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プログレの時代 イエス4 戦いのはじまり

2019-07-28 02:24:47 | 日記

A.言葉か音楽か

 1970年頃、アナログレコードをプレーヤーにかけて針を落し、耳を澄ませるという音楽の聴き方が当り前だった時代、音盤を購入してデザインで目立とうとするジャケットを眺めるだけでなく、曲目や演者の解説や歌詞を読むということは必須だった。ライブ映像などは、テレビか映画でやらないかぎりお目にかからなかったし、生のコンサートを聴く機会は洋楽の場合めったになかった。世界に名の知られた大スターなら顔や声を知っていたが、売り出したばかりの若手バンドのメンバーが、どんなルックスでどんな演奏をしているのか、レコードから想像するほかなかった。今は、Uチューブなどでライブ映像が簡単に手に入るので、音だけに耳を澄ますという鑑賞法、しかもアルバムを順に全曲通して聴くというのはむしろ珍しくなったかもしれない。

 19世紀ロマン派交響曲のような言葉を含まない器楽だけの音楽なら、タイトルだけで純粋に音の表現を楽しむことになるが、オペラや歌曲は言葉を謳う音楽で、当然言葉には意味がある。ジャズは楽器演奏が中心だが、ジャズ・ヴォーカリストは歌詞を歌う。ある曲が何を表現しているかは、歌詞で歌われる曲なら当然言葉の意味に音楽は結びつく。しかし、ある音楽の価値は、歌詞の言葉にあるのか、それとも楽器がもたらす音そのもののインパクトにあるのか、という問題は、しばしば論議を呼ぶテーマである。教会音楽・宗教音楽であれば、合唱などで歌われる言葉は神を讃える典礼文であり音楽はそれをより荘重に飾るための演出にすぎない。逆にお客がダンスを踊るための伴奏音楽であるスウィング・ジャズなどは、曲の歌詞は類型的な決まり文句で構わない。意味をもたないスキャットのようなダヴィドヴァでもよいわけだ。

では、歌詞が大きな意味を発散するメッセージ性の強い音楽とは、どんなものか?フランスのシャンソンはもともと詩を歌うということに重点があるし、たとえば60年代のボヴ・ディランや日本のフォーク系、陽水や拓郎、あるいは荒井由実などの曲は、歌詞を抜きにしては価値が半減するようなものだろう。そうなると、ビートルズ以後のロックの場合は、ほぼつねに歌詞がついて謳われる音楽だから、音楽のインパクトと釣り合う程の歌詞の重要性は疑いないように思える。しかし、プログレにおいて言葉の問題は少々面倒なことになる。

 まずは「Close to the Edge危機」(1972)の解説をみよう。

 

 「本作のレコーディングの手法は他のどのアーティストとも違っていた。ジョン・アンダーソンとスティーヴ・ハウによる弾き語りの部分に全員で肉付けし、ある時はフレ-ズごと、ある時は数小節ごとにレコーディングしてはそこで立ち止まって検討する。あとで良かった部分だけをジグソーパズルのように繋ぎ合わせて聞いてみるといった具合だ。1972年7月28日から4度目のアメリカ・ツアーがはじまっているところを見ると、本作はリハーサル期間を含めて約2カ月という短い時間で制作されたことが分かる。これはプロデューサーであるエディー・オファードの並々ならぬ努力の賜物だろう。アルバム「CLOSE TO THE EDGE」(Atlantic K50012)は1972年9月8日にイギリスで発売された。

 プロデュースはエディ―とイエスの共同名義である。カヴァーアートは「FRAGILE」でも好評だったロジャー・ディーンを起用、深緑色による深淵のイメージの表紙も美しいが、そこに堂々と描かれたYESのロゴマークが素晴らしいデザインで、その後長い間このロゴが使われていた。ジャケットを開くと見たこともない幻想的な世界が一面に広がる。まさにタイトル通りの世界だ。

