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日本語ラップのヒストリー3 カルロス・ゴーン事件

2018-12-09 11:35:35 | 日記
A.MCバトルの進化
 いまはU-tubeなどで、MCバトルの映像を誰でも見ようと思えばいくらでも見られる。でも、21世紀の始まった頃は、それはごく一部のマイナーな人々の世界で、大手メディアをはじめ世間一般の注目を浴びるものではなかったと思う。ヒップホップ自体が、表通りの文化ではなく、裏ストリートの不良青少年たちが何かやっている、としか思われていなかった。どんなアートでも、それが最初に出てきたときは、何かいかがわしい、良識ある大人たちの目を背けるような反社会性を帯びたもののように受け取られる。しかし、その表現がまず10代の若者に「お!これすげ~」と注目され、自分もやってみようと追随者が現れ、幾人かの才能あるトップランナーが道を切り開く。やがて、気がついてみるとひとつのカルチャーを創造するジャンルになっていて、そこであるルールやスタイルが共有され、競い合う場ができ、イヴェント化する。
 競技化し、ルールが確立し、演者と観衆、および評価を下す権威ができた段階で、初発のいろいろな可能性のうち、混然としていたなかからある流れが規範的になる。もちろん、それに反発して別の道を行く者も現れる。
 日本語ラップのMCバトルもそうしたプロセスを辿って今に至っているのだろう。

 「般若と漢はそれぞれ自分のスタイルを貫き通し、KREVAが殿堂入りしたあとの2002年のBBP決勝でぶつかります。

 (般若)
  お前のことはどうやら認めなきゃなんないらしいな漢 いいこと言ってんぜ
  だけど俺も全盛 ぜってぇ負けらんねぇ ここを越えて減点 でも構わねぇ
  男と男の勝負にルール? 知るかよバカ野郎言ってやるぜ英語だFxxx up
  審査されているラップは何度も死んだ 審査員ふざけんじゃねぇ それは勘違い
  貌がいい野郎がのさばったMC テレビでもつけてみぃ なにがいいんだなにが悪い
  それがわかってる俺がこれがこだわり 韻よりも大事なもんがあるんだ そうかったりぃ
  だけど体生身ひとつで俺は待ってる ここでそうだ俺は俺のために言ってる
  実生活を俺はラップにするよ漢 わかってるんだよ確かにあいつはぶっ殺してぇ
  KICK THE CAN …
  小便かけるんじゃねえ 誰にかける小便 己と踊れ
  (漢)
  全然興味がねえ 日本のラップ界 とかゆってんじゃねえ
  興味がありすぎだからここまできた 今日ここにいることでそれに気づいた
  固めてくぜ 俺はまるで真剣で振るように ライムを繊細かつ 天才的に見せつけてくぜ
  こいつはさあタメの年 それも知ってる 昔からたまには顔を合わし でもどんどんやり方
  それにはやらなきゃいけないことがあるんだ どんどん
  俺たちが日本を仕切るとかそんなんじゃねえんだぞ
  これもただ単にたった一個のやり方なんだってことを教えてやるぜ
  ままごと気取りの先輩方
  やり方してもマジで遅いから
  俺下からどんどん上るさ
  マジ見せてくぜ 新宿レペゼン   
    (般若vs 漢 B BOY PARK 2002)

