イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

アメリカンドリーム!

2009-05-09 | 第七章「光と復活体」

 アメリカンドリームも9・11事件ころから、もっと精神的なものを求める志向に変質しつつあるという意見があった。オバマ大統領の登場もなにか関係があるかもしれない。

 ただ、自分の中には、無意識に物質的な欲望を満たしたい、素朴なアメリカンドリームがあるようだ。

 お金もこれだけあれば十分だという発想より、際限なくあれば良い的な思考がどこかにある。無意識の世界から湧き出てくるのかもしれない。

 人類が何故ここまで生き抜いてきたかを考えると、そういった心の動きもあって当然なので(今生かされているのはそういった意識のおかげかもしれないから)、余り否定的に考えることはないと思う。

 心の中には、蠢く様々な意識がある。爽やかなものも、ちょっと気持ちの悪いものも。

 人間の代表的な欲望として、食欲、性欲、見神欲の3つがあるという学説がある。自分の中にも確かにこうした欲望があり、日常の中で様々な意識の動きとなっている。

 金持ちになって、物質的に恵まれたいという意識もあれば、財を捨てたいという意識もある(チベット死者の書にでてくる80自性は、本当に卓見である。)

 勿論、移り変わる意識の森羅万象の中で、どれを行動として選ぶかは重要である。それは通常考えられている常識を越えて、かなり個人的である。

 たとえば、極貧の環境にありながらも、他の人の幸せを願い寄付する人がいる。

 富豪が一億円を寄付するより、よっぽどニュースになると思うが、今の日本ではまだ余り光が当たらないようだ。

 ただ、それがニュースとなり日本版「アメリカンドリーム」と言われる日が来ないとも言えない。

 若い人を中心に、何か変わりつつあるように最近想っている。

<ありのまま 2/4>

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ありのまま!

2009-05-07 | 第七章「光と復活体」

 今日は休み、久しぶりに牡丹の写真を撮りに行こうと思っていたが、生憎の雨。

 結局一日、書類の整理などをして終わってしまいそうである。写真は雨の中でとったベランダの矢車草。

 何気なく撮ったのだが、矢車草の花だけでなく、長くてしなやかな茎も美しい。ありのままの矢車草は良いもんだ。

 6年前に会社をサラリーマンを辞めてから、私もいろいろ変わったが、心理的な面では、防衛機制の問題が一番大きいと思う。最近はずいぶん自然体で生きられるようになったと感じる。

 会社を辞めたんだと気づいたのは、辞めて半年くらいしてから、久しぶりに電車に乗った時、座席の前でサラリーマンの上司と部下のやり取りを見ながら、ああ嫌だなと感じたことがあった。

 サラリーマン時代では気づかない嫌悪感というのであろか。ある意味で、のんびり自然体でいる時間が増えたのであろうか、そういう感情が自分のなかに見えてきたのだと思う。

 世の中、「個性を大事に!」とか掛声はよくかかるが、実際はどうだろうか?自分の体験から考えると、意外に大事にされていない。家族も学校も職場も。勿論、気楽に出せる個性の部分もあるが、そうでない隠さねばならない部分がある(批難されるので)。

 従って、ありのままの自分を出してしまうのではなく。周りから期待された役割を、何となく演じるようだ。長年サラリーマンをやっていると、それが身について個性のようになってしまう(でも個性ではなく本当は抑圧・抑制されているだけ)。

 変に怖れず、自分のありのままを極力出すように(状況によるが)するのは、結構大変ではっきり意識する必要があるようだ。

 ありのままで、矢車草のように飾らず、しなやかでありたい。そのメリットは大いにあるので。

<ありのまま 1/4>

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春の公園のベンチで読書でも・・・

2009-05-06 | 第六章「螺旋状に上昇する意味」

 数えてみれば、父が亡くなってからもうじき18年である。

 父が入院をしているときに、お見舞いに行きノンアルコール・ビールを二人で良く飲んだものだ。そんな時に、父が病床で読んだ本を貰って、そのうち読もうと思って忘れていた本が私の本棚にある。

