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ニッポン現代アートの旗手 7 舟越 桂さん  恩赦って?

2019-10-23 01:23:28 | 日記

A.彫刻家の子は彫刻家で・・

 彫刻sculptureというのは、その作り方に2つあって、大理石や木材などを彫り刻んで造形する彫刻(カーヴィング)と、粘土などで成形した像を石膏などで型どりし、中を抜いてその型にブロンズ(青銅)を流して作る彫塑(モデリング)である。できあがりは似ていても、作り方が全然違うわけで、仏像でも木彫物と金属製塑像では印象も違う。美術品としての彫刻作品は、古くから制作され、西洋では石造建築の一部にもなっていたが、彫り刻む彫刻は、完全な複製は不可能だが、塑像の方は型を取ってあれば同じものができる。ルネサンス期のドナッテルロは、ダヴィデ像を大理石とブロンズの両方で作ったことで有名だが、ミケランジェロの彫刻作品はおもに大理石を彫り刻んでできている。そして、近代彫刻と言えばオーギュスト・ロダンF・A・R・Rodin(1840~1917)がまずあげられるわけだが、ドナッテルロとミケランジェロに刺戟されたロダンの作品は、ブロンズの塑像が多い。ブロンズ像である「考える人」が日本をはじめあちこちにあるのは、唯一の本物とあとは複製というわけではなく、どれもロダン作の本物だということになる。日本では美術学校に彫刻科が設けられて、ロダンを手本とした教育が行なわれてきた。

舟越 桂さんは、1951年5月盛岡市生まれということだからぼくより少し若い68歳。戦後日本の彫刻家として、佐藤忠良と並んで高名な舟越保武(1912~2002)の次男。弟の舟越直木も彫刻家という二世アーティスト。父・保武さんは、岩手県二戸出身で東京美術学校(現芸大美術学部)彫刻科を卒業。父が熱心なカトリック信者だったことから、1950年(桂さんの兄になる)長男が生まれてすぐ亡くなったことから受洗。作品にはカトリック信仰に関わるものが多い。彫刻家を志したきっかけでもある「ロダンの言葉」の訳者高村光太郎賞を受けた「長崎26殉教者記念像」は、今も記念碑として輝いている。

息子の桂さんも、小学3年生のころには父と同じように彫刻家になることを漠然と意識していた。学生時代(高校時代)はラグビーの練習に明け暮れていたが、美術予備校の夏期講習に参加したことで彫刻家になる意思を固めたという。浪人し東京造形大学彫刻科に入学したが、大学3年時には高校生時代のラグビー熱が再燃し、大学でラグビー部を立ち上げている。卒業して父が教授を務める東京芸大大学院の彫刻専攻に行き修了。文化庁の在外研究員となってロンドンに滞在後、1988年のヴェネチア・ビエンナーレに出品した作品が好評で、木彫の作品で名を知られるようになる。その作品は多くの美術館に展示されているほか、国際的現代美術展への出展も多い、という人である。「遠い手のスフィンクス」は、この夏ぼくも現物を生で見た。

 「遠い手のスフィンクス: 異様なまでに謎めいた衝迫力を持つ人間像である。だがそれは、われわれが通常の日常生活の中で出会う「人間」の仲間なのだろうか。深い思索活動を感じさせる寡黙な頭部と豊かな肉付けを見せる胸部とをつなぐ頸は、普通ではありえないほど太く、長い。頭の両わきから細帯のように肩まで垂れ下がっているのは、引き伸ばされた耳なのだろうが。右手は手首の先がなく、左腕は肩のつけ根のところからすっぽりと切り取られて、代わりに白い板ががっちりとネジ止めされている。そしてその上に、切断された手首が載る。現実にはあり得ない奇妙な存在と言うべきであろう。

