ズービン・メータ指揮ベルリンフィルのサントリーホールの二日目を聴く。プログラムはブルックナー『交響曲第8番 ハ短調』(ノヴァーク版第2稿)。メータは杖をついてゆっくり指揮台の椅子に座り、数年前にイスラエル・フィルを伴って来たときより一回り小さくなっていたように見えた。譜面台はない。80分以上あるブル8を暗譜で振った。
一度指揮台に着くと、指揮者が途端に大きく見えた。冒頭の弦のアンサンブルからベルリン・フィルの強靭で深みのある響きがホールの空気を揺さぶる。最初から最後までコントラバス奏者の戦士のような献身に目を見張ったが、メータ自身がバス奏者出身であり、特別に心に届く指導をしたのではないかと想像する。弦が一晩で一気に擦り減りそうな音圧だ。すべてのパートが真剣で誠実で、かつてサイモン・ラトルが「なかなか言うことをきかない気難しいプロフェッショナル集団」と呼んでいた団体とは別物のように見えた。
弦の厚みも凄いが、管の何物にも動じないタフネスにも驚かされた。表情に富み、並でない安定感がある。全体的に非常に男性的なサウンドで、先日のフィラデルフィア管とは正反対だし、コンセルトヘボウ管の平和な音とも質感が異なる。メータのブル8はオペラのようでもあり、作曲家が尊敬していたワーグナーの楽劇の登場人物を思い出す瞬間があった。ブルックナーが「ドイツの野人」と呼んだ2楽章のスケルツォ主題は、野山をかけめぐる野生児ジークフリートのようで、巨大な権力を得ようと増長するアルべリヒのようにも思われた。未熟で盲目的な男性性が、さまざまな衝動に取りつかれて荒れ狂い、手ごわい自然からしっぺ返しを食らっているような物語を妄想した。
この演奏会では、自分の色々な考えを改めた。今までメータを偉大な指揮者だと思いこそすれ、熱狂的に聴いたことはなかったのだ。インバル派とメータ派がいるとしたら(分けられるほど単純ではないが)私はインバル派で、音の「実体」がクリアに見えすぎるメータはあまり好みではなかった。私の耳も変わり、83歳を迎えたメータ自身も変わったのではないかと思う。「言わなければならないことを直截的に伝える」指揮になったと感じた。節度や自制心を突き破って、自分が見てきた「人間のすべて」を語り明かそうとするような新しい態度が見えたのだ。
メータは「耐えがたきを耐え、ことを乱す余計なことを言わぬ」寡黙な人だったと思う。音楽はすべてを語るが、ネガティヴィティに足をとらわれず「より大きなまとまり」へと表現を導いていく指揮者だった。それは私の一面的な聴き方でもあった。この世に超人などいない。メータの巨大な創造への意志は、いつ瓦解するとも知れない破壊衝動と、生きることの不安と表裏一体であった…とこの日初めて思った。ベルリンフィルと創り出そうとしている「人間の物語」は途轍もなく貴重なものに思われた。暗くて息苦しく、メランコリックで美しい、人間の矛盾そのものの音楽だった。
1楽章と2楽章では、この上なく理性的に整えられたベルリンフィルのサウンドが、竜巻や台風のように荒々しく脅威的なものを表しており、それを修復するような3楽章にさしかかった瞬間息を呑んだ。ステージに一つ二つと星が輝き、やがて満点の星空になっていくような絵が浮かんだ。ベルリンフィルの息の長さ、呼吸だけで陶酔の境地にトリップする密教の修行者のようなアンサンブルに驚かされる。
フィナーレ楽章では、爆音に近い合奏にもかかわらず、各パートが混濁せず凛とした輪郭を保っていることに気づいた。サントリーで聴いているのに、上野の文化会館で聴いているような感触があったのだ。夢のように溶け合う響きが似合うサントリーだが、ベルリン・フィルのソロイスティックな主張の強さは別の次元を聴かせてくれる。先頃まで行われていたウィーン・フィルの公演を聴いていないが、同じホールで聴き比べが出来た人はとても面白かったと思う。
ベルリンフィルとメータの関係性は素晴らしい。音楽家はその瞬間ごとに新しく生まれ変わるもので、病を克服して再び指揮台に立ったメータが「今」届いている境地というものがあるはずだ。オールドファッションでも未来的でもない、圧倒的な「現在」というリアリティをオーケストラは指揮者と共有していた。
ペトレンコが新監督に就任し、ベルリンフィルはどんな宇宙時代に突入するのかと思っていたときに(もちろん大きな期待をしているが!)、この来日公演は有難かった。ソロ・カーテンコールに応えるメータを見ながら、2003年に亡くなった母方の祖父のことを思い出していた。立派な男で、戦地に4回赴いて生還し、帰ってきてからは酒浸り気味になり、戦争のことは子供たちに一切口にしなかったという。本当に言いたいことは言葉では表せないが、何か伝えたいことがあったはずだ。いよいよ「本当のこと」を語りだしたメータに、「もっと貴方のことを聞かせてください」と詰め寄りたくなったコンサートだった。