小田島久恵のクラシック鑑賞日記 

クラシックのコンサート、リサイタル、オペラ等の鑑賞日記です

東京都交響楽団×アラン・ギルバート

2018-12-16 06:58:08 | クラシック音楽
今年4月に首席客演指揮者に就任したアラン・ギルバートと都響の公演をサントリーホールで聴く(12/10.11)。プログラムはメンデルスゾーン『序曲《フィンガルの洞窟》op.26』シューマン『交響曲第1番 変ロ長調《春》Op/38』ストラヴィンスキー『バレエ音楽《春の祭典》』。
大柄なギルバートがオケの前に立つと、なんとも言えない安心感が生まれる。同時に、予測不可能で冒険的なこともたくさん起こる。首席客演指揮者になる以前の客演でも毎回そうだった。
『フィンガルの洞窟』から、サウンドの立ち上がり方がユニークで、都響で初めて聴くタイプの音だった。分離がよく、アクセントが強調され、各パートが明快なキャラクターを際立たせ、全体の残響は少ない。初日は一階席で聴いていたが、サントリーホールで聴いているのに上野の東京文化会館で聴いているようなドライな音響に感じられた。メンデルスゾーンの「水彩画的な」洗練された音楽に、パーカッシヴな野趣というか、雄々しさが加えられている印象。杭打つようなスフォルツァンドが聴き慣れたこの曲を新しいものにしていた。

このサウンドの感触は耳に覚えがあった。ニューヨークを最後に訪れたのは2006年だったが、ニューヨークの街中で聴く交通音がそんなふうだった。車のクラクションやエンジンが、空に向かって放射状に響くのではなく、埋立地であるマンハッタンの地底の基礎部分にいったん届いてから地表に反射する。破裂音のように短く切り込まれたクラクション音は、マンハッタン特有のサウンドスケープだと思う。ギルバートは生粋のニューヨーカーだが、ニューヨーク・フィルのサウンドでも無意識のうちに同じサウンドのテクスチャーを作り上げていたのだろうか?
指揮者が「無意識に」やることなどひとつもないだろうが「ニューヨークからやってきた」ギルバートが、自分の強いアイデンティティを日本のオーケストラに投射していたことは確かだ。それはニューヨークのサウンドとは関係なく「ウィーンの伝統」のようものだったとしても、都響の既に完璧されたアンサンブルに、新しい変化を求めていたことが感じ取れた。文字でいうなら、書体が変わっていた。新しいコンビネーションが本格的に始まっていることを思わせた。

シューマンの『春』は、二日間聴いて、この曲が前後の二つの曲を結び付けるメインの曲のように感じられた。この曲の初演の指揮をしたのはメンデルスゾーンだ。二人の作曲家の性質や思想は違っていても、同じ時代・同じ空気が音楽の精神をつないでいた。ホルンとトランペットによるファンファーレは壮麗で、打楽器は彷徨するようで、弦は小川のように新しい流れを次々と運んでくる。ギルバートは各パートにキューを出しながら、何かを演じているような姿だった。頭の中でひとつのストーリーを作り上げているのだろう。シューマンのタフネスと粘り強さ、曲に結実した異様なまでの生命力の強さにも圧倒される。31歳の「交響曲の年」に完成した曲だが、この2年後には早くも鬱と神経症がシューマンを蝕んでいく。
ラルゲット楽章はロマン派の極致のような可憐な女性美を彷彿させる旋律だが、都響は甘くなりすぎず、音圧を強めながらもストイックで堅牢な表面を創り出していた。3楽章のモルト・ヴィヴァーチェでは必要以上に浮かれたり跳ねたりしない。つねに抑制というものが感じられ、気まぐれや気分によって動じないこの曲の不動のイデアがギルバートの中にはしっかりとあるようだった。それは音楽を思索的にし、同時に華麗にもしていた。
遊戯的な最終楽章は二拍子のダンスのようで、陽気なモティーフが最後まで繰り返される。音が短く「カット」されていく感触があり、シューマン独特のppから急激にffに飛躍する極端さ要所要所で強調された。かすかに、全体が狂気の気配を帯びているのだ。
狂った赤い靴を履かされて死ぬまで踊らされる少女の物語を一瞬思い出した。濃密なギルバート=都響・サウンドによって折りたたまれて終わるこの曲に、どこか不吉な物語の影が感じられるのだ。(スコアはヨアヒム・ドラハイム校訂=ブライトコプフ新原典版で、都響がこの版を使用するのは初めてだという)。

