イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

愛の感情(1)

2009-05-26 | 第七章「光と復活体」

 愛とは何か、愛されるとは何か、愛するとは何か、愛の感情とは何か・・・このような馴染みにくいテーマをずっと考えている。

 自分にとって、愛の感情とは何かと言われると、1999年1月3日に味わった感情のように思える。それまでの人生で一度も味わったことのないような明るい感情である。

 この感情を何故味わうことができたかを思索すると、生き甲斐の心理学で学んだ、様々な勉強が役に立つようである。

 仏教では、例えば「牛に引かれて善光寺まいり」という言葉があるが、それと同様な宗教体験かもしれない。W.ジェイムズの心理学の「宗教的経験の諸相」など、心理学的に分析した本もあるので、心理学の一分野で研究もされている。

 1999年1月3日の出来事を以下、若干の説明(生き甲斐の心理学の理論を踏まえ)をしながら振り返ってみたい。

 当時は、それまでの人生でなかったような苦悩(自分の力を遥かに超えた障碍に向き合う。はっきり自覚はしていないものの罪悪感をもっているなど)の中にいた。正月で実家に集まり、楽しい食事をした後だった。

 母から「イグナチオ教会が改築したので見に行ったら・・・」と言われた、母は若い頃に洗礼を受け、子供(私を含む)は幼児洗礼授かっていた。当時私は、苦悩の中で仏教やキリスト教、哲学の本やテレビを良く見ていたが、教会はとても縁遠くなっていた。

 しかし、母からそう言われ、幼いころから親しんでいたイグナチオ教会でもあったため、防衛機制をちょっとづつ外されるようにして、妻(クリスチャンではない)と一緒にいくことになった。

 11時のミサで、周りは外人ばかり。かえって気楽に神父様がいらっしゃる祭壇から離れた、後部座席に座る。やがて、2000年の歴史を誇る聖体拝領(パン(ホスチア)を信者は頂く)の時間となる。

 私は、はじめから聖体拝領をしないつもり(全く準備ができていないと思っていた)であったが、普段は祭壇の前に信者が行き神父様から拝領するだけだが、その時は修道士の方がいらっしゃり、後部座席のほうの信徒を配慮して、神父様を後部座席の方にお連れしてくださった。

 近くに神父様が来られ、しかも妻から「あなたは信者だから拝領したら」とおされ、聖体拝領をした。次々と防衛機制を外され、聖体拝領という思いがけないプレゼントを貰ったようであった。

 その時・・・(次回に続く)

<愛と感情 2/4>

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