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M・ルターのモラトリアム… 財務事務次官のオヤジ文化について

2018-04-21 02:50:27 | 日記
A.「若きルター」のモラトリアム
 「モラトリアムmoratorium」という用語は、日本では関東大震災後の1923(大正12)年の震災手形や、昭和金融恐慌1927(昭和2)年の際になされた一時的金融避難措置などの専門用語として使われた。語源はラテン語の "mora"「遅延」、"morari"「遅延する」で、そこから「支払猶予令」 天災、恐慌などの際に起こる金融の混乱を抑えるため、手形の決済、預金の払い戻しなどを一時的に猶予する一時停止(期間)のことを指し、やがて対象が拡大されて、法律が公布されてから施行されるまでの猶予期間、核実験の一時停止 (a moratorium on the test of nuclear weapon)、商業捕鯨モラトリアム、死刑執行の停止などに適用されるようになった。
 それが、やや違った意味で一般に使われるようになったのは、エリク・H・エリクソンがその著書で提唱した概念、学生など社会に出て一人前の人間となる事を猶予されている状態を指すものとして広がったのが、1960年代。大人になるために必要で、社会的にも認められた猶予期間を指す。日本では、小此木啓吾の『モラトリアム人間の時代』(1978年(昭和53年))等の影響で、社会的に認められた期間を経過したにもかかわらず、社会に出ることをためらう状態を指して否定的意味で用いられることが多いが、本来のエリクソンでは、むしろ人間にとって必要な若き模索の時代を指していて、どちらかといえば実りあるポジティブな意味を与えられている。

「エリクソンが東部に戻って七年後に、かれの第二の著作『若きマルティン・ルター』Young Man Luther は刊行された。前著と同じく大きな影響力をもったこの本はさらに広汎な読者を獲た。それというのも、ここで著者の焦点は歴史的な伝記、もっと正確に言えば、偉人たることを運命づけられた一青年の「生活史」の「イデオロギー的』研究にと移っていったからである。エリクソンのイデオロギーに関する全般的な定義は『幼児期と社会』で解読された諸概念の一覧表に新しい一用語を加えた。かくしてまた「モラトリアム」への決定的な要求が力説された。そしてさらに、「偉大なる青年」の歴史的役割が描き出されることによって、一個人へのかれの注意の集中が解明され、かれのルター研究がはじめた大胆な外挿法も認可されることとなった。
 エリクソンの詳説するところによれば、かれの目的にとってイデオロギーとは「宗教的、科学的、ならびに政治的な思想の底にある無意識的な傾向のことで、この傾向は、アイデンティティの集合的および個人的な意味を支持するに十分なほど説得的な世界イメージを創出するために、ある与えられた時に事実を観念に、観念を事実に服従させることになる」。ルターが行ったことは、かれ自身の苦難の火の中で新しい時代にふさわしい新しいイデオロギーを鍛造することであった。しかし、かれは僧院において「足ぶみ」したあとではじめてそうすることができたのである。
 それゆえ、われわれはこの経過に注意を集中してみよう。いかに若きマルティンが謹厳で苛酷な幼児期の末に烈しいアイデンティティ・クライシスに突き落され、そのためにかれが僧院の沈黙の中に猶予と治癒を求めたか、沈黙しているうちにいかにかれが「とらえられ」たか、またとらえられることによっていかにかれがしだいに新しい言葉、かれの言葉を語れるようになったか、そして話ができるようになっていかにかれが僧院から自分自身のこと、ローマ教会からかれの国のことについて語ったばかりでなく、自分のため全人類のために一つの新しい……倫理的・心理的意識を定式化したか……
