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宇沢弘文『社会的共通資本』を読む 7 孝明天皇祭ってあったんだ。

2020-01-28 00:57:55 | 日記
A.学校教育制度は社会をよくする?
 親や先生に「勉強しなさい!なまけちゃダメ」といわれると、子どもは初めは素直に勉強はしなきゃいけないと思って頑張ろうとするが、やがてあまりいい成績が取れなかったり他に面白いことができたりすると、「なんで勉強しなきゃいけないの?」と疑問を口にするのは、どこにでもある光景だろう。「学校の勉強」は遊びほど楽しくないし、試験や成績でランク付けされたりするから、自分をかなり追い込む努力が必要で、しかも小学校、中学校、高校とず~っと続くから、なんでこんな我慢大会みたいなことをやるのか?我慢するのが人生の教育だなんていう親や先生は、「詭弁を弄している」(そんな難しい表現ではないが)と思っても不思議でない。
 学校教育は子どもたちに立派な人間になって社会に出るための能力をつけるのだ、勉強は本人のためになる、という論理は当然のように言われるが、学校教育によって社会が改善され改革される、という考え方はあまり唱えられていない(とくに日本では)。ジョン・デューイの教育思想は、子どもの人格的発達という目的以外に、あと二つ、社会的統合と平等主義という機能をもつと考える。つまり、社会のひずみが生み出す分断や格差や不平等に対して、学校教育が子どもたちに正しい道と改良の方向を教えることで、未来がよくなっていく、社会を改善するのが教育であるべきだ、というチョー前向きな教育論なのだ。学校でしっかり勉強すれば、高い成果を上げ社会の役に立つ人間になることができる。たしか日本の福沢諭吉も「学問ノススメ」で似たようなことを言っていた。しかし、そんなことが現実にできるのか?

 「学校教育が果たしている、社会的統合、平等主義、人格的発達という三つの機能は、社会体制の基本的前提と密接なかかわりをもつ。この点について、デューイによって代表されるリベラリズムの立場は、資本主義という社会、経済体制について、政治面における民主主義とならんで、基本的に肯定的な立場にたって、議論を進める。
 デューイは、資本主義社会における様々な職業的選択が、学校教育によって可能となった人格的発達と不可分の関係にあると考えた。別の言葉でいえば、資本主義社会における職業的ヒエラルキーと、学校教育を通じて得られた人格的発達とが調和的な関係をもつと考えた。
 デューイが提示したリベラルな学校教育制度の考え方は、もう一つの意味における平等主義の理念の実現を必要とする。すなわち、どんな僻地に生まれても、またどんな家庭で育っても、すべての子どもが、そのときどきの社会が供給できる最善の学校教育を受けることができるような制度的配慮がなされるべきであるということである。デューイは、この平等主義的な立場から、無償の公立学校制度によって、人種、民族的な差別、あるいは経済的、社会的階級、さらには男女の差別を相殺すべきであると考えた。このように、資本主義社会のなかで、教育の果たす三つの機能が整合的に働くというのが、リベラリズムの基本的な考え方でもある。
 デューイはこのように、アメリカにおける社会的制度が、資本主義と政治的民主主義によって規定され、そのなかで、学校教育の果たす三つの機能が完全に働くことができるような条件が備わっていると考えたのであった。
 ジョン・デューイの教育理念は、二十世紀前半を通じて、アメリカのリベラリズムの考え方に沿った学校教育制度の基本的性格を規定していったといってもよい。しかし、ヴェトナム戦争を契機として起こったアメリカ社会の倫理的崩壊、社会的混乱によって、デューイの教育理念にもとづく公立学校を中心とするアメリカの学校教育制度もまた大きく変質せざるを得なかった。デューイの掲げた平等主義的な教育理念にもとづいてつくり出されたアメリカの学校教育制度が、現実の非人間的、収奪的状況のもとで、逆にアメリカ社会のもつ社会的矛盾、経済的不平等、文化的俗悪さをそのまま反映し、拡大再生産する社会的装置としての役割を果たすことになってしまったのである。