 誇張、断片化、思いがけない組み合わせ、異質な素材の共存、これらは、幻想的なイメージを生み出すためにしばしば用いられる手法である。古代の神話や伝説に登場する怪物は、およそそのような遣り方で生まれて来た。だがこの作品は、異様ではあっても、未知の怪物というのではない。それは飽くまでも、人間存在の本質に繋がる統一体として、われわれの眼の前にあり、見る者を魅了する。

 もともと彫刻家として舟越桂は、ほとんどつねに人体を中心主題として来た。それはごく普通の半身像から、時には肩から腕が生えていたㇼ、ひとつの胴体にふたつの頭部が載るという異形の姿をも見せるが、いずれの場合も、人間としての確かな存在感を失っていない。

 その秘密を理解するためには、舟越の作品と切り離すことの出来ない題名の重要性に注目する必要があるであろう。彼にとって題名は単なる識別符号ではなく、彼自身の言葉によれば、「言葉によるバック、背景」であり、いわば音楽の世界で主旋律に添えられた「低音部」にあたるという。それは、詩人の鋭い直観が対象の本質を見事に捉えるように、作品の本質を言いあてる。事実、「言葉の降る森」、「言葉を聞く山」「水のソナタ」などの題名は、まさしく一片の詩句である。そのキーワードは、山、森、水などの自然、そして「言葉」である。人間は言葉によって自然を理解し、自己の存在を確認するというのは、古代神話の教えるところである。

 とすれば、スフィンクスという題名は、まことにふさわしいものと言えるだろう。行き交う旅人に謎を問いかけ、答えられないものを殺すというので人々に恐れられたこの人面獣身の怪物は、正しい答えが与えられた時、姿を消したという。その答は「人間」であった。」高階秀爾『日本の現代アートをみる』講談社、2008.pp.088-091. 

 彫刻の特徴としてもうひとつ、それはどこから眺めてもいいということがある。絵画はふつう正面から眺めることが前提になっている。立体作品である彫刻は、少なくとも周囲360度から眺めることができるから、後ろから見てもちゃんとできている必要がある。ただし、インスタレーションや環境空間作品は、その中に入って感じるようになっているが、彫刻は中にはふつう入れない(鎌倉大仏にたいに中に入れるものもあるが)。では、彫刻を見るとはどういうことか。

 「私たちにとって、そもそも「見る」ということはどういうことなのでしょうか。ただ目で見るのではなく、長く記憶に留まるとは。そういったことを多角的に考えていきたいと思います。

 「見る」と一口にいっても、視覚情報がどのように処理されるかということだけでも何段階もあります。まず、網膜に像が映るという光学的なレベルがあります。次に、その像から、見た対象が何であるかを判断する、認知の段階があります。これらは知覚というレベルです。

 知覚した情報はさらに、個々人の中に記憶として残っていく。この段階で、私たちは、対象に対する自分なりの理解をもとに、選別して記憶の中に落としていきます。もちろん、視野の端っこを横切っていったものをじつは覚えていたという、無意識的な記憶もあります。

 私たちは毎日、普通の生活を送っていますが、もう一つ、非日常の世界を内に抱えている。見えないものを見ようとしたり、記憶の中で何度もある光景を呼び出したりしようとする。こちらの世界とあちらの世界を行き来するときには、ひじょうに不安定な境界線、緩衝地帯を通過していきます。アートを「見る」というのは、そのあいまいな領域に位置する営みといえるかもしれません。

 例えば災害に見舞われたり、大きな不幸におそわれたとき、人の潜在的な想像力に加えて、アートによって養われた日常と非日常を行き交う感性の領域があれば、刻印された辛い記憶を変容させ、生のための資本として保存することができるかもしれないのです。