 本作は全3曲という構成になっており、1曲目のタイトル・ソング「CLOSE TO THE EDGE」はアナログ盤ではA面全てを費やす18分半という長丁場の曲となった。この曲はヘルマン・ヘッセが書いた「シッダールタ」という本をもとにジョンとスティーヴが骨組みを作っている。“CLOSE TO THE EDGE”や“ROUND BY THE CORNER”といった言葉は実際にその本から引用されているらしい。テーマは“自己解明への危機状態”というもので、自己発見への挑戦という意味を持っている。常に難解だと言われて来た歌詞は、いくつものシチュエーションに変えて現れる夢のようなものだ。テムズ河近くの崖っぷちで暮らすことを歌ったはじめの部分から、教会に背を向けて自分の中に自身の教会を見出す場面があり、やがては現世から来世へと旅立つことをイメージしている。一種の宗教絵巻きのような展開だが、ジョンは来世へ行く幻想的な夢を見て以来死ぬのが恐くなくなったという。この曲を聞いて人生が変わったというファンが出現したほどの黙示的な曲だ。この大作のレコーディングにあたり、エディ―・オフォードは2インチの太さの16トラックのマルチテープを切り刻んで編集した。その際に繋げた箇所の前と後ろとで音像的なギャップが生じてしまい、それを回避するためにオルガン・ソロを入れるなど、大胆なアレンジをほどこしている。本作が発表された当時にアナログLPの片面を使った長尺の曲は、ピンク・フロイドの「ATOM HEART MOTHER」と「ECHOES」、エマーソン・レイク&パーマーの「TARKUS」、ジェネシスの「SUPPER’S READY」、ジェスロ・タルの「THICK AS A BRICK」、ヴァン・ダー・グラフ・ジェネレイターの「A PLAGUE OF LIGHTHOUSE KEEPERS」、キャラヴァンの「NINE FEET UNDERGROUND」、マクドナルド&ジャイルズの「BIRDMAN」などたくさん存在しており、イエスだけが達し得た領域というわけではなかったが、終始緊張感がありただの一瞬たりとも無駄な音がないと言い切れるのはイエスだけだろう。

 ギターのチューニング音、そしてヘッドフォンから聞こえるキューに「OK!」とスティーヴが答えるシーンからはじまる2曲目は、アナログ盤ではB面の1曲目にあたる「AND YOU AND I」。1曲目の「CLOSE TO THE EDGE」を牧歌的に変えて構成し直したような曲だが、宇宙的な讃美歌のようにも聞こえる。実際にこのアルバム全体が3曲からなるひとつの物語としても機能しており、この曲はもっとも多くの音楽的要素を含んだ多角的な曲となっている。教会の中であり、のどかな牧草地でもあり、東洋的な神秘さも覗かせる、まさに輪廻転生や人生の縮図を垣間見るようだ。イエスというキーワードのもとに、世界中からさまざまな要素を持った音楽たちが集まって来ているのが分かる。この時代にワールド・ミュージックと呼ばれるジャンルは存在していなかったが、全ての音楽の中から自分たちが必要としているエッセンスを抽出する才能は、このイエスにしか出来ない芸当だと言えるだろう。

 アルバム最後を飾る3曲目は9分にも及ぶロックン・ロールの「SIBERIAN KHATRU」だ。タイトルの「KHATRU」とは南イエメンの言葉で「望むがままに」という意味で、この曲も宗教的な解釈を可能としている。登場する言葉の羅列はあまり深い意味を持っていないが、それぞれがまるで真夏の世の夢のごとく呪文のように鳴り響く。スティーヴによるギターのイントロが印象的で、段々と音程が上がって行き、来るべくハーモニーへの期待が膨らむ。イエスの当時のパワーを伺い知ることが出来る曲だ。あまりにも荘厳なグルーヴをもった曲だけに、アルバムでは最後に収録されたが、ライヴでは必ず1曲目に演奏される曲として長く君臨している。

 本作はイギリスで4位、アメリカでは3位にまで上がる大ヒット作となり、プログレッシヴ・ロックというカテゴリー以外でも人々の知るところとなった。アメリカでのチャートは「90125(ロWンリーハート)」の最高5位という成績を押さえ、イエスとして今日までの最高位となっている。本作の録音終了後すぐの1972年7月末から4度目のアメリカツアーが敢行されているが、そこにはビル・ブラッフォードの姿はなく、替わりにアラン・ホワイトがドラムを叩いていた。往年のイエス・ファンは新作「CLOSE TO THE EDGE」の期待と共に、予期せぬドラマーの交替劇を目の当たりにすることとなった。そしてこの交代劇がまたしてもイエス内部で巧みに仕組まれたものであったとは、誰の知るよしもなかった。その後イエスはかつてない大々的なツアーへと展開して行くが、そのツアーの行程中はじめて日本の地を踏むことになる。」イエス『危機』解説。