 ボウルズ=ギンタスの対応原理
 デューイの考え方は、二十世紀前半を通じて、リベラリズムの立場にたった教育理論の基礎を形づくってきた。しかし、1960年代に入ってから、アメリカ社会は、ヴェトナム戦争、人種問題、都市問題に代表されるように、大きな地殻変動を経験することになった。
 1960年代の、このような状況を前にして、リベラリズムの三大理念は、依然として有効なものとされているが、学校教育が労働の生産性に及ぼす効果がもっとも重要視されるようになってきた。これは、専門学校主義=能力主義の考え方(Technocratic=Meritocratic School)と呼ばれるものであって、学校教育の経済学的考察をおこなうときにもっとも基本的な考え方の一つとなっている。専門技術主義=能力主義は、資本主義制度のもとでは、各人がどのような所得、権力、地位を得るかということが、それぞれ個人のもっている知的、身体的、その他の能力によって決まってくるという考え方にもとづいている。学校教育は、子どもたちの知的、身体的その他の能力を育て、発達させるものであって、その効果は、学校教育を終えた若者たちが、どのような職業につき、どのような経済的、社会的報酬を得るかということに反映されている。学校教育を通じて、認知能力、思考能力が発達し、個人の人格的発達を可能とすることによって、卒業してから、資本主義社会のもとでの、雇用、報酬、権力配分の制度に適切に組み込まれるようになっているというのが、専門技術主義=能力主義の立場である。
 この考え方にたつとき、資本主義制度のもとでは、所得、権力、地位の分配の不平等は、労働者の知的、技術的、身体的能力の不平等にもとづくものとされる。したがって、資本主義社会における貧困、不平等の問題を解決するためには、学校教育の機会を平等化することがまず必要となると考えたのであった。じじつ、1960年代に、アメリカで、教育制度の改革や新しい実験が数多く試みられたが、それは、1960年代とくに顕在化した、アメリカ社会の貧困と不平等の問題に対処するためにとられたものであった。
 しかし、このような専門技術主義=能力主義の考え方は必ずしも統計的な分析によって支持されるものではない。とくに学歴の高さと経済的成功の間の統計的相関はあまり高くないということがわかっている。サミュエル・ボウルズとハーバート・ギンタスの『アメリカ資本主義と学校教育』(Schooling Capitalist America—Educational Reform and the Contradictions of Economic Life, Basic Books, 1976.宇沢弘文訳、岩波書店、1986-87年)にくわしく述べられている通りである。学齢年数が高ければ高いほど、IQ得点ではかった認知的知能到達度は高くなる傾向を示す。しかし、認知的知能到達度が高いということが、経済的成功を収めるという結果を生み出すとはかぎらない。学校教育と経済的成功との相関関係は、認知的知能到達度とは直接関係なく、経済的成功に大きく寄与するのは、学校教育の果たす統合機能の役割であるということができよう。
 学校教育とIQ指数
 ここで、学校教育と経済的成功との関連で、IQ指数の果たす役割にふれておかなければならないであろう。
 1960年代初頭に、アメリカで試みられた教育改革の主な目的は、教育の機会を均等化することによって、社会的、経済的、ないしは文化的格差をなくそうということであった。そのために低所得階層の子どもたちにさまざまなかたちでの補償教育が行なわれた。アメリカの教育省は、1966年、四千の小・中学校について、六十万人の生徒を対象として、大規模な調査をおこなった。その詳細な分析は、1968年コールマン報告として発表された。コールマン報告の主要な結論は、1960年代におこなわれた、教育の不平等を是正するためにおこなわれた財政的な再分配政策が、意図された結果を生み出さなかったということを説得的に示したのであった。