 「見る」という行為は、必ず「見られる」対象を伴います。

 ソフィ・カルはフランスの女性アーティストで、写真や映像を用いて、自伝的なストーリーや非日常的な設定をつくることで、他者との関係を模索しています。

〈影〉という作品では、母親に、探偵を雇い自分の日常生活を調査させるように頼みました。何時何分、「彼女」はどこのカフェから出てきたという具合に、探偵が書いた詳細なレポート、街角で盗み撮りされた彼女の後姿の写真、そして彼女自身の日記によって作品は構成されています。

 彼女は意地悪で、探偵がつけてきていることを知っていて、姿を隠したりします。その間、探偵は何も報告を書けません。彼女の日記との間にズレがあるわけですね。

 カルは、「私という存在の写真による証拠を与えてもらうために」この作品をつくったといっています。ここで見る/見られるということのほかにもう一つ、大切なコンセプトがあります。つまり通常「自分」は、自身で見ることができないということです。彼女の関心は客観的なルポでなく、外部との関わりを深めていく中で明らかにされる「自分自身」にあるのです。

 その手法は、トリッキーに見えます。こうした話を聞くと、ちょっと自分もやってみたいと思われる方もいるのではないでしょうか。事実、この作品と同じことは今日もっと違うメカニズムで可能になっています。携帯端末に自分たちがした行動の痕跡がすべて記録されるというライフログの技術はすでに実用化されています。彼氏の行動を自動的に追跡してログを取る「カレログ」が話題になったように、見る/見られることと、記録して報告する、記憶とアーカイヴすることへの希求は、誰にでもあります。」長谷川祐子『「なぜ?から始める現代アート』NHK出版新書、2011、pp.102-104.

 ソフィ・カルの作品については、今年1~3月にぼくは品川の原美術館で開かれた「限局性激痛」(1999年に一度同美術館で展示されたもののフルスケールでの再現)を見た。医学用語から転用したカルは、この言葉を自身の失恋体験になぞらえ、痛みとその治癒を写真と文章で作品化した。展覧会は二部構成のかたちで、第1部では、人生最悪の日までの出来事を、最愛の人への手紙や写真でつづる。第2部では自らの不幸話を他人に語り、代わりに相手のもっともつらい体験を聞くことで自身の心の傷を少しずつ癒やしていく過程が、写真と刺繍によってつづられていた。一種の私小説的記録で始まり、同時にそれを他者に投げ返すことで心の激痛を交換し交流させる。これが美術作品だろうか?などという前に、彼女が何を問題にしているかに興味を抱き、確かに一つの表現になっていた。

 舟越桂さんの「遠い手のスフィンクス」は、必ずしもそういう形のわかりやすさはないが、現代の彫刻の可能性を木彫という手触りで示している。

 

B.即位礼の日の記事

 天皇代替りの儀式、即位礼正殿の儀のため今日を祝日にした政府は、全国の警察官を動員して厳重警備に当らせ、メディアも一日奉祝宣伝に明け暮れたが、すべて平成代替わりの前例踏襲で執り行う、といってこの儀式の意味を自由に議論することに封印をかけてしまった。それでも、台風災害の被害を理由にパレードは延期になり、恩赦も前回よりは大幅に縮小されたという。

 「恩赦55万人に思う 鎌田慧

 本日、政府が行なう「恩赦」の対象者は五十五万人。1990年の恩赦の二百五十万から減ったが、まだ大盤振る舞いだ。

 対象者は道路交通法違反、過失運転致傷などで、罰金を払った人の復権が中心という。選挙違反など、公民権停止になった人たちも含まれ、選挙に強い政権党に有利な施策といえる。

 恩赦といえば、ロシアの作家ドストエフスキーが政治運動で逮捕されて処刑場に引き立てられ、銃殺される直前、法務官が皇帝の勅書を持って駆けつけた、恩赦の劇的場面がよく知られている。

 それから六十二年後、桂太郎内閣の時、幸徳秋水、管野須賀子など二十四人に天皇暗殺計画の大逆罪で死刑判決がだされた。が、明治天皇に拝謁した桂首相が特赦を内奏して、半数が無期懲役に減刑され処刑は十二人になった。とはいっても、死刑の罪証とは、若もの特有の「煙のような座談」(管野須賀子『死出の道艸』)にすぎなかった。

