イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

健康派と非健康派!

2009-05-14 | 第七章「光と復活体」

 もう何年か前であるが、福祉関係の資格を取得するため、通学をしていた時であった。心理学のちょっとした勉強をする中で、貴方の最も大切にしている価値を書きなさいというミニ・アンケートがあった。

 私は、「愛」と書いた。他の人が何を書くのか興味があったが、結果を先生から教えてもらった。

 クラスの約半分は「健康」、残りの方は「誠実」とか「愛」とか、いろいろであった。ただ残りの方の共通点は、健康であってもなくても、成り立つ概念であった。

 健康という言葉も、人それぞれのニュアンスがあり、意味するものも違うかもしれない。ただ、物理的に健康な肉体とか健康な心理状態など、健康派は現世的であり、非健康派はどこか魂を信じるなど彼岸の世界を夢想するようなところがあるように思えてならない。

 そういえば、年賀状でのあいさつ文に、些細なことだが、「御多幸をお祈りします。」という方もいれば、「御多幸とご健康をお祈りします。」という方もいらしゃる。知人で医者のA君は、「御多幸をお祈りします。」であった。二つのタイプ、これも健康派、非健康派と関係があるのだろうか。

 健康派と非健康派(否健康派ではない)。二つのグループの自己実現のイメージはどういうものなのであろうか?今興味のあるテーマでもある。

<もう充分幸せ 3/4>

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もう充分幸せ・・・とは言え・・・

2009-05-13 | 第七章「光と復活体」

 充分幸せというのも、生活の中でほんのひと時であるようだ。日々の感情生活を振り返ってみると、当然ながら暗い感情が大半である。ただ、何か傾向を掴むこともできるようだ。

 私の場合、最近は、正直1-2か月前と比べ暗い感情やほんの時折の錯乱感が気になる。特に錯乱感が気になる。

 人から言われて生きる人生は、悔いを残す可能性が高いと、生き甲斐の心理学で学んだ。試行錯誤で、この5-6年会社をやめたり、新しい仕事をしたりしているが、どういう状態なのだと思う。

 当初決めて進んだ道が、何となく違って見える。現実の解釈が変わってきているのだ。防衛機制の問題もあるのは確かである。

 頭で考えるだけでなく、人の真似をするのではなく、自分の実感で人生の道を確かめつつ統御感に溢れる日々を送りたい。それが今の私の大きな願いである。その為のヒントかもしれない。

 この世は理想だけで生きることはできない。例えば、経済的な問題もある。現実の世界は、守銭奴であっても、仙人であっても等しく入場料をとる生活の場でもある。

 昨日は、町田のぼたん園に娘と夕方に行った。美しいぼたんに溢れ、静かなひと時を過ごした。

 ぼたん園は5月6日の開園期間が過ぎ、もう入場できないのかと思っていたが、入場料無料で、盛りが過ぎたとは言え、美しいぼたんを見ることができた。ラッキーであった。

<もう充分幸せ 2/4>

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幸福よ、こんにちは!

2009-05-12 | 第七章「光と復活体」

 昨日は、府中でムサシノキスゲを見に行った。群生というほど覆い茂っているわけではないが、静かで新緑が美しい岡の上で、黄色いムサシノキスゲを楽しんだ。

 また、2週間後に勉強会で近くに来る予定がある。今年は、もう一度ムサシノキスゲを楽しむことができそうである。今からちょっとそわそわしている。

 さて、「生き甲斐の心理学」を普及している仕事もあり、私はよく幸福とは何かとか、幸福感とは何か、悔いのない人生は何かなど考える。今週も勉強会があり、その時もこの問題に触れるだろう。

 幸福への道とはどんなものだろうか。現実の解釈や価値観の問題など人それぞれなものと思う反面、自分の経験からかなり明確なものではないかと思うこともある。

 若いころは、そんな幸福への道の存在すら考えたこともなく。日々楽しんでも、どこか空しさが残り、また日々のストレスの中で、右往左往していたようだ。

 それが、いくつかの個人的な変化により、今でさえ、天国を垣間見るような幸福感をもつことがある。このムサシノキスゲからも素晴らしい幸福感を頂いたようだ。

 この世でも、静かな新緑の中、クロアゲハなどがゆったり舞うなかで、美しい百合のような形状の黄色い花が咲き、それをゆっくり味わう幸福があるのだ。

 勿論、この道にも、ちょっとした敵が潜んでいたりで、ストレスもあるだろう。ただ、Goalもきっと、このムサシノキスゲのように素晴らしいものだろうと考えると、何かストレスを楽しむ余裕も生まれる。思わず、有難さに感謝したくなる。

 「幸福よ、こんにちは!」、昔読んだサガンの小説に同じような題名があったが(確か誰かの詩の一節だった)、こちらは売れないけど味がある言葉ではないだろうか?

<もう充分幸せ 1/4>

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美しくもある心の仕組み!

2009-05-11 | 第七章「光と復活体」

 朝、妻が水やりをしたあとで、鈴蘭の写真を撮ったが、葉の上に水滴が付き、キラキラと輝いていた。

 さて、心理学で出てくる防衛機制を勉強すると、合理化、抑圧、逃避などの言葉が沢山出てくる。そのマイナスの語感の為か、防衛機制は人の心を惑わす心の仕組みではないかと思いこんでしまいがちだ。防衛機制の話を聞くと、何か辛くなるという方までいらっしゃる。

 ただ、今まで何故生き抜くことができたのかと、真面目に思索してみると、驚くべきことに、この防衛機制によって、助けられ健康的に生き抜けたと後で気づき胸が熱くなることがあった。

 防衛機制も、謂わば神様から与えられたプレゼントのように、人生の中でキラキラ輝くこともある。

 しゃくし定規の、倫理道徳からちょっと離れ、その時の自分の真実と防衛機制の関係、湧きおこる感情などを思い出してみると、不思議な世界を垣間見られるかもしれない。

 ありのままも良いが、時にありのままでなくても良い。

<ありのまま 4/4>

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「ありのまま」への準備!

2009-05-10 | 第七章「光と復活体」

 自分の生き甲斐が昔よりは幾分明確になってきていると思う一方(50歳台で今更かも?!)、何かまだ統合されていないで、「ありのまま」の自分を生きていないように感じるのも確かなのである。

 U先生の「生き甲斐の心理学」をパラパラめくっていると、第八章に「こころをのびやかにする方法」が目に留まった。実に、この章は人の防衛機制という、自分の真実を曇らすような働きをするこころの仕組みについて書かれているところである。

 勿論、この仕組みは生きる上で多くのメリットもあるが、「ありのまま」に生きる上で、障碍になるところでもある。そして、このこころの仕組みを知識としてしっかり身につければ、ありのままに生きる最大級の武器になると最近ますます実感している。

 一日の心の動きや、行動をあらためて、のんびり振り返ってみると、何か自分が囚われているような部分があるのに気付く(意外に大きな部分であるが)。人の心は、その生育史故に、無意識的に簡単に何かに囚われたり、自分と他人(物もある)、他人と他人を混濁したりしがちになるようだ。

 欧米ではセラピスト/カウンセラーは国家試験で認定されるが(日本ではすべて民間資格)。その欧米の国家試験の問題がいくつか載ってる。復習でもう一度自己分析をしつつ、しっかり勉強してみよう。

 今日は天気が良い母の日だが、雨の日だと思って・・・

<ありのまま 3/4>

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