 「上海の長い夜」。その懐かしい本を、書棚から取り出し今眺めている。

 父は学生時代は本好きだったのだろう。家の書棚にはたくさん本があった。私は、幼いころから父の書棚を時々のぞいたりした。殆どが、戦後間もない物資難の頃の本で、紙質が悪く余り読む気がしなかった。ただ、そういえばこんな本を父が読んでいたっけと、不思議な気持ちで思い出す本があった。

 レオン・パジェスの「日本切支丹宗門史」もその一つである。父はクリスチャンではなかったが、どうも学生時代にまじめに読んだようである。そして、その本(切支丹迫害史)を私が50歳前半にたまたま読んで、ひどく感動したのだ。

 信仰とは何か、生き甲斐とは何か、それを考えさせる本である。

 今日も昨日も、八王子は雨。そのうち晴れたら公園にでも出かけ、父の思い出の本でも読んで、のんびりしたい。

 「螺旋状に上昇する意味」を想いながら・・・

<おまけ 2/2>

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ムーミンの感じ方!

2009-05-05 | 第六章「螺旋状に上昇する意味」

 ムーミン展が東京駅の大丸ミュージアムで開催されている。妻や子供たちがファンであり、先日妻と見学に行った。

 フィンランド生まれのトーベ・ヤンソンの作品を、時間をかけてゆっくり見ることができた。時間をかけて観たせいもあるのだろうか、何枚かの絵(インク画)で幼い頃の感覚や感情が突然呼び覚まされたようであった。その感覚が今でも続いている。

 7歳のころにアラスカで両親とともに一年弱過ごしたが、その時の春の雪解けの時期に感じた泥や土の感覚、冬の雪の感覚が濃密に蘇ってきた。氷の解けた水たまりや、土のにおい・・・

 アラスカとフィンランドでは、場所もかなり離れているのだが、緯度が60度くらいで似ている。そして何か感覚・感じ方が似ているのではないか。

 同じような気候や環境であれば、感じるものを言語化したり可視化すると、何となく同じような感覚・感情がでてくる。そんなことがあるのではと想ったりした。

 ムーミンも、もともとはフィンランドの妖精的なもの(やや不気味な)から創造されたようである。日本人のおばけの感覚とはかなり異質である。

 妻や子供たちが感じるムーミンと違った感覚で、私はムーミンを感じているのだろうか。

 ただ、世界各国で愛されるムーミン。特殊な環境からの創造かもしれないが、普遍的な価値を持つもの。人間の多様性を考えると、何となく楽しくなる。

<おまけ 1/2>

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硬派の休日!

2009-05-04 | 第六章「螺旋状に上昇する意味」

 昨日は5月3日憲法記念日であった。そして、自分の58年の人生の中で、憲法のことを最も考えた一日であった。

 この2-3日、蟻の町のマリアで有名な北原怜子(さとこ)さんの著書や伝記を読み、思考・感情・行動について想いを巡らしていた。そして、伝記に29歳で夭折された、北原さんが多摩霊園の12区一種25側に埋葬されたという記事を見つけた。

 私の友人Sさんは、多摩霊園をご自分の庭の如く知悉されていて、今までも山本五十六、東郷平八郎をはじめ有名人のお墓を案内していただいたこともあり、早速連絡し3日にお参りすることになった。

 多摩霊園は、紫のつつじが綺麗であった。しだれ桜が有名だそうで、一度見たいとおもっていたが、今年も逸してしまったのが残念。

 北原怜子さんのお墓はとても清楚だった。そして、なにか暖かいものを感じた。

 夜、教育テレビを見たが、憲法記念日の特集で、憲法25条生存権に関して森戸辰男氏のこと、最近の派遣問題のことが熱く語られていて興味深かった。

 朝日訴訟ということを恥ずかしながら今まで意識したことがなかったが、その内容・重大性を勉強させていただいた。何故日本で生存権が語られ、それがうまく機能しないのか・・・

 北原怜子さんが活躍し若くして亡くなったのも1950年代。朝日訴訟のころでもある。派遣切りで50年ぶりくらいに光があたった生存権問題。

 毎年30,000人以上の自殺者を出す社会。情報技術などは50年前とくらべ、画期的に進歩したかもしれないが、生存権をまもる意識は50年前、あるいは2000年前と何が変わったといえるのであろうか。

 まあ、昔と同様、今やるべきことは沢山ある。喜んでもよいのかもしれない。

<愛のバランス 4/4>

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