 実に素晴らしいバトルです。特に漢のラップは、いま同じものをやっても評価されるレベルです。頭韻から脚韻までかなり踏んでいて、しかも内容がある。般若は思いをぶちまける型のスタイルではありますが、強い言葉をリズムに乗せています。
 二人に共通するのは音源とラップが地続きだということです。だから、音源を聴いてきた彼らのファンはフリースタイルの内容を聞き取りやすくなっていて、そのおかげで場も沸きやすくなったいます。観客の耳が二人のラップに追いついたとも言えます。
 一方、審査員の審査基準に関しては、非常に厳しくなっています。ちなみに漢に言わせれば、一回戦のバイオ戦が一番調子よかったし、大会全体に対してやる気もなかったとのことですが、その割にはやたら質が高いラップをしていましたね。
 その背景にはKREVAが出ていないという事情があります。したがってKRAVAの次のチャンピオンは誰なのかが争点になりましたが、同時にKREVAがKICK THE CAN CREWとして売れ始めていた時期ですから、その対抗心はさらに高まります。実際、決勝で般若がそこに思いっきり噛みついています。重層的な「KREVA憎し」ムードのもと、クレバ・スタイルのMCが倒すべき対象となります。特筆すべきは、前年も本戦に出ていたICE BAHNの玉露の敗北です。彼はクレバ・スタイルを洗練させて勝ち上がっており、そのスタイルを取った選手の最後の砦のような位置づけになりましたが、途中で般若に敗北します。
 これが一つの潮目だったのでしょう。結果として、勝ち上がった般若や漢、それから準決勝に進んだ志人に注目が集まりました。ここに現れているのは、思ったことを言う、思いをぶちまけるスタイルの復権です。クレバ・スタイルのような韻先行のラッパーと対峙して乗り越えることで、自分の思いを即興のラップとして表現できるスキルを身に着けたラッパーと、それを即興のラップだと判断できる観客によってシーンが醸成されてきたのです。ある意味で“エモ”(感傷的)の始まりとも言えます。“エモ”が機能するのはラッパーと観客がその感情を共有したときです。
 ここであえて観客という言葉を使っているのは、それまで聴衆としてともに成長していたはずの審査員と観客の間に差が生まれてきたからです。この事態は翌年に表面化することになります。この大会でも既に審査員の評価軸がバラバラでした。クレバ・スタイルを通じて即興性を評価する審査員と、そこからさらに思っていることをどれだけラップに落とし込めているかを評価する審査員と、そこからさらに思っていることをどれだけラップに落とし込めているかを評価する審査員が混在していたと思います。もちろん観客も同様にさまざまな評価軸が混在しているのですが、新しい風が吹き始めており、審査の難易度が上がっていました。決勝のカードは、そういった会場の空気に導かれたものとも言えるでしょう。
 新しい風を起こしていたのは当然フリースタイルシーンの最前線にいるラッパーたちです。そのなかでも漢や彼の所属クルーであるMS CRU(のちのMSC)は、メンバー全体でラップのスタイルを共有していて、かつ驚くほど進んだラップをやっていました。このスタイルを当時は「韻よりも気持ち」と形容していた記憶があります(実は巧みに韻が踏まれているのですが、当時はそこまでわかっている聴衆は少なかったと思われます)。それは般若の玉露に対する「もうこういうのは飽きたんだよ」というような啖呵にも表れていましたね。リズムに縛られすぎた、先読みができるようなラップは飽き飽きだ。もっと自由にやらせろ、ということです。
 この決勝戦、漢が般若に勝てた決め手はもはや後攻だったからではないか、というくらいの僅差ですね。僕が今の視点からジャッジすれば、般若がときどき遊びの言葉を出してしまっているのに対し(これもラップとしてだけ考えればまったく問題無いのですが、バトルとして見た場合の話です)、漢は頭から最後まで内容が一貫していて、韻も固くて多いという点を評価してやや優勢なくらいです。いずれにせよ、この試合は二人合わせて勝利といってもよいと思います。実際、彼らの影響力は絶大で、漢や般若、そして志人のラップを見てフリースタイルを始めるという若者が続出しました。彼らのスタート地点は当然クレバ・スタイル以降のシーンです。
 漢や般若がまとっていた“反体制”のムードも新しい風の主要成分でした。KREVAという華のある王者はKICK THE CAN CREWの活動で人気を集めているというネクストステージへと移行していましたし、日本のヒップホップ自体も大きなブームになっていました。それぞれのアーティストが意欲的な作品をリリースしていて非常にエネルギッシュな状況でもありました。BBPというイベントもそうした人気のアーティストがライブで盛り上げる場として“陽の当たる場所”となっていきます。それに対してフリースタイルのシーンはアンダーグラウンドなものとして進化していくようになります。既成の秩序に反抗したいという気持ちがフリースタイルをするラッパーやそのファンのヘッズの間には渦巻いていて、その空気を漢や般若は体現していました。彼らが運営に噛みつけば噛みつくほど場は盛り上がり、実行委員会側は頭を抱えることになりました。」DARTHREIDER『MCバトルから読み解く 日本語ラップ入門』KADOKAWA.2017.pp.30-34.