 恩赦は絶対的な権力者が行う「慈悲」の善政であり、国民主権の民主国家にはなじまない。

 たしかに憲法では、「天皇の国事に関する行為」(第7条)として定められているが、時代とともに内閣が行使を抑制すべき事項であろう。

 冤罪で処刑、獄死、いまなお無実を叫び続けている人たちがいる。が、この人たちでさえ、ほとんどは恩赦を要請してはいない。(ルポライター)」東京新聞2019年10月22日朝刊、23面本音のコラム。

 君主が慶事を理由に、臣下に恩恵を与え、罪人にまで慈悲を示すことで、ありがたさに随喜せよという恩赦は、もはや21世紀に存続する理由はないはずだ。「正殿の儀」で総理大臣が、正殿松の間にあがって「天皇陛下万歳」を三唱するというのも、果たして前例踏襲だからよろしいのだろうか。「天皇陛下万歳」は戦争で兵士が玉砕する際の決まり文句とされていたことは、もう知る人が少なくなっているのかもしれないが、素直に寿ぎの言葉として口にできない戦争体験者も多かったはずだ。素直にこれを祝わない者は反日非国民だといいかねない報道は、苦笑いではすまない。

 いまの日本で取り組むべき課題は、もっと別の人間性の頽廃ではないか。子どもへの暴力を「しつけ」などといって正当化する親を、社会としてどうコントロールするか、その虐待によって深く傷ついた子どもが、大人になっていったときに何が起こるか、想像力が必要だ。

 「たたかない育児 どうすれば 豊洲でシンポジウム しつけ名目の体罰問題を考える

 しつけ名目の体罰の問題を考えるシンポジウムが、江東区の豊洲シビックセンターであった。たたかない子育てが普及するフィンランドやスウェーデンの関係者らが登壇し、両国の子育て支援策や、日本の子育てを巡る状況について意見を交わした。

 北欧の施策紹介、親支援の訴えも

 深刻な虐待をした親が「しつけだった」と言うケースが相次ぎ、しつけ名目の体罰を明確に禁じる都の児童虐待防止条例が四月に施行された。来年四月には、同様に禁じる改正児童虐待防止法が施行される。

 シンポジウムでは、スウェーデン出身で企業研修などを行う柚井ウルリカさんは「叱ることは必要だが、どういう言葉を選ぶか見直す必要がある」と説明した。例えば、「バカだ」と叱ると、子どもは「どうせバカだから」となってしまうという。

 フィンランド大使館広報部の堀内都喜子さんは、妊娠期から切れ目なく親子を支える同国の施策「ネウボウ」を紹介した。助産師や保健師など専門家との定期的な面談で、親は子育ての知識を得て、ちょっとした悩みの相談もできる。「予防的支援で虐待の小さなリスクをつぶしていくことが大事」で、最近は指導よりじっくり話を聞く「傾聴」に力を入れているという。

 国連が開発した養育者支援プログラム「ポジティブ・ディシプリン」日本事務局統括の森郁子さんは「子育ては親が家庭の中だけでやることではない」と指導し、子育てが大変そうに見えない人も支援する必要性を訴えた。

 シンポジウムには、歌手で女優の土屋アンナさんも保護者代表として登壇した。四人を子育て中の土屋さんは、子どもがウソをついても、たたくのではなく言葉で伝え、自分でやってみせることが必要だと話した。

 シンポジウムは、子育て支援団体「ママリングス」と区などが主催するイベント「こうとう子育てメッセ2019」の一部として十四日に行われた。十一月四日には、江東区男女共同参画推進センター パルシティ(扇橋三)で里親出前講座が開かれる。」東京新聞2019年10月22日朝刊18面地域情報欄。

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