 この種の人間は「かれが偉大な青年」となる「以前の歳月において」、「まったくはっきりしない頑固さ、秘かな強固な不可侵性」を「内部に」抱いている人と想像される。「そういう場合には、一切か無か」というのが「この種の人間の」暗黙裡の「モットー」なのである。かれらは自分の言うことを真実全面的に本気で言っている。
 イデオロギー的指導者というものはその同時代人の思想を再形成することによってのみ克服できる極度の恐怖におののいているように見える。そしてこの同時代人たちはいつも、こうして絶望的にそうすることを心にかけている人びとによってかれらの思想が形成されるのを喜ぶものなのだ。生まれながらの指導者は、だれもがその心の奥底ではなんらかの形で恐れていることをただより意識的に恐れているように思われる。そしてかれらは確信をもってその答えをもっていると主張するのである。
 右の文章は、エリクソンがかれの説明の範囲を拡大する歴史的外挿法のもっともめざましい一例にあるにすぎない。かれはしだいにルターの「内陣での発作」とか、福音書を読んでいた時にこの若い修道僧が雄牛のようにわめき出したとか、ある罪の嫌疑を否認したとかいう「半伝説」を「半歴史として……認めざるをえない」と感じるにいたった。同様にまたかれはごく僅かの証拠によって、というよりむしろ「臨床医の判断」として「もしもその母親の声が歌いかけていたのでなかったならば、だれもルターのやったように話したり歌ったりできなかったであろう」と推測した。このような主張は細心慎重な歴史家たちの心に疑念をかきたてずにはおかなかった。しかしながら、エリクソンの本が呼びおこした長びいた論争の要点は、それが個人の良心から大衆のそれへの概念的な橋渡しをしたという、また「ルターのような感受性と衝迫力をそなえた」人間が「歴史的変化の新しいうねにイデオロギーの種子を播く」ことのできたプロセスを描き出したという主張にあった。
 このようにして、心の広い歴史家や歴史的傾向をもった精神分析家たちはこの『若きルター』が開示した知的な展望から大きな利益を得ることになった――事実、「エリクソン崇拝」がはじめて出現したのはこの著作をめぐってであった――が、半年がたつにつれてかれらは、言われるところの個人から大衆への架橋なるものはエリクソンの崇拝者たちがはじめに考えていたほど確実ではないことに気づきはじめた。かれらはいぜん、歴史や社会的環境をエーリヒ・フロムのようなネオ・フロイディアンなどの場合よりも比較にならないほど豊かな鋭敏・微妙な仕方で扱ってみせてくれたことでエリクソンに感謝の念を抱いてはいた。とりわけエリクソンがイデオロギー的忠誠の見出される人生段階――10歳代の半ばからほぼ30歳にいたる――を重視したことによって、普通データがまことに乏しい半ば忘れ去られた古典的フロイト的な幼児期からもっとよく記録の残っている青年期や初期青年期に情緒的重点を移せることになり、研究者の仕事がやりやすくなったのは好都合であった。けれども、エリクソンの見本に刺激された人たちが、のちに「心理的歴史学」と呼ばれることになるものに手をつけたとき、かれらはたいていはみな個人的伝記を産出することになったのであって、その解釈をもっと広汎な集団へと投射しようとする努力は手探り状態にとどまり、あまり説得力はもちえなかった。かれらは大衆行動を問題にしようとしながら、多くは「その指導者の動機づけから……この大衆行動の動機づけを……単純に誤って推断した」。「家族の中の個人の発展に基礎を置く」方法論的な「モデル」では大きな歴史的変化の起源を説明するには適切でないことが明らかになったのである。」スチュアート・ヒューズ『大変貌 社会思想の大移動 1930-1965』荒川幾男・生松敬三訳、みすず書房、1978.pp.170-172.