 ぼくも、これまでちゃんとMCバトルの戦いの現場を観たことはなかったので、U-cubeでいろいろ観てみた。なるほど、いろんな人たちが競い合ってチャンピオンが生成流転しているんだろうな、と思ったが、基本形はあまり変わっていないようにも思った。



B.グローバル市場競争のなかの成功者とは?
 20世紀の頃は、日本がまだ世界経済で優位な地位を占め、アメリカに次ぐ資本主義の先進国だと自負できそうな気分でいた。90年代のはじめに、すでにその実力は明らかに衰弱を始めていたのだが、日本企業はといろいろな企業努力をすればまだなんとかなる、とあれほど持ち上げていた会社共同体的な「日本的経営」の基本を投げ捨て、グローバル市場経済に脱却する必要性ばかりが強調された。その結果がどうなったか、すでに答えは出ている。
 傾きかかった大手自動車企業日産が、奇跡の復活を遂げたのは、日本人経営者ではできなかった大胆な改革(つまり人員整理と生産体制の過酷な大手術)を実行した、フランス人カルロス・ゴーンという人の功績といわれた。その成功者が、報酬の過少報告などの犯罪容疑で、いま狭い3畳の部屋に収監されている。

「道徳観と切り離された報酬額 「常識」あっての市場競争 :佐伯啓思 異論のススメ
 日産自動車会長のカルロス・ゴーン氏の突然の逮捕という衝撃的ニュースが流れてから2週間余り。様々な事実が明るみに出されており、ほとんど日産を私物化したと言ってもよいようなワンマンぶりも報じられている。報道をみる限り、急激な業績回復の陰で、日産はそこまで彼のやりたい放題を許していたのか、という暗澹たる気持ちになる。はたして、ゴーン氏は、相手が日産つまり日本の企業でなく、かりに米や仏の企業であれば同様のことをしたのだろうか、などと邪推もしてしまう。
 この逮捕の背景には、事実上ルノーの傘下に置かれてしまうという日産側の危機感もあったであろうし、日仏の国家間の関係もあろう。とはいえ、これはまずは、自身の報酬額の虚偽記載という法的問題である。だから、あくまで「ゴーンの犯罪」という法的問題として論じるべきだ、という意見も出てくるし、報道の主要な関心もその方向で進展している。

 しかし、法的対応はそれでよいとしても、より根本的な問題は、倫理的で道徳的なものだと私には思われる。そして、ゴーン氏自身が、なかばそれを告白している。なぜなら、報道によると、彼は、虚偽記載の理由を、あまりに多額の報酬を公表することが、社員を刺激するのではないかと危惧した、というようなことを述べたそうだからだ。
 ゴーン氏の日産社長就任によって、日産の多くの工場が閉鎖され、2万人を超す従業員が解雇され、そのうえで日産は奇跡の業績回復を果たした。その功績によって彼は「コストカッター」の異名をとって日産の大功績者となった。「コストカッター」などといえば聞こえはよいが、へたをすればこれは「ヒューマンカッター(人間切り)」である。
 2万人を超す従業員の犠牲の上に、5年で100億円の報酬を受け取るということは、法的問題はなくとも倫理的な問題はないのだろうか。これが常識的な感覚であろう。もしも、虚偽記載の理由が社員の批判を恐れたというものであるなら、彼が恐れたのはこの常識である。
 仮に、彼がこの常識を恐れずに報酬を正確に記載し、さほど日産を食い物にしなければ、それで問題はないのだろうか。クビになる従業員とクビにする経営者の間にこれほどの格差がつき、短期的成果を達成した無慈悲な「コストカッター」が、すっかり英雄扱いをされ、神格化されてしまうことは倫理的な問題ではないのだろうか。
 多くの人は、何かおかしいと思うであろう。常識とはそういうものである。ところが、常識がなんとささやこうが、この格差は今日の市場競争主義の帰結であり、そこに法的問題は何もない。年に数えるほどしか会社にやってこない最高経営責任者が年間20億円の報酬を得ようが、それが正当な契約に基づく限り、倫理的、道徳的に問うことも難しい。
 