 このコールマン報告を受けて、1972年には、ジェンクスを中心とした社会学者たちによる『不平等――アメリカにおける家族と学校教育の効果に関する再評価』が発表されて、リベラル派の教育改革がまったく空しい効果しか生み出さなかったということが強調された。この思想的流れはやがて、アーサー・ジェンセンの主張に結晶されていった。ジェンセンの主張は、経済的、社会的不平等は、遺伝学的に決まってくるIQ格差にもとづくもので、この遺伝学的特性は学校教育によって変えることはできないという考え方にもとづいている。この考え方はさらに、心理学者リチャード・ハーンシュタインによって拡大、発展させられていった。経済的、社会的分布は主としてIQの分布によって決まってきて、IQは高い遺伝性向をもち、社会的、経済的特性もまた、一つの世代から次の世代へと、遺伝的に継承されてゆくという主張がハーンシュタインによって展開されたのであった。
 この、IQ学派の主張に対して、その統計的誤謬を明らかにし、その理論的根拠の薄弱さを指摘したのが、ボウルズ=ネルソン論文であった。
 IQ学派は、社会的、経済的背景が高くなればなるほど、IQは高くなり、したがって経済的成功の可能性も高くなるという命題にもとづいて、議論が展開されてきた。この主張に対して、ボウルズ=ネルソンは、つぎの命題を証明することによって、IQ学派の論拠を否定する。すなわち、経済的成功の度合が平均して、親から子どもに伝えられるという傾向は、親から受け継いだIQ指数とはほぼ完全に無関係となるという命題である。したがって、社会経済的背景が相異なる二つの集団について、たとえIQが完全に一致したとしても、経済的地位は平均して、親から子どもに受けつがれるということは、IQを通じて作用する遺伝的メカニズムとまったく統計的関連をもたないということも示すことができる。
 学校教育と平等化機能
 学校教育が果たして、平等化の機能を果たしてきたかというと、少なくともアメリカの学校教育の場合、答えは否である。ボウルズ=ネルソンの研究から、統計的観察を要約しておこう。これは、1962年におこなわれたアメリカの国勢調査の人口サーベイにもとづいて得られた結果であるが、子どものIQ指数が同じでも、学歴は、社会的背景によってほぼ決定的に決まってくるという結果である。
 しかし、家族の社会経済的背景が高い子どものほうが平均して学業成績が高いということは、統計的考察からも、また一般的にも妥当すると考えられるから、家族の社会経済的背景による学歴の差違ということは、学業成績の格差にもとづくものではないだろうか。この疑問に対して、否定的な推論をすることができる。六~八歳時のIQ得点が同じでも、両親の社会経済的背景が高いときには、低い時の子どもに比べてはるかに高い教育水準が期待でき、両親の社会経済的背景による就学年数の格差のうち、社会階級間のIQ格差によって説明されるのはごく一部に過ぎないということがわかる。
 もちろん、就学年数の不平等も、学校教育の不平等のごく一部分にすぎない。とくに、日本の場合のように、学校間の格差が著しいときには、学校教育の不平等は、就学年数の差違をはるかに超えたものとなっている。
 学校教育は、社会的、経済的な不平等を解決する方向に働いているのではなく、逆に不平等を拡大化しているということは、すでに疑いの余地はないように思われる。
 さらに進んで、たとえ、学校教育が平等化の方向に進んでいたとしても、経済的平等化を促進するものではないという統計的な事実も存在する。この点についてもっとも広範な視点からくわしい研究を展開してきたのが、ジェイコブ・ミンサーである。ミンサーはもともと、専門技術主義=能力主義の立場に立つ経済学者であるが、アメリカにおける学校教育が、所得分布に及ぼす影響を統計的に調査した結果、期待とはまったく反する結論に到達したのであった。
 学校教育と法人資本主義
 専門技術主義=能力主義の考え方は、産業資本主義体制のもとで、かなり説得力をもつ。高度に発展した技術を基礎に置く近代的産業の生産技術は、知的な教育を受けた人びとによってはじめて効果的に機能する。経済活動の発展のためには、労働力全体としての知的な水準が高くならなければならない。学校教育は、これまで、ごく少数の特権階級だけが享受することのできた教育を、一般大衆にひろく開放し、近代的産業社会がもたらす利益を万人のものとするという、すぐれて平等主義的な思想が、その背後に存在している。