 エリクソンの『若きルター』は、『幼年期と社会』のアイデンティティ論の延長上に、青年期に直面する課題としての自己認識への模索を「モラトリアム」と呼ぶことで、思想的に据えつけた仕事といえるだろう。しかしそれが広汎な影響力を与えたのは、マルティン・ルターという西洋精神史における偉大な宗教者の名前を、伝記的な個人史をエリクソン的文脈に読み替えることで達成した離れ業であって、こういうことがどの人物、どのケースの場合にもうまくいくとは限らない。というよりも、下手にこの青年期のモラトリアム分析をやってしまうと、成功者の後付け話や、失敗例の無視に陥る可能性が高い。モラトリアムがポジティヴな意味を持ちうるのが、結果としての成功者の場合だけで、むしろ多くの場合は青年期のつまずきや挫折が、その後の人生を暗い悲観的なものにしてしまったり、不幸な断絶・中断になることの方が多いかもしれない。おそらく、エリクソンはそのように物事を考えない。それはかれ自身が経験したモラトリアムの充実と、結果としての栄誉と名声からくるのだろう。

 「アイデンティティに関しては、エリクソンは絶えず新しい定義――しかもこれらは以前のものと必ずしも両立しない――を作り出すことによって読者の困難を内済にしている。この点でかれの伝記記述者は有用な示唆を与えてくれる。つまり、それによるとエリクソンは本当は概念の定義づけには関心を抱かず、「何度もくり返しその概念を用い、何年もその概念に特殊な意味を与える仕事をすることによって」徐々におのずから概念を確立せしめようと欲したのだと言う。事実、かれが産み出したもっとも単純な定式化ですら、ウィリアム・ジェームズから借りてきたものであったのだ――「これこそ真の私である」。アイデンティティの感覚あるいはそれの欠如は、疑いもなく人間の基礎的経験の一つである。しかし、精神分析理論におけるそれの地位は、歴史的ないし人類学的解釈におけると同様、いぜん不明確なままである。それは、古典的な自我と個人の社会的役割との間を行きつ戻りつしているつかまえどころのない用語である。それはまた「性格」という平凡な伝統的な言葉にも接近する。おそらくその最大の難点は、エリクソンが無意識という基本的なフロイトのカテゴリーとの関係を明確にしえなかったところから出てくるのであろう。かれの用法では、一人の人間のアイデンティティは最終的にそれが意識の完全な光の中にあらわれ出るときに確立されることになるのだという推測をあえて試みてみたくなるほどである。
 これらの概念にまつわる困難は、エリクソン特有の文体に内在しているものである。『幼児期と社会』の文章はまだ英語をうまく使いこなせないと感じている人の平明で直截な性質を帯びているが、エリクソンのその後の著作は著者がすでに言語上の戦いに勝利を収めたと確信し、みずからすぐれた文体の持主とさえ考えていることを示している。『ルター』以後はかれの文章はしだいに入念になり、とらえにくく、さらにはにかんだ風にさえなった。自負を込めた、自覚的に「文学的」な言葉づかいという点で、それはフロイトの優雅な単純さからはるかに隔たっている。
 フロイトその人の追憶にはエリクソンは変ることなく尊敬の態度を堅持していた。この創始者をかれはただ遠くから知っていただけで実際に「話しかけた」こともなかったけれど、かれは生き生きとした共感をもって、老フロイトが不平を言うことなく苦しみに耐えていたさまを回想している。エリクソン自身としては、標準的なフロイト的な実践からの背離は最小限にしようと骨折っていた。かれにとって大事だと思われたことは、かれが受け継いだ「唯一のイデオロギー的基礎」を「放棄することなく少しでも」かれの教説を「前進」させることであった。「諸現象の流れに寄せる第一義的関心」が「正統派の中に安全を求めたり、異端へと逃げ出したりする試みをすべて封じたのだ」とかれは説明している。師の遺産に挑戦するよりは、暗示やほのめかしによって精神分析の輪郭を変えることの方をかれは好んだ。かくしてかれは、「フロイトの超(メタ)心理学の五分の四」を知らず、その五分の一をきわめて自己流に応用した「卓越した……理論家という奇妙な人物像」を提供することになった。流行おくれの機械論的語彙からまだ解放されていない精神分析にかれはさらに古い、科学以前的な知的世界を呼び出すような言葉を再導入してきたわけだが、一方で、かれは直系の忠誠心を絶えず言明しつつ、精神分析的方法の「裏の入口から人間精神という概念」を密輸入するという比類のない離れわざをやってのけたのである。」スチュアート・ヒューズ『大変貌 社会思想の大移動 1930-1965』荒川幾男・生松敬三訳、みすず書房、1978.pp.175-176.

 なるほど、エリクソンは若い頃の放浪のモラトリアムの到着点で、ウィーンのフロイトの創始した精神分析のごく近いところに辿り着いたおかげで、正当な分析家としての肩書を得たし、そこを去ってアメリカに渡ったことで、精神分析の流れを基礎により広汎な大衆にわかりやすい心理学的説明に展開して有名になった。しかし、ヒューズの見解では、それは正統的な精神分析の伝統からすれば一種の逸脱、あるいは通俗化への道を開いたということになりそうだ。



B.倫理性の喪失は敗戦から始まっていた?
 「セクハラ」という言葉も、日本で一般に定着するようになったのはおそらく1980年代末くらいからだろうか?それ以前は、若い女性に対して中年以上の男性、いわゆる「オヤジ」が、言葉や行為で性的なからかい、おふざけをしたり、セクシャリティを前面に出した画像や映像表現が日常的に目に触れることは、珍しくなかった。ぼく自身、自分が育った環境のなかで、男たちが当たり前に共有する「文化」として、今ならセクハラに抵触する「エッチ」「エロ」「猥褻」をよしとする「オヤジ文化」の兆候が少なからぬ男性に根付いていて、それが息子世代にも潜在意識として継承されていると感じることがある。それが、国家の中枢にある人物の行為として、相変わらず本人にはただの無邪気で楽しい「遊び」としか認識されていない、という事実が明らかになった。
 この日本という国が、いま抱えている問題は、経済的、政治的、法律的な課題以前に、人間が生きるうえで何を価値をするかという文化の問題であり、そこが深刻な危機にあると思う。

