宮下昌也の近況報告    MASAYA MIYASHITA 's News

美術家・宮下昌也の展覧会、ライブペインティングなどの活動情報と
南房総、鴨川の日々の生活から最新情報を掲載しています。

鴨川の放射線量のこと

2011-07-30 | 地域生活
コヅカ・アートフェスティバルが始まると、3月の原発事故から約5ヶ月をむかえる事になる。これを機にこの間に感じてきた放射線量のことについて、書いておこうと思う。
僕がこの地域で暮らすにあたって安全の目安にしているのは、2人の友人が地域通貨・安房マネーのMLに毎日upしてくれている放射線量測定値だ。海側と山側で測定している2台のガイガーカウンターの値はほとんど変わりなく、4月からずっと、だいたい0.10~0.20μSv/hの間。おおざっぱに平均0.15μSv/h位。この数値だけ見ると、決して低いとはいえない、むしろ人によっては高めと判断する数値だと思う。
しかし、地元の大病院や千葉県といった公の機関が発表している数値は0.04μSv/h。この値は先日訪れた山梨県明野町の標高1.000m地点や、長野の伊那谷と同じ値だ。さらに海側で測定しているガイガーカウンターは、震災以前に測定した時にも0.10~0.20μSv/hの間を推移していたそうで、という事は鴨川の空気中の放射線量は平常値だと考えていいのかもしれない。まぁ、同じ地域でも公と個人の計測でずいぶんと違う値が出ていたり、計り方の違いや機械の違いなどもあるだろうから、単純に数値のみで考える事はできないのだろうが、身近な判断基準として、友人のガイガーカウンターの値が倍に跳ね上がったら、避難を考えようかと思いながら震災以降の日々を過ごしている。今も毎朝MLに数値をupしてくれている友人たちに感謝です。
ちなみにこれらのガイガーカウンターを借りて、東北方面へ行った人達が計って来た値は次の通り。

7/4
東北道郡山IC付近 (15:20) 0.54μSv/h
東北道二本松IC付近 (15:30) 0.86μSv/h
東北道福島飯坂IC付近 (15:50) 0.60μSv/h

7/5
宮城県刈田郡七ヶ宿町侭ノ台 (16:30) 0.10~0.15μSv/h
宮城県刈田郡七ヶ宿町上町尻 (20:00) 0.28~0.30μSv/h
(七ヶ宿町は福島第一原発から北西約80~90km、同じ町内で10km程しか離れていないが、侭ノ台は日本海側の気候、上町尻は太平洋側の気候。)

7/21
東北道蓮田PA (10:00 )0.09~0.18μSv/h
西那須野 塩原IC~142km地点 (11:30 )~0.98μSv/h

これを見ると、やっぱり高いところは高いんだ~、と思う反面、原発から80kmしか離れてなくても、鴨川と同じ数値しか出ていない所もある事に驚く。鴨川は約250~300km圏だ。
もうひとつ、6月に長野、静岡をまわって来た時、各地の人達と話をして面白い事に気づいた。どこに行ってもそこで暮らしている人達は、自分の住んでいる所は“ギリギリ大丈夫だ”と思っているのだ。もちろん僕もそう思って鴨川にいるのだが、伊那谷なんて南アルプスの西で400kmくらい離れているのに“ギリギリ”なのだ。一体どこまで離れると“ギリギリ”じゃなくなるのか?大阪あたりまで行くと、あまり関係無いと感じている、といった話も聞いた。
まぁ、そう思わなきゃ暮らして行けない訳で、安全だと思っていない人はすでに疎開しているし、結局確かな事は誰も分からないし、結果は5年、10年後に見えて来るだろうから、自分を信じて今一番と思える選択肢を生きて行くしかないんだな。外国から見れば日本全土が安全とは思えないのだろうから。

最後にisao hashimotoさんというアーティストが作った作品で、初めて核実験が行われ広島・長崎に原爆が投下された1945年から、1998年までに地球上で行われた全ての核実験を視覚化した映像をupしておきます。



53年間で行われたその数は、なんと2053回!最多はアメリカが行った1032回、次がソ連の715回。多くが60~70年代に行われている。この映像作品を見てから放射能汚染に対しての認識が変わった。
ことフクシマのリアクションと考えれば、そこから遠ざかれば影響は少なくなる、と考えるのは正しい。しかし戦後急激に増え続けた癌は、すでに放射能の影響であったと僕は考えるようになった。
沢山情報があって何かを知っている様で、僕等の置かれた立場は小鳥や獣たちとたいして変わりはない。

宮下昌也と巡る悠久の旅