小田島久恵のクラシック鑑賞日記 

クラシックのコンサート、リサイタル、オペラ等の鑑賞日記です

ピーター・ゼルキン ピアノ・リサイタル

2017-08-04 00:48:36 | クラシック音楽



夏の嵐の夜、すみだトリフォニーホールでピーター・ゼルキンのピアノ・リサイタルを聴いた(8/1)。先月、ネルソン・フレイレを2階席で聴いて号泣してしまった同じ会場なので、ここに来るたびに「音無しの構えで泣く」ことが上手くなっている自分に気づく。ノイズは一切出さず、鼻もすすらず嗚咽ももらさずに目の幅の涙を垂らして泣くことが出来るのは私の特技だ。特にセンチメンタルな人間ではないが、すみだは私の涙腺をいとも簡単に決壊させる演奏会をよく行う。
ピーター・ゼルキンは、前回のトッパンホールでの公演(2015)の時にとても気になる演奏をした。持ち込みのスタインウェイは1910年代のセミ・ヒストリカル・ピアノで、可憐で慎ましい音を出し、ゼルキンの音楽も演奏中の表情も繊細そのものだった。バードやダウランド、スウェーリンクやブルといったマイナー作曲家と、ベートーヴェンとモーツァルトを組み合わせたプログラムだったのだが、深い内観を感じさせる演奏に大きな感銘を受けた。クラシックの招待席はだいたい隣が男性であることが多いのだが、「ゼルキンは体調が悪いのではないか?」「親父はもっと立派だった」といった、微妙な感想ばかりが耳に入ってきた。ベートーヴェンなのに堂々としていない、というのが先輩方の意見だったが、私はむしろそのことに感動していた。
何かを完璧に捨て去ったところから始めようとしている勇敢な音楽で、そこには不思議と「男性性=マスキュリニティ」というものが感じられなかった。同じタイミングで都響とブラームスのピアノコンチェルト2番を弾いたときは、今度は「ピアノの音が小さすぎる」という苦情があがった。「海の底から響くような美しいブラームス」とブログに書いた記憶がある。私の感想というのは、多くの聴き手とはずれているのかも知れない。

二年ぶりのリサイタルは、持ち込みではなくホールのピアノで、いつものようにゼルキンのオーダーメイドの特殊な調律によって準備されていた。
ステージに現れたゼルキンを見て、こんな上品な男性がこの世にいるものかと改めて思った。背が高く、細身の身体に三つ揃えのスーツを着て、シルバーの髪の毛はふさふさしていて70歳になったばかりだがもっと若く見える。
モーツァルトの「アダージョ ロ短調K.540」はゆっくりと弾き始められ、ゼルキンの横顔が苦吟するような表情になるのに胸が締め付けられた。悲劇的だが音が少なく、ともすれば子供っぽくなりそうなこの曲を、心の力を振り絞るようにして深い音色で訥々と歌わせていた。ワイルドの「ばらとナイチンゲール」という童話を思い出す。ゼルキンは胸に薔薇の棘を指し、モーツァルトの音符にただひとつの色彩を与えていた。何かにさよならを告げるような、惜別の曲にも聴こえ、少しでも終わるのが遅くなるように、あらゆる瞬間に愛情をこめて弾いていた。数分ほどで弾き終えるピアニストもいるが、10分近くかけていたようだった。
前半の2曲目もモーツァルトで「ピアノ・ソナタ第17(16)番 変ロ短調 K.570」はひらりとあどけなくはじまり、ゼルキンのゆっくりとしたテンポで、快活さとは別の内容が次々と繰り広げられた。小さきものを愛するような、足元の虫を一匹も踏みつけずに歩くような優しさに溢れ、ピエロ・デッラ・フランチェスカのフレスコ画に描かれたさまざまな草花を思い出した。バラやユリではない、駒草やたんぽぽやシロツメクサのような花々の絵巻物を見ているようで、二楽章のアダージョは古い日記に書かれた秘められた在りし日の想いのようなノスタルジーを振り撒いた。ペダルはほとんど使っていない。
直観的に、とても古い、電気も水道もない貧しい時代のことをイメージした。昔、西洋では赤ん坊は生まれると包帯でぐるぐる巻きにされ、壁にぶら下げられていたという。そんな時代には、当然今よりも死が身近にあった。そういう時代の愛とか優しさはどういうものであったのかな…と、素朴の極みにあるゼルキンのピアノを聴きながら思った。

後半のバッハ『ゴルトベルク変奏曲』が始まる前に、少しばかり空いていた席がほぼ満席になった。ゴルトベルクでデビュー録音し、これまでに3回もこの曲をレコーディングしているゼルキンの久々のライヴ演奏となる。後半目当ての人たちもいたのだろう。聴衆の期待も最高に高まっていた。
途轍もない緊張感の中、清潔で清浄なアリアがはじまり、吟味され反省された先にある音楽の、呆気ないほどのシンプルさに驚かされた。第一変奏から、内気な少年がおじいさんと踊るようなダンスが聴こえた。ゼルキンの足音なのか、ピアノの他にリズムを切るような不思議な音がして、バロック音楽が歩行と舞踊の音楽であることを思い出した。第二変奏は、おどけるような滑稽さを含み、一家だんらんのお喋りのようで、普通の人の、普通の日常の中にある幸福を絵解きしているようだった。変奏が進むにつれ、ゼルキンが一期一会の演奏会で表そうとしているものの貴重さがせまってきて胸が詰まった。
ゼルキンの演奏は、完璧な技術のもと確固とした解釈が貫かれていた。あの気高い朴訥さは「技術の衰え」なんかではない。とんでもない誤解だ。あの一番簡単な第13変奏のあとの技巧的な第14変奏がまったくひとつらなりの音楽に聴こえたのは、技術の難しさとか平易さが、表現力の大きさによって完全に包み込まれているからだ。
ゴルトベルク変奏曲は、善良な人の人生の朝・昼・夜の繰り返し、祈りによって区切られる一日の積み重ねの音楽なのだと感じた。机の上で日記をしたためるようにゼルキンはピアノに向かい、晴れの日と雨の日、春夏秋冬の景色の移り変わりを忠実に記した。そこに軽薄なものはひとつもなかったのだ。芸術家をひな壇に祭り上げるような派手さも超絶技巧による威嚇もなく、芸術という労働に身を捧げるピアニストの真摯な生き方だけがあった。
雨の日も晴れの日もこつこつと働いた人生に、唐突なご褒美が現れるのは第23変奏で、温かい光が天から指して急に景色が変わったように聴こえたのだ。
思いがけない人生の実りの瞬間が感じられ、「なるほど、このように『終わる』のか」とひどく納得した。第30変奏クォドリベットは、じっくりゆっくり弾くピアニストが多い中で、ゼルキンは驚くほど速く弾いた。その理由はわからないが、「もう天使たち全員が迎えにきているのですから、早く一緒に雲に乗って行きましょう」と背中を押されているような気持ちになったのだ。

回帰のアリアの後、長い長い沈黙。塑像となったゼルキンは永遠に溶けださない時間の中に凍り付いてしまったように見えた。曲が拍手によって完結してしまうことが、こんなに名残惜しく感じられたリサイタルはなかったのだ。
嵐の中集まった聴衆にとって、かけがえのない思い出となる演奏会になった。


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