「言葉遊び 佐藤優
 週刊新潮が音源とともに報じた女性記者に対するセクハラ疑惑で財務省の福田淳一次官が十八日に辞意を表明したが、問題は全く解決していない。十六日、財務省が公表した福田氏のコメントによると、〈お恥ずかしい話だが、業務時間終了後、時には女性が接客しているお店に行き、お店の女性と言葉遊びを楽しむようなことはある〉という。新潮社のホームページに公開された音源データによると、福田氏とされる人物が「胸触っていい?」「予算が通ったら浮気するか?」「抱きしめていい?」「手縛っていい?」などと話している。いったいどういう言葉遊びをする店に福田氏は出入りしているのか。
 この店で消費した飲食やサービスの代金は誰が払ったのか。ポケットマネーか公費か、それとも第三者か。第三者の場合、国家公務員倫理法に基づき五千円を超える接待を受けた場合は贈与等報告書を提出することが義務付けられている。この法律は大蔵官僚(当時)のノーパンしゃぶしゃぶなどの過剰接待問題によって生まれた。筆者が外務省にいた時期には四半期ごとに締め切りが設けられていた。外務省では、マスコミ関係者との意見交換で先方が会食費を負担した場合でも贈与等報告書を提出していた。財務省ではどういう運用がなされているのだろうか。マスコミは徹底取材してほしい。(作家・元外務省主任分析官)」東京新聞2018年4月20日朝刊、25面特報欄「本音のコラム」

このような人物を事務次官にしている麻生太郎氏には、さらに濃厚に「オヤジ文化」が漂っているが、ぼくの仮説ではこの源流は、石原慎太郎の「太陽の季節」が描いている世界からではないかと考えている。つまり、「男はマブいスケをナンパして、イッパツやってモノにするのが一人前の証拠だぜ」というような価値観が、戦後の裕福なお坊ちゃんたちに滲透した、ような気がする。この東大法学部から財務省のトップ官僚に上り詰めた人物も、頭の中はこういう奇妙な世界に漂っていたことが明らかになった。ぼくの周りにもこの手のオヤジはたくさんいたが、基本的につきあわないことにしていた。
 安倍政権を批判する「リベラル」「サヨク」人権派を、「売国奴」「反日」だと熱心に罵り攻撃している人たちに言いたい。この伝統ある麗しい国ニッポンを、倫理的道徳的宗教的に貶め、過去の先人が努力して築いてきた大事な価値をぶち壊し、日本に愛着を持つ海外の良心的な人びとを嘆かせる、恥ずかしく嘆かわしい人間は、いったい誰なのか?自分はエリートでこの国を動かす権力の座にあるとうぬぼれて、若くイイ女はオレ様の前で喜んで脚を開くのが当たり前だ、と思う愚劣で傲慢なオヤジが、現にこの国の権力の中枢にいる。こんな悲惨な事態を、きみたちは許しているだけでなく、拍手して応援している。もし、こういうオヤジこそ男の理想だと考え、自分もそうなりたいと思っているのなら、君たちの腰の底は痔疾のように割れている。だからよく考えてほしい。
 人類の文明を支えてきた世界宗教、ユダヤ=キリスト教、イスラム教、仏教、儒教、それらはそれぞれ異なる真理、聖典を主張してきましたが、どれも共通して唱えているのは、この世に生きている人間が守るべき価値があり、それに背いて生きることは自分を否定するだけでなく、自分に関わるすべての人々を否定し、結局は自分を破滅させるということなのです。そうあってはならないし、そのために誰もが自分の幸福を願い、自分だけでなく周囲の親しい人びとの幸福を願うのは自然な感情です。では、具体的にそれを実現するにはどうすればいいか?イエスも釈迦も孔子もムハンマドも、それを言葉で説いています。そのなかにある教えのひとつに、他者を道具とする欲望を貪ってはいけない、という真理があるのです。とくに、世俗の権力をもつ人々にこれは厳しい戒律になります。
 つまり、日本の現職財務省事務次官という最高の公職にある福田淳一氏の場合でいえば、自分の地位にともなう職務の延長上に、女性記者を酒食の場に呼び出して「言葉遊び」のおつまみに供して心理的満足を得たという事実を、些細な「娯楽」としか考えていない「精神の荒廃」こそが、国家の危機「反日」的行為だといわざるをえないでしょう?佐藤優氏の指摘する国家公務員の法律的行為の正統性という問題にはぼくはあまり関心はないけれども、「オヤジ文化」が日本社会に今もなお底流でしっかり持続していること、それをネトウヨ的若い世代にも伝染していることは、日本人として、男として痛いほど、切腹したいほど、戦争を挑みたいほど怒っているのです!
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