小田島久恵のクラシック鑑賞日記 

クラシックのコンサート、リサイタル、オペラ等の鑑賞日記です

幸福の音楽 レザール・フロリサン『メサイア』(10/14)

2019-10-17 16:04:45 | クラシック音楽
結成40周年を迎えるレザール・フロリサンの『メサイア』をオペラシティで聴いた。ライヴで聴くのは初めて。74歳のウィリアム・クリスティは朗らかな笑顔で登場し、そのオーラは高貴で神々しかった。大変背が高い人なのに驚く。クリスティ氏をずっとイギリス人だと思っていたのだ。プログラムのプロフィールでNY州バッファロー出身であることを知った。1995年からフランス国籍。

ステージに合唱と管弦楽が並び、合唱の男性にはアフロヘアの人もいる。合唱は女性が10人、男性が13人。序曲のシンフォニアから典雅で明度の高いサウンドが響き渡った。お客さんは皆古楽ファンなのだろうか? ほぼ満席で、集中度が凄かった。テノールのジェームズ・ウェイがレチタティーヴォとアリアを歌い、神聖で力強い歌声がさらに音楽の輪郭を輝かせた。コロナの輪が見えたような気がしたのだ。バスのパドライク・ローワンも深みのある低音で「万事の主はこう歌う」と続け、歌手が次々と交代でセンターに出てくる。カウンターテナーのティム・ミードは写真とは違い髭を生やしていたが、天使の声でアリア「だが彼の到来する前に誰が耐えられるだろうか?」を歌い、親切で心の温かい予言の大天使が立ち現れた心地がした。

オルガンとチェンバロは一人の奏者が兼任しており、ひとつの椅子に座って二つの楽器を器用に演奏していた。オルガンを弾くときは指揮者が楽器と逆方向になるので大変そうだったが、一生懸命にいい音を出していた。センスがいい奏者だと思った。聴いているうちに、どんどんテンションが上がる。ベテランと若者の二人のコントラバス奏者のうち、ベテランの方の奏者が全身全霊を捧げるような弾き方をしている。木管も何だか凄い。男性ファゴット奏者は頭をぐるぐる回して吹いている。コンサート・マスターも、マエストロのすぐ前の女性ヴァイオリン奏者も陶酔的な表情だった。

こういう演奏家の姿を、オーケストラで頻繁に見ることはない。緊張感や自制心からか、大抵はもっと神妙で緊張した感じになる。指揮者が「そのように音楽に没頭してよい」と心のなりゆきを肯定しているのだろう。音楽はいよいよ輝かしく、合唱が「私たちのために一人の嬰児(みどりご)が生まれた」を歌い始めた瞬間に、天空の虹の橋が見えた。この合奏と合唱が、ただひとつの肉体と心を描くためのものであることに、改めて気づかされ、言いようのない昂揚感が突き上げてきた。

『メサイア』はヘンデルの異色作とも言われる。放恣な神々のオペラを書き続けたヘンデルが、英語のオラトリオを書いた背景には、当時のロンドンでのイタリアオペラの人気衰退などがあったという。しかしヘンデルの手にあっては、聖書の文言も虹色の音楽になるのだ。バッハの『マタイ受難曲』で感じるようなあの息苦しい反抗的な気持ちとは逆に、救世主がこの世界にとうとう現れたことの喜びが真っ先に伝わってきた。カウンターテナーが歌う有名な「彼は蔑まれ、人々に見捨てられ」は悲しく心に突き刺さるが、舞台で繰り広げられるのは祝祭的な何かで、「イエスを見捨てた人類は愚かだが、イエスが顕現したことは喜び以外の何物でもない」と語っているように思われた。

そうしているうちに、唯一の太陽のように完璧なレザール・フロリサンの『メサイア』を、部分に解体して分析し、それぞれのパートの出来栄えや「解釈」に点数をつけるような作業が全く無益でナンセンスに思われた。感動や歓喜を否定し、間違い(!)や演奏上の際立った特徴を数え上げることが全く意味のないことに感じられたのだ。舞台から恩寵を捧げている「彼ら」もそんなことは望んでいないだろう。『メサイア』を演奏することは素晴らしい創造であり、彼らの精神は見事な境地にいた。そこに誘われたいと思い、同化したいと思った。それ以外の何も行いたくはないと実感したのだ。

『ハレルヤ』コーラスではそれまで眠っていた前列のお客さんも飛び起きて合唱に食いついていた。『メサイア』はつくづく名曲である。「贖罪」と一言で言うけれど、イエスを否定し、虐待し、その後長い歴史をかけて改悛を続ける人類とはいったい何者なのか? その精神こそ、まだ完全に解決されていない精神のミステリーだ。至るところで悪は繁栄し、善行は打ちのめされ、正直さは馬鹿にされる。

第3部のトランペットとポストホルンは見事で、復活の音楽を顕すのにこれほど理想的な楽器はないと思われた。宗教的な音楽を受容するのに、聴き手の宗派信条は関係するものだろうか? 音楽はそれさえも突破する。カーテンコールでのウィリアム・クリスティのすごい笑顔を見て、オーケストラも合唱もずっとこの顔を見て演奏していたのか! とすべてに合点がいった。客席にいる自分も、何かが溢れ出し、無限とつながりあったような心地になったのだ。
前半75分後半65分。第二部の26曲のあとに休憩が入った。二日前に巨大台風に見舞われたばかりの東京で、無事上演が果たされたことも奇跡的だった。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。