物が下流の石の
周囲で懸命に生き残ろうとするからぬるぬるになるのだ。もはや上流にダムのない川は、
全国にほとんどない。

 もっと以前には、川は魚を踏まずに渡ることはできなかった。産卵期になると、遡る
魚群によって川は黒く盛り上がり、その魚を狙う動物たちで賑わう場になっていた。
海外ならまだ見ることができるが、日本では失われてしまった。

 水生昆虫が多いことが魚を支え、魚が動物を支え、その動物たちが森に養分を届けて
いく。アイヌは川を海から遡るものと考えるように、山の養分は生き物たちの遡上なのだ。
本当はこの美しい景色の話をしたい。しかしいまや失われてしまったのに、子どもたちに
伝えたとしても酷なだけだ。そう思うと言葉を失う。


「この水の色、神秘的ね」

『それはダムのせいで水が腐ってしまった色だ』、


「鯉がいるから水がきれいなのね」

『鯉は水が汚れていないといられない魚だ』、


「やっぱり地場のウナギはおいしいわ」

『この皮の厚さは中国産だ。国内のウナギは絶滅寸前、ウナギがおいしいむつ小川原は、
六ヶ所村再処理工場からの放射能汚染が見つかっている』…。



ダム建設からダム解体の時代へ


 この秋、産卵のために琵琶湖に遡上するはずのアユの数が以上に少なかった。あち
こちで異常に数が少ないと聞く。琵琶湖のアユが各地に放流されているアユの元だ。
各地の川はダムや河口堰に阻まれ、自然にアユが遡上できない

 しかし今年、ダムが解体され始めた球磨川の荒瀬ダムではウナギが戻ってきたそうだ。
来年はアユがたくさん遡上しそうだが、その少し上流には瀬戸石ダムがまだ残されてい
る。ダムを造ることより解体すべきなのに、未だに無意味なダム建設が進んでいく。

 全国で水は余っている。人口も減っているのになぜダムを造るのか。いまや発電用の
ダムは造られていないし、世界的に流れを壊さない小規模水力発電が主流になっている。

 下流域の治水のためなら、人口集中地域の上流に遊水地を造ればいい。氾濫原だった
はずの低湿地は人の住まないエリアに戻せばいい。それは今、アメリカで進められてい
ることだ。


 原発神話は福島原発事故で壊れ始めた。しかしダム神話は未だに根深く根付いたままだ。
ダムは安全ではないし、いつかは流れてきた土砂に埋まる。さらに巨大ダムは群発地震を
招く。いまや川はどぶに変わり、人々が集える空の広い場所ではなくなってしまった。


 地球は人間のものではないし、ましてやゼネコンや官僚たちのものではない。いまや
日本の川の水の半分以上が取水されて管路を通る。その水を川に戻そう。人間は、一時
だけ地球に間借りする存在に戻るのがいい。

 ダムは造るときを終えて、解体すべき時期に入っている。


(下線と太字はブログ管理人hotaruによるものです)


それとこれとは話が別?

2012年11月16日 | 報道

3日前の長崎新聞コラム「記者の目」の記事を読んで大きく頷いた読者は多かったのでは?

 

記者は県の態度の矛盾を指摘していました。

諫早湾の開門調査をしようとする国に対して長崎県は、断固反対、

「これ以上話を聞いても意味はない」と、国との会談拒否の姿勢を示したその一方で、

石木ダムに関しては、話し合いを求めても地権者が応じてくれないと嘆いている。

 

知事よ、国が決めた干拓事業の被害者となった地元の漁民や農民、

その県の長として、国のやり方にそれほどの怒りを感じるのなら、

石木ダムに反対する地権者の気持ち、あなたならわかるはずですよね?

それとも、それとこれは話が別なんですか?

と問いかけています。

 

この疑問は、誰もが感じていたことでした。

開門の賛否にかかわらず、石木ダムの推進反対にかかわらず、

多くの県民が、あれ?知事の言ってることちょっとおかしくない?矛盾してるよね?

との素朴な声があちこちで聞かれました。

 

でも、それでは、矛盾を無くせばそれでいいのでしょうか?

石木ダム地権者の抵抗を受け入れるなら、国に抵抗して最後まで開門を阻止してもいい?

あるいは、国の方針に従って開門を許可すれば、石木ダム建設工事を強行してもいい?

 

それは違うと思います。

問題の本質が違うと思います。

諫早湾干拓事業は国の事業だとしても、県も一緒に推し進めてきたのです。

その結果、有明海を瀕死の状態にして、漁民を苦しめてきたのです。

それに気づいた国が、調査をするために開門しようとしているのです。

漁民と干拓地の農民の方々は被害者ですが、県は被害者ではありません。

一方石木ダム予定地の地権者は、県の事業で土地を奪われようとしている被害者です。

被害者は自分の財産を守るために実力行使をする権利がありますが、

県は、同じ立場ではありません。

 

イサカンと石木ダム・・・県の方針には矛盾はありません。

自然よりも経済が大事。目先の経済が大事。大型公共事業が大好き。

そのためには一部の県民が犠牲になっても気にしない。

そんな体質を感じます。

 

2011・3・11の日本に生きていた私たちは、自然の脅威を思い知ったはずです。

自然をあまくみてはいけない、これ以上自然を破壊してはいけない、

放射能に汚染された福島をみて、

自然のままの海や川や大地がどれほど大切か気づいたはずです。

もう自然を傷つけるのはよそう…

そう感じた県民も多いでしょうし、県の職員の方の中にもいるはずです。

 

国対県、県対住民、と対立するのではなく、

未来の環境を守ろう!本当に豊かな暮らしを目指そう!

とみんなが考え始めたとき、

きっと道は開けるはず…