小田島久恵のクラシック鑑賞日記 

クラシックのコンサート、リサイタル、オペラ等の鑑賞日記です

岡本誠司 リサイタル・シリーズvol.1「自由だが孤独に」

2021-06-13 20:08:52 | クラシック音楽

岡本誠司さんの全6回のリサイタル・シリーズの2回目。「vol.0」を浜離宮で聴いたのはちょうど半年前で、そのときもヴァイオリニストとして独走態勢の成長を遂げていることに驚いたが、今回の紀尾井も圧倒的だった。ピアニストは前回と同じく反田恭平さん。

リサイタル・シリーズは、vol.0「はじまり」vol.1「自由だが孤独に」vol.2「夜明け、幻想」vol.3「円熟の時」vol.4「最後の言葉」vol.5「バッハ、無伴奏」と2023年まで続くが、2回目となった紀尾井では、シューマン「アダージョとアレグロ」「ヴァイオリン・ソナタ第1番」、ヨアヒム「ロマンスop.2-1」クララ・シューマン「3つのロマンス」シューマン、ブラームス、ディートリヒ「F.A.E.ソナタ」と全て1849~1853年に書かれ「登場人物が献呈しあい、共に演奏し、作り上げられていった作品」(岡本さん)が並べられた。

シューマンを中心にしたプログラムで、ロマンティックで美しい旋律の曲が続いたが、ひとつとして同じ音色で弾かれた曲はなく、ヴァイオリニストの緻密な研究の跡が感じられた。これ見よがしな技巧を意識させる瞬間はなく、ボウイングは自然だが、暗示的で神秘的で、何より深い音楽だった。前回の浜離宮でのバッハ、イザイ、ブラームスでも感じたことだが、岡本さんは表面的に整えられた「体裁のいい音」はひとつも鳴らさない。あえてほつれたような寂しい音色、消え入るような繊細な音色、不器用に聴こえる音色を混ぜて弾かれた旋律もあった。

岡本さんにはバッハ国際コンクールで優勝された直後にインタビューをしたことがあったが、まだ19歳か20歳だった岡本さんは、とてもオリジナルな練習法を自ら組み立てていて、大変情熱的にその内容を説明してくれた。若い演奏家がこんなにも自発的に技術の開発に取り組んでいることに驚かされたし、それがすべて主体的に行われていることにも感銘を受けた。誰から強制されるわけでもなく、好奇心の赴くままに研究を重ねて、独自の表現を掘り下げていた。

その後に聴いた演奏会では、理知的なだけでなく温かみや癒しも感じさせる個性に魅了された。既に多くのファンを虜にしていた。実際、聴衆というのは批評する立場にある人間より耳がいい。直観的で純粋な耳を持っていて、演奏を幸福感とともに聴く貴重な感性を持っている。

シューマンは凄い置き土産を残してこの世を去った…つねづねそう思うが、先日の仲道郁代さんのピアノ・リサイタルで凄まじい「幻想曲」を聞いて、それは確信となった。才能とは、「適度」に与えられるものではなく、生身の人間を破壊するほどに容赦なく襲い掛かる。シューマンが取りつかれていた霊感の巨大さと、それに能う限り勇敢に応えた人間性を思う。表面を綺麗に整えた演奏では、この葛藤を描き尽くすことは出来ない。

反田恭平さんのピアノは内省的で、技巧的に高度な曲を次々と優雅に聴かせてくれた。二人は同い年のはずだが、この世代には特有の「大袈裟ではない洗練された空気感」があると思う。余計な重さはなく、慎みや上品さを感じさせる。シューマンの「3つのロマンス」の返歌として書かれたクララ・シューマンの「3つのロマンス」は、リヒャルト・シュトラウスを連想させる未来的な響きがあり、終わり方も軽やかで、薫るような余韻が漂った。

曲が進むうちに、この二人の演奏家の「耳の良さ」に果たしてついていけるのだろうか…と自分が不安になった。もともと良くない耳だが、これほどまでに繊細に練られた音のグラデーションに対して、どう反応したらいいのか戸惑った。すべての曲に、曲が作られたときの作曲家たちの精神状態までもが細やかに彫り込まれていた。

「曲を作った人間の心の中に入り込め」ということなのだろう。
演奏家は作曲家の心の声を聴く耳を持っている。実際にシューマンにインタビューするわけにはいかないから、譜面からすべてを読み込んでいく。シューマンは徹頭徹尾、哲学者であったとも思う。演奏家がそれを詳らかにしてくれた。

曲が急に激しくなる箇所では、芸術表現の中だけに存在する激越さというものを感じた。暴力や「力で押す」行為とは違う。人間の内奥にある、やむにやまれぬ激情の表現で、そうした件では反田さんのピアノも驚くほど激しくなった。秘められたものが突然顔を出したような、そんな驚きを聴きながら感じた。

岡本さんのヴァイオリンのこの「愛情深さ」はどこから来るのか…岡本さんもまた、素晴らしい哲学者であるからだろう。人間存在というものに対して、矛盾も含めた深い洞察がある。ひとつのフレーズに無数の語彙が感じられた。「自由だが孤独に」という言葉は、岡本さんが立たされている境地でもあるのかも知れない。音の探求のプロセスに、無限の自由があり、孤独がある。

反田さんはいずれ、彼の夢である音楽学校の設立を実現し、音楽教育にも関わられていくと思うが、岡本さんも反田さんとともに凄い教育者になるだろうと思った。演奏そのものに、学ぶことの無限の可能性が顕れていた。早すぎる「成熟」に、ただ驚くばかりだった。

 

 

 



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