後半のストラヴィンスキー『春の祭典』は、初日も良かったが、2日目はさらによくなり(一日目に二階まで音が飛んでこなかったと仰っていた方がいたが、私の感想では2階にもじゅうぶんな響きが広がっていた)、オケが指揮者のもとで完全な自由を手にし、のびのびと解き放たれていた。『春の祭典』はストラヴィンスキーの夢と妄想が濃密に詰まったバレエ音楽で、『ペトルーシュカ』同様、ソースとなっているのは彼の脳裏にひらめいた幻影である。それを台本作家ニコライ・レーリヒの協力を借りてバレエの音楽にした。ストラヴィンスキーがバレエ音楽を書くことと、アラン・ギルバートがオケを指揮することは根本的に似ている。二人とも「物語を語りたい」人なのだ。
フルシャと共演したときの、モダンで洗練された都響のハルサイとは全く違っていた。音楽がひとつの人格となって、巨人の姿で舞台に現れ(指揮者のことではなく)、さまざまなものを破壊し、踏みつけていくような恐ろしさを感じさせた。大地礼賛の序章は、たくさんの無知と、狂暴さと「痴れた」ようなフレーズが飛来してくる。そこから続きは、バレエ・リュスの振付でさまざまなカンパニーが蘇演している映像を観るとよくわかる。初演で喧々囂々となったバレエ・リュス版もいいが、それと同じくらい「踊りそのものに」ブーイングが集中したベジャールの『春の祭典』(1959年)が好きなのだ。ギルバート&都響版は、ベジャール・バレエをすぐさま思い出させた。振り付けのインスピレーションの源になっているのは鹿の交尾だ。冬から目覚めた男女は、身体の中から沸き起こる不思議な衝動に突き動かされて、異性のグループに近づいて「交歓」を行う。
ギルバート&都響のハルサイの音には、最初巨大な戦争画を思い出し、次第にそれが油彩画のマチエールではなく版画的な画像、凝った彫りの木版画に変わっていった。音のイメージから受ける白と黒のコントラストが強烈だったからで、後で思い返すとベジャール・バレエの視覚の記憶が影響していた。ベジャールのバレエでは生贄の男女は全員が白い全身タイツを履き、暗闇の中で照らされて最後は群舞が幾重にも重なった花弁のような、イソギンチャクのような姿になる。この白黒のヴィジュアルは記憶に鮮烈すぎた。

シューマンが狂気を押し隠して精神の明るさを音楽に刻印しようとしたのが交響曲第1番なら、ストラヴィンスキーが人間の本能的な狂気をアートに昇華したのが『春の祭典』で、初演のとき前者は絶賛され、後者は炎上した。どのみち、狂気を扱うには月並みではない精神力が必要で、シューマンは孤独の中で夭折し、ストラヴィンスキーは形式を変えながらサバイバルを果たした。「創作がくじけないように特別な体操を編み出して毎日行っていた」というのは振付家のバランシンが見たストラヴィンスキーだ。
この日のプログラムのテーマは「春」そして裏色に「狂気」…そして「とても高度で難しい」という共通点があった。シューマンの1番や2番は、難しすぎて演奏されなかった時代があったという。都響とのリハーサルは素晴らしく心の通ったものだっただろう。

在京オケの中でも都響ファンはとても耳が肥えていて、高度にクリティックな視点をもつ聴衆も多い。ギルバートとの共演に関しても、一筋縄ではいかない感想をもつファンもいたかもしれない。
にもかかわらず、その場にいた聴衆の一人として、これは本当に楽しいコンサートだったと言わねばなるまい。とてもエキサイティングで、驚きに溢れ、新鮮で、胸躍るコンサートだった。深遠で高度な音楽が、謎解きをするようにシンプルかつストレートに演奏されるので、一周回ってエンターテイメントになっているのだ。オーケストラとは世界一エキサイティングな娯楽である…NYから来たギルバートはそう伝えてくれる。12/18.12/19にも別プログラムで演奏会が行われる。