  ロックのアルバムの解説というのは、曲の構想からレコーディング、完成までの細かないきさつやメンバーの動向についてかなり詳細に追いかけるのが普通だが、イエスの場合は時々メンバーが入れ替わったりするので、そういった周辺のあれこれだけでも蘊蓄になる。しかし、曲の中で歌われている歌詞について、あまり内容に触れたりはしない。ディープパープルとかツェッペリンといったハードロックは、単純な叫びだけの歌詞でわかりやすくストレートに伝わりそうだが、プログレ、とくにイエスはなにを言ってるのかよくわからない。だから歌詞カードはついているけどあんまり考えなくてもいい、という方向に解説も流れる。「危機」の第3曲シベリアン・カートルの歌詞をみてみよう。

  Siberian Khatru  song word :Anderson   Theme : Hawe -Wakeman

Sing, bird of prey; beauty begins at the foot of you.

Do you believe the manner? Gold stainless nail, torn through the distance of man as they regard the summit.

Even Siberia goes through the motions,

Hold out and hold up: hold down the window.  Out bound river

hold out the morning that comes into view  blue tail, tail fly

River running right on over my head.

How does she sing?  Who golds the ring?

And ring, and you will find me coming.

Cold reigning king, hold all the secrets from you as they produce the movement.

 

囀れ、祈りの小鳥よ 君の足元に美が生まれる  風習を信じているかい?

錆びない金の爪が  頂点を見守る人々の距離を引き裂く  

シベリア問題が可決されても 抵抗し、持続せよ  窓を閉めておくんだ

川を越えれば越境  景色が見えるように朝を引き留めよ 

青い尾が飛んで行く 頭の真上に川が流れる その囀りはどんな歌? ベルを鳴らすのは誰?

その響きに、君は僕の訪れを知る  冷血に君臨する王、君の秘密を奪われ

彼らは革命を起こそうとしている   (以下略)  加納一美訳

  日本語訳を読むとさらに頭が混乱するが、たんに韻を踏むための言葉遊びなのか?それとも、ヘッセの「シッダールタ」に啓示を受けたという第1曲と同様、なにか哲学的な深~い意味があるのか?ほとんどのファンは、まあ分んねえけど気分が同調できればいいんじゃね…という感じで通り抜ける。でも、ど~して「シベリア」なんか出てくんの?頻出する川のイメージってテムズ川と関係あんの?とか、英語を聞き流す日本人は気にならないかもしれないけど、英語に慣れた聴衆には気になってしまうだろう。次は『Tales from Topolograrhic Oceans海洋地形学の物語』である。

  「イエスのツアーで東京に行った時、夜のコンサートを前にして、私はホテルの部屋で一時を過ごしていた、パラマハンサ・ヨガナンダの著書「あるヨギの自叙伝」のページをめくっていた私は、83ページにあった長い脚注に心を奪われてしまった。そこには宗教、社会生活、医学、音楽、美術、建築学などすべてを網羅した、4部から成るヒンズー教の経典についての解説が記述されていたのだ。その時まで私はスケールの大きな作品のためのテーマを探し求めていたのだが、この経典はその場で作品が思い描けるほどぴったりだったので、これをもとにして組み立てた4部作が誕生した。それは(1973年)2月のことだった。その8ヶ月後、このコンセプトはレコードとして実を結んだ。

 その後もツアーは続き、最初にオーストラリア、そしてアメリカを訪れた。このアイディアをスティーヴに話すと彼は気に入ってくれて、すぐさま私達二人はホテルの部屋のロウソクの灯りの下でセッションを始めたのだった。米ジョージア州サヴァンナに到着する頃には、この構想は明確なものとなっていて、朝の7時まで6時間のセッションをしたこともあった。ヴォーカル、歌詞、そしてインストの基礎を組み立てたが、それがあまりにも素晴らしい体験だったので、私達は何日も上気していたものだ。アレンジ、レコーディングに費やされた5ヶ月の間、クリスもリックもアランも大いに貢献してくれた。