 アメリカでは1960年代を通じてリベラル派の教育理論にもとづく教育制度の改革が積極的に進められたが、いずれもほぼ完全といってよいほど失敗してしまった。そのもっとも主要な原因は、社会的統合、平等化、人格的発達という学校教育の機能が法人資本主義という経済的、社会的体制のもとでは整合的なかたちで働くことができないということにあるというのが、ボウルズ=ギンタスの主張するところである。
 法人資本主義の大勢のもとでは、社会的生産関係はヒエラルキー的分業にしたがって、官僚的秩序を通じて、上からの権限と管理の体系によって規定されている。それは、新古典派経済理論の説くような、完全競争的市場を前提とした限界生産力説にもとづくものではない。生産を担当する企業は一つの有機的な組織として、中枢的経営・管理体系によって秩序づけられていて、その社会的関係は決して民主主義的なものではないし、また効率的なものでもない。
 民主主義の基本的な前提条件の一つに、人々が連帯して、相互に意思を疎通できるような制度であって、各人がそれぞれ内発的な関心と自発的な意向にもとづいて行動することができるような性向をもつということが必要とされている。しかし、法人資本主義のもとでは、このような条件はみたされない。労働者、技術者あるいは経営者自身すら、外部的な権威と市場的な基準にしたがって、各法人企業のヒエラルヒー的分業に強制されているというのが実情である。学校教育を受けた青少年がどのようなかたちで雇用され、どのような環境のなかで働くかというと、このような、抑圧的な、非民主主義的なヒエラルキー的分業のなかである。法人資本主義体制のもとで、市場的な基準にしたがって、人々が雇用され、働くとき、そこには、内発的な動機にもとづいて、自らの行動を選択するということは、一般の労働者、技術者にとってはほとんど職を失うのと同じ意味をもっている。
 ボウルズとギンタスが、『アメリカ資本主義と学校教育』のなかで、もっとも力をこめて主張しようとしているのは、アメリカ資本主義という典型的な法人資本主義体制のなかで、学校制度は、かつてホレース・マンがいったような「偉大な平等化装置」という役割を果たさないどころではなく、逆に、法人資本主義体制のもとにおけるヒエラルヒー的分業のもつ、非民主的、抑圧的な性向を一層強めるという機能すら果たしているということである。「(学校)教育制度は、経済の社会的関係との対応を通じて、経済的不平等を再生産し、人格的発達を歪めるという役割を果たしている」(ボウルズ=ギンタス『アメリカ資本主義と学校教育』第1巻、86頁)
 経済の社会的関係を規定する法人資本主義という制度そのものの改革には直接ふれないで、教育制度だけを改革しようというリベラリズムの立場は、このような視点からみるとき、まったく意味のないものとなってしまう。ボウルズ=ギンタスは、アメリカにおけるリベラル派の教育改革の試みがこれまですべて失敗してしまったのは、アメリカ資本主義体制という抑圧的な政治、経済、社会制度の基本的矛盾に気づかなかったからだという。
 しかし、教育機会の均等化を求めて、大きな波のような運動が、世界の多くの国々で起こっている。アメリカで試みられた、オープン・クラスルーム、あるいはフリースクールなどの運動が、学校が真の意味で、人格的発達をたすけ、人間解放の可能性を大きく開くものであるということを、ボウルズ=ギンタスは否定するものではない。ボウルズ=ギンタスは、つぎのことは確信をもっていえるという。「抑圧、個人の無力化、所得の不平等、機会の不均等は歴史的に見て、教育制度に起因するものではないし、不平等で、抑圧的な今日の学校から生みだされたものではない。抑圧と不平等の根源は、資本主義経済の構造と機能のなかにある。この点に、社会主義の国々をも含めて現代の経済体制を特徴づけるものがあって、人々が経済的生活の管理に参加することを不可能にしている」(同、87-88頁)。」宇沢弘文『社会的共通資本』岩波新書、2000年、pp.134-145.

