昨日は、府中でムサシノキスゲを見に行った。群生というほど覆い茂っているわけではないが、静かで新緑が美しい岡の上で、黄色いムサシノキスゲを楽しんだ。
また、2週間後に勉強会で近くに来る予定がある。今年は、もう一度ムサシノキスゲを楽しむことができそうである。今からちょっとそわそわしている。
さて、「生き甲斐の心理学」を普及している仕事もあり、私はよく幸福とは何かとか、幸福感とは何か、悔いのない人生は何かなど考える。今週も勉強会があり、その時もこの問題に触れるだろう。
幸福への道とはどんなものだろうか。現実の解釈や価値観の問題など人それぞれなものと思う反面、自分の経験からかなり明確なものではないかと思うこともある。
若いころは、そんな幸福への道の存在すら考えたこともなく。日々楽しんでも、どこか空しさが残り、また日々のストレスの中で、右往左往していたようだ。
それが、いくつかの個人的な変化により、今でさえ、天国を垣間見るような幸福感をもつことがある。このムサシノキスゲからも素晴らしい幸福感を頂いたようだ。
この世でも、静かな新緑の中、クロアゲハなどがゆったり舞うなかで、美しい百合のような形状の黄色い花が咲き、それをゆっくり味わう幸福があるのだ。
勿論、この道にも、ちょっとした敵が潜んでいたりで、ストレスもあるだろう。ただ、Goalもきっと、このムサシノキスゲのように素晴らしいものだろうと考えると、何かストレスを楽しむ余裕も生まれる。思わず、有難さに感謝したくなる。
「幸福よ、こんにちは!」、昔読んだサガンの小説に同じような題名があったが(確か誰かの詩の一節だった)、こちらは売れないけど味がある言葉ではないだろうか?
<もう充分幸せ 1/4>
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