 第一楽章 〈知識〉

 神から授けられた学問は、いつも咲いている花のように顕在化している。その花の中には、複雑な事物の分析中に現われる単純な真理や、いにしえの魔術が含まれている。だから我々に聴かせるべく遺されてきた歌を忘れてはならない。神の知恵は探究そのものである。普遍にして明確。

 第二楽章 〈伝承〉

 記憶。我々の思考、知識、印象、恐怖は何百万年もの間に増大してきた。我々に明らかにされているのは自分自身の過去、自分の人生、そして歴史。ここではリックのギーボード群が心の目の干満と深みに活力を与えてくれるだろう。探索すべき大洋。自然が心に与えてくれる印象に比べれば、時の流れの中のさまざまなポイントなど大した意味はないことを、希望とともに知るべきだ。その印象を常に心に留め、活用しなければならない。

 第三楽章 〈知識の広がり〉

 記憶の厳戒を越えて、古代はいまだに過去の遥か彼方にある。スティ―ヴのギターは、その古代の美と宝をはっきりと回想させる主軸となっている。インド人、中国人、中央アメリカ人、アトランティス人、これらの、またほかの地方の人々は、膨大な知識という宝庫を遺していった。

 第四楽章 〈知識の広がり〉

 儀式。人生における儀式を習得し知る自由を与える7音階。生きることは悪の根源と純粋な愛との間における戦いだ。アランとクリスは肯定的な根源を示し、新たなるものとして送出しようと奮闘している。我々は太陽の子。見者と成り得るのだから。

 これは本作「海洋地形学の物語」の内ジャケットに記載されている文章だ。ジョン・アンダーソンによるこの記述には、アルバム制作の動機とその制作過程、そして各楽章(各曲)の概要について触れられている。

 事実関係を照らし合わせてみると、イエスの面々は1972年9月に発表した「危機」に併せたワールド・ツアーの一環として、翌1973年3月上旬に日本に上陸している。よって、ジョンによる上記の“それは2月のことだった”という部分は、3月というのが正しいと思われる。いずれにしても、本作のコンセプトはなんと東京で具体化したということがわかる。また“米ジョージア州サヴァンナに到着する頃”とあるが、イエスはこの年、4月4日から22日までの約3週間にわたって7回めのアメリカ・ツアーを行っていたので、これは1973年4月時点でのことになる。同年5月、ツアーも一段落したイエスはしばしの休養を取り、モーガン・スタジオ委はいってのレコーディングを開始したのは7月下旬のことだった。レコーディングに先駆け、6月から7月にかけて約2カ月にわたり入念なリハーサルを行っている。レコーディングは9月下旬まで続き、アルバムが完成したのは1973年10月のことだった。構想に4カ月、リハーサルに2カ月、そしてレコーディングにさらに2カ月の合計8カ月が費やされ、本作「海洋地形学の物語」は完成したのだった。」イエス「Tales from Topolograrhic Oceans海洋地形学の物語」解説。

B.武器暴力はどういう文明か?

 人間が絡み合う社会現象において、ものごとは利害と理念で動くとマックス・ヴェーバーは言った。利害Interesseは、金銭や権益や威信といった社会的資源をめぐる争奪パワーの抗争である。自分の利益をどこまでも求めていくと、かならずそれを阻み対抗する他者勢力が登場してくる。それを解決するには、まずは話し合いであり交渉なのだが、それでうまくまとまるとは限らない。利害だけではなく理念idea、つまりどうしても譲れない価値観というものを人は持っているので、それを譲って合意するのは感情の上でも認めたくない。その結果、力を背景とした威嚇、憎悪からくる武器暴力の使用への誘惑が滲み出る。

 人類の歴史上、人に物理的に危害を加える武器というものが登場したのはいつからなのか。遺跡から出土した刀剣や戦闘で死亡したとみられる骨などから、それは狩猟採集社会ではなく、人が定住した農耕社会になってから、というのがどうやら考古学的事実らしい。武器暴力を組織的に使う技術、つまりある集団的目的のために戦争をするには、武器を持った兵士を命令によって動かすことのできる軍事的権力が成立する必要がある。日本ではどうだったのか?

