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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

縄文人は座禅や瞑想をしたのだろうか? (縄文世界を感じるとき 10/10)

2023-04-03 | 第十章「今ここでの恩寵」

縄文時代の住居址で敷石住居址ほど考えさせられるものはない。縄文中期の後半くらいから1000年くらいそうした住居を祖先は作るのだが、これは一体何のためであったのだろうか。いろいろな説があるが、ここひとつ説得力に欠けるように思う。ただ、何か意図があったことは心理学的に考えても確かであろう。

さて、U先生の生き甲斐の心理学の勉強をしていると、よくアイデンティティの統合という専門用語が出てくる。普通、人は生きるためにある種の鎧を身に着けるものだ。しかし、大きな変化などではその鎧が自らを変化させる点で阻害要因になってしまう。個人の場合もそうだが集団でも結構同じようなことがおこる。ある技術で独占的な立場にあった企業が、その技術を根本的に凌駕するような世の流れの中で、次の技術をうまく取り入れられず倒産してしまうことは多々ある。反対にゼロから出発したような集団は強い。

こころの鎧(防衛機制)も大事だが自分を導く柱を見失わず柔軟性をたもつのは、今も縄文時代も同じように重要なことではなかったのではないか。

私は小学生のころ二つの命に係わる体験をした。一つは通学の途中で友達を交通事故で失ったこと。もう一つは自分自身が海水浴で荒波にさらわれて溺れかかり、危うく父に救われたということだ。この二つの記憶は60年以上の出来事であっても結構なまなましく思い出される。しかし、前者は、こころの問題に結びついたが(今は問題ない)、後者は歴然とした命の危機であったにもかかわらず不思議にも何の問題もなかった。

後者のことを考えると、その危険な海中での出来事の中で、運命に身をまかし心の自由さを保ったようなことがあった。へんな話だが慌てて藻掻くのではなく意外に冷静に柳に風のように救助を待ったのが幸いした。火事場の馬鹿力という諺があるが、身体的は力は出せなくてもこころの平安が危機の中で保てたようだった。海中に投げ出される前に深く息をすい、そのままじっとしていたのだった。

最近、アイデンティティの統合を考える上で、禅のメカニズムに関し大変興味をもっているが、呼吸と今ここに対する感覚は何か関係があるようだ。人は過去と未来、そしてその境?の現在を日々経験しているように思う。しかし、生きることで大事なのは今ここであり、その世界は集中すると、深く何かに満ちていて、静かにそこに触れているとこころが自由になってくるようなのだ。旧約聖書にでてくる「ある」という神・・よく聞く「悟り」。まあ、いろいろな表現で古今東西の経験者は語っていると思うが、ホモサピエンスがホモサピエンスらしいのはその点ではないかと思う。

苦難の旅の中で偶然といってもよいような時に見出される何か。それはちょうど反対の無力で静寂にみちた禅などの修行の時に見いだせられるようなものかもしれない。まあ、無力がキーワードかもしれないが。

縄文時代のある時期の敷石住居のような不思議な文化傾向。それは禅などに通じているのではないだろうか。

話は少し変わるが、土器づくりなどの経験をさせていただき、丁寧に縄文などをつけるような単純な動き。こうした動作の中で禅に通じるようなもの、あるいは純粋な祈りの世界に通じるものがあるように思う。

今週の木曜日は満月。そして日曜日はキリスト教の復活祭。復活祭はちなみに春分 の日の後の最初の満月の次の日曜日。祈りの中で迎えたい。

縄文世界を感じるとき 10/10

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       森裕行

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