 学校教育をポジティヴに考えるリベラル派の教育政策も、生まれつきの能力で決まるというIQ派も、実際の教育にはなんの成果もあげられなかった、という分析は、半世紀前のアメリカの話ではあるが、21世紀の学校教育はその反省を踏まえて少しはまともなものになっているのだろうか。少なくとも今、安倍政権が文科省を通じてやろうとする市場原理を持ち込む教育改革は、何の成果も生まないどころではなく、事態を悪化させるように思えてならない。

B.オーストラリアの祝日
 このところ、中国の新型肺炎の感染騒ぎや、三菱電機のハッカーによるサイバー攻撃とか、ソフトバンク社員のロシアへの情報漏洩だとか、あやしげな話題がある一方、昨日は大相撲の幕尻徳勝龍の奇蹟の優勝とか、大阪国際女子マラソンの松田瑞生のぶっちぎり優勝とか、楽しい話題もあった。そんななか、片隅の国際ニュースだがオーストラリアの祝日「豪州の日」についての記事が目に留まった。

 「入植の祝い 中止相次ぐ 「豪州の日」は「侵略の日」
 英国が入植を始めた1月26日を祝いません――。オーストラリアでこんな決定をする自治体が相次いでいる。この日は、1788年に英国の船団が豪州に上陸したことを記念する「豪州の日」という国民の祝日。これまでは祝うのが普通だったが、「侵略の日」と受けとめている先住民(アボリジナルピープル)が多いことに、近年、自治体側が配慮し始めた。
 シドニー都市圏のインナーウェスト市は毎年、「豪州の日」に移民に国籍を与える式典を開催してきた。だが今年から、式典は開催するが、コンサートなどの祝賀行事をやめた。ダーシー・バーン市長は「1月26日は(豪州の)植民地化と(先住民の)追放、言語・文化の破壊の始まりだった。私たちの歴史の良い面、悪い面を振り返る日であるべきだ」と説明した。
 豪メディアによると、豪州の全約500自治体のうち、インナーウェスト市は8番目に「豪州の日」を祝わない自治体になった。こうした自治体は少数派だが、近年増えており、バーン市長は「地域の取り組みを国民的な議論につなげたい」と語った。
 インナーウェスト市では26日、従来の祝賀行事をしない代わりに、先住民らがシドニー中心部の公園で伝統の歌や踊りなどを催すイベントへの参加を勧めた。先住民や、先住民に共感する多くの市民らがこの公園に向かってこの日を祝うことを拒否するデモ行進もあった。
 一方、豪州には「入植は豪州を近代的な社会にした」として、この日を肯定的に捉える意見も根強く、議論が続いている。 (シドニー=小暮哲夫)」朝日新聞2020年1月27日朝刊4面、国際欄。

 イギリスからの植民者はオーストラリア先住民から土地を奪い、居留地に隔離した。その歴史的事実を侵略とみれば、国を挙げて祝うことはためらわれると考える人が増えていることは理解できる。しかし、そう考えると、日本が朝鮮半島を植民地にしていた時代、日本の祝日は今より少ない10日、天長節とか明治節とかみな天皇に関わる祝日だったが、朝鮮、台湾、樺太など植民地でも祝われたかと思う(確かめていないが)。侵略支配された側の視点からみれば、これらの祝日は忌まわしいものに思うだろうし、戦後はもちろん祝われていない。でも日本ではどうなのか?調べてみたら、戦前の祝日の10のうち6つは別の呼び名で続いて祝われている。とくに2月11日紀元説は、古事記の国生み神話によるもので、敗戦で廃止されたが1966年に祝日として復活する案をめぐって国会で大議論があり、翌年から復活した。
 戦前の祝日は以下の通り。1.四方拝(1月1日:今は元日)、2.元始祭(1月3日:廃止)、3.孝明天皇祭(1月30日:廃止)、4.紀元節(2月11日:廃止されたが建国記念の日として復活)、5.春季皇霊祭(3月20日:今は春分の日)、6.神武天皇祭(4月3日:廃止)、7.秋季皇霊祭(9月26日:今は9月23日に秋分の日)、8.神嘗祭(10月17日:廃止)、9.天長節(天皇誕生日:昭和天皇は4月29日)、10.明治節(明治天皇の誕生日11月3日:今は文化の日)。
 ぼくは1月30日の孝明天皇祭という祝日があったことを知らなかった。明治時代に祝日を定めた時代には、先帝孝明天皇はまだ記憶に新しかっただけでなく、明治の天皇制が模範とした皇室行事などが固まったのは、古代からの制度などではなく、孝明天皇の祖父にあたる光格天皇(在位1780(安永8)年~1817(文化14)年)のときだった。そしてペリーの黒船のとき孝明天皇が外国人に日本の土を踏ませるのを恐怖したことが、いわば幕末動乱の火種になったことを考えると、孝明天皇祭が祝日だったことの意味もなかなか深いな。
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