 「論説委員が聞く 人はなぜ戦うのか :国立歴史民俗博物館教授 松木武彦さん

 戦争について思いを巡らす夏が来ました。そもそも人はなぜ戦ってしまうのか。それを考えることが戦争を抑止する一歩になるかもしれません。考古学の見地から、戦争について研究をしている国立歴史民俗博物館教授の松木武彦さん(57)と語り合いました。

早川由紀味 日本列島で集団的な戦いが始まったのは、朝鮮半島から渡ってきた人々が稲作文化をひろめた弥生時代だそうですね。

松木 紀元前十世紀後半に玄界灘を越えて九州に上陸したと考えられています。難民だったか開拓だったかは分かりません。水稲農耕のノウハウや技術とともに戦いの思考も携えてきた。それがなぜ分かるかというと集落の周囲に防御のための濠を巡らせています。遺跡からは武器も出土している。福岡県糸島市の新町遺跡からは、太ももに石を細く磨いた矢尻が突き刺さった四十代の男性の遺骸が見つかりました。

早川 それまで続いた縄文時代の狩猟生活の方が攻撃的なっても不思議はないように思うのですが。食糧の供給源は不安定だし、日常的に動物を殺している。稲作をすれば安定的に食糧が確保できるのに、なぜ戦いが生まれたのでしょう。

松木 世界的に農耕が始まると、人は戦い始めます。定住することで、水や土地などの不動産が生まれます。干ばつや飢饉の時には、不動産をめぐる争いが生じる。生活が安定することで寿命も延び、子どもも増える。人口が増えるとより広い農地も必要になり、隣から奪うしかないということになる。狩猟採集生活の時代は、人口も少ないし、四季折々の恵みもあるので何かが不足しても別のものでカバーすることもできました。農耕生活では、森を伐採して米を作り、それに依存しているので、不作だった場合は、経済的な危機が起こりやすいのです。

 さらに言えば、狩猟採集文化では、自分のことも生態系の中に位置付けており、食べる分だけ猟をする。それに対して、農耕は一つの植物を徹底的に管理する。生態系の外側で支配することで、人間中心の世界観が築かれやすいのです。それは他者を支配する世界観にもつながっていく。

早川 そもそもなぜ、戦いを古代研究の一つの柱にしようと思われたのですか。

松木 即物的なきっかけとしては、学部時代、アーチェリー部にいて、筋力を落さないため、発掘の合宿にも弓を持っていっていました。それを見た教授に「弓が出土しているから、それで卒論書かないか」と提案されたんです。子どもの頃、周囲に戦争の語りが満ちあふれていたことも影響しています。父方の祖父は神主で若者を戦地に送り出していた。母方の祖父はシベリアで抑留された。戦争って何なんだろうという思いが蓄積されていました。

早川 先日、百舌鳥・古市古墳群(四~五世紀)が世界遺産となりました。巨大な古墳も戦いの思考とかかわりがあったのでしょうか。

松木 古墳が巨大化したのは、奈良盆地の大王が中心となったヤマト政権が鉄を入手するために、朝鮮半島の諸国と協調したり、軍事力を派遣したりしていた時代です。倭軍特有のよろいが半島でも出土しています。半島での利権獲得のため、中国の王朝に使いも送っています。大阪湾岸に巨大な百舌鳥・古市古墳群が造られたのはそういう国際的な競争関係が背景にあったためでしょう。半島でも同じ時期、高句麗と百済では階段ピラミッド状、新羅は土まんじゅうの大きなお墓が造られています。

 ただ、朝鮮半島での戦いを経ても、軍備の革新には非常に鈍感でした。騎馬戦術を用いる高句麗に歯が立たなくても、その時と同じ重装歩兵用のよろいをその後も七十~八十年間作り続けている。山城など防御の施設も機能的には発達しなかった。島国で、他国から攻め込まれることをあまり想定していなかったのでしょう。防御への関心の薄さや軍備を改良していく柔軟性の欠如といった特質は、その後の日本のありようにつながっているようにも思います。

