イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

幸福感は忍んで幸福の条件を満たせば得られるか?

2008-01-21 | 第二章「五感と体感」

 15年前ごろだったか、ライフデザインの講座を受けたことがある。自分の職業能力を棚卸したり、趣味を考えたり、将来にわたるマネープランを考えたりする、3日くらいのコースであった。

 なかなかよくできていて、その時に考えたこと、アドバイスを受けたことは今でも役に立っている。

 ただ、その中で決定的に抜けていたことがあった。それは、全く違う次元の話であり、この8年「生き甲斐の心理学」で学んだことであった。もちろん、気がつく人は気がついて、特に教えられなくて知っている。

 幸福感はライフデザインや、様々な条件をクリアーすれば必ず得られるものでない。

 将来の幸福を獲得のため、今働く。今我慢する。忍・・・そして、条件がかなえられれば幸福感が得られるだろうか?アメリカンドリームを叶えられたら幸福感を得られるのだろうか?金がたまれば良いのか、家族が健康であれば良いのか、結婚できればよいのか、子供が良い学校に入ればよいのか・・・

 忍、も人生にとって貴重である。ただ、忍によって幸福感を得られるとは限らない!

 これから、3回にわたり、幸福感を考えてみたい。

 <幸福論 1/3>

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日常の中の真善美!

2008-01-20 | 第二章「五感と体感」

 昨晩は、「生き甲斐の心理学で哲学する」の勉強会を開催した。その中で、真善美の話題で盛り上がった。

 真善美の反対は、偽悪醜なのかなと皆で納得したりした。頭の中で、凝り固まるのではなく、五感・体感を確かにして、真善美を見極め大切にするのは日々の生活で重要なことだと思う。ここでいう真善美は、頭だけで考えた倫理道徳とは一線を画す。

 個人的にも思い当たるところがある。人は混乱していくと、真善美から、どんどん離れていく。それが、五感・体感をベースにした真善美の柱に気づくと、混乱がすっと収まって来るように思う。人はもともと真善美と相性が良いのだ。

 新聞、テレビからは物質主義的な話や偽悪醜のニュースで満ち溢れている。まだ、真善美が正統派なので偽悪醜がニュースになるのかもしれない。あまり悲観する必要はないかもしれないが、気分的に嫌なものである。

 日々、不安・怒り・うつなどの、暗い感情に支配されやすい私ではあるが、日常の中でちょっと真善美を意識し、五感で真善美にふれていくと、自分の柱が自然に正されていくように思う。

 シクラメンの鉢植えや水仙、冬に咲く花はありがたい。

 <五感・体感の意義 10/10>

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愛のタマネギ料理!

2008-01-19 | 第二章「五感と体感」

 野菜の中でも、タマネギはとても強い五感の印象がある。タマネギを刻む時の眼を刺激する、独特の臭い。ヌメヌメする感触。皮だけの不思議な形。

 刻んで、よく炒めると甘くおいしくなるので、オニオンスープを作るときなど、ひたすら炒める。炒める時の、コンロの熱さや、音・・・五感・体感を使ってのタマネギ料理は強烈である。

 さらに、料理は他人のために作るため、優しい想いがどこかにあり、その五感・体感にブレンドされる。ふと、タマネギは私にとって愛の野菜かなと思う。

 タマネギは、紀元前から食用とされていたようである。エジプトで食用とされた記録があるらしい。実際に人間が食用とした時期はよくわからない。

 タマネギの中に含まれる、硫黄化合物は犬、猫、ウサギには毒で食べて死ぬこともあるという。ただ、人間には何故か無害だそうである。

 このあたりも、遺伝子の研究が進むと、タマネギを食用にする過程で祖先のお祖父さん、お婆さんが如何に苦労したかがわかってくるかもしれない。植物を人間が食するために、命をかけた戦いが先祖にあったと読んだことがある。南アメリカでのモンゴロイドとマニオクの戦いはすさまじかったらしい。

 今日は、タマネギで愛のオニオンスープでもつくってみようか!

 <五感・体感の意義 9/10>

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5万年前を五感で想い、ストレス解消!

2008-01-18 | 第二章「五感と体感」

 遺伝子の解読が画期的に進み、言語学、考古学、気象学、宗教学など関連する学問の世界との協調の中様々な昔のことがわかってきた。

 ニコラス・ウェイド著、イースト・プレス発行、「5万年前」を元に考えてみると、5万年前に現在の66億人の祖先はアフリカに住み、ひとつの言語を話していた可能性はとても高いそうだ。

 脳の発達は当時も今とほとんど変わらないということなので、五感・体感の世界もわれわれと一緒なのだろう。既に体毛は失われ、衣服は身に着け髪などを整えるなど、おしゃれもしていた。宗教ももち、男女の絆も現代の人間と基本的に同じだったそうである。

 懐かしいアフリカの地は、温暖化と反対の寒冷化の中で、暮らすことが難しくなる。その時150人(この人数もヒトゲノムの研究成果の一つで可能性は高いそうだ)の祖先が、アフリカを捨てて、異国の地に旅立つ。

 生き残るという、想い。大きな不安、大変なことだと思う。その中での旅立ち!彼らは、家族や同志たちのことに気遣い。神に祈り、当時の美しい自然の中で感謝し、意を決したのだろう。

 その時のアフリカのそよ風、太陽、海、月、星、水を祖先達はどのように感じたのだろうか?きっとわれわれと同じように、環境は異なるが神聖なものを感じたりしたのだと思う。

 ストレスの多い現代ではあるが、基本は5万年前と変わらないのかもしれない。ストレスの多い時に、5万年前の祖先のことを思い浮かべ、感謝の気持ちを起こし、心が休まるのは変なのだろうか?

<五感・体感の意義 8/10>

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絶世の美女も大変・・・

2008-01-17 | 第二章「五感と体感」

 昨晩、ブラットピット主演の「トロイ」をレンタルDVDで観た。ギリシャ神話関係の資料を片手に、トロイア戦争の成り行きを勉強でき満足した。

 ブラットピットのアキレスも魅力的であったが、トロイア戦争のきっかけとなった、絶世の美女ヘレナ(ゼウスとレナの子供とされる)がどのように描かれているか興味があった。ギリシャの国を挙げての戦いの原因とされる絶世の美女、ヘレナを演じたダイアンクルーガは、あくが強いわけでなく、また、数奇な運命の中で生き残っていく逞しさも演じていて良かった。

 絶世の美女といっても、美女と感じる側の、身体、心(成育史)、魂の問題が隠れていると思う。男女の性別もあれば、年齢もあり、育った環境もある。ただ、やはり美人の類型というのはあるのだろう。電車の座席に美人が座っていると、やはり、多くの男性は気になるらしく、それとなくちらっと見たりする。

 突然、平凡な人生の歩みの中で、美女(美男子)と出会う。そして、それがその人の人生を大きく変えてしまう。ギリシャ神話のヘレナほどではないが、思い当たるところがある。

 美女(美男子)に遭遇し、キューピットに射抜かれたとき・・・身体、こころ(成育史)、魂からなる人間はその後どうなるか。なかなか絵にかいたハッピーエンドにならないのが普通だろう。

 身体、こころは思わぬすれ違いを起こしやすい。ただ、魂のみが最後の切り札かもしれない。魂(病む事も無く老いる事もなく、永遠普遍のもので、愛そのもの。臨終の時、身体から離れる知的生命体)を信じられれば、何があっても、意外と健康的に生きられるかもしれない。

 大変な人生を歩んだヘレナの強さは何だったのだろうか?

<五感・体感の意義 7/10>

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