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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

どんな人の行動も理解可能だと思いますか?(愛ある問いかけ ② 7/10)

2014-01-15 | 第十章「今ここでの恩寵」

  昨日は、母方の伯母さんの葬儀であった。八王子から都心を横切り、千葉県のカトリック市川教会まで行った。とても心に残る葬儀と告別式だったと思う。

 母と、その伯母は殆ど同時期に戦後カトリックの受洗をした。母から聞いたのだが、母方の祖父母は仏教徒であったので、受洗するときに祖父の許可を求めたそうだ。

 そして、「日本ではカトリックの信仰を持つことは大変だよ」と言われたが許可をもらったそうだ。祖父の親友にカトリック信徒がいらして、その影響も大きかったのではと今では推察している。そのこともあり、私もカトリックの幼児洗礼を受け今に至っている。

 キリスト教は、古代はともかく、日本に伝来したのが16世紀であり、戦国時代に一時人口の10%位クリスチャンになったそうだが、今では人口の1%程度と言われている。私も、職場や親戚をみてもクリスチャンは実に少ない。マイノリティである。

 そして、少なくて当然ながら日本でのキリスト教やカトリックに対する理解はかなり低いと感じている。有識者のクリスチャンでない方のキリスト教への認識も意外と低く(周りにクリスチャンがいないので当然だろが)、その著作での誤解が誤解を再生産しているようだ。

 かつて、比較宗教学のT先生が言われていて心に残ったことがある。自分が信じていない他宗教のことを書くときは、その宗教の信徒に一度は内容を確認してもらうということだ。宗教も時代とともに変化していく、100年前の教義を今も通用すると信じて書いても、今では大きく変わっていることもあるのだ。特に今は世界が大きく変わる時なので当然といえば当然。

 もちろん、その言葉は自分に対する大切な自戒の言葉でもある。

 こうして、宗教は無理解や偏見の問題も秘めているが。宗教以外にも民族間や文化の違いによる問題もある。あるいは、同じ日本人であっても、脳の障害や心の病もあったりということもある。

 そして、私もケアの仕事でお付き合いさせていただいた認知症の方もいる。

 それに対する大小多寡の偏見というか、理解放棄を現場で随分出会ったが、臨床心理学の面で画期的な理論があることを、私は「生き甲斐の心理学」で学んだ。

 カール・ロジャース(心理学者としてだけではなく、国際貢献でノーベル平和賞の候補にもなった)の理論で、性格形成論の19の命題として有名なものだ。

 その一つは次のように語る。

 「行動を理解するために、もっとも有利な観点は、その個人自身の内部的照合枠(interenal frame of reference)から得られるものである。」

 人の行動が如何に奇妙に見えても、その裏には、その人なりの理由があるということだ。それは、その人の歴史のなかに秘められている。倫理道徳等の面では問題があっても、その裏には、はっとするような理由があることが多い。

 外から勝手に断じるのではなく、心をこめて聴いてみると、随分違うというのが私の拙い経験である。もちろん、それにすべて賛同することはないが、その方の立場なら、そうなるのだなあと想いを寄せることは、この寒々とした時代では大切だと思う。

愛ある問いかけ ② 7/10      

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