早川 第二次世界大戦(1939~45年)が始まる七年前の三二年、国際連盟から依頼を受けた物理学者のアインシュタインが心理学者のフロイトと戦争について往復書簡を交わしています。「人間を戦争というくびきから解き放つことが出来るのか」というアインシュタインの問い掛けに、「フロイトは攻撃本能を抑制する文化の発展に希望を託しています。でも弥生より前の縄文時代に組織的な戦闘がなかったとするならば、地代が進めば文化が発展するとも言い切れない気もします。

松木 「平和」は考古学には痕跡が残りにくい。武器がなければ平和ととらえるしかないのですが、武器をつくっていなかった縄文への憧れがあります。戦争という観念がなく、暴力で上下関係をつくらず、支配もしない。飢餓などもあっただろうし、早くに亡くなるし、あまり美化してはいけないのですが。人間だから競争心はある。それをどこに投入したかといえば土器です。世界各地のネーティブ(先住民など)の文化を調べた民俗学の研究からは、土器は女性がつくる場合が多いことが分かっているので、縄文もその可能性が高いと考えられます。見事な土器を作る競争を通じて、女性が威信を獲得する社会だったのかもしれません。

 稲作をもたらした渡来人と縄文人との間には部分的には戦闘があったかもしれませんが、短期間で縄文人も農耕を取り入れ、弥生の農耕民として溶け合っていったと考えられています。縄文と弥生とでは世界観が変わり、弥生は好戦的になる。パソコンでいうと機種としてはつながっていても、それを起動させるソフトが違う。

 古墳時代も四世紀後半ぐらいまでの最初の百年は、地域の有力者とみられる古墳の埋葬者のうち四割は女性でした。女性の場合は副葬品に甲冑などの武器がないので性別が分かるのです。朝鮮半島に乗り出すなど軍事の存在感が増すにつれ、男性の支配が勝っていった。

早川 地域のリーダーの四割が女性ですか……。指導的地位に女性が占める割合を三割にすることがいまだ目標とされている現代の日本よりマシかもしれない(笑)。「弥生ソフト」のバージョンアップのたび、好戦的・男性優位の世界観が徐々に強まっていったのかもしれないですね。今、七十年以上戦争をしていないことは、戦争をたたえたり必要としたりする文化を次世代に引き継がないという意味で貴重だと思います。

松木 2011年にスティーブン・ピンカーという認知科学者が「暴力の人類史」という画期的な本を書いています。古代から現代までの間に、戦争につながることを喜ぶ人間性や、暴力は減少していると彼は書いています。ローマ帝国時代には奴隷同士の殺し合い競技に拍手を送っていました。現代の暴力を嫌がる心は、動物愛護や男女平等などの概念の拡大にも表れている。未来もその傾向が強まるだろうし、これこそ人類の進化であると。ただ、日本についてどうかというと、死刑は存続し、男女平等は進まず、商業捕鯨が復活している。彼の論法を用いれば、日本はまだ進化の前段階かもしれません。」東京新聞2019年7月27日朝刊、4面考える広場。

 武器暴力の組織化、つまり軍隊を持ちたい、紛争の解決に軍事力を使いたい、という密かな願望は自分の手で政治を動かしたいと考える政治家の最大の誘惑要因である。先頃ロシアの占有する北方領土に行って、そこを故郷とする人びとに向かって「取り戻すには戦争するしかない」という意図の発言をした若手政治家の頭のなかは、拳銃を握って強くなったような気分ではしゃぐ子ども同然である。これが冗談で終らないのは、自衛隊を憲法に書き込んで、対外交渉に軍事力の威嚇を使いたいと考える首相の願望に無縁ではないと思えるからだ。強力な武器を実際に持てば、外交交渉における威嚇によって相手に戦争を思いとどまらせるため、といいながら双方に憎悪と軍拡を加速させ、結局は戦争に踏み切らせるに至る歴史が繰り返されてきたことは明らかだ。核兵器はこのジレンマの象徴であり、兵器を扱う人間の肉体的限界をとっくに超えたイデアの戦争バーチャルの次元になっている。しかし、それは21世紀の現実であり、この先悲惨な戦争が地球上のどこでも起きないとは誰も言えない、というのが恐ろしい。

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