 ゴーン氏の問題をもう少し一般化していえば、今日のグローバル市場は、短期間に企業業績を回復させ、株価を上昇させた経営者には巨額の報酬を与え、他方で、一般従業員の平均的賃金は下落させる。それがグローバルな競争原理であり、自己責任原則であり、成果主義、能力主義である、ということになった。法に違反しなければ問題はない。
 だが、かつて自由な市場競争の重要性をいち早く発見して「経済学の父」などと呼ばれるアダム・スミスはまた「道徳感情論」の著者でもあって、人間社会を構成するものは、人々の相互に対する共感(同感)だと強く主張していた。いくら個人の自由や競争といっても、市場がうまく機能するためには、その背後に人びと相互の共感がなければならないことをスミスは知っていた。市場競争といえども、社会の中にある人々の信頼や相互的共感に支えられなければならないのである。
 それから260年ほどたった。時代は違っている。だが、グローバルに拡大した市場競争を支える経済理論の基本は、スミス以来ほとんど変わっていない。ただ、社会を構成する道徳感情をすっかり捨て去っただけである。そして、市場理論が抽象化されて理論として高度化するにつれて、経済は、倫理や道徳からはすっかり切り離されてきた。そのことと、今日のあまりの格差や過剰なまでの短期的な成果主義の現状は無関係ではなかろう。
 倫理観や道徳観念は国や地域によって少しずつ異なっている。一般論としていえば、米国では、自由競争、自己責任、法の尊重(逆に言えば法に触れなければよい)、能力主義、数値主義などが大きな価値を持って受け入れられている。しかし、日本ではそうではない。協調性やある程度の平等性、相互的な信頼性などが価値になる。
 だが米国流の価値をグローバル・スタンダードとみなした時、グローバル競争は、日本の価値観や道徳観とは必ずしも合致しなくなる。しかしそれでよいではないか。もともとグローバル・スタンダードなどという確かなものはないのだ。あるのは、それぞれの国の社会に堆積された価値観、つまり「常識」であり、そこには明示されないものの、緩やかな道徳観念がある。企業も市場経済も、この「われわれの常識」に基づいているはずなのである。
 本コラムと産経新聞のコラムを合わせた「異論のススメ 正論のススメ」(A&F)が出版されました。」朝日新聞2018年12月7日朝刊13面、オピニオン欄。

 佐伯氏の立場は、伝統と常識を尊重する「保守主義」であるから、このような見解は当然の結論だろう。でも、ぼくに面白かったのは、そのゴーン氏が報酬を隠さなければと考えた理由は、おもにネオリベ的市場原理主義というグローバル・スタンダードの思想から(であれば高額を隠す必要などない)ではなく、自分が大ナタを振るった日産の従業員労働者の反感を和らげる必要があると思ったから、という点だ。ゴーン氏が果たしてそういう理由で、今回の件を処理しようとしたのかは、まだ確証はない。だが、そうであれば、日産に限らず日本の企業風土、佐伯氏流に言えば日本的「常識」がゴーン氏の思想に、一種の根深い抵抗を示していたことにもなる。それは、確かにひとつの洞察かもしれない。
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